佐藤さんと佐藤さんのレビュー・感想・評価
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泣く子ども、泣く大人
こんなに余韻を残す映画は、久しぶりだ。最初と最後、駐輪場で出会う2人。最初はコーヒー、最後は子どもで繋がっている。互いを思う気持ちは、根本では変わっていないはず。でも、一緒に暮らすことは多分ない。そんな予感が、画面からにじむ。
一緒に暮らして、家族が増える。歳を重ねて、働き始める。それぞれに、やりたいこと、やらなければいけないことが増えていく。そういったあれこれを2人の生活に重ねていくのは、なんて難しいんだろう。
この映画の子どもは、やたらと泣く。そして、泣きやまない。泣けない大人を代弁しているようでもある。前半の法事のシーンから、赤ちゃんの泣き声が印象的だった。生まれたての子どもは、とにかくよく泣く。抱いたら泣き止むとか、ミルク飲ませたら大丈夫とか、そんな生易しいものではない。泣き声は、周りの大人を焦らせ、容赦なくすり減らす。放置され、冷えて固まっていくカップ麺が生々しかった。
本作では、「ちょっとしたすれ違い」が繰り返し描かれる。何の気なしの一言が、相手を苛立たせる。細やかさが神経質に、おおらかさが無神経にすり替わる。かと言って、これは「こういうことに気をつけましょう」という警鐘や教訓ではないはず。押し込めてきた過去の苦い経験を、記憶の隅から引っ張り出し、当時は向き合えなかった自分の思いや、思いやれなかった相手の気持ちを、改めて推しはかる。今の自分なら、次はどうするか。そんなことを取り留めなく考えた。
2人を取り巻く人々も、それぞれに忘れがたい。再生する人、別離していく人、留まる人、旅立つ人。ちょっとした会話から彼らの人生が垣間見え、2人のもう一つの人生へと繋がっていく。佐藤さんたちも、この先、思いもよらぬことが起きるかもしれない。
別れても、一緒にいても、それが絶対的正解ではない。ならば、こっちにしよう、と選んだら、言い訳せず、振り向かず、少しでも輝けるよう生きていく。そんなことを思った。
佐藤さんはずっと佐藤紗千でいられてるもんね
夫タモツ役に宮沢氷魚を起用した狙いは、おそらく達成できているのだろう。どこからか、この男だってずっとコンプレックスを抱えて我慢して、精一杯努力してきたじゃないかという弁護の声が聞こえてきそうである。ではこの立場を逆にしたらどうだろう?「追い越してしまってバリバリ働く妻と、置いてきぼりを食らって肩身の狭い思いを強いられる夫」ではなく、逆だったら。印象は違うだろう。それは岸井ゆきのと宮沢氷魚のキャラクターに寄るところが大きいはずだ。では今回の配役を柔らかな物腰だけど芯の強い(へこたれては困るので)女性俳優と、我の強い(演技が得意という意味)ゴツイ男性俳優の組み合わせだったらどうだろう?私的検索では、綾瀬はるか、多部未華子。遠藤憲一、古田新太。と出てきた(年齢差は別として)。これだったら物語の印象は随分違っていただろう。
とにかく言いたいのは、岸井ゆきのが気の毒だってこと‼なにが「窓の隙間に挟まれている虫の気分ですよ」だ。被害者面するな、支えてもらった分、しっかりと恩返しせえよ!と言いたい。これが女性に対する言葉だと、糾弾されるんだろうなあ。
映画としては、とても好き。フォローになってないかも知れないけど。
パートナーがいる人には切実
トイレットペーパーのやり取りが、この映画の全てを物語っている。
これ、パートナーがいる人は絶対に分かるはず。
この些細な行き違いが重なっていくことが、
大きなストレスとなる。
何気ないひと言の中に本当の気持ちが入ってしまうこと。
片やその言葉の意味を執拗に汲み取りプライドが傷つく側。
これがひと昔前であれば、
男女逆転で描かれていたのであろう。
でもこの映画の通り、実は男性の方がコンプレックスだらけでプライドが高い生き物だと私も思う。
更には男性が苦労しても叶わない夢を、
女性がサラッと成し遂げるのだから。
これもよくある。
とても切実だけど、これが現実である。
『サチとタモツと』
怖いくらい生々しい
上手いわ、この映画。
そして、怖い。
実力はあっても出しきれないで司法試験に落ちてしまうメンタル弱々男と、正しさや効率のよい動きや発言によって無意識のうちに弱々男を追い詰めてしまう筋の通った女性。
お互いを思いやる気持ちがあった二人が、心の弱った側の些細な言葉の受け取り方ですれ違っていく。
膨らむコンプレックス、有り難みが申し訳なさへと変わり、嫉妬にすら変貌していく。
