でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男のレビュー・感想・評価
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ふたつの人格を演じ分けた綾野剛が凄すぎる。
ふたつの人格と言っても、
二重人格でも、ドッペルゲンガーでもありません。
強いて言えば、【一人二役】でしょうか……
★2003年に起こった実話を元に、
福田ますみの「でっちあげ福岡殺人教師と呼ばれた事件の真相」を、
原作としている。
この事件を告発した原告・氷室律子の見た薮下先生。
もう一つは、薮下先生の真実の姿。
氷室律子側、
暴力教師で息子の拓翔を虐待し、更に自殺を強要する男。
薮下の真の姿、
気弱で流されやすく、NOとはっきり言えない性格。
あれよあれよという間に、
自殺を強要したとんでもない教師像が、氷室夫妻と、
取材した週刊誌記者(亀梨和也)や、マスコミに捏造され、
(世間からも思われる事態になる)
当事者になる怖さ、
自分が薮下先生の立場だったら?
そう考えたら、
凍りつく怖さでした。
氷室律子は、ひと一人の人生を葬り去るほどの、
ホラーな人でした。
闇を抱えた人物。
幼児期のネグレストや貧困(多分)で、
社会に恨みを持つ攻撃的な性格になったと思われる、
「怪物」のような人物。
幸運にも優秀な弁護士(小林薫)、
ジュンヤ君の母親、
拓翔のPTSD数値に疑問持った精神科の女性医師、
入院180日の内、土日祝日など帰宅して、
実際には108日しか病院に居なかった事も
カルテで立証される。
小林薫も実に頼もしい弁護士でした。
律子の生い立ちや裏の顔がわかり、全て氷室夫妻の「でっちあげ」
と分かり無罪判決が出るが、更に「向井市(多分、架空の市町村」を
訴えて330万の支払いが命じられる。
そしてそれから10年後。
やっと薮下先生の停職6ヶ月が、取り消される。
ラストシーン。
すっかり老け込んだ薮下先生は力無く、
生徒たちに朝の挨拶をする姿に、
私は涙が堪えられませんでした。
【俺の10年を返せ‼️》
こんな事が無かったら、もう少し違う明るい日々を送れたと、
私は思います。
そして薮下があの夏の日に見た幻影。
拓翔を従えてブルーのフレヤーのワンピースで、
颯爽と通り過ぎて行く氷室律子。
薮下にはトラウマが・・・もしかしたら・・・
【”マスコミと世間に作り出された根拠なき推測による人権侵害”今作は原告の能面の如き無表情な母を演じる柴咲コウと、追い詰められて行く無実の教師を演じた綾野剛の物凄い演技に魅入られる恐ろしき作品である。】
ー 今作は、2003年に福岡で起きた全国で初めて”教師による苛め”と認定された体罰事件の真相を書いた福田ますみ氏のルポルタージュを基に描いている。
そして、最も恐ろしいのは、今作は映画的演出は入れているが殆どが現実に起きた事であり、薮下の人生を壊しかけた氷室律子(柴咲コウ)一家は、何の罰も受けずにこの世界の何処かで今も生きているだろうという事実である。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作の構成は、是枝裕和監督の「怪物」に酷似している。最初は氷室律子の証言による薮下の姿が描かれ、次に薮下の証言が映像で映し出されるのである。
そして、今作ではその中で、様々な人たちの”心の中の闇、怪物”が描かれているのである。
・更に言えば、氷室律子の供述による、小学校教師の薮下の氷室タクヤ(三浦綺羅)に対する様々な恐ろしき行為を行う姿を演じる綾野剛の、死んだ目の表情が物凄いのである。
今作は、綾野剛の”氷室律子により創り出された嘘”を演じる姿が、リアリティがあり過ぎるからこそ、成立しているのだと思う。
そして、薮下側から観たシーンでの、ドンドンドンドン、マスコミ、世間に作り出された根拠なき推測による噂により、精神的に追い詰められて行く薮下の姿。停職六か月を教育委員会のお偉いさんと思われる女から告げられた時の表情・・。キツイなあ。
真実の生徒に優しく接する薮下の姿と、氷室律子の嘘の薮下を演じる姿とのギャップが凄いのである。恐るべし、綾野剛である。
最早、現代邦画の代表的俳優と言って良いと思う名演である。
■様々な人たちの”心の中の闇、怪物”
1.薮下の上司の定年まで一年と少しの校長(光石研)と、教頭(大倉考二)の”とりあえず、謝れ!”と言う事なかれ主義の愚かしき姿。
2.その言葉に、戸惑いつつ従ってしまう薮下の姿。彼はその事を後から深く後悔するが、時すでに遅しである。
3.薮下の行為を格好のスクープとして追う、週刊誌記者(亀梨和也)とその上司(高嶋政宏)。何のウラも取らずに、薮下に”殺人教師”と言うレッテルを貼り、執拗に追う姿。今作では当時のマスメディアの在り方も、激しく糾弾しているのである。
4.何といっても、氷室タクヤの母、氷室律子である。
タクヤが学校の屋上から飛び降りようとしたときに突然現れるシーンで、直ぐに彼女の言っている事は嘘だと分かるのだが、柴咲コウの大きな瞬き一つしない目と、無表情が怖すぎるのである。凡庸なホラー映画が裸足で逃げ出す怖さである。
