ブルーボーイ事件のレビュー・感想・評価
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性別イコール役割だった時代の話
性的マイノリティの方々の中でも、性自認に違和感を持つ方(トランジェンダー)の苦悩について理解が深まりました。
ゲイ、と一言で言っても性自認は男性のまま男性が恋愛対象なのと、性自認が女性なのでは、後者のほうが人生ハードモードかもしれない。
主人公のサチが田舎生まれで、子供の頃から色白で弱々しく「オトコオンナ」と虐められて育ったという設定。
従軍経験のある検事がトランスジェンダーの方達を「奴らの道理が通るなら、戦死していった同胞たちが浮かばれない」と嫌悪する設定。
当時、男性というものはとかく強くあり、国を守るべきもの(そうでなければ存在価値なし)という価値観がいかに強固であったかというのを思い出しました。
女性は少なくとも少女のうちは身体も心もふにゃふにゃでも(笑)赦されますから、少年期から「男にならなければならない」プレッシャーを受ける男性はただでさえ大変。
性自認が女性であるなら尚更辛いよなあと。
サチが性適合手術を受けて女性として生きようとしたが、そこでも居場所がなかったと語るのを聞いて胸が苦しくなりました。
女は女で、成人すると男性とは別の社会的な役割が求められますからね。
お化粧して着飾って、男と恋愛してというのは女性の一面にすぎないわけで、そこのみを追求しているように見えるおかまバーのトランスジェンダーたちは本来の女性とは別物のファンタジーの存在。
現実の女は思春期以降の女性同士の同調圧力、生理、妊娠出産、母となった後は夫と子に尽くすなどのややこしい現実がある。
どちらの世界にも行けなかったサチは、役割を求められる前段階の少女のままでいたかったのかなと思いました。
その意味では、21世紀の日本はそういった未成熟な生き方でもある程度容認され、個人の幸福は追求しやすくなってきているように思います。
サチ役の方、演技経験のないトランスジェンダーの方だったとは驚きました。
最初ちょっとぎこちなくて「コントみたい?」と一瞬思ってしまったのですが、後半どんどん役柄にシンクロしていって裁判のシーンの涙は本物でした。
弁護士役の錦戸亮が意外に良かったです。
トランスジェンダー女性の苦悩に涙しました
約60年前に開催された東京オリンピックの頃、違法な性別適合手術を受けた「ブルーボーイ」と呼ばれる者たちの売春に端を発した裁判記録。
当時、戸籍上の男性が売春しても現行の売春防止法では摘発できないため、警察は生殖を不能にする手術が「優生保護法」に違反するとして手術を施した医師を逮捕し裁判にかける。
女性として喫茶店で働くトランスジェンダーのサチは、顧問弁護士から頼まれ証言台に立つ。
そこで、サチはトランスジェンダーとしての苦悩を切々と語る。
主人公のサチ役はトランスジェンダー女性である中川未悠さんが演じられていましたが、ご自身の経験もあって、裁判での証言シーンはとても感動的でした。
裁判後、サチは1度は別れた最愛の男性と結ばれてブティックを経営しているシーンが流れ不覚にも泣いてしまった。
私の好きな作家、桜木紫乃さんはカルーセル麻紀さんを題材に「裸の華」「緋の河」と言う人生記を上梓されています。
その内容と重なる感じもしてまばたきもせず鑑賞しました。
納得の力作でした。
ハリー・ポッターは観ません
約60年前のLGBTQSの話
ずっと歯を食いしばって見ていた
なぜ、自分を取り戻したいだけなのに、ここまで打ちのめされなければならないのか。男、女と線引きをすることは誰を幸せにするのか。あの検察の人だってその線引きを明確にしたからといって幸せになるようには見えない。
痛く、苦しく、そして最後に少しの希望が見えた。
当時の人達は大変だったろうな
本作を観ようと思ったのは錦戸亮が出てたから。我が娘が好きなんで。へぇ~って感じで、これって集客にも一役買ってるのでは。と余談はここまで。