そこに次々現れる、結婚による改姓の残酷さ、女性に押し付けられる旧来の価値観、仕事によって自分の時間がなくなる、相方の話を適当に頷いて聞いてない、子育ての難しさ、親の介護、実家の家業や相続問題……
二人に20〜30代夫婦あるあるの現実が押し寄せ、心の距離が開いていく。
ある日突然ではなく、一緒にいることがつらくなるほど、相手への嫌悪感が「積み重なっていくう」ことを見せていく手法が、残酷なほど生々しい。
岸井ゆきのと宮沢氷魚が本当にこんなことで別れるカップルいるよな、と思えた説得力溢れる演技をしていてよかった。
それぞれの立場
マリッジ・ストーリーを永く続けるには、。
「マリッジ・ストーリー」と言うとスカーレット・ヨハンセンとアダムス・ドライバーの作品を思い出す。この「佐藤さんと佐藤さん」とは映画のタッチも全然違うし、エピソードも似てないが、どちらも気持ちのすれ違いを解消出来ずに別れざる得ない道を辿る。そしてどちらの映画も別れてもかなり好き同士ってのがヒシヒシとわかるので観ていて切ない気持ちになる。
抜群の演技力を示したサチの岸井ゆきのとタモツの宮沢氷魚の15年間の「マリッジ・ストーリー」は日本独特の実体験に基づく天野千尋監督と熊谷まどかの脚本の妙でハイレベルのドラマに仕上がりました。
夫婦の関係を壊すのは不用意なひと言が起因になることはよくある。
「トイレットペーパーがないよ」は確かに「買っておいてね」の意味が含まれている。地元でNPOをやるなどと言うタモツにサチが「逃げてるよね」と言う気持ちもわかるが電話口で言ってはダメだ。「養育費、払えるの?」はタモツの自尊心をズタズタにしてしまったが逆に闘争心に火をつけ「試験に受かって離婚する」となった。司法試験は受験資格を得てから5年間で5回なので願書を出さず路上で大喧嘩になったのがたぶん5回目だろう。その後は予備試験を受け受験資格を得て司法試験にチャレンジしたと思う。受かってから前言を撤回しなかったのはタモツの男としての自尊心からなのだろう、。
サチが弁護を担当するベンガルは50年連れ添った妻から離婚を突きつけられる。この昭和の親父は「養ってあげたんだ」と平然と言う。会うことも出来ず最後の手紙は僅か2行程度で「離婚してください」だけだった。私も30年以上連れ添った妻がいる。1年前に定年退職した時、三行半を突きつけられたらどうしようかと少しだけ頭を掠めたけれど杞憂に終わった。家事も育児も任せっきりで海外単身赴任も含め家もよく空けていた。今は家事も協力しさりげなく感謝も伝えているつもりだ。いつまで2人で過ごせるかはわからないが穏やかに時が流れればいいと思っている。
ふとした日常や言葉が凶器となる怖さ
”同姓“カップルは幸せか?
未熟な愛過ぎて
結婚生活について考えさせられる秀作
観る者の記憶と重なる夫婦のリアル
■ 作品情報
同じ「佐藤」という苗字をもつ二人の男女、佐藤サチと佐藤タモツの15年間にわたる関係性の変化を描いた物語。監督は天野千尋。 主要キャストは岸井ゆきの、宮沢氷魚、藤原さくら、三浦獠太、佐々木希、ベンガル。脚本は熊谷まどかと天野千尋が担当。
■ ストーリー
活発で行動的なサチと、真面目で内向的なタモツは大学で出会い、正反対の性格ながら互いに惹かれ、交際と同棲を始める。弁護士を目指すタモツが司法試験に挑むも不合格が続く中、彼を支えようとサチも勉強を開始する。しかし、予期せぬことにサチだけが試験に合格し、弁護士として働き始めることとなる。これにより、二人の役割は逆転し、タモツは主夫として家事や育児を担いながら司法試験の勉強を続けるという、新たな生活が始まる。二人は家事や育児に対する価値観の違い、お互いの状況への理解の欠如からくるすれ違いや葛藤に直面する。かつて保たれていた夫婦のバランスはしだいに崩れ始め、関係性はヒリヒリするようなリアルさで描かれていく。
■ 感想
公開週は都合が合わず観に行く機会を逃し、そのままスルーしようか迷っていたのですが、馴染みの劇場の上映終了予定を知り、平日の仕事終わりに滑り込みで鑑賞してきました。おかげで、キャパ150人のスクリーンを貸し切り状態で、心ゆくまで本作の世界に浸ることができました。
サチとタモツの歩む15年間の道のりには、深く共感し、最初から最後まで没入して見入ってしまいました。異なる人生を歩んできた二人が、互いの人生を重ね合わせる中で感じる喜び、幸せ、難しさ、苦しみ、苛立ちといったさまざまな感情が、時に微笑ましく、時に懐かしく、そして時に切なく、胸が締め付けられるように伝わってきます。結婚や子育てを経験された方なら、きっと二人のどちらかに自分を重ね、自身の思い出を振り返らずにはいられないのではないでしょうか。