そして、彼女が幼き時にネグレクトの家で育っていた事が分かる過去シーンから、この恐ろしくも哀しき女は、息を吐くように嘘をつきながら生きてきた故に、怪物になってしまったのだろうと推測出来るのである。又、彼女の息子タクヤが”ADHD(多動性障害)だった点も関係しているのだろうな。”とも思うのである。
序でに、日に焼けた父の顔も怖いし、謎の男である。
■物凄く、頼もしく見えた人
1.人権弁護士湯上谷(小林薫)
常に笑顔で、冷静で、頭が切れる。薮下の人生を救った人である。こんな弁護士がいるんだなあ。この観ていてキツイ作品で、実にホッと出来る優しく頼もしい笑顔でありましたよ。
2.薮下の妻(木村文乃)
嫌がらせの電話が山にように掛かってくる中、夫を支える姿。
”貴方の味方だから!”という言葉は、涙が出そうになったよ。この奥さんの存在も、薮下を救ったのだよなあ。
3.氷室タクヤに苛められていたジュンヤの母(安藤玉恵)
大雨の中、”裁判の証言者になってくれ!”と頼む薮下の願いをインターフォン越しに切らずに聞く姿。そして、その後ろから聞こえて来る週刊誌記者の嫌らしい声。彼女は裁判には出ないが、氷室律子の真実の姿を告げたり、教室で無理やり謝罪させられる薮下を庇う、唯一の人である。けれども、それも薮下がキチンとジュンヤに接していたからであるんだよな。
■見応え十二分な法廷シーン
・原告の氷室律子の能面の様な姿と、それに対峙する人権弁護士湯上谷と薮下の姿。そして、湯上谷が次々に原告の氷室律子の嘘を暴いていくシーン。
1)愚かしき医者(小澤征悦)が、タクヤのPTSDの検査数値を113と告げた時、顔を伏せた女医の姿を見て直ぐに動き、タクヤの数値が氷室律子の証言により作られていた事を告げるシーン及び、実際の数値がほぼ常人と同じ事を示すシーン。
2)入院100日を超えるとの氷室律子の証言に対し、週末は家に居て近くの公園で元気に遊んでいた姿を見たという証言を取り、原告側弁護士(北村一輝)に反駁する姿。
だが、氷室律子の能面の様な表情は変わらないのである。
■法廷での白眉シーン
・薮下が最終弁論を行うシーンでの、彼の台詞が実に沁みるのである。
”子供は嘘をつきます。それは仕方がない・・。けれども、誰かがその嘘を叱らなければいけない・・。”
氷室律子が、ADHD(多動性障害)である息子タクヤを叱るシーンは今作では一度も映されない。それよりも、氷室律子がタクヤの薮下から行われた指導の事を聞いた時の、”獲物を見つけたような目”を思い出すのである。
そして、裁判官は原告の主張を棄却するのであるが、氷室夫婦は今度は市を相手に訴訟を起こし、賠償金330万円を得るのである。
<そして、10年後。
薮下を護った妻は最早この世にはいないが、彼に懲戒処分を全て取り消す裁決が下るのである。10年掛かってである・・。
薮下の息子は教育実習生として父と同じ道を歩み始め、薮下は湯上谷と路上で会い、お互いに年を取りましたね、と穏やかに会話を交わすのである。
今作は原告の能面の様な無表情な母を演じる柴咲コウと、追い詰められて行く無実の教師を演じた綾野剛の物凄い演技に魅入られる恐ろしすぎる作品なのである。>
■重ねて書くが、薮下の人生を壊しかけた氷室律子一家は、何の罰も受けずにこの世界の何処かで今も生きているだろうという事実が、実に恐ろしいのである。
裁判劇としてのカタルシスはないものの、現代社会の問題点は伝わってくる
序盤に、裁判での原告の証言として描かれる「殺人教師」の言動は、まさに教師による生徒に対するいじめでしかなく、「これは酷い」と思わせる。
ただ、その後に、被告の証言を引き継ぐ形で、無音で映し出される「でっちあげ」という印象的なタイトルによって、それまでのショッキングな映像が「嘘」だったということの察しがついてしまう。
これ以降は、被告の証言に基づいて同じ出来事が描かれるという「羅生門」的な展開となるのだが、すでに、こちらの映像の方が「真実」であろうと分かっているので、証言の真偽よりも、どうしてこんな冤罪が生み出されたのかということが興味の焦点になっていく。
その点、最大の問題は、教師を守ることよりも、父兄の顔色をうかがうことを優先し、原告に謝罪を強要した校長や教頭の対応にあったということが分かるのだが、我々の社会には、その場を穏便に収めるためだとか、ことを荒立てないためだとかで、とにかく謝罪した方が良いと考える風潮が確かにあると思われて、何だか身につまされてしまった。
その一方で、もう一つの問題点であるマスコミの報道については、事実の信憑性について何の裏取りもせず、一方の当事者の言い分だけを鵜呑みにして、しかも加害者と疑われる人物を実名で記事にするなど、雑誌やテレビの対応がお粗末すぎて、かえってリアリティが感じられなかった。これが本当なら、もってのほかとしか言いようがないのだが、せめて、オールドメディアは匿名で報道し、SNS上でプライバシーが暴かれたり、誹謗中傷が過熱したりといった流れにした方が、現在のマスコミの実態が浮き彫りになったのではないだろうか?
