ブルーボーイ事件のレビュー・感想・評価
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中川未悠 中村中
まず初演技主役のサチ、サラッとした素材感、尚且つずっと心地よく観させてくれる安定感を持っていた。
何故かこの人をずっと見ていたいという思いに駆られた。
そして、、中村中さん!どうした!?
どこのベテラン女優かと思わせるような気迫と存在感。
友達の詩以降、自分が知らなかっただけか?(ゴメンナサイ)
アー子役の方も雰囲気出してて良かった。
唯一、彼氏役の方がもう少し…な感じはしたが。
錦戸亮君は冒頭、あえて演技を薄めにしていたのかな?という感じから入りましたが、後半からはガツンと来てましたね。
本日昼間、客入りは少なかったけれど、口コミで人気が出てくる作品かな?と思います。
男でも女でもなく自分らしく生きる事
サチの「幸せ」とは、。
主人公のサチが最後に法廷で証言するシーンにこの映画の全てが包み込まれていたと思う。
サチ役の中川未悠は演技そのものが初めてのトランスジェンダーであるが、このシーンはカット割なしの長台詞を自分自身のものにし、感情の昂まりと共に見事に吐露した。そして、それを受けた弁護人役の錦戸亮は、憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と幸福追求権について涙ながらに話した。制止しようとする検察官役の安井順平との攻防も含め凄い場面を観せてくれた、。
1965年の事件だが、ブルーボーイというスラングも含め多くの人が全く知らない出来事にスポットを当て、しかも監督、出演者も当事者であるという画期的な映画を作り上げたことに拍手を送りたい。
この事件が軽微な有罪となったことにより性転換手術は違法の認識が出来上がり、その後30年近く日本はその医療行為が世界から遅れたとのことのようだ。そして現代。世界のLGBT割合は8%で日本は5%とも言われるようになった。「市民権」は得られたようにもみれるが、いわゆる「偏見」はまだまだ多い。更にアメリカでも欧州でも高市日本政府でも右傾化や自国第一主義が拡がるなかLGBTの権利の高まりは退潮してるように思う。
何がどうなることが正しいのかはよくわからないし正解そのものが見えないが、今を生きているすべての人間がすべからく「自由」であることが「幸せ」ってことなのかも知れない。
えっ 日活!?
「爆弾」の翌日に鑑賞
そのせいか やたら緻密に丁寧に練られた
作り手が真心をこめた作品〜という印象でした。
この作品のカラリストも良い仕事をしているなーと。
日に焼けた 昔のカラーフィルムのような色合い。
法廷シーン、弁護士事務所の暗いライティングも
時代を考慮してリアリティあり。
小道具、スタイリストの仕事振りも見応えあり。
昔の三越、伊勢丹の紙袋、
ちょっと年代は ズレてたけど
化粧瓶やタクティクスの白い四角い瓶。
ダイニングテーブルの箸入れ、
肩紐の太いブラスリップ
ランニングシャツ+ステテコ
母親に手渡す 和装の木綿の寝間着
細かいチームプレイが光る
役者も良かった
オーディションで選ばれた一部主要キャスト。
演技的なスキルは無いのかもしれないが
魂で演じていて こっちの心臓をグリグリ
掴んで揺さぶられる
錦戸亮、テレビドラマで見てたときは
悪くないと思っていたが、さすがにスクリーンで
見せられると「ジャニーズ芝居」。
上手く言葉に出来ないけど、上手い下手とはまた違った
独特に上滑りして画面が歪んで見える印象。
対照的だったのが前原滉
良く見る役者だけど初めて この人スゴいと思った。
会社のシーンは一切出てこないけど
どんな仕事振りなのか、故郷でどんな生活なのかを
想像させてくる
また演技初心者の中川未悠と絡んでも
演者のオーラ調整して シーンを仕上げてくる
この人また見たいので 次の作品もチェックしてみよう
知っておくべき事実
ラストの証言シーンが圧巻‼️
昭和30年代、売春防止法で男娼が取り締まれないことから、性転換手術を行った医師が逮捕されて裁判にかけられることをモチーフにした作品。性転換手術をした元男性が証言台に立ち、法廷で戦う。
ジェンダーフリー、LGBTについてのメッセージを感じて敬遠されてる方も多いかもしれないが、ヒューマンドラマとしてしっかりとした映画だった。
前半は、全体にダメダメな感じで進んでいきつつ、カップルに寄り添う。このカップルも彼氏が弱々で幸せな結末が思い描けない。
法廷劇が軸になる後半も簡単には好転しない。むしろ周辺環境が悪化していく。後から考えるとラストにつながるミスリードだとわかる。
ラストの証言シーンが圧巻。観客を裁判官の視点に置き、主人公が静かに語りかける。
男らしさや女らしさは見た目なのか心なのか?