それほどまでに、岸井ゆきのさんと宮沢氷魚さんの演技は自然で実に見事で、お二人の配役がイメージにぴたりとハマっていたように感じます。鑑賞中はつい自分と同性の立場に感情移入しがちになりますが、サチもタモツも、本当にどちらも悪くない、むしろ二人とも精一杯がんばっていたと思います。結婚生活や子育てとは、まさに本作で描かれているような現実の連続なのだと痛感します。
そして多くの場合、改姓、仕事との両立、実家の相続、親の介護、熟年離婚といった、さらに多くの問題が付随してきます。本作は一組の夫婦に焦点を当てながらも、現代社会で夫婦が直面するさまざまな問題を浮き彫りにしているように感じます。それを声高に叫ぶことなく、スクリーン越しに客観的に提示している点がすばらしいと感じます。おかげで、少し冷静になって相手の立場で物事を考えることができるように思います。
結婚経験のない方にとっては、なんだか将来に希望がもてないような展開に映るかもしれません。しかし、その覚悟をもって臨めば、乗り越えられることも多いはずです。「困難があるから結婚も出産も諦める」のではなく、それを二人で一緒に乗り越えるからこそ、よりいっそう強まる愛や絆があると思います。なんてことを自分ももっと早くから知っておきたかったです。
夫婦を続づけるって難しい!
ホームのシネコンでは上映していなかったが、岸井ゆきののキャスティングに惹かれて別のシネコンに足を運んだ。
【物語】
佐藤サチ(岸井ゆきの)と佐藤保(宮沢氷魚)は大学のサークルで知り合い、やがて同棲を始める。 大学卒業後サチは就職するが、弁護士志望の保は司法試験浪人。 数年不合格が続く中、 独学を続ける保を支える目的で、サチは一緒に試験勉強することにする。ところが2年後にサチだけ合格してしまう。
そんなとき、サチが妊娠したことから二人は結婚し、サチは産後に弁護士として働き始める。一方のタモツはアルバイトと育児をしながら、試験勉強を続けるが不合格が続く。弁護士として忙しく働くサチと努力が結果に結び付かない保の気持ちはいつかすれ違い始める。
【感想】
自分の日常、いや俺の永遠のテーマでもある「どうやったら夫婦を上手く続けられるか」(笑)ということを色々考えさせられた。
俺も夫婦生活36年になるが、夫婦を続けること、一緒に暮らし続けることの難しさは新婚当初から今に至るまでずっと感じ、味わい続けている。DVとか浪費とか不倫の問題で別れる夫婦は分かり易いが、そんなこととは無縁でも「どうして?」という感情・疑問を互いに持ち続けている夫婦は多いのではないかと思う。
本作では軸のサチ・保夫婦に加えて、ザ・昭和!の夫婦、サチ達と同世代の離婚危機を迎えた夫婦も弁護士としてのサチに相談に来た者の話として描かれる。
‟昭和”のオヤジは奥さんに卒コンを突き付けられて慌てている。多分現代の若い世代から見れば「離婚されて当然」という夫だが、当のオヤジからすると「ずっと家族のために働いて来たのになんでだ?」であり、昭和では“普通”の夫像とも言えるので俺からするとちょっと気の毒だ。このオヤジでも昭和だったらこんなことにはならなかったはず。サチ・保のケースと比べると、昭和以降離婚率上昇の傾向に示されるように、現代の方が夫婦持続の難易度が高くなっていると思う。
現代の「あるべき夫婦像」とは夫と妻が対等にあることだと思われる。経済的にも、家事の負担も、決定権も。しかし、実は対等ってすごく難しいことだと思うのだ。要は微妙なバランスの上に成り立っているからだ。ある意味上下関係がはっきりしている方がやり易い面もあると思う。極端な例で言えば、武士の時代であれば、下級武士の家に生まれれば、主君である“殿”に尽くすことは必ずしも「生きるために仕方なく」ではなく、特に頼りがいのある主君であれば「殿のお役に立つ」ことが真の生き甲斐になっていた家来もたくさんいたのではないかと思う。「なぜ、俺が下なんだ?」と考える下級武士はあまりいなかったのではないかと想像する。
夫婦の関係は昭和までは主君と家来ではなくとも、役割がはっきりしていた。金を稼ぐのは夫、家事は妻。子供の頃からそう教わるからほとんどの人は疑問に思うことも無かったと思う。人間自由を望む一方で、「自由にやれ」と言われると戸惑い、役割を決められてしった方が楽という一面があると思う。夫婦の役割分担は決まっていない、いや一方的に決めてはいけなくて、「男女公平であるべし」とされたとき、もし能力が同じなら何事も半分ずつ分担すれば良いので簡単だが、実際のところ得手・不得手もあるし、能力も価値観も違うから公平な役割分担は極めて難しい。 頑張りが同じでも稼ぎには差が生まれ、家事の成果にも差が生まれる。
