「人に心がある限り、自分を規定する基準は変化していくものなのだと思った」ブルーボーイ事件 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
人に心がある限り、自分を規定する基準は変化していくものなのだと思った
2025.11.20 MOVIX京都
2025年の日本映画(106分、G)
1960年代を舞台にした、性別適合手術の是非を問う裁判の証言者たちを描いたヒューマンドラマ
監督は飯塚花笑
脚本は三浦毎生&加藤結子&飯塚花笑
物語の舞台は、1965年の日本・銀座周辺
警察当局は売春婦の一斉摘発に踏み切り、数十人の売春婦を逮捕するに至った
だが、その中には男娼と呼ばれる戸籍上は男性の女性たちが含まれており、当時の法律では罰を与えることはできなかった
そのうちの一人であるメイ(中村中)は刑事の取り調べで開き直り、それが当局を刺激することになった
警察幹部の神崎(岩谷健司)が検事の時田(安井順平)に事態の打開を相談すると、彼は「優生保護法違反」として医師を摘発すれば良いとして行動を起こしていく
メイをはじめとした複数人の性別適合手術を行なった赤城医師(山中崇)は逮捕され、その弁護人として狩野(錦戸亮)が抜擢される
狩野は手術を受けた当事者の証言が必要として、メイを含めた3名に声を掛ける
その中に、今は普通の生活を送っているサチ(中川未悠)という女性がいた
だが、彼女は表に出ることによって今の生活が壊れると考え、証言を拒否していく
狩野は「赤城が有罪になれば、控えている手術もできなくなる」と言うもの、サチは頑なに拒み続けるのである
映画は、メイの証言によって、「仕事上で有利に働くから」という悪い印象を与えていく様子が描かれていく
さらに次の証言に立ったアー子(イズミ・セクシー)の際には、精神的な安定を求めるために手術が必要だったという趣旨の発言が飛び出してくる
狩野は裁判に勝てば良いとスタンスで臨んでいて、それが当事者の心を蝕んでいく
そして、アー子は飲み屋でのサラリーマンの暴言におけるトラブルにて、帰らぬ人となってしまう
当時は生前なので詳細を知ることもないのだが、この裁判にて「合法」となった後も日本では手術が行われていなかったことが告げられる
裁判所は「手続き不足」という理由で赤城医師を有罪にするものの、リスクを取ってまで手術を行う医者はいないとされていた
結審から29年後にようやく日本でも行われることになったのだが、この時間を経て変わったのは、いわゆる世論というものなのだと思う
性自認問題に関しては当事者しかわからない部分があって、誰かが規定してきた「男性観・女性観」というものがベースになって、現在の性自認を決定づけているところがある
そうした中でギャップを感じているものはどうすれば良いのか、という問いかけがあって、本来ならば「適合手術を必要としなくても認められる社会になること」が望まれるのだと思う
映画は、かなり踏み込んだ内容になっていて、映倫区分Gで良いのかはわからない
裁判のラストでは、裁判長も弁護士も検事の暴言に異議を申し立て、証言を最後まで聞かせるように仕向けていく
これは、あの場において、サチを含めた当事者の気持ちが少しだけわかるような気がした瞬間であり、彼女たちの未来を奪う権利は誰にもないことを示している
日本国憲法第13条「幸福追求権」というものが裁判の決め手になっていて、そもそも男性における売春摘発が法的に整備が整っていなかったから吊し上げられたという背景があった
なので、本来ならば、「男女を問わずに売春は売り買い両方が犯罪である」と法整備をすることのほうが先であると言える
映画はそこまでは言及しないものの、そこに至ってしまうと、物語の根幹が壊れてしまうので排除したのかな、と感じた
いずれにせよ、法廷劇と言うよりは当時の価値観を引き摺り出して、現代の価値観との相違と変遷を見るような構成になっていて、人の気持ちは今も昔も変わらないものなんだと思った
軍国主義の教育で生きてきて、戦地にも向かった検事と、そう言った世界から切り離された弁護士では見解も変わってくる
それでも、国家の犠牲になるのが国民であると言う考えは違うと思うし、国民の生活の幸福の上で国家というものが国家たる形を維持できるようにも思える
また、この裁判では検事の個人的な感情というものがかなり反映されている部分があったと思うので、有罪ながらも合法と結ぶことになった司法はまだ生きていたのだな、と感じた
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