手術までして彼女は何を手に入れたのか?
是非劇場で彼女の魂の声を聞いてほしい。
ずっしりきました。
歴史があっての今なんだなー、と。
主演の中川未悠さんの熱演に拍手です‼️
ブルーボーイ事件の判決がでた1969年から、公に日本で性別適合手術が行われる1998年まで約30年。今でこそ公的文書でも性別記載欄に[男・女・それ以外]とあるのが当たり前になったけど、本当に長い歴史があったんですね。自分も子供の頃、レズ(L)・ゲイ(G)は知ってたけど(T)は聞いたこと無かったなぁ。トランプ大統領みたいに未だ未だネガティブな人達は多いし、自分自身も本当に心から受入れてるのか分からないし、多様性って凄く難しい問題だと思います。でも、とにかくこの作品に関しては、実際にトランスジェンダーである主演の中川未悠さんの熱演に大拍手です🙂
ブルーボーイ事件
見ごたえがありました。
実際に起こったことを元にしているからか、非常に見ごたえがありました。誰もが自分の幸せを求めることを、邪魔されることはできない、ということがテーマになっています。
まだ戦後20年ぐらいのために、戦争を引きづっている人もいるし、当事者も特殊な仕事をせざるを得ないところがあるための誤解を受けていたり、なかなか理解をされない時代の話。当事者の強い思いによって、少しながら理解する人も増えて行きます。
最後の裁判のシーンが、この映画の一番の見どころであり、言いたいことです。主要な役をあまり演技経験がない人が演じているという話ですが、全くそういった感じはないですね。
昭和40年代前半が舞台。セットや小道具、人のしぐさ等、かなり当時が再現されています。
作品のテーマから、自分とは関係のない話だと思ってしまうかも知れませんが、純粋な人間としての幸福とは何かという話なので、ぜひ多くの人に見てもらいたいですね。
憲法を争点にする裁判‼️❓
誰かが決めた女性
脚本から演出まで、丁寧に丁寧に作られた作品。トランスジェンダーが主役のストーリーでしたが、これはあらゆる差別や偏見と闘う人々の話にも思えました。
彼らを差別する保守派の人が、軽率さ軽薄さが嫌い(風紀が乱れるという意味ですかね?)と話していました。
そういう風に考えるのですね。
2025年になっても我が国がジェンダー平等も夫婦別姓も一向に進まないのはこういう考えの人、好き嫌いでしか物事を考えられない人がいるからでは?むしろ、この保守的な考えが国を衰退させているのに、大丈夫か日本は。
恋人と別れてまでも証言台に立つサチ。そしてサチは誰かが決めた女性像にずっと苦しんできたみたいなことを語りましたが、女性である私も本当に同感です。
誰かが決めた〇〇に苦しんでいる人、少なくないというか多いと思います。
日本やトランスジェンダーに限らず、今地球上で生きているあらゆる人々をカテゴライズして差別すること。それには、強く抵抗して連帯していこうと改めて思いました。
常識とは18歳までに集めた偏見のコレクション
幸せを求めるのは全ての命の本質である!!
毎度お馴染み町山智浩さんのお勧めプラス予告編が面白そうだな〜
と感じたこと。さらにトランズジェンダーの当事者キャスト!!
これは観なきゃ!!!
