「終わりの盛り上がりに欠けるという意見があるが、素晴らしいラストシーンなのだ。:追記」秘顔 ひがん ふくすけさんの映画レビュー(感想・評価)
終わりの盛り上がりに欠けるという意見があるが、素晴らしいラストシーンなのだ。:追記
最初、なんて陳腐な展開かと思った。
しかし、それは計算されたミジュのスヨンに対する復讐の道筋。
なるほど最初は陳腐でなければならなかったわけだ。
ミジュはスヨンを傷つけ、死んでもかまわないと監禁する。
お嬢様のスヨンは黴の生えたインスタントラーメンをかじりながら生き抜く。
スヨンにとってミジュの憎しみは,実は愛の裏返し。
スヨンはミジュの憎しみを、どこか愛おしく感じていたのだ。
究極のM体験。
おそらくスヨンにも意識できてなかったはずだ。
そして、そのことは最後のシーンで明らかになる。
救出されたあと、スヨンはミジュを警察に突き出さない。
「警察に突き出すよりもさらに厳しい罰を与えたい」のではないと思う。
最後にスヨンはミジュを環境を整えて監禁する。
終わり方が盛り上がりに欠けるという意見の人は、スヨンが徹底的にミジュに意趣返しをすることを期待していたのかもしれない。
違う。
これはミジュへの仕返しではない。
倒錯した形でスヨンとミジュの愛は完成するのだ。
足枷のカギはミジュが持っている。
ミジュは監禁されることを受け入れている。いや選んでいるとさえ言える。
ミジュは仕方なくスヨンに奉仕するのではない。
スヨンの所有物であることに酔ってさえいる。
その表情を読み取らないとラストシーンはぼやけて見えるだろう。
陶酔の中に二人はいるのだ。
男(ソンジン)はもはや「だし」に過ぎない。
ただの出汁殻。
ソンジンの指揮ははっきり言って下手だ。
なるほどそれも意識された演出かも、とさえ思えてきた。
大きなお屋敷の隠し部屋という設定は「パラサイト 半地下の家族」にもみられた。
お好きなのかしら。
追記
性的関係を結ぶためには互いの同意が必要とするフェミニズムからすると、この映画は悪魔の映画かもしれない。エロスの根源には「支配・被支配」があると示唆しかねないこの映画は多分ヨーロッパでは作れないのではないだろうか?
ラブインザビッグシティでは男女間の理想的な人間関係が描かれる。互いの弱点も、いやなところもお互いに支え合い、すがすがしいが、そこにはエロスを介在させられない。
サブスタンスも見た。全編、女性嫌悪(ミソジニー)に満ちた映画だ。
エロスは理性でコントロールできるか?
国宝も女性は男を支える都合のよい存在として描かれ、それが批判されない。
時代の空気が変わってきたのかもしれない。
共感コメントありがとうございます。ソンジンはあんなにイケメンなのに二人の女性から全く愛されてないんですよねえ。ただ利用されてるだけで。でもソンジンもスヨンを利用してますけどね。ミジュに欲情していたのは間違いないですけど。それは私も同感です。
NOBUさま
ラストシーンやっぱりでしたか!
私はとても予測出来ませんでした。
ミジュが足枷のカギを投げるシーン。
あなたはきっと返してくれるの台詞を思い出して、卒然としました。
人が人を「所有」するのはコンプライアンス的にダメなんでしょうけど女性同士ということでエロスがいや増したと思います。
この文脈では男はメインディッシュが出来上がるまでの一工程に過ぎない。
監督は男性です。
監督が女性だったらこうは描かなかったようにも思います。
今晩は。コメント有難うございます。
男なんてものは、女性の前では只の添え物なんですね。イヤー、今作は耽美的で、蠱惑的で、ミステリアスで、最後は”ヤッパリ、そう来たか!”と思った作品でございました。ではでは。