マリリン・モンロー 私の愛しかたのレビュー・感想・評価
全2件を表示
心の深い所までは響いて来なかったことが不思議
マリリン・モンローの詳細な生い立ちや幼少期の性的虐待など、私が初めて知った事実も多かったです。
それなのに、何故か心の深い所までは響いて来なかったことが不思議です。
当時の映像と関係者の証言を交互に折り込みながら、年代順にマリリンの一生を描いていく、というオーソドックスなドキュメンタリーで、嫌いじゃないのだけれど。
離婚した二番目の夫であるジョー・ディマジオが、最後までマリリンを愛し続けて、葬儀まで執り行ったことはかなり意外でした。
【”これが私の生き方。”華やかな1950年代の主演映画しか観た事がない男にとっては、余りに哀しい出生と、ど根性で手に入れたスターの座と、謎の最期には色々と考えさせられたドキュメンタリー映画である。】
■僅か36歳で、謎の死を遂げた(劇中ではある”推測”が描かれる。)マリリン・モンローことノーマ・ジーン。
出生時から非嫡子で、映画業界で働いていた実母、そして祖母は次々に精神に変調を来したことが述べられる。
そして、里子として育ったノーマ・ジーン(今作では、マリリン・モンローではなく、ノーマ・ジーンと、語られる。)の、幼い頃の写真はとても可愛くて、笑顔である。だが、数々の知人たちが語る彼女の生涯は、相当に凄いモノであった。
けれども、ノーマ・ジーンは数々の逆境を、笑顔の陰に隠していた努力で克服し、可能性を広げ、ついには世界中に愛され、今でも名を残す金髪美人女優となった事が、この映画では綴られるのである。
幼少時の里子に出ていた経験や、実母に一時的に引き取られていた時に、愚かしき間借り人の男から受けていた虐待。あの小さな時の笑顔の写真からは想像できないのである。
だが、それ故にノーマ・ジーンが、愛を求め、家庭の温かさを求めていたというナレーションが哀しい。
で、思うのである。彼女は自分が得られなかった愛を、世界中の人に届けたのではなかったか、と。
寒風吹く中、兵士たちの前で笑顔を振りまき(で、肺炎になってしまう。)私の脳内のイメージの艶っぽいドレスを”仕事着”と呼び、普段はジーンズだったという事と、リラックスしたジーンズ姿での笑顔の写真から伺えるのである。
彼女を支えた、大リーガーのジョー・ディマジオとは別れてしまったけれど、彼女が亡くなった時に、彼が葬儀の全てを担当した話は知ってはいたが、”何で、別れちゃったのかなあ”とか、劇作家アーサー・ミラーと結婚しても別れたりとか・・。けれども二人とも、ノーマ・ジーンを愛していた事は分かったよ。けれども、二度の流産で子供が産めなくなった身体になった事は知らなくって、哀しかっただろうなあ。家庭を作りたかったのに・・。
<劇中で語られる、彼女と恋仲になったケネディ大統領との関係が、マフィアとの関係で彼女の謎とされる死に繋がっていたとの今作の推測は、本当かな。
あの有名な、ケネディ大統領の誕生日パーティで彼女が演奏なしの生声で、”Happy Birthday,Mr.President”と静に歌うシーンは、ちょっと悲し気だったもんな。
けれども、彼女が無名だったころからバグジイがバックアップしていたとか、当時は(今でも?)ハリウッドには闇があったんだなあ。>
全2件を表示