佐藤さんと佐藤さんのレビュー・感想・評価
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夫婦を続づけるって難しい!
ホームのシネコンでは上映していなかったが、岸井ゆきののキャスティングに惹かれて別のシネコンに足を運んだ。
【物語】
佐藤サチ(岸井ゆきの)と佐藤保(宮沢氷魚)は大学のサークルで知り合い、やがて同棲を始める。 大学卒業後サチは就職するが、弁護士志望の保は司法試験浪人。 数年不合格が続く中、 独学を続ける保を支える目的で、サチは一緒に試験勉強することにする。ところが2年後にサチだけ合格してしまう。
そんなとき、サチが妊娠したことから二人は結婚し、サチは産後に弁護士として働き始める。一方のタモツはアルバイトと育児をしながら、試験勉強を続けるが不合格が続く。弁護士として忙しく働くサチと努力が結果に結び付かない保の気持ちはいつかすれ違い始める。
【感想】
自分の日常、いや俺の永遠のテーマでもある「どうやったら夫婦を上手く続けられるか」(笑)ということを色々考えさせられた。
俺も夫婦生活36年になるが、夫婦を続けること、一緒に暮らし続けることの難しさは新婚当初から今に至るまでずっと感じ、味わい続けている。DVとか浪費とか不倫の問題で別れる夫婦は分かり易いが、そんなこととは無縁でも「どうして?」という感情・疑問を互いに持ち続けている夫婦は多いのではないかと思う。
本作では軸のサチ・保夫婦に加えて、ザ・昭和!の夫婦、サチ達と同世代の離婚危機を迎えた夫婦も弁護士としてのサチに相談に来た者の話として描かれる。
‟昭和”のオヤジは奥さんに卒コンを突き付けられて慌てている。多分現代の若い世代から見れば「離婚されて当然」という夫だが、当のオヤジからすると「ずっと家族のために働いて来たのになんでだ?」であり、昭和では“普通”の夫像とも言えるので俺からするとちょっと気の毒だ。このオヤジでも昭和だったらこんなことにはならなかったはず。サチ・保のケースと比べると、昭和以降離婚率上昇の傾向に示されるように、現代の方が夫婦持続の難易度が高くなっていると思う。
現代の「あるべき夫婦像」とは夫と妻が対等にあることだと思われる。経済的にも、家事の負担も、決定権も。しかし、実は対等ってすごく難しいことだと思うのだ。要は微妙なバランスの上に成り立っているからだ。ある意味上下関係がはっきりしている方がやり易い面もあると思う。極端な例で言えば、武士の時代であれば、下級武士の家に生まれれば、主君である“殿”に尽くすことは必ずしも「生きるために仕方なく」ではなく、特に頼りがいのある主君であれば「殿のお役に立つ」ことが真の生き甲斐になっていた家来もたくさんいたのではないかと思う。「なぜ、俺が下なんだ?」と考える下級武士はあまりいなかったのではないかと想像する。
夫婦の関係は昭和までは主君と家来ではなくとも、役割がはっきりしていた。金を稼ぐのは夫、家事は妻。子供の頃からそう教わるからほとんどの人は疑問に思うことも無かったと思う。人間自由を望む一方で、「自由にやれ」と言われると戸惑い、役割を決められてしった方が楽という一面があると思う。夫婦の役割分担は決まっていない、いや一方的に決めてはいけなくて、「男女公平であるべし」とされたとき、もし能力が同じなら何事も半分ずつ分担すれば良いので簡単だが、実際のところ得手・不得手もあるし、能力も価値観も違うから公平な役割分担は極めて難しい。 頑張りが同じでも稼ぎには差が生まれ、家事の成果にも差が生まれる。
サチと保の場合、能力の違いが明瞭な形で出てしまった。二人は立場の違いを埋めようと努力するが、価値観・性格の違いも次第にストレスに転じて、次第に二人の関係が崩れ始めてしまう。バランスが崩れてしまったと言えると思う。
だから前時代的男尊女卑の世界の方が望ましいとは言わないが、対等というのは存外難しいというお話。
また、同世代の別夫婦の方は、いつの間にか離婚の危機から脱していた。詳細は描かれていないが、夫の不実を非難して離婚を相談に来た妻の方が有る時点で、諦めて家庭の持続を選んだのではないだろうか。何となくそんな気がする。夫婦は妥協して継続することも有りなんだと俺は思う。持続する中で新たに生まれるものもあると思うから。何が正解かなんて死ぬ間際に人生を思い返してみるまで分からない。
