映画「F1(R) エフワン」のレビュー・感想・評価
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ラッキー9‼
破天荒な走りで名を馳せた伝説的なレーサーが嘗ての仲間の誘いで現役復帰。新人ドライバーやチームメイトと衝突を繰り返しながらもF1優勝を目指す物語。
遅ればせながら鑑賞。ワタクシ個人がレースや車にあまり興味が無いのと、如何せん尺が長い映画が苦手なので尻込みしていたのだが…。
いやぁ実に面白い作品でした!
内容としては、レジェンドが復帰し過去のトラウマやチームと対立しながらも…といった、王道中の王道とも言えるが、レースシーンの迫力はあるし、本作でもオーラ抜群のブラピの姿はどこを切り取っても絵になりますね。
ソニーのグレーゾーンな戦法は逆にプロの姿だな~なんて思ったりもしたし、ピットインのタイミングやその僅かな時間で変わる命運等々…こりゃあ世の男、いや漢たちがレースに熱狂する気持ちもよくわかります♪
そして何より、走るドライバーは一人でも、それを支える面々…レースもチーム競技なんだなと改めて思わされる。
かと思えば、同じレースにソニーとJPの二人が出場することで、チームプレイを見せる…と思いきや…な場面もあり、チームよりも個人のエゴが優先されてしまう難しさなんかもガンガンに感じさせられた。
自分が止まっている時間にパートナー(ライバル)は先に進んで行く…その焦りはまさにレースと表裏一体ですね。この対比にも唸らされた。
そして空を飛ぶ感覚…。ここに至るまでの構成もこの上なく良くできていて、スリルと感動を兼ね備えたドラマ作品としてとても面白かった。
予想より良かった
ストーリーとしては、比較的ありがちな感じは否めませんが、全体に占めるレースシーンが多く、今回4DXでの鑑賞ということもあったが、非常に臨場感が高い状態で鑑賞できた。
一度は引退した男が、レースの世界に戻り、認められていくというストーリーはありがちといえばありがちですが。
個人的にレース映画の最高峰と思っていた「栄光のルマン」をある部分では超えたのではないかと感じています。
レース業界のレギュレーションやら、しがらみについて、比較的よく描かれているのではないかと思います。
これまで、レースを題材にした映画(ストリート/日本映画については除きます)をすべて網羅しているという自信がある私としては、これは久しぶりにお金を払っても見る価値のあるレース映画であるということです(この前に見ていたのが、グランツーリスモだったせいかもしれません)。
コアF1ファン層はエンタメ要素満載の娯楽映画だと割り切って楽むが吉
結論から言うと、コアなF1ファン層はエンタメ要素満載の娯楽映画だと割り切って楽しむのが吉です。この映画は架空のF1チームに加入する哀愁漂うシニアレーサーのファンタジックな復活劇であり、リアルなレースドキュメンタリーではありません。なまじ撮影が本物のF1世界で行われていたので、ストーリーや設定にも過度なリアルさを求めてしまいがちですが、そう思って見ると完全に裏切られモヤモヤしか残りません。ただ、ストーリーの中には史実をモデルとしたと思われる描写(クラッシュゲートや、過去のアロンソとハミルトンの確執、撮影時期からすると偶然かと思いますが今年のモナコのレース展開などなど)もあり、そういう意味ではレース映像と相まってコア層も飽きずに最後まで見ることができるかなと。
事実は小説より奇なりと言いますが、この映画をきっかけにリアルなF1を見てみようという人が増えてくれると嬉しいですね。レースはもちろん、選手それぞれの人間模様(イケメン多し)やチーム間のしのぎを削る争い、F1特有のセレブリティな世界観などは、実際この映画よりも数倍は面白いので。個人的にはマックスが初戴冠した21年シーズンの手に汗握る最終戦などドキュメンタルなF1映画も見てみたいなと思いました。
走った先で会おう
男の子はぜひ
控えめに言って最高でした!
実際に走っているかのような演出、映像、音、迫力に圧倒されました!ストーリーは他の方のレビューにもある通り、単純ではありますが、嫌いな人はいない、王道のストーリーでした!
レース関連、詳しく観ている方からすると
ご愛嬌部分も、総じて表現が絶妙で
良い意味での薄っぺらさの匙加減が良かったです!
モータースポーツ好きであれば、ぜひ足を運んで、映画館で観ることをオススメします!
