「アイデアと役者陣の熱演は評価出来るが…」秘顔 ひがん 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
アイデアと役者陣の熱演は評価出来るが…
【イントロダクション】
失踪した婚約者は、何と自宅の壁の中に居た。管弦奏団の若き指揮者と、婚約者に代わって新たに入団したチェロ奏者、壁の中に閉じ込められた婚約者。三者の運命が絡み合うエロティック・ミステリー・スリラー。監督はキム・デウ。
2011年のアンドレス・バイス監督によるスペイン・コロンビア作品『密室の女 奪われた情事/ヒドゥン・フェイス』のリメイクである。
【ストーリー】
管弦奏団の指揮者ソンジン(ソン・スンホン)は、失踪した婚約者スヨン(チョ・ヨジュン)のビデオメッセージを見ていた。映像には、「私はベルリンに戻るわ。貴方に対して疑念ばかりを浮かべてしまう。私は結婚生活は向いていない」と、マリッジブルーを思わせる内容であった。
スヨンは、ソンジンが指揮する管弦奏団のチェリストでもあり、彼女の抜けた穴は大きかった。また、スヨンの母は演奏団の公演責任者であり、ソンジンとスヨンが暮らす自宅の土地を買い取り、フルリフォームをしたのも母親の資金によるものであった。何不自由ない裕福な生活を送らせた事が娘の我儘な性格に繋がったとして、母親はスヨンの突然の失踪に怒りを露わにしつつも、娘の行方を案じていた。
やがて、チェリスト抜きでこれ以上練習を続けるわけにはいかないと、スヨンが自身の失踪前に後任として指名していたチェリストのミジュ(パク・ジヒョン)が面接に訪れる。ソンジンは、スヨンの失踪や指揮者としてのストレスからミジュに冷たい態度を取ってしまい、半ば追い出す形で面接を終えてしまう。
ミジュの演奏を繰り返し聴く内に、ソンジンは自らの過ちを認め、彼女を演奏団に迎え入れる。ある日、ソンジンは車の故障で立ち往生していたミジュを食事に誘う。互いに家柄や過去にコンプレックスを抱えていた2人は、すぐに惹かれ合っていく。突然の雨と酒に酔った事で、ソンジンはそのままミジュをスヨンとの家へ招き入れ、体の関係を持ってしまう。
後日、ソンジンのスマホに、ミジュからあの日の過ちを悔いた内容のメッセージが届くが、ソンジンは彼女の事が忘れられない。ソンジンはピアノの演奏を受話器越しに聴かせてみせ、ミジュを再び自宅へ招く。許されない関係と知りながら、激しく求め合う2人。だが、その様子をスヨンはマジックミラー越しのコンクリート造りの物置の中から見つめていた…。
【感想】
本作を通して痛感したのは、人間の独占欲・支配欲の際限なさという恐ろしさだ。
スヨンは、公演主である母親の財布を自由に使い、何不自由ない贅沢な生活を送っている。しかし、いやだからこそだろうか、彼女は「世界の中心は私」と言わんばかりの傲慢さを見せ、常に周囲を見下し、上に立とうとする。
一度は彼女の言う“本当の人生(自分がどうかより、周りからどう見られるかを優先する)”という価値観の為に捨てたミジュも、自信を監禁したという弱みを握った事から籠絡し、再び自分の所有物にする。この価値観は、ソンジンにジャコウ猫のコーヒー豆をクリスタルパッケージ化したものを見せた際に、「本質よりパッケージをどう見せるかが重要」だと語る母の影響が色濃く見られるので、“この母あってこの娘あり”ではあるのだが。
また、命の危機に瀕しておきながらも、再び元の生活に戻ってしまいさえすれば、壁の中であれだけ叫んでいた後悔や反省は何処へやら、元以上に性質の悪い存在へと変化している。そこには、“その人間の持つ本質は変わらない”という恐ろしさ、愚かさも感じさせる。
R18指定作品として、ソンジン役のソン・スンホンとミジュ役のパク・ジヒョンがそれに相応しい体当たりの濡れ場を演じてみせる。その行為自体にも作劇としての正当な理由があり、単なる客寄せパンダではない事件の真相の驚きを効果的に盛り上げてくれる。
また、ソンジンの車で食事に出掛ける際の、ミジュが思わず唇を舐めるというさり気ない動作が良かった。
心理学によると、女性が思わず唇を舐める動作は、「男性と親しくなりたい」、「肉体関係を持ちたい」と感じている際に現れるサインだというが(単に唇が乾いただけという可能性もあるが)、意識的にしろ無意識的にしろ、そうした一瞬のさり気ない動作にまで意味を見出せるような画作りがなされていたのは面白かった。
しかし、そんな役者陣の熱演こそ輝きを放っているが、肝心のストーリーはこちらの予想を超える事は殆どなく、辛うじてラストのスヨンによるミジュの性奴隷化(という一つの愛の形)を見せる以外は、酷く退屈な印象が拭えなかった。115分という上映時間も非常に長く感じられたくらいだ。
そしてやはり、スヨンが物置からの脱出を試みる描写が少なかった点は、本作最大のマイナスポイントだろう。例え、学生時代にあの空間が脱出不可能であると知っていたとしても、自らの命の危機であれば、抵抗するのが人間というものではないだろうか?
極限の状況下においての、知性ある人間としての最低限の抵抗を見せないという点が、スヨンの必死さや悲痛さの印象を鈍くしてしまっており、勿体なく感じられた。
例えば、洗面所の蛇口の水を操作出来たのなら、部屋を水浸しにする(元の蛇口が閉められていては、本来それが不可能だとしても、演出としての嘘で)等の試みがあっても良かったはずだ。他には、中に簡易的な洗面台やトイレがあったのだから、水を汲んで鍵穴を錆びつかせようと試みたり(それこそ、スヨンはカビの生えたインスタント麺を齧ってでも、必死に命を繋いでいたのだから)、中から水を外へ排出しようとする等だ。例え完全密閉された空間だとしても、それならば本当に打つ手なしだと観客に示すべきではないだろうか。
オチも、まぁある意味ハッピーエンドではあるのだが、登場人物達に何のペナルティや成長もないというのは、やはり味気なさを感じさせ、また素直に受け入れ難くもある。
【総評】
“壁の中の密室空間に閉じ込められる”というアイデアが非常に魅力的だっただけに、もっとスヨンの鬼気迫る様子を描いて欲しかった。例え、本作が男女の愛憎劇、人間の欲の際限なさに重きを置いているのだとしても、脱出後に全てを支配するスヨンの変わらない傲慢さを強調する意味でも、観客がスヨンに感情移入出来るようにすべきだったのではないだろうか。
余談だが、私にはチョ・ヨジュンが芸人のにしおかすみこに、パク・ジヒョンが若い頃の広末涼子に見えて仕方なかった。
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