昔の東京五輪と大阪万博の数年前、
海外から多くの人々が来る国際イベントを前に
戦争からの復興と近代国家へと生まれ変わった日本を宣伝するため
警察は売春防止法を盾に街角の娼婦を捕まえるが、
その中には性転換手術をした男性娼婦も含まれていて
売春防止法は女性を想定した法律ゆえに
性転換後の戸籍的には男性の娼婦は取り締まれない。
法律を変えるには時間がかかるので手っ取り早く
男性娼婦を減らすため、性転換手術を行なった医者そのものを
「健全な肉体を損なった」と言う罪で優生保護法違反とし
取っ捕まえて有罪にしようと検事側は攻めてくる。
なんという無茶なお話。
そこで医者の無実をはらすために性転換手術を受けたことを
公表しているいわゆる「水商売」の「女性」たちが証言に立つのだが
たちまち好奇な目でマスコミから揶揄されてしまい
それならば、性転換後に一般女性として平凡に暮らしている人の証言なら
性転換手術は立派な医療行為とされるのでは?
いやいやいや〜、普通に暮らしている人にそれは〜〜。
この話はどうなってしまうのか??
映画館で全集中でぜひぜひご覧くださいませ。
で、月に8回ほど映画館で映画を観る
中途半端な映画好きとしては
久々に、泣いた〜〜〜〜〜〜〜〜!!
どんな境遇であろうと、他人に迷惑をかけない範囲で
幸せを求めるのは全ての命の本質である!!と思う!!
その人がその人の出来る方法で
ちから一杯幸せになろうとしているのを
否定する権利など誰にも無いわ!!
いや〜主演の中川未悠さんの
演技とは見えない程の真摯な演技がもう、刺さりまくったわ!
トランスジェンダーの当事者キャスト、メイ役の中村中さんや
アー子役のイズミ・セクシーさんも魅了的かつ
本質的な苦しみの表現が観ていて本当に切ない。
これはぜひ、観てほしいです!!
戦前、戦中のウィークネスフォビア
まるで滅びゆく世界に突如現れた救世主
終わってみたら大号泣。
映画を見始めたとき、まさか自分がこんなことになるとは思わなかった。
この作品は、トランスジェンダーの方々が抱える苦しみを、そうではない私たちにも痛感させる内容になっていて、全人類が観るべき傑作だと思った。
舞台は1965年の東京。
美術や衣装は当時の雰囲気を完全に再現しており、リアリティが凄い。
庶民の話題はオリンピックや万博、物価高と、現代と共通する部分もあり親近感を覚えた。
一方で、「おかま」や「性転換手術」といった、現在では不適切とされる表現が頻繁に使われている。
久しぶりに「おかま」という言葉を聞き、時代とはいえ強い違和感を覚えた。
序盤では、トランス女性たちの当時の日常が描かれる。
正体を隠してひっそりと暮らす人、夜の世界でトランス女性であることを隠さずたくましく生きる人たちが登場する。
皆が大変そうではあるが幸せそうに見えた。
もし世の中に差別が存在しなければ、この人たちはもっと楽しい人生を送れていたはずなのに、と考えずにはいられなかった。
映画全体を通して描かれるのは、かつての「優生保護法」に違反したとして性別適合手術を行い逮捕された医師を救うための裁判劇。
彼から性別適合手術を受けた一人のトランス女性が、医師を救うために証言台に立つものの、力及ばず。
それを見かねた別のトランス女性が「次は私が」とばかりに立ち上がり、次々とトランス女性が証言台に送り込まれる、という物語構造になっている。
個人的に強く心を打たれたのは、二人目のトランス女性が証言する場面。
マツコ・デラックスのような、それまでどんな理不尽にも動じず強い姿勢を崩さなかった彼女が、証言台で浴びせられる容赦ない質問に耐えられなくなり、涙を流しながら怒声混じりで訴える言葉の数々。
トランスジェンダーが受ける苦しみを全面に押し出した心からの叫び。
この時の彼女の言葉に、心を打たれない人なんているのだろうか。
個人的に、この場面から一気に映画の世界に引き込まれてしまった。
この裁判が世間で注目を浴びた結果、トランス女性たちのささやかな幸せな日々が終わりを告げる。
誰にも迷惑をかけず生活していたはずなのに、なぜか社会から次々と排除されていく。
とにかく観ていて胸糞悪かった。