マーティン・ドネリーの事故がベースの物語
実際にブラピがフォーミュラカーを練習したのは凄いと思う。が、ストーリーと見せ方がよくない。
F-1を詳しくない人(監督や脚本家)が作ってるからF-1の魅力やコースの特色や見せ場を上手く描けてないのは残念。
例えばコースで言えばオールージュ、駆け上がる感じを効果的に描けてないのは致命的でしょう。
オンボードのアップを多用し過ぎて引きの絵が少ないので映像として何をやってるのかよく分からないところがあるなど、本物の車(F-1ではない)を使用してるのである程度の迫力はあるが活かせていない。
世界最高峰のF-1なんだから事故とか汚い手を使って優位にたとうとうせず、純粋に早さやテクニックを駆使した物語を見たかった。
メカニックがミスするなど程度が低すぎる。
人間ドラマも薄く、作り込みが甘く取って付けた様なシーンが多く、積み重ねが上手くいっていない。
この監督、トップガン・マーヴェリックもそうでしたが、元祖トニー・スコットの足元にも及ばない。
1990年のマーティン・ドネリーの事故をベースにしているところは良かったが、復帰してもなおブラピがなぜ走るのかを効果的に描けていたら良かったのにと思う。
それに、やはり実際のレースで繰り広げられる人間ドラマに比べて創作の物語は敵わないんだよな。
ハリウッド・スターのブラピが帰ってきた
ブラピの映画で最高に良かった!
トム・クルーズ派ですが
ブラピに浮気して観に来ました。しかも2回も観に行ってしまった。トムには内緒ね。ブラピ良かったわ〜!!超カッコ良かった!!若かりし頃の映画セブンの演技が1番印象に残ってるけど今回の作品も間違いなく彼の代表作になるね。F1のルール全く知らないけど楽しめたし終わった後はF1のルール理解できた!面白いし鈴鹿サーキット行ってみたいって思った。チームで闘うのってやっぱり胸熱になる!車好きな男性は絶対好きな映画だと思う。映画館で大迫力感じて欲しい作品です。トップガン マーヴェリック作った監督だから音楽も良いし見せ方も上手くて好きだな〜♥プラピのタトゥーに自分の名前ないかな〜ってタトゥーがアップになった時に探した自分はこの暑さでアタオカなだけだと思う。
F1門外漢です ごめんなさい
ついにブラッド・ピットは 世界最高のスター俳優になったか
“スター俳優”とは?
いろんな意見があると思いますが、自分としてはこう答えます。
“出るだけで収入が絶対的に見込めるくらい銀幕に映える人”
どんな役でも「その人だ」とわかってしまうくらい存在感が大きく、その佇まいだけで映画が成り立ってしまうくらい美しい(銀幕に映える)人。ポール・ニューマンやウィル・スミス、日本においては役所広司や木村拓哉が当てはまると思う。
しかし、この映画を見て、現代における世界最高のスター俳優は彼であると感じてしまった。
ストーリーとしては、一匹狼のようにいろんなレースに出まくるベテランレーサーが、旧友の誘い(頼み)によってF1の最弱チームに参加、若き新人とともに年内にレースで勝てという無謀な挑戦に挑むというもの。
映画自体は面白かった。F1の面白さを最大限に魅せるシーンの数々。特に現役のF1ドライバー・F1マシンの中に紛れてのレースシーンは今までに見たことがない。本当にF1サーカスを観てるかのようで、またレースシーンも秀逸。
ストーリーがわかっててもドキドキを止めることができない。
すごい熱量を感じる映画なのは間違いがない。しかし、それ以上に言及したいのは、主役の存在感はとんでもないことだ。
その初老でダンディズムに磨きがかかった顔に、人に見せれるレベルで引き締まった身体。演技力は当然兼ね備えているが、一つ一つのシーンから発せられる圧を感じずにはいられない。見ているだけで“この映画のキング”と呼ばれても納得の男。
ブラッド・ピット
この映画は、確かに面白い。だがそれ以上に自分は違う視点を持ってしまった。現時点で世界最高の俳優は、自分の中では彼一択になってしまった。それくらい、圧倒されたんです。
ブラピに始まりブラピに終わる。これぞスターの風格! カッコイイとは、こういうことさ。
ブラピ、かっけ~~~~!!!!