同様に、PTSDの鑑定をした心理学者の対応も杜撰すぎて、すんなりとは納得できないし、原告にいじめられていた子供の母親が、裁判での証言を固辞する理由もよく分からなかったので、ここは、原告の夫婦による買収や脅迫が明らかになるといった展開にした方が、物語に説得力が増したのではないかと思われる。
ラストは、予想したとおり、被告を無罪とする判決が下されるのだが、裁判劇としての一発逆転のカタルシスが無かったことには、物足りなさを感じざるを得ない。
あえて言えば、原告がアメリカ人の血を引いているという嘘がバレるところが、形勢逆転の契機となるのだが、それでも、どうして、あんな「でっちあげ」を仕組んだのか、その動機が分からないままなので、ここでは、原告の精神的な異常さが、もう少し強調されても良かったのではないかと思えてならない。
また、被告がいじめをしていたという嫌疑が、10年という月日を経て晴らされるという結末は良いにしても、被告を陥れた原告の親子にしても、無責任な報道をした雑誌記者にしても、ことなかれ主義で事態を悪化させた校長や教頭にしても、「悪い奴ら」が「痛い目にあっていない」ところには、どこか釈然としないモヤモヤとした感覚が残った。
その一方で、裁判のクライマックスで原告が陳述した「厳しく叱ることも愛情」という言葉には、ハラスメントを恐れるあまり、しつけや指導を行うことに萎縮してしまいがちな現代社会の問題点が感じられて、心に響くものがあった。
原作に忠実、柴咲コウの怪演っぷりが凄い
映画の前に原作を読みました。
恐ろしくて恐ろしくて震えました。
これを実写化、監督が三池崇史とくれば
大人から子供への容赦ないイジメ描写を
期待していましたが、
綾野剛を嫌いになりそうなくらい
見事に映像化されていました。
子役の男の子(三浦綺羅)のケアがしっかり
行き届いているのか心配になるくらいです。
ふー、とてもしんどいところです。
マスコミの世間を煽り楽しむかのような
扇情的な報道の数々や
本来、平等な立場であるべき弁護士が
よく調べもせず片方の言い分だけを真に受けた
550名もの大弁護団の無能っぷり。
自分の名前を広めるためにこの事件に
乗っかったかのような医師
これらがすべて真実と言う恐ろしい現実
10年もの長い時をかけて不服申立てが
やっと認められた事がせめてもの救い。
柴咲コウの怪演っぷりがすごいです。
怖いです、震えますまじで見事です。
綾野剛の演じ分けも圧巻でした。
優柔不断な気弱さを感じさせる教師
絶望する姿、怯える姿、いやぁ見応えあります。
こんな恐ろしい事件が本当にあったのだと
もっと詳しく知りたい方はぜひ原作も
読んでみてほしいです。胸糞悪さ半端ありませんから。
小林薫さんいてくれてありがとう
怖いエンターテイメント系映画、と軽い気持ちで鑑賞、間違いでした、重い社会派ドラマでした。
そんなことある?と冒頭数十分はデフォルメしすぎだろう、と思っていたのですが、これがあとで効いてくる。認知の違いの世界を大きなスクリーンで見せつけられると、背筋が凍ります。
嘘、ではあるけれど、柴咲コウさん演じる母にはこういうふうに認知されてるんですよね。彼女には現実、作られたものだけど、体感は現実。だからあれほど貫けるし、恐ろしい。
歪みは周りも、自分の子も傷つけるでしょう。
わたし自身はこれほどには歪んでないつもりですが、他の人から見たらどこかしら歪んでいるかもしれない。違うふうに認識しているかもしれない。気づかないうちに誰かを、自分の子を傷つけているかもしれない、とこわくなりました。
綾野剛さんについては皆さんがおっしゃっている通り、身を削る熱演ですし、報道のこわさも、信じたいものを信じる無責任なうねりの迫力を突きつけられる。三池崇史監督には新しい手法の恐怖演出だなと思いました。
楽園、とかその同時期の綾野さんにぞっとした記憶があります。反対にテレビドラマでは最高の離婚が印象的で、つかみどころのないフワーッとした感じが素なのか演技なのか微妙な後味を残す役者さんだなと。
そのうちいい人の役もたくさんされてて、少しホッとしたところにまた狂気を放り込んでくる…怖い!勘弁して!笑
関係ないけど迫田さんのゴルフ灼けとBostonの発音のとこはちょっと笑っちゃいました。
あと小林薫さんの好感度が凄すぎです、胸糞悪い人ばかりで辛かったので後光がさして見えました…
第一報の地方紙と実名報道した週刊誌記者が、どちらもファクトチェックを怠ったことが問題だと思った。
そもそも択翔がウソをついたのが悪い。そして、やはりウソをついた律子も悪い。
校長と教頭は、取り敢えず謝ってその場を取り繕えば事態は収まるだろうという事なかれ主義だ。教育委員会もきちんと調べていない。それと主人公の口下手というか押しが弱いことが相まって事態は裁判になだれ込む。
地方紙の記者と会社が事実確認を怠ったのも凄~く良くない。
だけど、僕が一番頭に来たのは実名を報道して全国区にした週刊誌記者だ。民間人をファクトチェックもせずに悪玉にして実名で吊し上げるとは言語道断だ。
事実誤認が甚だしかったにも関わらず、映画では社会的に何のおとがめもないままだ。現在どうなってるかは各自でネット検索してくれ。
その他、文春砲の悪口や、芸能人と政治家の不倫で騒ぐなとか、もっと色々言いたいけど、映画には直接関係無いからオシマイ (^^)。
豪華俳優陣
冒頭の綾野剛さんがこの映画の全てと思っていたので騙された。
いや、騙されて良かったのだけど。
校長、教頭が嫌な感じだったなー。
いい人じゃない光石研さんを久しぶりに観た。
亀梨クンとの土砂降りの揉み合いシーン、あれ本当の雨だったらしいですよね。
でもここまですごいの?と思いながら見ていました。
北村一輝さんの裁判でなんだこれ、負けたじゃんと思った?ときの表情。
柴咲コウさんの終始能面表情。
素晴らしいですね〜。ガリレオコンビ。
迫田さんクロすぎじゃない?顔も。
個人的には小林薫さんが好きなので出演してるの知らずに観たので良かったです。役も良かった!