「ああ、二人はそういう選択をしたのか」という結末だったが、これも良い選択か否かは誰にも分からない。 感想も上手く纏めることが出来なかったが、こんな風にあれやこれや考えさせてくれる作品でした。
我が来し方
結婚
等身大でリアルな現代日本の夫婦あるいは家族の姿を描き出す
大学時代に同じ珈琲研究会に所属していた同級生の佐藤サチと佐藤タモツ。卒業後、サチは一般企業に就職し、タモツは塾講師をしながら司法試験を目指していた。同棲中にタモツの勉強を応援しようと一緒に司法試験の勉強を始め、タモツより先にサチが合格して弁護士になる。そんな矢先、妊娠が発覚し籍を入れることにする。しかし、配偶者と子どもを支えようと必死で働くサチと子育てに翻弄されノイローゼ気味になるタモツとの間に次第に亀裂が入り始める……。22歳から37歳までの15年間の軌跡を辿りながら、その関係性の変化を描いていく。
一家を支えるためにと仕事に精を出す一方、家庭は配偶者に任せっきりで、配偶者から見ると家事をやっているつもりになっている相手に余計腹が立つ…なんていう話はごまんとある。ただ、多くの場合は外で働いているのが男で、家事を担っているのが女というパターンが大半だろう。本作ではその立場が入れ替わっていることで、自分の経験と照らし合わせながらウンウンとうなづきながら見たり、逆の立場を客観的に見ることで身につまされて反省したりという人も少なくないのではないだろうか。
一方、ステレオタイプ的に男尊女卑な昭和の価値観を持ったサチのクライアントである菅井と離婚を望んで夫と話すことを拒否する妻。
さらに、サチのかつての同僚の篠田は真剣に離婚を考えていたが、戸籍上は夫婦のままだが、夫婦というよりパートナーとして一定の線を引きながら生活することで逆に良好な関係を築くことができた。
佐藤同士の婚姻は、結婚しても離婚しても苗字が変わらないことで、異姓カップルが感じるストレスを免除されている現実。これこそまさに夫婦別姓を望むカップルが望んでいることであろうが、篠田にはそれが許されていなかった。
そして、サチとタモツの実家の家族もまた彼らとは異なる価値観を押し付けて来る。
もちろん従来型の家族像に縛られたままで、しかしそこに幸せを感じている人々も決して少なくないだろう。だが、本作に登場する幾つかの家族を見ただけで、現代日本の「家族」というものの在り方や価値観の多様性がうかがい知れる。しかし、それこそ等身大でリアルな現代日本の夫婦あるいは家族の姿と言えるのではないか。
ただし、ここで描かれることは必ずしも日本固有のものとは言えない。司法試験で妻に先を越されて自尊心を傷つけられるタモツの姿を見ながら思い出されたのは、自分が見出した妻がスターになるにつれて自分自身は尊厳を失っていく男を描き、1937年、1954年、1976年、そして2018年と4回も映画化されている “A Star Is Born” (邦題は『スタア誕生』/『スター誕生』)”だ。
また、夫婦の物語として2019年のNetflix作品 “Story of Us” (邦題『マリッジ・ストーリー』)なども脳裏に浮かぶ。
夫婦関係は人それぞれと言いながらも、どこの国でも共通する部分も少なくないのだろう。
良質な、既にさまざまな経験を積んだ大人のための作品だ。
岸井ゆきのが出色、久々にいい邦画を観た。
久々に「いい邦画を観た」と感じさせる一作。恋人同士の同棲、結婚、子どもの誕生──人生の節目が続く中で、司法試験に落ち続けるタモツと、キャリアを着実に積むサチとの間に生まれる微妙なズレが丁寧に描かれる。夫の育児の割合が増えることで生じる夫婦の軋轢は、誰しもが身につまされる“あり得るリアル”だ。
そこに、離婚経験のある居酒屋の女将や熟年離婚といった周囲の人々の物語が絡み、作品全体がより厚みを増す。岸井ゆきのはスクリーンを自由自在に駆け回るような存在感で物語をぐいと引き寄せ、監督は役者の魅力を巧みに引き出している。脚本も堅実で、ちょい役の佐々木希までしっかり印象を残す。