サチと保の場合、能力の違いが明瞭な形で出てしまった。二人は立場の違いを埋めようと努力するが、価値観・性格の違いも次第にストレスに転じて、次第に二人の関係が崩れ始めてしまう。バランスが崩れてしまったと言えると思う。
だから前時代的男尊女卑の世界の方が望ましいとは言わないが、対等というのは存外難しいというお話。
また、同世代の別夫婦の方は、いつの間にか離婚の危機から脱していた。詳細は描かれていないが、夫の不実を非難して離婚を相談に来た妻の方が有る時点で、諦めて家庭の持続を選んだのではないだろうか。何となくそんな気がする。夫婦は妥協して継続することも有りなんだと俺は思う。持続する中で新たに生まれるものもあると思うから。何が正解かなんて死ぬ間際に人生を思い返してみるまで分からない。
「ああ、二人はそういう選択をしたのか」という結末だったが、これも良い選択か否かは誰にも分からない。 感想も上手く纏めることが出来なかったが、こんな風にあれやこれや考えさせてくれる作品でした。
我が来し方
結婚
等身大でリアルな現代日本の夫婦あるいは家族の姿を描き出す
大学時代に同じ珈琲研究会に所属していた同級生の佐藤サチと佐藤タモツ。卒業後、サチは一般企業に就職し、タモツは塾講師をしながら司法試験を目指していた。同棲中にタモツの勉強を応援しようと一緒に司法試験の勉強を始め、タモツより先にサチが合格して弁護士になる。そんな矢先、妊娠が発覚し籍を入れることにする。しかし、配偶者と子どもを支えようと必死で働くサチと子育てに翻弄されノイローゼ気味になるタモツとの間に次第に亀裂が入り始める……。22歳から37歳までの15年間の軌跡を辿りながら、その関係性の変化を描いていく。
一家を支えるためにと仕事に精を出す一方、家庭は配偶者に任せっきりで、配偶者から見ると家事をやっているつもりになっている相手に余計腹が立つ…なんていう話はごまんとある。ただ、多くの場合は外で働いているのが男で、家事を担っているのが女というパターンが大半だろう。本作ではその立場が入れ替わっていることで、自分の経験と照らし合わせながらウンウンとうなづきながら見たり、逆の立場を客観的に見ることで身につまされて反省したりという人も少なくないのではないだろうか。
一方、ステレオタイプ的に男尊女卑な昭和の価値観を持ったサチのクライアントである菅井と離婚を望んで夫と話すことを拒否する妻。
さらに、サチのかつての同僚の篠田は真剣に離婚を考えていたが、戸籍上は夫婦のままだが、夫婦というよりパートナーとして一定の線を引きながら生活することで逆に良好な関係を築くことができた。
佐藤同士の婚姻は、結婚しても離婚しても苗字が変わらないことで、異姓カップルが感じるストレスを免除されている現実。これこそまさに夫婦別姓を望むカップルが望んでいることであろうが、篠田にはそれが許されていなかった。
そして、サチとタモツの実家の家族もまた彼らとは異なる価値観を押し付けて来る。
もちろん従来型の家族像に縛られたままで、しかしそこに幸せを感じている人々も決して少なくないだろう。だが、本作に登場する幾つかの家族を見ただけで、現代日本の「家族」というものの在り方や価値観の多様性がうかがい知れる。しかし、それこそ等身大でリアルな現代日本の夫婦あるいは家族の姿と言えるのではないか。
ただし、ここで描かれることは必ずしも日本固有のものとは言えない。司法試験で妻に先を越されて自尊心を傷つけられるタモツの姿を見ながら思い出されたのは、自分が見出した妻がスターになるにつれて自分自身は尊厳を失っていく男を描き、1937年、1954年、1976年、そして2018年と4回も映画化されている “A Star Is Born” (邦題は『スタア誕生』/『スター誕生』)”だ。
また、夫婦の物語として2019年のNetflix作品 “Story of Us” (邦題『マリッジ・ストーリー』)なども脳裏に浮かぶ。
夫婦関係は人それぞれと言いながらも、どこの国でも共通する部分も少なくないのだろう。
良質な、既にさまざまな経験を積んだ大人のための作品だ。
全60件中、1~20件目を表示
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