唯一涙したの離婚しようと言った主人公に木村文乃さんが、味方だよと言ったシーン。
家族がずっと味方だったのは救いでした。
でも最後亡くなった設定??
綾野剛の熱演が凄かった裁判劇
原作は未読ですが、事実を元にした物語だったんですね。
どうしても世間は、体罰や差別だと小学生よりも教師が悪いとイメージしてしまいます。誠一(綾野剛)が最初に加害を認めてしまうと、どんどん律子(柴咲コウ)につけこまれてしまうという感じでした。あの校長や教頭も誠一が悪いと決めつけてしまう圧力がやばかったです。
綾野剛さんのいろいろな表情が楽しめて良かったと思います。
民衆の波の恐さ。
2003年5月、小学生の生徒にイジメと体罰で告発された教師・薮下誠一と、告発した親・氷室律子の裁判劇。(実話に基づく)
遅くなってしまった家庭訪問で出た“混血話”と校内で起きた体罰、自殺強要、教師・薮下視点と、拓翔母視点で見せてく。
薮下視点、母視点で見せる家庭訪問のやり取りで過る数年前の作品「怪物」を思い出す…、視点の違い、人の性格、その時の気分で変わる言葉の受け取り方、…の違いで双方の意見こんなに変わる?!と思うものの。
ストーリー進めば拓翔母の二重人格的な?と思えば、放ったらかしで親からの愛情を受けなかった子供の頃の氷室律子、そんな親の姿を見て育ったから自分の子供への間違った愛情、ズレって感じなんですかね。
作品鑑賞中は胸クソ悪いけれど映画作品としては面白い!綾野剛君演じたダメな薮下先生の姿は何かハマってたな~、湯上谷弁護士演じた小林薫さん渋くて好き!
殺人教師と思い込んだ人たち
曖昧な情報と学校圧力の中でやってもいない体罰を認めさせられ、認めたことにより訴訟裁判へと繋がり、あっという間に報道により殺人教師の社会イメージが構築されていく。
恐ろしい。
事実でないことが事実であるように一瞬にして日本中の人に認知されていく様子は、インターネットやSNSが日常に浸透した今やもはや当たり前の風景となっているけれど、ネットがない時代でもマスメディアによって全く同じ現象が起きている。
映画ではもちろんエンタメ性をもたせる為の演出はあれど、観客は180度違う事実を見せられ、困惑する。いったいどっちが本当なんだと。
序盤とそれ以降では、物語の見え方が全く異なっていて、その見せ方が非常にうまい。事実とは違う歪んだものの見方をそのまま映像化し、観客に体験させる。それはまるで、一部の本当かどうか分からない情報によって湾曲された見方をしているあなた方の視点ですよと言われているようだった。
間違った情報であっても、それを本当と思い込み、SNSで拡散し、誹謗中傷が飛び交う今の時代にこそ観てほしい映画。
個人的には、パンフレットの背表紙やクリアファイルが劇中に登場する週刊誌の表紙デザインと同一となっていて、ここに痛烈な皮肉を感じた。
そして何より、綾野剛の極悪教師と純粋教師の演じ分けが素晴らし過ぎる!スゴイを通り越してコワイくらい…!