基本的に感想はこれだけなので、
それ以上あまり書くことがない(笑)。
やっぱり、ハリウッド・スターってのは、
オーラが違うな。
しょうじき、このあいだTVでやってた『M:Iデッドレコニング』でトムクル先生見て、もうだいぶおじいちゃん入ってるなあ、枯れてきちゃったなあと思ったんだけど、ブラピはまだまだテラテラしてるわ。
一線級のモテオーラ。憎めない愛嬌。オスのフェロモン。
往年のスティーヴ・マックイーンに負けてない。
キアヌは暗いうえに薄いし、ジョニデは荒んでるうえに汚い。
デカプーはいまや、ただのそのへんのオッサンだ。
アル・パチーノやデ・ニーロはたしかに往年の大スターだけど、
性格俳優の要素が強くて、アクションヒーローのイメージがない。
逆にスタローンやシュワちゃんは知性派オーラに欠ける印象。
その点、ブラピはまだ現役感を体じゅうから発散させてて、本当に素晴らしい。
もうさ、座ってても立っててもかっこいいわけ。
胸元を開けてても締めてても、かっこいいわけ。
笑うとチャーミング。くぼんでるとキュート。
2時間半姿を追ってて、ぜんぜん飽きない。
これがスターの風格なんだなあ、と。
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あと、出だしでいきなり
ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」!
で、クイーンの「ウィー・ウィル・ロック・ユー」!
よくやるよ(笑) 臆面もなさすぎる。
ケツがむずがゆくなるような直球の選曲だが、
これがいい。たまらん。
自分も学生マジックの舞台に立っていたときは、
開演前に景気づけで『アキレス最後の戦い』を
ウォークマンで聴いていたのを思い出す。
鉄板だよね、鉄板。
ハンス・ジマーの楽曲も、
いつもどおり、終演すれば、
なんにも記憶に残らないような、
ひっかかりのないBGMではあるが、
映画の盛り上がりに合わせて、巧みに
客の心の動きをステルスで操作してくる。
こちらもプロフェッショナルの仕事ぶりだ。
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お話自体は、正直たいした話ではない。
恥ずかしいほどの「王道」プロットだ。
ちゃんとはしているけど、
別段深い内容があるような映画ではない。
型破りな風来坊のオールドルーキーが、弱小チームに乞われて30年ぶりに復帰して、しだいに実力を発揮してサーキットを席捲する。
同じチームの若手(黒人)とは反発しあいながらも、最後は信頼関係で結ばれ、若手はヴェテランの教えを吸収しながら成長を遂げる。
これ以上ないほどの「よくある」話だが、王道ゆえの「堅固さ」と「充足感」がある。
ストレスがない。展開がスムーズ。収まるところに収まっている。
娯楽映画ってのは、マジでこれでいいんですよ。
ああだこうだ、思想を入れたり、新機軸を入れなくても、面白けりゃそれでいい。
前作『トップガン マーヴェリック』(22)同様、ジョセフ・コシンスキーという監督は本当にそのへんがよくわかっている。過不足のない設定とスタイリッシュなアクションで、誰もが虚心に楽しめるエンタメに仕上げるのが本当にうまい。
別に「深い」映画を撮るわけじゃないけど、エンタメ職人としては超・超・優秀。
アカデミー賞かなにかのときに、トム・クルーズもコシンスキー監督も「過小評価されているが本物のプロフェッショナルだ」といった薦を多く耳にしたが、たしかにビッグ・バジェットの企画を成立させる「実務者」としてのバランス感覚は、ふたりとも図抜けているように思う。
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そもそも、『F1』は大成功を収めた『トップガン マーヴェリック』の方法論を再活用している部分が大きい。
①定型の物語の活用
型破りのヴェテランと、伸びしろのある若手のマッチング。
反発のなかで生まれる友情と、知識と技術の継承。
弱小チームの再建。ミッション達成の高揚感。
『F1』には、『トップガン マーヴェリック』で成功を収めた物語の組み立てが、ほぼそのまま導入されている。これはおそらくコシンスキー監督にとっての、相撲や柔道でいうところの「必勝」の型というやつだ。
ただし、監督本人は『トップガン マーヴェリック』は「父子」の物語(いかにもアメリカですね)、『F1』は「ライヴァル」の物語だから別ものだと言っていて、まあそう言うだろうなと(笑)。あと、監督の中では『ハスラー2』(86、マーティン・スコセッシ監督、ポール・ニューマン×トム・クルーズ)を意識した部分が大きいということで、ああなるほど、と。たしかに、よく似た構造の映画だよね、あれは。
あと、Wikiにシルベスター・スタローンの『ドリヴン』(01)と似ていると書いてあって、そういやあれもヴェテランと若手の映画だった。
②スター・ムーヴィーとしての大前提
大スターを起用して、“コックピットに乗せる”。
