突然、君がいなくなってのレビュー・感想・評価
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興味深かったシーンは空想的に空を飛ぶ場面
期待をしていたのだけれど、あまり面白くなかったです。
テーマは良い感じに思えるのだけれど、ヒロイン2人に、あまり魅力を感じないのが大きいかな。
それとアイスランドの恋人間や友人間の距離感が良く分からないということも、登場人物に感情移入できない一因の気がしました。
唯一興味深かったシーンは、空想的に空を飛ぶ場面。
今度、どこかでやってみようと思います。
タイトルなし(ネタバレ)
アイスランド・レイキャビックの芸術大学に通う女性ウナ(エリーン・ハットル)。
恋人ディッディ(バルドゥル・エイナルソン)を突然の事故で喪ってしまう。
ディッディは、元々付き合っていた幼馴染に別れを告げる直前だった。
ウナとディッディの仲は周囲はまだ知らなかった。
そんな中、ウナの前に件の幼馴染の女性クララ(カトラ・ニャルスドッティル )が現れて・・・
といったところからはじまる、アイスランド発の喪失の物語。
どんなドラマが展開されるのか・・・と期待したが、ドラマは無い。
ウナはディッディとの仲を誰にも打ち明けず、残された女性ふたりが喪失感を抱えるところで映画は終わる。
ダルデンヌ兄弟の初期作に似た感じもするが、そうでない感じもする。
安易なドラマ展開を拒否しているあたりは好感が持てるが、好感以上でもない。
観る側を選ぶ作品でしょう。
風景は美しい。
喪失の質量は、絶望の深さと比例するのかもしれない
2025.7.2 字幕 アップリンク京都
2024年のアイスランド&オランダ&クロアチア&フランス合作の映画(80分、PG12)
二股を知らない女と全てを知る女が恋人の喪失で向き合う様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はルーナ・ルーナソン
原題は『Ljósbrot』で「屈折」、英題は『When the Light Breaks』で「光が消えるとき」という意味(映画のニュアンスだと夕日が沈むとき、という感覚)
物語の舞台は、アイスランドのレイキャビク
芸術大学に通うウナ(エリーン・ハットル)には、同じ大学に通うバンド仲間のディッディ(バルトゥル・エイナルソン)という恋人がいた
だが、二人の間は公然の秘密で、それはディッディには高校時代から付き合っている恋人クララ(カトラ・ニャスルドッティル)がいたからだった
「もう隠し通せない」というウナに対して、ディッディは「クララに別れを告げてくる」という
翌朝の飛行機で故郷に帰る予定のディッディだったが、欠航のために、ルームメイトで幼馴染のグンニ(ミカエル・コーパー)から車を借りることになった
翌朝、ディッディが出かけた後に目覚めたウナは、いつも通りに大学へと向かった
パフォーマンスの授業に遅れたウナは、そのまま教室に滑り込み、教授からの嫌味に中指を立てて応えていた
その後、昼食の時間になったウナは、友人のソレンガー(トーマス・ハウザー)たちと共に学食に向かった
そこでは複数の友人たちがネットのニュースに釘付けになっていた
そのニュースはトンネル内で爆発が起きて十数人以上の死者が出たというもので、アイスランド政府は緊急事態宣言を発令することになった
そんな折、悲痛な面持ちでグンニがウナの元にやってきた
グンニはディッディに車を貸したこと、警察から連絡があったことを告げる
ウナたちは緊急支援センターに向かい、ディッディの安否を確認することになった
同乗していたとされるクラスメイトの無事が確認されるものの、ディッディは帰らぬ人となったことが判明した
グンニに加え、彼らの幼馴染のバッシ(アゥグスト・ウィグム)、シッギ(グンナル・フラブン・クリスチャンソン)たちの悲しみの輪に入れないウナは姿をくらまし、父(ベネディクト・エリリングソン)に家まで送ってもらうことになった
その後、ウナはグンニから電話を受け、一緒にいたいと言われる
ウナが彼らの元に向かうと、そこに故郷の恋人クララがやってきた
誰もが恋人を亡くしたクララを憐れむものの、ウナはその秘密を誰にも言えない
だが、グンニだけは二人の関係、ディッディが故郷に向かった理由を知っていて、「このことは誰にも言うな」と釘を差すのである
映画は、二股を知るウナと何も知らないクララの邂逅が描かれていて、クララはディッディがウナとバンドを組んでいることを知っていた