俳優の演技に脱帽
出演している俳優さんの演技がみな凄く、特に柴咲コウさんに関しては演技ですが怒りすら覚えるくらいの素晴らしい演技でした。
この話は実話に基づいて作られておいたことに驚きました。
こんな馬鹿げた事が起こっていた事、それによって壊れた人生を送った人がいる事実を映画にした三池監督にも凄いと思いました
現代の起こりえる狂気
綾野剛好きの友達を誘って試写会へ。
原作を漫画で少し読んだだけだったのですが、冒頭から引き込まれ、飲み物をラックに置くことなく気づけば30分以上経ってました(友達も)。
立ち位置を変えるだけでこんなにも表現が違うのか
同じことを言ってるのに、受け取り方でこうも書き換えられるのか
綾野剛の悪意を込めた演技も素晴らしいし、被害者となった演技もまた秀逸。
柴崎コウも、ウソが露見して感情が「スンッ」と消えた演技がうますぎる。
たくともまた現代の毒親、モンペの被害者だなと思わされる。
周りから囲い込むようなでっち上げの話に、最後までひきこまれました。
冤罪というものがどれだけ疲弊するのか
自分が損をしないために嘘に嘘を重ねて、どれが真実かどれが噓か本人も分からなくなってきてしまう。
小林薫の演技も素晴らしい。
小料理屋でなんでも作ってるだけじゃないですね(笑)
薮下先生がPTSDで訴えてもおかしくない案件なのに、性格の優しさもありもうこの件に関わりたくないと思ってきたのか…
法定のシーンがリアリティあるかないかなんてどうでもいいんです。
それ言うなら、新年度最初の教室の後ろに既に掲示物があるのも疑問になってくるし。
見て欲しい、感じて欲しいのは、真実は少数派だと本当に届きにくい
冤罪はいろんな人が作り上げてしまっている罪だなと
とにかく、いろんな人に見てもらいたい作品だと思いました。
怖い話
悪意ある嘘(でっちあげ)が一人の(いや、家族もか)人生を狂わせる これが事実だなんて恐ろしすぎです 穏便に済ませようとろくに話も聞かず体罰を認めた学校や教育委員会 児童の親の話のみ鵜呑みにした記事やマスコミ報道 今後何を見聞きして或いはそれを信じてもいいのか?考えさせられる映画でした そして二役を演じているかのような綾野剛、柴咲コウ、児童役の子の演技、素晴らしかったです
三池の最高傑作!「企画協力・新潮社」で「週刊文春」のペンの暴力を告発する構図が愉快。
三池の最高傑作じゃないか、これ?
少なくとも観てきたなかでは、
ここまで心にぶっ刺さった三池作品は初めてだな。
原作が「ルポルタージュ」だというのが、すべての出発点だ。
もちろん映画化に際してエンタメとして誇張した要素だって諸々あるのだろうが、三池はあらゆる場面で「これは実話である」という前提に立ち戻って、出来る限りの自制と自重をもって「事実」に奉仕している。だから「嘘くさい話」がぎりぎり陳腐化せず、リアリティを手放さない。
自分が作り手の立場にいたら、たとえば、改心した亀梨君が今度は先生の側に立って記事を書くみたいなシーンを終盤に入れたくなる気がする。でも、実際は最初の民事裁判が結審したあとは、記者はもう姿すら見せない。現実がそうだったからだ。
そもそも、もっと『藪の中』のような作りにすることだって可能だったはずだ。すなわち、終盤まで綾野剛が殺人教師か巻き込まれた被害者か、どちらかわからないように作るやり方だ。『落下の解剖学』(23)のように最後までぼやかすのも面白かったかもしれない。
だが、三池はそうしなかった。原作どおりのタイトルを掲げて、自分がどちらの側について描くつもりなのかを明確にした。ルポを原作とした「でっちあげ」の恐ろしさを描く映画だというスタンスをあくまで崩さなかった。
ここで描かれる綾野剛は、弱い。
たとえ教師を生業にするような人間でも、実際の試練に見舞われれば、そう簡単に物語のヒーローにはなれない。与えられた試練に、ただとまどい、うまく動けず、もがき苦しみ、予想以上にボロボロになっていく。
家族もまた暴虐の嵐に巻き込まれ、気丈に振る舞っていても、どんどん消耗していく。
むしろヒーローたりえない「素人」が危地に陥ったとき、すがれるのは「弁護士」だけだ。
本作で弁護士役の小林薫の与える「救世主感」はハンパではない。
一般人にとって、トラブルの最中に寄り添ってくれる弁護士先生というのは、実際にこのくらい頼りになる心の安定剤のような存在なのだ。
そのあたりの「戦えない主人公」「巻き込まれる家族」「救い主としての弁護士先生」というリアリティを、三池は等身大で描く。
ラストにおいて、僕たちは思いもかけない事実を突きつけられることになる。これは通常のドラマツルギーからは絶対出てこない意想外な展開であり、一瞬何が起きたのかと目を疑うくらいに唐突でショッキングな印象を与える。
だが、これもまた「主人公に実際に起きた出来事」だった。だから、三池はそのままそう描いた。しかも、ドラマとして盛り上げることなく、ただ淡々とさりげなく。