んー、重かった…「幸せの形は人それぞれ」というのがテーマなのかな。サチ、男気があるねぇw、あとに続く人たちのために証言するなんて。結果平穏な日常が壊れていってしまうのだが。アー子姉さん(塚地かと思った)自殺かと思ったら殺されてたのね。
あの時代、男は男らしく女は女らしくというのが当たり前だったろうに、LGBTQだってわかるだけで好奇や偏見の目にさらされてさぞ生きづらかったのではないか。その辛さはわからないけど裁判でのサチの証言を聞くことでその辛さに少しは共感できたと思う。中川未悠の控えめな演技が真実味があって良かった。
ザ・フーの映画で予告編やってたから映画の存在に気づけたけど、久々に人におすすめしたい映画でした。久々にパンフレットも購入しました。
実話を映画化する本気度が高い一級品。
当時の日活のロゴから始まり、数々の小道具や衣装など時代の再現度に手抜きがないのが素晴らしい。
時代というものが重要なテーマの一つであることと、目で見るという映画的喜びを決して疎かにしないことに映画に対する真摯さを感じ感服する。
牛乳の紙キャップを開ける道具を今スクリーンで見る喜びは決して小さなものでない。
また当事者であるトランスジェンダーを配役することのテーマに対する本気度の真摯さも素晴らしい。
主演の中川未悠の演技力と当事者であることの本物感のどちらが重要なのかは明白だろう。
役者陣は総じて素晴らしいが、特に憎まれトランスジェンダー役の中村中と相手側検事役の安井順平が際立っていた。
クライマックスの法廷での錦戸亮と安井順平の対決の素晴らしさは特筆ものだ。
間違いなく本年度の邦画における重要作の一本と言えるだろう。
当時の差別的言動が深く突き刺さる。自分は幸せになりたいだけなのにそ...
従来のLGBT映画から頭一つ抜け出ている
1964年の東京五輪景気に日本が沸いていた頃、国の品位を保とうと警察は売春の摘発を進めていました。そうした対象の中に、性適合手術(当時の呼び名は性転換手術)を受けたブルーボーイと呼ばれる女性(出生時に定められた性別は男だが手術で女性の外観となった人々)も居ました。ところが、その様な人々は戸籍上は男性なので「売春防止法」を適用する事が出来ません。そこで、警察は、手術を行った医師を違法の医療行為者として逮捕したのでした。しかし、自分の肉体と精神の乖離に悩むトランスジェンダー女性(出生時には男と定められたが、自分自身は女性と自認している人)にとっては性適合手術を受ける事は自分の意識に体を近づけるせめてもの手段であったので、それを違法とされると、その乖離を一生抱えて行かねばならなくなります。
そこで、医師の弁護士はそうしたブルーボーイに、手術が自分には必要な医療行為であったと証言して貰おうとします。しかし、公の場に顔を晒して自身の性自認を語る事は世間からの好奇の眼と差別を覚悟しなくてはなりません。本作は、当時本当にあった本裁判に材を取った物語です。出演者には現実のトランスジェンダーの方々も多く出演しています。
ただ、当事者であるとはいえ未経験の出演者の方々の演技はやはりぎこちないものでした。しかし、終盤に向けて紡がれる言葉の数々には切れば血が噴き出す熱が籠っていて圧倒されっ放しでした。そこには借り物の言葉は一つもありません。これまでLGBTに関する映画を何本も観て来た僕でも「そうだったのか」と胸を衝かれる言葉が幾つもありました。
従来のLGBT映画から頭一つ抜け出ています。日本の伝統的家族制なる幻に縋りつきたい政治家や総理大臣などは是非観るべき作品です。更に、トランスジェンダーとゲイの違いが分かっていない人々も。
昭和40年ごろ。マイノリティに人権がなかった時代だった
夢物語から現実への一歩
1965年〜1969年に行われた