日常に潜む揺らぎとリアルを見事に切り取った、温度のある邦画。
痛い・・
岸井ゆきの、さすがだね。
佐藤さんはふたりでも別個性
予定外で鑑賞しました
まじめで普通な人々が陥る傾向なのかな
特別でもないし
忙しすぎるし尊重することと冷静に会話をして
意思疎通ができたら。マニュアルみたいだけど笑
でもその忙しさであったり苛立ちだったりが
日々がさらっと垣間見えてよかった
その二人の結論が
別れで子供を通じた関係になったことは
どちらかが想いを秘めているときはいいのかな
20代カップルの結婚、子育てを描いたビタースイートな良作
他人同士の佐藤さんと佐藤さんが、佐藤さんになり、佐藤さんと佐藤さんになる話。
結婚前は男性は利他的に頼もしく振る舞い、女性は自己愛が強いように感じるが、子どもが生まれると精神状態が逆転するように思う。母は強し、というやつだ。
この映画の男性も田舎育ちの長男で、自覚なくわがままに育ったため、自己愛が強く最後まで自分だけの理屈を貫いて女性の心を傷つけてしまう。甘やかされて育っているから根拠のない自己肯定感が強く、女性から見たら自信があって頼もしく見えるタイプ。この手の男は、まじめないい子ちゃんタイプが多く、うまく操縦できれば、パートナーとしては悪くないチョイスだと思う。
この映画では、女性の方が仕事に恵まれたために、男性がコンプレックスを抱くようになってしまう。今時はよく聞く話だ。
かけがえのない相手とすれ違う切なさに身がつまる思いだった。パートナーがいる人は、改めて相手の存在の大切さを考えると思う。
素晴らしい映画なのにかける映画館を間違えてるのでは
これは話題になってるのかなってないのかわからないけど映画はとても良かった。天野監督は前作「ミセスノイズィ」からまた大きく飛躍したのではないか。でもあまり噂を聞かないし、明日からの上映回数を見る限り勿体なさすぎ。TOHOシネマズなんてポップコーンに映画がくっついてくるような映画ファンがいない映画でやってはいけない映画(でもいちばん行く映画館なんだけど)とあるカップルのクロニクル。
冒頭の自転車の倒れるタイミング、過去へ飛ぶテンポが早くていい。そして無敵の岸井ゆきのが魅せる。画面が持つなぁ。そして宮沢氷魚もいいが、ベンガルをそこに配置するか、という意表のつかれ方のと、三浦 獠太、佐々木希、中島歩、などちょい役でのキャスティングが非常に決まっている。短い出番で人生が滲み出ているし、わかるわ〜という感じがある。割と前半でどんな展開になるのか予想できてしまうが、時代を追っていきながらの普遍性が効いている。間の悪いレトロ喫茶店の婆さんとかボヤ騒動を起こす隣りの婆さんとか、迷惑な両親だとか(基本的に心はない)、詰めた弁当の回収とか電動自転車もまんまクロニクルだったり。特に何も起こらないじーっとした岸井ゆきのの間が画面に残っていて、それらの間の中で何かが生まれたり、崩れたりしている人生を見たような感じがする。
ひょっとしてこのカップルクロニクル映画、「ワンデイ」や「花束みたいな恋をした」や「ちょっと思い出しただけ」のようなものをイメージして作られたのだとすると筋が違う。華やかな恋愛、ウキウキする恋愛が半々でもないから。だからTOHOシネマズでやってもね、と思う。カップルに辛いものをカップルしか来ない映画館でやってもしょうがない。もったいない。こんなことを言ってもしょうがないが、なぜ新宿武蔵野とかテアトル系でやらなかったのか不思議。というのをポスターを見ながら思った。ちょうどTOHOシネマズで『平場の月』のポスターも見たが、これも中身と違って観客をバカにしたようなダメなポスターだと思った。
ストレスだらけの15 年
キャストに惹かれて見ましたが、期待が高すぎた
岸井ゆきのさんと宮沢氷魚さんと好きな2人が主演で、いい映画のバロメーターとも言える吉岡睦男さんと中島歩さんが出てるとなれば期待できるだろう、と拝見しました。