トランスジェンダーに否定的な人たちは、この場面を観て何を思うのだろうか。
主人公のトランス女性であるサチと、体に障がいがある夫の夫婦愛もまた、とてつもなく深く描かれる。
その愛は、一般的な夫婦愛を遥かに凌駕していると感じた。
これまでの人生でずっと生きづらさを感じてきた二人にとって、お互いが唯一の「光をくれた人」。
どんな過酷な状況になっても、お互いが相手のことを最優先に考えて行動する姿が描かれる。
差別がなければささやかな幸せを送れたはずなのに、腐った社会のせいで、二人が相手のために自己犠牲していく姿は観ていて本当に辛かった。
この映画を観て、トランスジェンダーを差別する人たちの理由には2種類あることに気づかされる。
1つ目は 「気持ち悪い」という感情論。
偏見を持っている人の大半はここに属すると思う。
「気持ち悪い」という理由で、何も悪いことをしていない人たちに対し、いじめのような人権を踏みにじる行為をする人たちの方が、よっぽど「気持ち悪い」と個人的には感じる。
2つ目は「国が滅びる」という保守的な陰謀論。
作中に出てくる検察が、この意見の代表者として登場する。
トランス女性への反対尋問で発せられる言葉の数々は、保守的な政治家やコメンテーター、あとはヤフコメでよく目にするような意見の集合体になっていて、裁判長に「侮辱は止めなさい」と注意されても無視して怒涛のように畳みかけてくる。
検察の燃料投下のおかげで、こちらの怒りは最高潮になり、心の中は完全に臨戦態勢モードになった。
ちなみに、この検察が差別的な言動を取る動機を語る場面があるが、聴いていて個人的には「くだらねえ」と思ってしまった。
怒り爆発はしたものの、物語が進むにつれて観客が見せられるものは、トランスジェンダーが社会から理不尽に排除される様子の数々。
社会の腐りっぷりを散々見せられるため、絶望的な気分になっていった。
ところがそんな中、一人の男に劇的な変化が訪れる。
最初は家族と出世のことしか頭になかった彼が、理不尽な悲劇を目の当たりにした結果、自身の過ちに気づく。
そして、トランスジェンダーの気持ちに寄り添うようになり、社会の理不尽に立ち向かい始める。
まるで滅びゆく世界に突如現れた救世主。
彼が観客の怒りの代弁者として差別に立ち向かう展開に胸が熱くなった。
ここらへんから涙が止まらなくなった。
彼が最後に述べる一言は、社会に蔓延する差別主義者たちを完全論破していて、痛快だった。
今まで性的少数者への差別に無関心だった人にも、最高のエンタメ映画になっていると思う。
本作は、当事者監督、当事者キャスティングによって制作されているため、トランスジェンダーたちの訴えが非常にリアルに感じられた。
この映画を観て、差別的な思想を持っている人たちの考えが少しでも変わるといいな、と心から願う。
どちら寄りでもない
憲法の条文で泣いたのは初めて
昭和40年前後、東京オリンピックや大阪万博が開催される文脈で風紀取り締まりが厳しくなる中、警察側の課題は性別適合手術(性転換手術)を施しながらも戸籍上の性別は男のままで営業活動をしていたブルーボーイ=男娼の取り締まりだったようです。なんとなれば、昭和32年に施行された売春防止法では、異性間の売買春は取り締まれたものの、同性間の売買春は取り締まれなかったからだそうです。で、警察がそうしたブルーボーイを取り締まるために編み出したのが、性別適合手術を施していた医者を逮捕することでした。
本作は、こうした歴史上の事実を土台にした物語で、性別適合手術を受けて女性になろうとしたサチ(中川未悠)の葛藤と、逮捕された医師・赤城(山中崇)を被告人とする刑事裁判を巡るお話でした。サチの物語としては、戸籍上も女性になることを前提として付き合っている恋人の若村(前原滉)、サチに赤城の裁判への証人出廷を依頼する弁護士の狩野(錦戸亮)、戦争経験者で今風に言えば”岩盤保守”の検事・時田(安井順平)、サチと同じく性別不合(性同一性障害)の立場でサチに寄りそうアー子(イズミ・セクシー)、同じく性別不合の立場ながら赤城の裁判への協力に懐疑的なメイ(中村中)というそれぞれの登場人物の役割が明確で、それぞれの立場を代弁させることでかなり平衡感覚に優れたものになっていました。
