ミミノ

1977年製作/92分/ソ連
原題または英題:Mimino

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  • バフタング・キカビゼ

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映画レビュー

4.5「私は飛び降りたい」

2025年3月29日
iPhoneアプリから投稿

ゲオルギー・ダネリアらしい荒唐無稽な、それでいて小市民的なコメディ映画。代表作『私はモスクワを歩く』同様にワンシークエンス(ワンショットではない)を作り込む氏の技術力が遺憾なく発揮された一作だった。

たとえば主人公のミザンダリがジョージアの山村をヘリコプターで離陸するシークエンス。彼は中小企業で荷物運搬パイロットに従事することに飽き飽きし、世界を股にかけるジェット機パイロットへの転身を夢見ていた。そのとき、ミザンダリのヘリコプターの離陸は、彼が村を永久に去ることを意味していた。

ミザンダリに憧れる村の少年は彼の旅立ちを阻止すべくヘリコプターに鎖を巻き付けるが、ヘリコプターの膂力はそれを紐か何かのようにあっさりと振り切ってしまう。

あるいは終盤、ミザンダリがモスクワで別れた親友・ハチキャンに国際電話をかけるシークエンス。電話は彼に繋がらず、なぜか見知らぬイスラエル人に繋がってしまう。ミザンダリはすぐさま電話を切ろうとするが、イスラエル人はミザンダリとの思わぬ邂逅に喜び、泣き出してしまう。遂には「一緒に歌を歌おう」と持ちかけられ、ミザンダリは多少覚束なげにそれに応じる。

あるいはラスト、ひょんなことからジェット機のパイロットになる夢が叶ったミザンダリが客室乗務員を不意に怒鳴りつけるシークエンス。それまでコメディタッチだった空気が唐突に強張り、それを察してかミザンダリが彼女に謝る。「どうしたら許してくれる?ここから飛び降りればいいか?」彼女は「いえ、全然」と笑って彼を許す。しかしミザンダリは最後にボソリと呟く。「私は飛び降りたい」。瞬時にカットが切り替わり、彼の故郷・ジョージアの雄大な自然が映し出される。彼の中での夢と故郷の位相は今や完全に逆転していたというわけだ。

ダネリアの映画について語ろうとすると必ず個々のシークエンスについて書き出してしまいたくなるのは、やはり彼が映画を「ショットの連続体」でも「首尾一貫した物語」でもなく「些細なシークエンスの蓄積」として捉えているからに思える。

ロシアにはエイゼンシュタインに端を発する偉大なる「ロシア映画史」なるものが厳然と存在するわけだが、ダネリアはいまいちその文脈を外れているように感じられる。映像技術論的な見方で臨んでしまうと、少々「甘い」ショットや編集が散見される。

一方でいわゆる「大衆映画」のようにアトラクション性の高い物語によって受け手をインスタントに楽しませようという感じもない。そもそも本作について端的なあらすじを述べることが難しい。あらゆる系列がゴチャゴチャに混じり合い、それらが解決したりしなかったりする。

しかしやはり個々のシークエンスだけは心に強く刻まれる。そしてそれらの蓄積として成立するダネリア作品は、映像技術にも物語にも還元されない、そこに住まう人々の素朴なスケッチとして我々の前に立ち現れる。

こうしたローカリティの非常に強い作品が全き異国である本邦において公開され、それを観に行くことができたという僥倖にひたすら深謝するほかない。

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