これが『トップガン マーヴェリック』の第一成功法則だ。
マシンバトルには肉弾戦より、初老の男が勝ってもおかしくないリアリティがあるからだ。
インタビューでコシンスキー監督は「この規模とスケールで映画を作る場合、主役候補のリストには3、4人しかいません」と述べている。要するにこの監督は、筋やアイディアからではなく、バジェットから映画のスキームを考えているのだ。
失敗できない巨大プロジェクトを任された
→スターが主役じゃないとダメ
→トムとはもうやったから次はブラピ
→ブラピはレース愛好家だからF1
→ブラピを車に乗せるためには理由が必要
→セカンドチャンスの老雄としてのキャラ付け
→ライヴァルには若者が必要
こうして、①で提示した王道プロットが必然的に導かれてくる、というわけだ。
③全面協力の取り付けとリアリティの追求
『トップガン マーヴェリック』で、コシンスキーは海軍の全面協力を取り付けることに成功した。今回、『F1』ではF1自体をスポンサードにつけることに成功しており、F1サイドは、ロゴの使用から本戦を用いた撮影、実際のレーサーやエンジニアの出演に至るまで、すべてのことに全面的な協力を惜しみなく行っている。
ビッグ・バジェット映画の強みを最大限に発揮して、最も主要な相手先を巻き込んで「オフィシャル」な作品に仕立て上げるというのは、きわめて重要な戦略だ。
その結果として、『F1』は、実際に客の入ったサーキットで、練習と本番のグリットのあいだで撮影するという、とてつもない偉業を成し遂げた。
リアリティがあるどころではない。
映っているのは、本物のF1であり、本物の観客なのだから。
コシンスキー監督は、題材(海軍、F1)からしても、どちらもマニアが鵜の目鷹の目で細部に目を光らせてくることはわかっていたから、とにかく「リアリティ」の確保が重要だったと述べている。
そのリアリティの部分を、本体を巻き込むことで達成した調整能力の高さは、やはり有能だとしかいいようがない。
④シンプルさを恐れない
同じインタビューで、コシンスキー監督は、タイトルが『F1』に決まってほっとしたと述べている。「『グランプリ』があり、『栄光のル・マン』(原題『Le Mans』)があったんだから、この映画のタイトルは『F1』にしたかったんです」とのこと。
彼のいうところの「ジェネリックなタイトル」よりも、芯を食ったタイトルを付けたいという指向性は、トップ・オブ・トップにオファーする姿勢や、関係団体の親玉と真正面から契約して協力を乞うやり方とも通底する。
要するに、彼は「まっとうなエンタメ」を目指す際に、常に「最短距離」を模索するタイプなのだ。くだらないことを考えない。要らないことを付与しない。
そうやって作られた「エンタメ」は、骨太で、無駄がない。そして強度がある。
これほどにビッグ・マネーが動く仕事に適した監督もいないのではないか。
ただ最初に言ったとおり『F1』が「たいした話ではない」のも確かだ。
観ている2時間半のあいだは、息つく間もなく猛烈に「上がる」体験を約束できる。
その一方で、おそらく2週間も経ったら内容すら忘れてしまうような、人生にほとんど爪痕を残さないまま忘却されるだろう映画でもある。
でも、僕は娯楽映画はそれでいいとマジで思っている。
そして、その方向性において、
『F1』が最高品質のエンタメ映画であることに相違はない。
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僕はここで何度か書いているとおり、免許をもたない究極の車音痴である。
30代までセダンを車種名と思いこみ、月極駐車場を「げっきょく」という社名(月星シューズみたいな)の会社だと思っていたくらいのぼんくらだ。実家にも車はなく、バスと電車だけを乗り継いで、この齢まで生きてきた(笑)。
ただ20代のころ、よくF1のTV放送は観ていた。
アイルトン・セナ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、ミハエル・シューマッハ。
彼らの激走は、THE SQUAREのフュージョン・サウンドと、古舘伊知郎の名調子の記憶と相俟って、いまも脳裏に焼き付いている。
車載カメラ(レーサーとフロント)とフィールドカメラの切り替えによって演出される映画『F1』のカーレースシーンは、まさに自分がF1視聴に熱中していた頃の興奮を呼び起こすものであり、とても懐かしい想いに駆られた。
また、ちょうど90年代くらいに僕が夢中で観ていたころの、やけに荒っぽい小競り合いや果敢なアタック、かなりずる賢い戦略などを思い出させる臨場感があり、車体の性能だけでなくレーサーの技量や度胸が問われた頃のF1を彷彿とさせるものがあった。あるいは、90年代に一度ルーキーとしてサーキットを走ったブラピ演じる主人公が、2020年代のF1にあの頃の古いやり口を「持ち込んでいる」という言い方もできるかもしれない。
