愛されなくても別に

劇場公開日:2025年7月4日

解説・あらすじ

「響け!ユーフォニアム」で知られる小説家・武田綾乃の同名小説を、「この子は邪悪」の南沙良主演で映画化したドラマ。

大学生の宮田陽彩は浪費家の母親に代わって学費と家計を稼ぐため、学校以外のほとんどの時間をコンビニでのアルバイトに費やしている。母親からは暴力も暴言もないが「愛している」という言葉で縛られ、緩やかな絶望のなかで人生に期待することなく生きてきた。そんなある日、同じコンビニで働く派手な見た目の同級生・江永雅の父親が殺人犯だという噂を耳にする。他の誰かと普通の関係を築けないと思っていた陽彩と雅の出会いは、それぞれの人生を大きく変えていく。

母親から経済的虐待を受けている主人公・陽彩を南、母親に売春を強要された過去を持つ同級生・雅を「恋は光」の馬場ふみか、過干渉な親のもとで精神的虐待を受ける木村水宝石を「きさらぎ駅」の本田望結、陽彩と雅が働くコンビニの同僚・堀口順平をアイドルグループ「IMP.」の基俊介が演じる。「真っ赤な星」「あの娘は知らない」などで注目を集める若手監督・井樫彩が監督・脚本を手がけた。

2025年製作/109分/日本
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
劇場公開日:2025年7月4日

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(C)武田綾乃/講談社 (C)2025 映画「愛されなくても別に」製作委員会

映画レビュー

4.5 大人になるということ

2025年12月8日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

愛されなくても別に ― 毒親と水の儀式

2025年の作品。
同名小説の映画化というだけあって、その内容は心の真実に迫っていた。
三人の女子が主体となるが、焦点は宮田と江永へと絞られていく。
映像で見える宮田の人生と、語ることで示される江永の人生。
そして、何不自由のないわがまま女に見える木村。

宮田は「陽彩」という特別な名前を父に付けられ、江永は「雅」、木村には「アクア」
この名前たちは、親の愛とエゴの両面を象徴している。
そしてこの三人の親は、いわゆる毒親。
娘を家族という枠に縛り付けながら、何かを搾取する。

親と子は、愛という言葉で一見同じに見えるが、子どもにとってその愛は諸刃の刃だ。
個人的にも、長い間「長男」という呪いをかけられ、やりたくもない仕事をしてきた経験がある。
正しいという概念は常に変化する。
かつて「長男は家を継ぐ」という絶対があったが、それも今は昔。
この物語は、未だに「それ」が実在していることを我々に伝えている。
そして、自殺するか親を殺すかというまでに追い詰められた心の真実と、そこから抜け出すまでを描いている。

木村が大学で出会った「宗教」へ走ったのは、よくある話だ。
宗教、つまりカルトは必ずしも教祖様の形態を持たない。
「実践○○」とか、そういう類のものを知らない人は知らないだけで、日本には約17万8,000の宗教法人があり、諸教(新宗教など)は約700万人、社会教育関係団体には400万人超の会員がいる。
人は、心の拠り所を求める。
それはごく自然なことだ。

大学は、親から離れる一歩でもある。
宮田の場合、大学へ行く条件を母が提示した。
条件をつけるという行為は、どこにでもある。
「言うことを聞かせる」――その真意はどこから来るのか。
これこそ親のエゴだろう。

宮田は、積み立てられていると思っていたお金を母が食いつぶしていたことを知る。
父の養育費のことさえ知らなかった。
その父からのメール「誕生日おめでとう」は、宮田にとって赤の他人の言葉だった。
江永と二人で乾杯し、そのメールを見て「殺しに行く」と言ったのは、親からの決別だった。
それを「大人になった抱負」と言ったのも、大人としての踏ん切りだった。

宮田の母がコンビニで宮田と再会したシーン。
母の手にはGoogleプリペイドカードとタバコ。
その買い物は、彼女の日常を露呈していた。
もし宮田を探しに来たなら、そんなものは買わないだろう。
母の哀願には「お金がないから帰ってこい」というニュアンスがあった。
宮田は瞬時に察したのだろう。

そして、水。
滝つぼに身を沈める宮田。
あのシーンは、ただの逃避ではない。
俯瞰しようとしていたのかもしれない。
しかし、実際は「清め」だったのだろう。
母との決別を言葉にする前に、彼女は水の中で静かに儀式を終えていた。
やがて彼女は20歳を迎える。
そのための通過儀礼が、滝つぼで行われていたのだ。

「私は、他人から愛されなくても別に、幸せに生きたい」
江永が宗教団体で放ったこの言葉は、現代の若者の核心だ。
愛と幸せは別。
人間関係はいらない。
ただ、普通で、自由でいたい。
それでも、似たような苦悩を抱えた仲間と関わることは、拒否しない。
そこに愛などという大げさなものはいらない。

大人になるとは、ライオン狩りをすることではない。
自分の問題に対して、道を選ぶことだ。
宮田は選んだ。
「愛されなくても別に」
その言葉を胸に、彼女は大人への階段を上り始めた。

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R41

4.0 親であれ、兄弟姉妹であれ、 言ってしまえば他人である。 親と、親子...

2025年12月7日
PCから投稿

親であれ、兄弟姉妹であれ、
言ってしまえば他人である。
親と、親子としての人間関係が破綻してしまうと、
どうやって愛すればいいのだろう。
愛することも努力がいると思うが、
努力にも限界がある。
二人の少女の、不平等な世の中に対する絶望と、それでも世の中と闘っている姿、
友情に心うたれる。

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あとぅーし

3.5 「不幸のマウント取り」では無くて、前向きに活きる2人の若き女性の物...

2025年11月5日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

「不幸のマウント取り」では無くて、前向きに活きる2人の若き女性の物語。
宮田陽彩(みやた ひいろ)にとっては踏み出す一歩を描き、江永雅(えなが みやび)にとっては代え難い出会いを描く。

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ナイン・わんわん

3.0 【ドツボの時に拾う神がいてくれること】

2025年11月4日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD


毒親、最低、ドツボ、不運……。
最悪を測ったらキリがないのかもしれない。

「それぐらいの不幸なんて大したことない」
――そう言う人は多い。

けれど、その人にとっての痛みはいつだって100%で、他人には計れない。

不幸を競うことにも、理解してもらうことにも意味はない。

この映画は、その一点を丁寧に描いている。

信仰でも、親でも救えない痛みがある。
逃げ出した先で、ほんの少しでも“助け合える誰か”に出会えること。

それがどれほど人生において大切なことかを、静かに教えてくれる。

毒親を断罪するでもなく、カタルシスで終わるわけでもない。

登場人物たちが、ただそれぞれの人生を歩き出す――


その一瞬を切り取ったような、切なくて儚く、美しい物語だった。

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abu