僕たちは、そのあまりにビターな結末と、年齢不相応に老け込んだ主人公の姿に、家族を襲った理不尽な試練がもたらした真の代償を知ることになる。
現実とは、無惨なものだ。勝ったと思っても、ドラマのようなハッピーエンドがつかめるわけでは必ずしもない。
僕は本作のラストに、現実の重みを痛感した。
そして、勧善懲悪のドラマツルギーすら侵蝕する現実の恐ろしさを痛感した。
三池は、一般的にはむしろ「エスカレーション」の映画作家だと思われているのではないかと思う。『DEAD OR ALIVE』の頃から「やりすぎる」ことで、観客の心をふるわせ、ゆるがせることを常に心がけてきた人だ。
その三池が、今回は抑制した。
もっと派手に出来るところをそうしなかった。
もっとサイコに出来るところをそうしなかった。
もっと感動的に出来るところをそうしなかった。
結果として、これまでの「やりすぎる」三池がエンタメの枠内で破れそうで破れなかった何かを破って、観客の心に重い衝撃をぶっ刺すことに成功した。
僕は三池のやりすぎアクションも、やりすぎホラーも、ジャリ番も(とくに『ケータイ捜査官7』は大傑作!!)、ひとしく愛する人間だが(漫画・ゲーム原作のコスプレ映画だけは吐き気がするくらい嫌いだけど(笑))、今回の三池は、今までにない領域に到達していると思う。
― ― ― ―
僕がこの映画にはまれたのは、自分がいま持っている問題意識とものすごくフィットしたという部分も大きい。
とにかく最近の僕は、SNSやヤフコメでの「叩き」の風潮と、それを助長し扇動する週刊文春を筆頭とするジャーナリズムの挙動に、猛烈に腹が立っている。
見境なく犯罪者を叩き、不倫した芸能人を叩き、10年以上前には大して問題視されていなかったセクハラや乱痴気騒ぎを事後法で断罪する、正義を振りかざす大衆の傲慢に対して、心底むかついている。
もちろん、こういった「叩き」は昔からあった。だが、SNSで活字フォントとして「可視化」されるようになって、個々人のチラ裏の書き込みは、大幅にその権威と真実味と影響力を増した。素人評論が横行し、ワンワードで断罪するのが流行っている。
何か事件が起こるたびに、ばああっとSNSやヤフコメに「許せません!」コメントが10万、100万単位で殺到し、一度「叩かれた」というデジタルタトゥーが残れば、5年経っても10年経っても蒸し返される。
その音頭取りをせっせとやっているのが『週刊文春』を代表とするスクープ誌だ。僕は、事件の軽重や警察機構ではなく、一介の編集部の意向で「次のターゲット」が決定されるあり方自体が気持ち悪くて仕方がない。文春がさらしあげた標的に、ファンネルの如きネット民が集まって、よってたかって炎上させていくシステム自体が、どうにも納得がいかない。
僕は炎上が連鎖し、くだらないことがいつしか大ごとになって、当事者や社会を潰してしまいかねないような今の世の中が怖くて仕方がない。
それを支配/差配しているのがマスコミとSNSだというのが、本当に気持ち悪い。
僕は正義をふりかざす大衆が怖い。彼らは正義に酔い、加害の意識がない。結局は有名人や権威のある者を自分たちの力で引きずりおろし、踏みつけられる昏い歓びに身を任せているだけ。自らの浮かばれない憂き世の「うさ」を晴らしているだけなのだ。それを「正義」と呼び、標的を求めて徘徊している。
そのような認識のなかで『でっちあげ』を観ると、
こんなに恐ろしいお話はないわけだ。
一般に、大衆は「被害者」を信じがちだ。訴えたのが「母親」でお題が「いじめ」で相手が「先生」とくれば、9割がたの関係のない大衆は「被害者」を信じる。
一度、週刊誌によってターゲット化された「容疑者」は、「いくら叩いてもいい標的」「死ぬまで遊べる溺れる犬」として公式に認定される。
正義の名のもとに下される大衆の攻撃というのは、要するに「私刑」である。
その標的にされた人間は、あまりにも無力だ。
海千山千の芸能人や政治家だって潰されるのだ。まして一介の教師に何ができるというのか。
『でっちあげ』には、全能感を漂わせる(ちょっと若い頃の橋下さんみたいな風体の)記者が登場する。亀梨くんだ。こいつのまあむかつくこと。まさに「週刊文春」の奢りと危険性を擬人化したようなキャラクターだ(「週刊春報」と書いてあるけど、カバーがまんま文春)。
「おれ、こいつちょっと許せないんでやっちゃっていいっすか?」
これってさあ、典型的な「いじめる」側の思考法だから(笑)。
興味本位や売上だけを考えて「燃やす相手」を選別しているよりはまだマシという考え方もあるだろうが、僕は「自らの正義と記者の矜持」を本人が信じている場合こそが、いちばんタチが悪いと考えている。
出演者たちもまた、この「週刊誌とSNSによって作られる地獄絵図」の登場人物に他ならない。
主演の綾野剛なんて、まさにその渦中にいた人間だ。
渦中にいたどころではない。この映画に出る半年前まで、本物の裁判に臨んでいたのだ。
