「この映画が作られる社会問題というものが韓国にあるとしたら、それは一体何だったんだろうか」消防士 2001年、闘いの真実 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
この映画が作られる社会問題というものが韓国にあるとしたら、それは一体何だったんだろうか
2025.7.8 字幕 イオンシネマ京都桂川
2024年の韓国映画(106分、G)
2001年3月4日に実際に起きた弘済洞ビル火災事件をベースに作られた社会派ヒューマンドラマ
監督はクァク・キョンテク
脚本はクァク・キョンテク&キム・ヨンデ&チェ・クァンヨン
原題は『소방관』、英題は『The Firefighters』で、ともに「消防士」と言う意味
物語の舞台は、2001年の韓国ソウル市西部地域
西部消防に配属されたばかりの新人チョルン(チュウォン)は、いきなり事故現場に放り込まれるものの、何もできないまま終わってしまった
彼の所属するチームは、カン隊長(ユ・ジェミョン)を筆頭に、隊長と同期のチョン・ジンソプ班長(クァク・ドウォン)、チョルンを引き入れた先輩のヨンテ(キム・ミンジェ)、ムードメーカーのヒョジョン(オ・デファン)たちがいた
さらに、ヒョジョンの妹ヒョミン(ソ・ミンジェ)と婚約しているキチョル(イ・ジュンヒョク)、犬好きのヒョンス(ファン・ソンジュン)に加えて、救命士のソヒ(イ・ユヨン)たちが危険な現場を顧みずに戦っていた
ある日のこと、ビルの救助に向かった彼らは、崩落寸前の現場の中、懸命な救助活動を行なった
その中で一人の女性(チョン・ヒョギョン)を救うことになったが、彼女の部屋に娘(チョン・ソウ)の写真を見つけたジンソプは、隊長の命令に背いて捜索を続けてしまう
娘を見つけて助け出したものの、ヨンテは建物の崩落に巻き込まれ、救出作業も間に合わないまま、帰らぬ人となってしまった
チョルンは職務できる状態ではなく休職を余儀なくされ、彼はその間に昇進試験の勉強を始める
指揮命令系統が機能していないことに憂慮を覚え、安全な活動を信条としていたが、それは直感で動くジンソプとは真逆の考え方だった
映画は、実在の事件をベースにしていて、モデルがいるのはチョルン、ヒョジョン、キチョル、ヒョンスとなっている
チョルンが最後に読み上げたのはヒョジョンの残した詩であり、キチョルは劇中で助かっているが、実際には亡くなっていた
チョルンのモデルとなったイ・ソンチョンは現在は消防本部の中級幹部となっていて、今でも火災現場に送る人員を指導しているそうだ
実際の事件では、家主の息子が泥酔して帰宅し、家主である母親と口論になった末に、自室に閉じこもって生活情報誌に火をつけた、とされている
その後、火の回りに驚いた息子は逃げ出し、叔父の家に隠れていた
母親は息子が逃げ出したことを知らず、一次捜索を終えた消防隊に対して、息子を探さないのかと抗議を行なったと言う
そこで、10名の消防士が中に入り、そこで建物の崩落が起きてしまった
3人は救助され、6人は意識不明の状態で発見され、そのまま帰らぬ人となっている
その後も要救助者の捜索は行われたが、捜索対象者が早々に逃げていたことが報じられ、ようやく捜索は終了した、とされている
この一連の事件をベースにして、当時の脆弱な消火現場を切々と訴えていて、この事件の前後で大きな転機が起こったと言う
それでも、消防の改革には時間を要していて、劇中のテロップでは20年ほど掛かっているとされていた
その背景に何があったのかはわからないが、記者(ミン・ジョンギ)が嗅ぎ回っていた、慰労金流用などの汚職が関係していたかのような引用がなされていた
装備品を自腹で購入していたと言うのも事実ベースで、嘘のような本当の話がたくさん描かれている
防火服ではなく防水服と言うことだが、これはいわゆる丈夫なカッパのようなもので、そう言った装備への投資というものも遅れていたとされている
映画は、ジンソプと隊長を架空の人物としていて、おそらくはパク・ドンギュ消防長をモデルにしているのだと思う
彼にドラマ性を持たせ、主人公との絡みを濃くする狙いがあり、消防士たる信念の激突というものを描いていた
安全優先では助けられないジレンマと、直感的だけでは犠牲を生むというメッセージが描かれていて、どちらかが正しいというものではない
おそらくは、多くの現場でこのようなジレンマがあり、完璧なものなどないと思う
最終的には現場の判断に委ねられると思うが、「First In、Last Out(最初に入って、最後に出る)」という消防士を象徴するスローガンが生まれるように、過酷な現場で闘う人々には尊敬以外の言葉が見つからない
違法駐車問題から、保険金目当ての放火に至るまで、様々な社会問題が描かれていたが、インパクトがあったのは違法駐車の方だろうか
さすがに押しのけて通るというのは今でもアウトだと思うが、危機意識の欠如が生む常態化した悪癖というものは、改善されるべきだと感じた
いずれにせよ、実話ベースのドラマには「現在進行形の社会問題提起」というものがあると思うので、そう言った何かが韓国内であるのだと思う
それに関しては現地の人しかわからないものがあると思うのだが、日本をはじめとした諸外国が他国の映画を観る場合とは視点も違うと思う
本作から伝わるものは、社会全体の協力体制によってしか救えるものも救えないということで、行きすぎた個人主義云々の前に、違法とされているものを撲滅するところから始めないといけないのだろう
自身の行動を棚上げして権利を主張する人間ばかりだと、いずれは自分自身に帰ってくるのではないか、と感じた