劇場公開日 2025年6月20日

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「日本では当たり前な、「失敗」出来る事のありがたさ」脱走 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 日本では当たり前な、「失敗」出来る事のありがたさ

2025年6月24日
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鑑賞方法:映画館

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【イントロダクション】
自由を求めて韓国へ脱北を試みる兵士と、彼を追う将校との追走劇を描いたアクション・スリラー。脱北を試みる兵士をイ・ジェフン、北朝鮮の将校をク・ギョファンが演じる。
監督、イ・ジョンピル。脚本にクォン・ソンヒ、キム・ウグン。

【ストーリー】
朝鮮半島の軍事境界線付近の駐屯基地。10年の兵役を終え、除隊を目前に控えていたイム・ギュナム(イ・ジェフン)軍曹は、毎晩兵士達が寝静まった後、基地を抜け出していた。彼は1日30分という時間制限を設け、地雷地帯に仕掛けられた地雷の位置を把握、手製の地図に場所を書き記しては、韓国への亡命準備を進めていたのだ。

いよいよ計画実行を目前に控えたある日、偶然にもギュナムの計画を察知した下級兵士のキム・ドンヒョク(ホン・サビン)は、韓国に住む母と妹の身を案じており、母の誕生日にプレゼントを渡したいとして、ギュナムに共に連れて行ってくれと懇願する。しかし、ギュナムはこれを拒否。すると、ドンヒョクはギュナムより先に脱出しようとし、それを止めようとしたギュナムと共に脱走兵として逮捕されてしまう。

脱走兵の捜査で部隊にやってきた国家保衛部のリ・ヒョンサン(ク・ギョファン)少佐は、幼なじみだったギュナムを脱走兵逮捕の英雄に仕立て上げ彼を助ける。更に、師団長直属の補佐官としてギュナムの生活をサポートしようとする。だが、ギュナムはあくまで自由を求めて脱北する意思を曲げず、囚われていたドンヒョクを救出して逃亡を企てる。

ギュナムの意思を確認したリ少佐は、部下を率いて追跡を開始する。

【感想】
予告編を観た印象では、「真夜中に脱北を試みた兵士と、彼を追う軍上層部役員との追跡劇」といったワンシチュエーションを、94分というコンパクトな尺でスリリングに描く作品かと思っていた。しかし、実際には次から次へと事態が思わぬ方へ転がって行き、「次はどうなる!?」という緊張感を保ちつつ進む作品であった。

展開に御都合主義感は否めないが、短い時間の中で絶えず状況が変化し、自由を求めて奔走するギュナムの姿に最後まで釘付けとなった。

ギュナム役のイ・ジェフンの演技が良く、漏れ出た車の油を顔に塗りたくって死亡を捏造する必死さや、自分達を保護してくれた放浪者の一団を救う為に囮になるという彼の愚直な性格には、素直に好感が持てた。ライフルのスコープで狙ってくるリ少佐を見つめるスコープ越しのシーンも印象的。脱北後の髪型よりも、兵士時代の短髪姿の方が似合っていたと思うのは私だけだろうか。

そんなギュナムを追うリ少佐は、体制に迎合せざるを得なかった冷酷なリアリストだ。かつては賞を総なめにする有望なピアニストだったが、軍人家系故に夢を諦めるしかなかった。ピアニスト時代のライバルとの間には親密な関係があった様子で、電話帳にも“かつて愛したクソ犬”と登録している。だが、この同性愛要素についてはそれ以上の掘り下げもなく、特に活かす気もないのであれば不要だったようには感じる。恐らく、北朝鮮では同性愛も認められておらず、それ故にリ少佐はピアニストとしての“未来”だけでなく、彼との“愛”も諦めざるを得なかったという事なのだろうが。

音楽の盛り上げ方が良く、絶えず変化し続ける状況を効果的に、緊張感を持たせていた。

【失敗出来るという事のありがたさ】

「挑戦して失敗して、また挑戦して失敗してー。俺は失敗しに行くんです。ここでは失敗も許されない」

ギュナムが韓国との国境付近で、リ少佐に放ったこの台詞が素晴らしい。「成功する」のではなく、「失敗する」というのが良い。そして、失敗の許される日本という国に生まれたありがたさを噛み締めた。私は失敗し続けてきたが、今日もこうして生きている。
しかし、すぐ近くの彼の国では、失敗は許されず、個人としての自由や尊厳が無視され、従う事を強要される。その苦痛を考えると、リ少佐の「諦めて受け入れるしかない」という思いも理解出来る。だが、彼もかつては夢と希望を抱き、ギュナムに贈ったアムンゼンの本に「無意味な人生を過ごすなbyピアノ兄貴」と記していた。過去の自分が贈ったその一文は、まさに今、体制に迎合せざるを得ず、あらゆる事を諦めながら生きてきるリ少佐に刺さった事だと思う。過去の自分が、今の自分に「目を覚ませ」と言っているのだ。

そして、ラストでギュナムは自由と夢を手に、新しい世界を謳歌している。まだ見ぬ「失敗」へ向けて、彼の人生は進み始めたのだ。

【総評】
コンパクトな尺でテンポ良く描かれる、自由を追う者と阻む者の追走劇。日本では当たり前の「失敗」というありがたみを噛み締め、明日を生きる背中を押してくれる作品だった。

緋里阿 純