恋人を奪われると思っていたクララだったが、ディッディからウナはレズビアンだと聞かされていて安心していた
それを聞いたウナはレズビアンであることを否定し、少し不穏な空気が立ち込める
その後、慰霊祭を終えた彼らはディッディの思い出を振り返るのだが、そこでウナはたまりかねて号泣してしまう
その様子を見たクララは、ウナとディッディの関係に気づいてしまうのである
クララを直視できないウナだったが、クララはウナとの時間を取ろうとする
二人でキックボードに乗って海岸に行き、ディッディと一緒に見た沈む夕日を眺める
クララは「ディッディを見送っているみたい」と言い、二人はそのままディッディが住んでいた部屋へと足を運ぶことになった
物語は、決定的なことは表現しないものの、クララが気づいていること、ウナの後ろめたさやクララの怒りというものがうまく表現されている
ガラス越しにウナとクララが対峙する場面では、二人の姿が重なり、まるでクララが怒っているように見えるショットがあった
その後も、二人は決定的なことを何も言わないものの、ウナがディッディの恋人であると感じた後のクララは、彼女が抱えている喪失を癒そうと考え始めていく
そして、ラストではディッディのベッドで向き合いながら、抱き合って夜明けを迎えていく
ラストショットは朝日であり、これまでに二度登場した夕日との対比になっていて、さらに無音のエンドロールが流れる、という演出になっていた
いずれにせよ、かなり観念的な部分が多い作品で、わずか半日を切り取っているので、余白が多く感じられる作品になっていた
クララがウナの存在をどのように理解し落とし込んでいくか、という物語になっていて、ウナとしては自身で動くことはできない
受動的な主人公でありながら、自分の思いの成就の末に悲劇があって、それは誰にも理解されないものだったと思う
だが、クララだけはウナがディッディを大切に想っていた人であることに気づき、同じ喪失を抱える者としての配慮を見せていく
クララの中にあるディッディとの距離感は映画では描かれないが、ウナのことに対して嘘をついていたことで、ある程度の距離感を再確認したように思う
さらに、自分以上に悲しむウナを見たクララは、彼女自身が抱えている喪失の大きさに打ちのめされる
それを語ることはできないのだけれど、クララだけはウナの喪失の重さに気づき、自分とディッディとの間にあったものの軽さというものを感じ取ってしまう
クララは許せないと思うものの、やがて同じ人を愛した者同士としての共感を高めようと考えていく
そして、ウナはクララにディッディが愛していたものを見せることで、彼女の思いの終着点へと導いていったのではないだろうか
風景はきれいなんだけど
大学生の恋愛と友情が描かれているようですが、なんか何も知らずに恋人を失ってしまった田舎の彼女がかわいそうで・・・
どこの国でも地元を離れたら新しい彼女が出来てしまうのね。
真実を知ったら怒りが先にたっ悲しみが吹っ飛ばないのかな?悲しみは後からじわじわと来そうな気がする。
キャストが役柄よりお年をめしてらっしゃる気がした。
ハルパの光
アイスランド出身のアーティスト、オラファー・エリアソンがデザインに参加した、会議場兼コンサートホールのハルパが、撮影に使われている。それが観たいがために、この作品を観た。蜂の巣形状の窓に、ところどころ着色してあって、光が柔らかく色付く。きれい。あと、ハットルグリムス教会もすてき。ウナと同じことをやる人が、これから出てくるに違いない。私もやってみたいが、アイスランドは遠すぎる…。
チラシには夏と書いてあったが、ウナや仲間達が外を歩く時は、ずっしりした上着(コート?)を着ていた。ということは、夏でもそんなに暑くないのね。地球温暖化の影響はどうなのだろうか。
ウナのベリーショートを見ていたら、やまじえびねのマンガを連想した。展開が静かな作風も似通っている。このままマンガにしても、まったく違和感ないかも。
クララは何となく、彼の気持ちが離れているのをわかっていたのではないだろうか。ウナと直接対面して、確信したと思う。2人は本来、敵対する関係だが、彼がいなくなったおかげで、悲しみを共有することになった。言葉を交わさずとも、肌を寄せ合いあたためあう。捨てられた子猫がぴったりくっついているみたいで、ウナとクララをまとめて抱きしめたくなった。
音楽はほぼヨハン・ヨハンソン、エンドロールが音楽なしというのは、潔い。
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