1963年、売春の取り締まりで一斉摘発!と思いきや、性別適合手術を受けてはいても戸籍が男性であることから「ブルーボーイ」であることから検挙に至らず、施術した医者捕まえればいいんじゃね?ということで2年後、余罪もある医師の赤城が逮捕され法廷劇になって行く。
なんとなくそんなことがあったという結末とその影響部分は聞いたことはあったけれど、事件の名前やあらましは知らずに観賞。
自分の生まれる前の話しで、当時の情勢や空気感がわからず、感覚的なズレはあると思うけれど、この弁護士は事前に証人と打ち合わせもしないし、先のことを考えていないポンコツなのか?と違和感バリバリの序盤。
どこまで事実か知らないし、直接的には関係ないけれど草むらに…からの流れでやっとお目覚めって優秀なんですかね…まあ、弁護士の機微の表し方としては良かったけど。
何でもかんでも多様性がーとかLGBTQがーと主張されるのは違うと思うし苦手ではあるけれど、この切り口だとメインどころの方々の心情の描き方はとても良く、映画としてもなかなか面白かった。
そしてラストの字幕…戸籍変更はもっと後ですからね…。
ダイバーシティ夜明け前
世の中にまだダイバーシティ(多様性)という価値観などなかった時代。
LGTBなどの概念もなく、男と女以外の性別はオカマと一括りにして扱っていた時代。
この時代の性的マイノリティの人々は、世の中の偏見や差別と戦う術などなかった。
多様性の萌芽すら無かった時代を生きていた。
「自分は何者なのだろうか?」
そう自身に問うてる時は、たいてい自分自身が恵まれた環境にない場合や迫害を受けている事が多い。
居場所の無さを感じて、鬱々としている。
ただ、その居場所の無さがアイデンティティを確立していくことも多々ある。あるが、それは不幸中の幸いでもあり、不幸から始まったものである。
その苦しみや苦悩は当事者でなければわからないけど。
多様性などの概念が無い時代に、性同一性障害に苦しみ苦悩する人々をリスペクトを込めて描いているのがわかる。
ふざけてもいないし、シリアスすぎてもいない。
この映画みて思ったのは
丸山明宏(美輪明宏)って、どんだけのメンタルなんだろうってこと。
そこまで行くのね…という所まで
なりたいものや他者に認められたいと思ってやった時点はそれは偽物とい...
罪のない者だけ石を投げよ
いい映画。色々と問いかけられる。
実際の裁判を元にした映画。
最後は超スッキリというわけではなかったけど、それだけ法を変えるということは大変だという意味なのかと思った。尊属殺人罪もしかり。。
当時は今よりもかなり生きづらい世の中だったのだとつくづく感じた。映画の内容はフィクションの部分もあるが、何度も涙が出てきた。
一部の映画館でしかやっていないのだけがとても残念。多くの人が見るべき知るべき映画だと思う。
60年前の法廷が問いかける性自認と尊厳
■ 作品情報
高度経済成長期の日本で実際に起きた「ブルーボーイ事件」を題材にした社会派ドラマ。監督は飯塚花笑。主要キャストは中川未悠、前原滉、中村中、イズミ・セクシー、渋川清彦、山中崇、安井順平、錦戸亮。脚本は飯塚花笑、三浦毎生、加藤結子。
■ ストーリー
1965年の東京オリンピック景気に沸く中、警察が街の浄化を名目に「ブルーボーイ」と呼ばれた性別適合手術を受けた人々への取り締まりを強化する。手術を行った医師の赤城は優生保護法違反で逮捕・起訴され、その裁判が始まる。赤城の弁護を担当する弁護士の狩野は、赤城から手術を受けたトランスジェンダー女性のサチのもとを訪れ、裁判で証言するよう依頼する。喫茶店でウェイトレスとして働き、恋人の若村からプロポーズを受け、静かで幸せな日々を送っていたサチは、自身の過去を明かし、社会の偏見と戦うか、現在の平穏な幸せを守り通すかという大きな葛藤に直面する。当時の社会におけるジェンダーマイノリティの尊厳と、個人の幸せのあり方が法廷で問われることになる。
■ 感想