ガーシーとの裁判で、綾野剛サイドは「ファンクラブの退会が約2000人に上り、CMスポンサーの打ち切りなどで事務所に1億円以上の損害が生じた」と明らかにしている。「根拠のない情報で傷つけるのは許せない。東谷という存在自体が恐怖だった。CMを打ち切られたり、冷たい目で見られたり、つらい思いをし、精神が崩壊する寸前でした」とも。
『でっちあげ』の撮影期間は2024年の8月~9月。
ガーシーとの裁判は、2023年の6月から2024年の3月。
綾野剛は、おそらくなら自らの経験を「そのまま」この撮影に生かしている。
亀梨くんは文春の記者を憎たらしく演じてみせた。
だが彼自身、文春砲を、最近だと2020年7月と2024年1月に思い切り食らっている。
HPの自己紹介では「僕自身も様々な思考が交差する難しい役どころ」と言っていて、オファーが来ても即答できなかったという。それくらい「週刊誌記者」というのは、本人が何度もひどい目に遭わされている相手であり、簡単に「演じられる」職業ではなかったということだ。
芸能界にいれば、誰しも一度や二度はスキャンダル記事を書かれるし、ことによっては一撃のスキャンダルで、タレント生命が断たれる可能性だってある。
その恐怖と背中合わせに生きながらも、おそらく一般人の僕たちよりはよほど華やかでお盛んなナイトライフを送っているのもまた本当だろう。彼らにとっても「告発」と「報道」の持つ「力」と「恐怖」は極めて身近な感覚であり、常に頭の片隅で考えて続けている重要なテーマでもあるはずだ。
だからこそ、『でっちあげ』の演技では、出演者の誰もがヒリついている。
何かしらの化学反応(ケミストリー)が起きているかのように、登場人物全員がベストアクトをぶつけ合っている。
それは、出演者にとっても本作で描かれる悪夢は「明日は我が身」の出来事だからだ。
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●原作のルポルタージュ(福田ますみ著)の版元が新潮社だからなんだけど、「制作協力」が新潮社になってて、あからさまに「週刊文春」だとわかる雑誌が、大誤報をかましたカス雑誌(しかも一切責任を取らない)としてやり玉に挙げられているのは笑える。まさに新潮Vs.文春。まあ、新潮も目くそ鼻くそなんだけどね。
●この映画の舞台になった2003年だと、たしかにADHDはまだそう知られた概念ではなかったかもしれない(ネットで公開されている原作の出だしを読んでみると、母親は「ADD児」と言って、教師はADHDは知ってるけどADDは知らないな、と考えている)。
一方で、このお母さんも今の感覚からいうと、見紛うことなき「パーソナリティ障害」(ボーダー、自己愛性、猜疑性他)であり、現在の司法や入口の心理分析では、この手の「告発者」(モンペ含む)の危うさは相応に知られているし、もしかすると今なら「まあまあ防げた事件」かもしれない。
●原作だと、教師の処刑方式は、「アンパンマン=両頬を指でつかんで強く引っ張る。ミッキーマウス=両耳をつかみ、強く引っ張り、体を持ち上げるようにする。ピノキオ=鼻をつまんで鼻血が出るほど強い力で振り回す。」とあって笑う。「うさぎさん」じゃねーじゃねーか!!(笑) 司法の闇は描けても、版権ビジネスの闇には踏み込めないということなんだな。
●インタビューを読むと、あの大雨のなかで綾野剛と亀梨くんがやり合うシーンって、最初雨降らしでやってたんだけど、そのうちガチの暴風雨が来て、そのまま撮影を続行して撮ったらしい。傘が飛んで行ったのも、声がちゃんと聴こえてこないのも、モノホンの嵐のせいだということで、いやあすげえな、と。神様は本気の仕事はちゃんと見ていてくれて、そっと手助けをしてくれるようだ。
●小林薫の演技には引き込まれた。この安心感。優秀さ。このあいだ『プロジェクトX』で観た闇金に立ち向かった町の雑草弁護士たちをちょっと想起した。
逆に、校長(光石研)と教頭(大倉孝二)のまあ腹の立つこと(笑)。ここで主人公が意に反して罪を「認めてしまった」ことがあとあとまで大きく響くわけで、その行為に真実味を持たせた二人の演技は実は映画のキモを支えているといっていい。
●子役さんはみんなうまかった。みんな三浦綺羅くんの顔と演技と名前に注目していると思うが、おじさんは引き続き照井野々花ちゃんに注目していきたい。
モンスター
事実に基づく映画と言う事なので非常に
興味が湧いて見てきました
正直もう忘れていましたが、こんな理不尽な
事があったなんて・・かわいそう過ぎる
しかしありそうな事ですが
wikにて映画を見た後に事件詳細を見ましたが
映画内容はそのままの仕上がりに驚きました
結局はモンスターペアレントですよね
私も似た様な経験ありますが、過大表現して
信じられない様な事を言う人はいますよね
出演者も皆さん良くて主人公の綾野剛や
柴咲コウの好演も見逃せません
被害者の方々には申し訳ないが面白かった
原作名からなので仕方無いが
タイトルがちょっと安っぽい(丁稚奉公みたい)
薮下の奥さんはこの心労で亡くなったって事?