あらすじと冒頭の言葉で話の流れが理解できてしまうものの、過程が楽しければ……と見ていましたが、自分が男だからなのか、実際に夫婦仲がよくないからなのか、岸井さんの魅力に取り込まれたからなのか、保が一方的に悪いように思えてしまい、正直あまり気持ちのいい話の終わり方とは思えませんでした。
もう少し捻りがあれば……とか、90分くらいでまとまってれば……とか、カメラの手ぶれがもう少し抑えられてれば……とか思いながら帰宅中です。
人としての器の小さい男たち
『立つ瀬がない』で割り切れてしまう男。
『どれほどの覚悟を持って引き受けても報われることのない』女。
立場や環境の違いなど背景はさまざまではあっても、同じような目標を持ち、同じようなキャリアを目指す場合に、なんでこんなに圧倒的に女性のほうが不利なのだろう。
母乳を与えたくても、男性(父親)には不可能で、この点だけは役割を代替できない。
が、それ以外の点では、いまだに〝子育て〟は男にとっては、他の何かを犠牲にしているかのように捉えている人が多い。そして、女にとっての〝子育て〟は当然の義務であって他の何か(仕事やキャリア)を後回しにすること=犠牲にしている、とは捉えてくれない。
「立つ瀬がない」とは、Google先生によれば、『自分の立場や面目が失われ、どう振る舞っても居場所や弁明の余地がない状態』を意味する。
子育てにおいては、立場や面目なんてどうでもいいことです。
なのに、男の場合、それらが一緒くたになって論じられたり、同情されたりする。
「もう修復できないから、離婚しよう」みたいなことを平気な顔をして言える男の厚かましさ。
早目に交代してあげる、と譲歩してあげてるみたいに振る舞える傲慢さ。
ベンガルも中島歩も、どちらのタイプの男も、身近に思い浮かべることができるほど本当に実在してます。
ラストの岸井ゆきのさんの表情と涙は、悔しさ、やるせなさ、もどかしさなどありとあらゆる感情を表しているようで、決して〝何も割り切れてなんかいない〟ことがまざまざと伝わってきて、思わずもらい泣きしてしまいます。
「夫婦は一番近い他人」
夫婦が働いて収入を得るという生活の基盤を描出している。夫が働き妻は専業主婦、夫が働き妻はパート等で働き補助収入を得るが家事・子育ての主は妻、夫も妻も働き収入を得て、家事・子育てもバランスよく二人でおこなう。このような夫婦の在り方が社会通念のようになっている。
夫は司法試験合格を目指し日々勉強し、妻も働きフォローする、二人は社会通念とマッチしていた。しかし夫が目指していた司法試験に妻が合格し、妻が働き夫は補助収入を得るが、家事・育児も夫が主でおこなっている。夫は愚痴もこぼさず家事をおこなうがどこかに男のプライドが隠れている。夫と妻の何気ない日常の言葉遣いや態度によって、夫婦感に小さな穴が開いていく展開の脚本の見事さ、天野監督の丁寧な演出、宮沢氷魚、岸井ゆきのの繊細な演技をとおして、映画は社会通念をひっくり返したのだ。
働いている妻が何気なく「トイレットペーパーないよ」という一言。夫は「僕に買ってこいということか」と口論になる。この一言で夫の心が乱れる繊細さがうまい。弁護士として忙しく働く妻をフォローしつつも、どこかに羨望の眼差しを妻に向ける夫。勉強したいが子育てで疲れ切って寝てしまうもどかしさ。いっそのこと田舎に帰って別の仕事をするか、悩む夫の姿が痛々しい。夫の気持ちの変化にまったく気づかない妻。小さな穴が時間をかけて徐々に修復不能になるほど大きくなる。
同じ家で生活し一番近い夫婦という関係。近いから相手のことを何もかも理解しているかといえばそう簡単ではない。お互いが何を一番大事にしているか、それぞれ違うからだ。
結婚して50年の夫が妻から離婚を迫られるシーンはまさに夫が抱く社会通念上、寝耳に水であろう。しかし妻はまったく違った感覚しか持っていなかった。夫婦の関係性を描出するなかでこの挿話は非常に重たいものを弁護士の妻に突き付けた。
ラストシーンで岸井ゆきのが涙するシーンには胸がつまった。どこで間違えたのかという後悔の念が表情ににじみでている。夫婦は一番近い他人なのだ。
公式予告がほぼネタバレ
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