60年も前にこのような画期的な裁判があったことを全く知らず、大変驚きました。性転換手術や性自認の問題は、当時の社会通念や常識から見れば、大きく逸脱していると見なされていたことでしょう。そのような時代に、その当事者として注目されることになれば、自身の日常生活を脅かすだけでなく、周囲の人々にまで多大な影響を及ぼしてしまいます。そんなリスクを冒して証言台に立つことの勇気と覚悟は、計り知れないものだったと想像します。
その大きな葛藤を抱えながらも、証言台に立ち、自らの思いを吐露したサチの姿には、涙を禁じ得ません。彼女たちに生きづらさを与えているのは、彼女たち自身の内から生じる悩みや苦しみではなく、無理解な社会にあるのだと改めて痛感させられます。これは単に性自認の問題に留まらず、人としての尊厳やアイデンティティを深く問う普遍的なテーマだと感じます。
性自認の問題は、本作の舞台である1960年代に比べれば、広く認知されるようになったとは言え、いまだ社会で一般的に受け入れられているとは言い難い現状があります。本作を機に、いま一度、この問題について深く考えてみるべきだと強く思います。多くの人に見ていただき、自身の認識や言動を見つめ直すとともに、身近な人とこの話題について語り合うきっかけとなることを願います。
すべての人にとって「私」の物語である
映画の醍醐味は、笑いや涙、感動や興奮だろうと思うけれど、「社会性」というものも、その満足度の中には一定程度含まれるのではないかと思う。少なくとも、私個人としては、そのような作品に興味を注がれる。
『ブルーボーイ事件』は、今なお議論され続けているトランスジェンダーの人権を扱った作品である。
トランスジェンダー当事者でもある飯塚監督は、石田仁さんや三橋順子さんさんなど、「ブルーボーイ事件」に詳しい研究者にヒアリングし、裁判資料や当時の週刊誌での扱われ方などを丁寧に確認し、史実に沿った登場人物像を作り上げていかれたようです。(劇場版パンフレットには、石田氏、三橋氏のコラムも掲載されていて、理解を深めるのに役立ちます)
証言に立った、被告医師による性別適合手術を受けた3人のトランス女性(戸籍上の性別は男性)の、三者三様の生き様の描かれ方が、当時のトランスジェンダー当事者の苦悩を(おそらく)リアルに描いている。性風俗か、ショーパブか、“普通”の女性か。お互い時に反目しつつも、「生きづらさ」という点において共感し合う様子は、涙を誘う。
主人公の中川未悠さんは、トランスジェンダー当事者で、(ドキュメンタリー出演経験はあるものの)演技は初めてとのことであるが、当事者ならではの感情をうまく演技に乗せることができており、感情移入しやすく、素晴らしい演技だった。特に(裁判ものの定番)最後の証言は、心に響きました。
その他にも、演技経験の少ない、多くのトランスジェンダー当事者の方が出演しているが、中川さんをはじめ、それぞれご本人の才能はもちろん、それを引き出した監督の演出の技量が功を奏しているのではないかと思う。
また、当事者が演じることで、この物語(トランスジェンダーの苦悩)が「特別なこと」ではなく、「現実」なのだということ、私たちは「見えていなかった」だけだということに気付かされる。
本作の根底に流れている主題は、「性的少数者」の問題のようでいて、すべての人にとっての「幸せとは何か」を問うものである。
映画を観ていると、ひとつの物語の中での一人の個人的な思いが、社会全体を表現している、と感じることがあるが、本作で感じたのはまさにそのような感覚である。この作品は決して「少数者」による「少数者」のための物語ではない、観る者すべての、「私」の物語である。
この作品が一人でも多くの方に届き、長く観続けられる作品となるこを、そして、すべての人が幸福に生きる権利を全うできることを、心から願う。
そのように思わされる力が、この作品にはありました。
全76件中、41~60件目を表示
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