劇場公開日 2025年11月14日

「優れた物語は、観る者に答を出せない問いを突きつけるものだ」ブルーボーイ事件 LukeRacewalkerさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 優れた物語は、観る者に答を出せない問いを突きつけるものだ

2025年11月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

1965年に実際に起こった性別適合手術の違法性(裏返せば合法性)を問う裁判の経過をもとに、フィクションとしての登場人物を配置したドラマ。
しかし主役の中川未悠をはじめ、その元同僚や仲間たちは、実際のトランスジェンダー(MtoF)の人たちが演じている。60年前(!)の日本社会とは、どんな「マジョリティ」の天下だったのか。
そこで生きづらさを抱えるマイノリティの人びとは、どのように踏みつけられ、怯え、拳を握りしめながら生きたのか。

世のエンタメ(というよりハリウッド的エンタメ)は、起承転結がわかりやすくて、善悪がはっきり提示されていて、最後はハッピーエンドで、スッキリする(溜飲を下げる、カタルシスがある)ものがもてはやされる。
そのような作りを必ずしも否定はしないが、よほど高次に洗練されていなければ、ただの茶番だ。

あるいは、難解かつ盛り上がりに欠け、ショットや台詞や役の抑揚がなく、あるいはプロットのおかしな飛躍や不誠実なこじつけなど、どう考えても監督や制作側の自己満足にしか見えない文芸作品も、なくはない。
ドキュメンタリーや史実をもとにした作品も、このリスクを常に負う。

『ブルーボーイ事件』も脚本や演出にスレスレの匂いがあるが、しかしぎりぎり持ち堪えた。
何より、主役のサチ・中川未悠の初映画初主演とは思えない存在感が大きい。
法廷での慟哭のような証言は、観ていて胸が詰まって仕方がなかった。

すべてを受け入れたパートナー、篤彦(前原滉)の存在もなくてはならない。

そしてマイノリティの人びとが受ける数々の差別、偏見、不利益の壮絶さは、今の社会の感覚からすると、ほとんど未開の非文化的な後進国・・・としか見えない。
それが60年前の日本の姿だ。

性別適合手術が真に合法となったのは1990年代終わりであり、この事件から実に30年後である。
そしてさらに、そこから30年が経った。

この30年、60年で、何か変わっただろうか?
変わっていないものがあるだろうか?
「幸せ」であることの定義は変わったのか?
「男でもない、女でもない。私は私」という叫びが受け入れられ、通用する社会になっているのだろうか?
そんな「答を出しにくい」「答を出せない」問いに、私はアンダーラインを何度も引き続ける。

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LukeRacewalker
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