サチとの関係性で一番注目したのは、狩野の態度の変化。初めのうちは裁判に勝つための戦略上、性別不合を「精神病」と捉え、その治療のために性別適合手術を行った赤城の正当性を主張しました。しかしながら性別不合の人達にしてみれば、自分を精神病として見られるのは心外であり、そのためアー子やサチの心を傷つけることになりました。それが後半、彼女たちを人間として捉え直すことで、弁護方針も変わっていくことになりました。
また、半世紀以上前の話ですが、同性婚はもとより、選択的夫婦別姓すら認められておらず、LGBTへの差別が色濃く残る我が国の現状を踏まえると、テーマ性も非常に時宜を得たものでした。特に心に刺さったのは、裁判中に触れられた憲法13条に規定する「幸福追求権」という言葉。裁判の終盤、弁護士の狩野は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という憲法13条の条文を読み上げ、赤城が施した性別適合手術の適法性の主張を展開しましたが、これを聞いていたら自然と涙が出て来ました。憲法で泣いたのは初めてかも。そんな本作のテーマ性は非常に印象に残るものでした。
役者陣は、サチを始めアー子、メイらは皆今風に言うところのトランスジェンダーを集めており、その点非常にリアリティがありました。また、弁護士・狩野と検事・時田の法廷対決も、いささか大時代ではあったものの見応えは充分でした。
あと、挿入歌として使われた「サン・トワ・マミー」も良かったです。
そんな訳で、本作の評価は★4.8とします。
優れた物語は、観る者に答を出せない問いを突きつけるものだ
1965年に実際に起こった性別適合手術の違法性(裏返せば合法性)を問う裁判の経過をもとに、フィクションとしての登場人物を配置したドラマ。
しかし主役の中川未悠をはじめ、その元同僚や仲間たちは、実際のトランスジェンダー(MtoF)の人たちが演じている。60年前(!)の日本社会とは、どんな「マジョリティ」の天下だったのか。
そこで生きづらさを抱えるマイノリティの人びとは、どのように踏みつけられ、怯え、拳を握りしめながら生きたのか。
世のエンタメ(というよりハリウッド的エンタメ)は、起承転結がわかりやすくて、善悪がはっきり提示されていて、最後はハッピーエンドで、スッキリする(溜飲を下げる、カタルシスがある)ものがもてはやされる。
そのような作りを必ずしも否定はしないが、よほど高次に洗練されていなければ、ただの茶番だ。
あるいは、難解かつ盛り上がりに欠け、ショットや台詞や役の抑揚がなく、あるいはプロットのおかしな飛躍や不誠実なこじつけなど、どう考えても監督や制作側の自己満足にしか見えない文芸作品も、なくはない。
ドキュメンタリーや史実をもとにした作品も、このリスクを常に負う。
『ブルーボーイ事件』も脚本や演出にスレスレの匂いがあるが、しかしぎりぎり持ち堪えた。
何より、主役のサチ・中川未悠の初映画初主演とは思えない存在感が大きい。
法廷での慟哭のような証言は、観ていて胸が詰まって仕方がなかった。
すべてを受け入れたパートナー、篤彦(前原滉)の存在もなくてはならない。
そしてマイノリティの人びとが受ける数々の差別、偏見、不利益の壮絶さは、今の社会の感覚からすると、ほとんど未開の非文化的な後進国・・・としか見えない。
それが60年前の日本の姿だ。
性別適合手術が真に合法となったのは1990年代終わりであり、この事件から実に30年後である。
そしてさらに、そこから30年が経った。
この30年、60年で、何か変わっただろうか?
変わっていないものがあるだろうか?
「幸せ」であることの定義は変わったのか?
「男でもない、女でもない。私は私」という叫びが受け入れられ、通用する社会になっているのだろうか?
そんな「答を出しにくい」「答を出せない」問いに、私はアンダーラインを何度も引き続ける。
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