劇場公開日 2025年11月28日

「夫婦を続づけるって難しい!」佐藤さんと佐藤さん 泣き虫オヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 夫婦を続づけるって難しい!

2025年12月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

ホームのシネコンでは上映していなかったが、岸井ゆきののキャスティングに惹かれて別のシネコンに足を運んだ。

【物語】
佐藤サチ(岸井ゆきの)と佐藤保(宮沢氷魚)は大学のサークルで知り合い、やがて同棲を始める。 大学卒業後サチは就職するが、弁護士志望の保は司法試験浪人。 数年不合格が続く中、 独学を続ける保を支える目的で、サチは一緒に試験勉強することにする。ところが2年後にサチだけ合格してしまう。

そんなとき、サチが妊娠したことから二人は結婚し、サチは産後に弁護士として働き始める。一方のタモツはアルバイトと育児をしながら、試験勉強を続けるが不合格が続く。弁護士として忙しく働くサチと努力が結果に結び付かない保の気持ちはいつかすれ違い始める。

【感想】
自分の日常、いや俺の永遠のテーマでもある「どうやったら夫婦を上手く続けられるか」(笑)ということを色々考えさせられた。

俺も夫婦生活36年になるが、夫婦を続けること、一緒に暮らし続けることの難しさは新婚当初から今に至るまでずっと感じ、味わい続けている。DVとか浪費とか不倫の問題で別れる夫婦は分かり易いが、そんなこととは無縁でも「どうして?」という感情・疑問を互いに持ち続けている夫婦は多いのではないかと思う。

本作では軸のサチ・保夫婦に加えて、ザ・昭和!の夫婦、サチ達と同世代の離婚危機を迎えた夫婦も弁護士としてのサチに相談に来た者の話として描かれる。

‟昭和”のオヤジは奥さんに卒コンを突き付けられて慌てている。多分現代の若い世代から見れば「離婚されて当然」という夫だが、当のオヤジからすると「ずっと家族のために働いて来たのになんでだ?」であり、昭和では“普通”の夫像とも言えるので俺からするとちょっと気の毒だ。このオヤジでも昭和だったらこんなことにはならなかったはず。サチ・保のケースと比べると、昭和以降離婚率上昇の傾向に示されるように、現代の方が夫婦持続の難易度が高くなっていると思う。

現代の「あるべき夫婦像」とは夫と妻が対等にあることだと思われる。経済的にも、家事の負担も、決定権も。しかし、実は対等ってすごく難しいことだと思うのだ。要は微妙なバランスの上に成り立っているからだ。ある意味上下関係がはっきりしている方がやり易い面もあると思う。極端な例で言えば、武士の時代であれば、下級武士の家に生まれれば、主君である“殿”に尽くすことは必ずしも「生きるために仕方なく」ではなく、特に頼りがいのある主君であれば「殿のお役に立つ」ことが真の生き甲斐になっていた家来もたくさんいたのではないかと思う。「なぜ、俺が下なんだ?」と考える下級武士はあまりいなかったのではないかと想像する。

夫婦の関係は昭和までは主君と家来ではなくとも、役割がはっきりしていた。金を稼ぐのは夫、家事は妻。子供の頃からそう教わるからほとんどの人は疑問に思うことも無かったと思う。人間自由を望む一方で、「自由にやれ」と言われると戸惑い、役割を決められてしった方が楽という一面があると思う。夫婦の役割分担は決まっていない、いや一方的に決めてはいけなくて、「男女公平であるべし」とされたとき、もし能力が同じなら何事も半分ずつ分担すれば良いので簡単だが、実際のところ得手・不得手もあるし、能力も価値観も違うから公平な役割分担は極めて難しい。 頑張りが同じでも稼ぎには差が生まれ、家事の成果にも差が生まれる。

サチと保の場合、能力の違いが明瞭な形で出てしまった。二人は立場の違いを埋めようと努力するが、価値観・性格の違いも次第にストレスに転じて、次第に二人の関係が崩れ始めてしまう。バランスが崩れてしまったと言えると思う。

だから前時代的男尊女卑の世界の方が望ましいとは言わないが、対等というのは存外難しいというお話。

また、同世代の別夫婦の方は、いつの間にか離婚の危機から脱していた。詳細は描かれていないが、夫の不実を非難して離婚を相談に来た妻の方が有る時点で、諦めて家庭の持続を選んだのではないだろうか。何となくそんな気がする。夫婦は妥協して継続することも有りなんだと俺は思う。持続する中で新たに生まれるものもあると思うから。何が正解かなんて死ぬ間際に人生を思い返してみるまで分からない。

「ああ、二人はそういう選択をしたのか」という結末だったが、これも良い選択か否かは誰にも分からない。 感想も上手く纏めることが出来なかったが、こんな風にあれやこれや考えさせてくれる作品でした。

泣き虫オヤジ
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