プロレスにおける予期せぬ事故やセメントマッチが何十年経っても忘れられないのと同様、クラッシュや炎上事故もまた、F1を彩る関心事でもあった。起こってほしくはないといっても、起こってしまうといつも大興奮していたものだった。
その意味で、本作において2度の大クラッシュがドラマの分岐点になっているのは、F1を題材にする以上は致し方ない構成だといえる。
とはいえ、あれだけ車体が大破してもレーサーが生還できるくらいは生命保全が成されているわけで、去年観たマイケル・マン監督の『フェラーリ』(23)の時代と比べれば、隔世の感がある。
なにせ、『フェラーリ』に登場した実在のレーサーたちは、その大半が自動車事故で若いうちに命を落としているわけで、当時、レース前に遺書をしたためるのは縁起担ぎでもなんでもなくて、「ガチで必要な事務的作業」だった。
あの映画が描いていたのは50年代。まだ第二次世界大戦が終わったばかりで、人の命は今よりも格段に軽く、カーレースは半分「国Vs.国」の文字通りの「代理戦争」だった。
その点、『F1』で描かれるレースはまだ、ある程度は「安心」してみていられる作りだったし、結果的に作中で死亡事故が起こらなくて本当によかったと思う。
でも改めて考えてみて今更気づいたのだが、F1の運営がスポンサーに付いている映画で、死亡事故とか最初から起きるわけないんだよね(笑)。
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●ハビエル・バルデムがくっそ楽しそうで良かった。
なんか辛気臭い役でしか観たことがなかったので、こういうはっちゃけた役も出来る人なんだな、と。ハビエルとケリー・コンドンが出ていることで、映画としての画格というか文芸味が増している印象。
●弱小チームの再建や新型マシンの開発という意味では、ちょっと『プロジェクト✕』みたいなところもあって、わくわくした。低迷していたチームに一人、空気を変えてくれる存在が入って一気にいろんなことが動き出すってのは、『王様のレストラン』にせよ『下町ロケット』にせよ、日本人大好きだからね。
●カードやボール、靴下といった小道具の使い方も秀逸。オールドルーキーとバリバリの若手のトレーニング方法や直前の精神集中に対照的な差を設けてあって、わかりやすい。
●ピットイン時の激烈に細かいカット割りに痺れました。
「トップガン マーヴェリック」と比べるべきではない
「トップガン マーヴェリック」の製作陣が手掛けた作品ということで、期待満々で劇場へ。
オープニングのデイトナ24時間レースのド派手な花火連射で一気にテンションマックスへ。その後もレースの臨場感にハラハラドキドキのあっという間の155分。これは確かに面白い。
ただし、「トップガン マーヴェリック」と比べてしまうとどうだろう。サーキット内と果てしない大空、ブラピとトム・クルーズ、ケリー・コンドンとジェニファー・コネリー、個人的には迷わずマーヴェリックに軍配。
ラストの勝利の行方もどうだろう。個人的には「逆」の方が感動もひとしおだったのではないかと思う。ブラピのプロモーションビデオ的に映る部分もあり、どうしてもどこか薄く感じる。
「トップガン マーヴェリック」と比べるのが決して正しい観方だとは思わないのだが、やっぱりどこかで甲乙つけてしまう。全く切り離して観ればスカッと爽快、誰もが絶対楽しめる作品ではあるのだろう。
正統なるジェリーブラッカイマー映画だった
なんか鉄壁の企画だよな、ブラッド・ピットにジョセフ・コシンスキー&J.ブラッカイマープロデュースって、と思って逆に見るのが後ろ倒しになっていたけどIMAXかなり前列に座ってみて爆音と振動を浴びて、コシンスキーのロートル&爆音マシンという組み合わせがいつまで続くのか楽しみになってきた。
そして意外にF1レースのことなどそんなに知らないので、なるほどそういう駆け引きの勝負なのね、ということを楽しめた。自転車競技とかと基本は変わらないのね。そして基本パターンはトップガンと同じで、もはやコーチとか教官側だろうという年齢の男がどういうわけかマシンに乗る側で現場に戻ってきて恋愛もあるし、当然若者との軋轢はあるが、お互いいい感じで終わる。夢の、理想の、おっさん道であるが全体的にトム・クルーズとブラッド・ピットとかでないと許されない設定。もう野球で言ったら監督やってる野村克也が代打野村克也と言ってバッターボックスに立ってしまった珍事くらいのものである。それでも映画の醍醐味はこのモーターマシンを映すことではあった。変なドラマより爆音で走ってるマシンを映して音楽が流れる由緒正しきジェリーブラッカイマー印の映画。正直映画としては『フォードVSフェラーリ』のほうがあらゆるパートで圧倒的に面白いのだけど、めっちゃみんながブラッカイマー映画の職人芸としての仕事はしている。チームの各キャラクターもみんないい味を残している。それ以上は良くも悪くもあんま言うことがない
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