「今回は(も?)しっかり外れ演出…」でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男 じじいさんの映画レビュー(感想・評価)
今回は(も?)しっかり外れ演出…
時間が許せば極力拾うようにしている三池崇史新作
ファーストカット、弁護団がメディアに囲まれながらこちらに向かってくる。タイトルからもうかがえるような、誤情報による私刑へのアンチテーゼは冒頭から見て取れる。
が、育児放棄からなるいわゆる毒親の系譜みたいなテーマが入ってきて2軸で物語を進めていこうとする。
これを三池は軽やかに料理はするが、味気ない。
柴咲コウの目線はまるっきり削ぎ落としても良かったかのしれない、いや、もっと言うと全て柴咲の目線で物語を進めたほうが面白かったかもしれないとさえ思う。
今作の流れからいけば、ある種のサイコパス的な演技は十分にできていたと感じるし、それだけに彼女目線のシーンが説明臭くなりいらない。であるならばいっそ振り切ってしまって、彼女の生い立ちをもっと丁寧に描くことによって見える親子が抱えている問題の方が、今を切り取る上で大事であるように思う。
主人公が彼女であり、あの境遇から明確な劣等感を持って成長し、富裕層になるも毒親の系譜を辿る軌跡のほうが個人的には観てみたかった。そちら側の都合に焦点を当ててみれば、思考を広げてくれる何かに触れる可能性もあったのでは?
原作は未見だが、冤罪を晴らす話だろうことは想像できる。それを観れる映画にしてしまう三池の手腕はあるにはあるが、原作という題材をどう料理するかは監督の力量であり、その点で今回は味気ないものになってしまったと感じる出来になっている。抜くときはしっかり手を抜く癖は相変わらずだなぁといつも思いながら、それでもたまに当たり引けるから追いかけるが、今回は残念。
あと、ラスト木村文乃が死んでいるという描写は必要だったんだろうか?原作(今作は事実に基づく)通りと言えばそれまでだが、作品としての必然性が感じられなかった。たとえ映画であっても無意味に人を殺してはいけないと常々思っていたが、今回の妻の死は作品の中での意味を見いだせなかった。この辺、わかる人がいれば是非教えて頂きたい。
原作があるものの映画化は原作をなぞるだけではどうしてもつまらなくなる(場合が圧倒的に多い)。それでも一応映画として成立させる三池崇史。