しかし相変わらず週間春報はク○ですね
(wikに詳細が出ています)
廃刊になれば良いのに
全然爽やかじゃない律子さん
2025年映画館鑑賞66作品目
6月28日(土)イオンシネマ新利府
6ミタ0円
監督は『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ! 映画になってちょーだいします』『劇場版 ポリス×戦士 ラブパトリーナ! 怪盗からの挑戦!ラブでパパッとタイホせよ!』『妖怪大戦争 ガーディアンズ』『土竜の唄 FINAL』『怪物の木こり』の三池崇史
脚本は『神様はバリにいる』『内村さまぁ~ず THE MOVIE エンジェル』『田沼旅館の奇跡』『雨を告げる漂流団地』『SAND LAND』は森ハヤシ
今世紀初め頃に福岡県で実際にあった騒動を元にしている
とはいえタイトルからしてネタバレで展開が読める
氷室律子などによって嵌められた悲劇の小学校教師薮下誠一の物語
刑事ではなく民事と言うのがミソ
精神異常者の氷室律子もなかなか強かだ
柴咲コウのハマり役
セカチュウを泣きながら読むよりこういう狂気な悪役がよく似合う
ヒスを起こし当時付き合っていた彼氏のガラケーをへし折ったり彼氏に会えないから『Dr.コトー診療所』の長期ロケに文句タラタラとか嘘か本当かわからないエピソードも相まって
息子役の三浦綺羅も良い
特に律子の妄想薮下誠一にデコピンされた時の「グワ!」というリアクションが最高
湯上谷とかホークスの内野手しか思いつかない
その湯上谷弁護士に法廷で追及されしどろもどろになる段田校長演じる光石研さすがベテラン名脇役うますぎる芸が細かい
校長教頭教育長ならびに頭狂マスゴミに対しなんら制裁がないのは不満に残る
スカッとしない
世の中そういうものだろう
『それでもボクはやってない』の悲しいラストに比べたらだいぶマシ
原作は新潮社の出版物なのだから週刊新潮のもじりでもいいのに春報はあきらかに文春のそれ
よっぽど週刊文春が憎いんだろう
俺もその一人
実際のところ自分は東京のマスコミを全く支持していないし信用していない
尊敬なんかするわけないしむしろ軽蔑している
朝日新聞もTBSも週刊文春もろくでもない
朝日の記者を誹謗中傷するなとかまったく無理な話だ
『かくかくしかじか』のレビューが1ヶ月後に削除されたが気づいた文春の関係者が削除依頼したんだろう
文春で反論せず中共なみに削除を求めるとか言論の自由の担い手として恥を知れ
訳ありだろうけど顔を隠してヘラヘラするんじゃないよ
削除に応じる映画.comもどうかしてる
5年前に投稿したアニメの白雪姫のレビューを今更無断で下書きにしてしまうし
日活ロマンポルノの大奥ではどの場面でヌードが登場するか書いただけで10回以上削除する狂気ぶりは氷室律子以上
監督名は別人だし公開日は出鱈目だし誤字脱字は目立つしレビューを監視するより自分の仕事を見つめ直せ
神様になったつもりか
株主なら解雇を要求するよ
配役
濡れ衣を着せられ停職処分にされた挙句に体罰で告発された小学校教師の薮下誠一に綾野剛
夫を信じ健気に支え続ける誠一の妻の薮下希美に木村文乃
誠一の中学生の息子でのちに父親と同様に教師になる薮下勇気に浅井陽人
拓翔の母で誠一を告発する虚言癖の氷室律子に柴咲コウ
育児放棄の母のせいで悲しい時代を過ごす律子の小中学時代に照井野々花
体罰を受けて自殺未遂をしたとされる粗暴な性格の児童の氷室拓翔に三浦綺羅
拓翔の父で妻と共に誠一を告発するゴルフ焼け?の氷室拓馬に迫田孝也
裏も取らず嘘つき律子を鵜呑みにし民事なのに実名報道してしまう間違った正義感を振りかざす頭狂マスゴミの典型の「週刊春報」無責任人間失格最低記者の鳴海三千彦に亀梨和也
民事の実名報道には慎重だったが鳴海に押し切られてしまう鳴海の上司の堂前に高嶋政宏
嘘つき律子の抗議を鵜呑みにし誠一の弁明は全く信じることはなく保身のため嘘で塗り固め誠一を追い詰め無事定年を迎えた小学校の校長の段田重春に光石研
小学校の教頭で段田校長の腰巾着の都築敏明に大倉孝二
教室で監視役を命じられる教師で特に問題は見当たらず誠一には好意的だが定年退職する段田校長には怪訝な表情を浮かべる戸川に東野絢香
よく調べもせず嘘つき律子の証言だけを取り上げPTSDの診断を下す患者の利益を追求することを名目に誠実さのかけらもない精神科の教授の前村義文に小澤征悦
前村教授のPTSD診断に疑問を持つ誠実な精神科医の箱崎祥子に美村里江
薮下の受け持ちクラスの生徒の母親で純也が拓翔に意地悪されてところを救ってくれた誠一が体罰なんてあり得ないと集会で発言したことから嘘つき律子に脅される山添夏美に安藤玉恵
夏美の息子でクラスメイトの拓翔にたびたび嫌がらせを受ける眼鏡の山添純也に岡田伸晃
嘘つき律子や頭狂マスゴミを鵜呑みにしてろくな調査もせず誠一の弁明は一切受け入れず停職6ヶ月という誤った処分を下してしまう教育委員会の委員長の藤野公代に峯村リエ
ほぼ正当な判決を下す裁判長の橋本に飯田基祐
大袈裟にも500人もの仲間を引き連れて間抜けにも事実上敗北する氷室側の人権(笑)弁護士(笑)の大和紀夫に北村一輝
圧倒的に不利な誠一の弁護を引き受け嘘つき律子の正体を法廷で暴いた模範的弁護士だが事務所のお茶を切らし相談に来た誠一に白湯を出す湯上谷年雄に小林薫
家庭訪問先の父親に出合正幸
誠一の頼みを断る弁護士の岩瀬亮
親に恵まれずお腹を空かした路上の少女の海に吉本実由
律子のクラスメイトで帰国子女の中学生に平野莉亜菜
ワイドショーのコメンテーターに中田春介
記者に川並淳一
リポーターに宮原尚之
音楽の先生に川瀬絵梨
アナウンサーに川井淳史
アナウンサーに松田朋子
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