劇場公開日 2025年6月28日

「監督と博士の真面目さが生んだ秀作」選挙と鬱 椿六十郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5監督と博士の真面目さが生んだ秀作

2025年6月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

知的

 先ずは博士・・・、舞台挨拶を見る限りお元気そうな様子で本当に安心した。私は、父親の仕事上の理由で子供の頃から選挙という事象に触れてきた。思想信条や制度を超えた処で「選挙とは祭である」と思う場面をイヤと言うほど見てきた。神輿を担ぐ側も担がれる側も、投票日に向かって選挙ではトランス状態が生まれる。集団としての「躁状態」である。それは当確が打たれるとピークに達し、候補者はその渦に暫く身を任せる事しか出来なくなる。

 しかし、祭はいつか終わる。候補者は議員となり成した事の大きさと、・・・特に野党議員の場合は、これから成せる事の限界に呆然とする事になる。野党でも、大きな政党なら委員会審議で時間も貰えるだろうし、組合や市民団体と行政の橋渡しといった仕事もある。しかし、最近他の野党と距離を置き、赤字を無視した積極財政と、いきなりの消費税0のれいわは「唯我独尊」的な感じが否めない。更に、博士自身が主張する「スラップ訴訟規制法」も実際にどうすれば良いのか現実は難しいと思われる。真面目な博士は「祭と政(まつりごと)」の双極の狭間で悩み苦しみ、元々双極性障害(所謂躁鬱)の既往が有ると言われる身にとって、この「作られた双極」は症状の出現に必然性を与えたので有ろう。舞台あいさつに出た選挙応援をしていた芸人さんが選挙の楽しさを力説していたが、当事者や家族は遊びではない。

 さて、映画である。博士の真面目さ、監督の誠実性が画面から滲み出る様な・・・、当に秀作である。「選挙と鬱」風変わりな題名であるが、これ以外に無い内容である。余り人が集まらなかった地元岡山での集会から始まり、どんどん大きくなって行く祭りの輪。このまま終われば痛快なハッピーエンドだったのに、それが見事に暗転する。シリアスなドラマであるが、一方で笑えるコメディーでも有る。見事だ。見終わって確実に言えること・・・、作り物の「国宝」よりは本当の宝物を見つけた思いだったと言うことだ。

椿六十郎