ミステリアス・スキンのレビュー・感想・評価
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魂の殺人
性暴力はその被害者を生涯苦しめる魂の殺人。
本作では同じ性被害にあった二人の少年の物語を別々に描き、やがて二人の物語が交錯してゆくミステリータッチの作品。
前半はそれこそ自分の身に何が起きたのかわからないブライアンが被害にあった時のことが記憶から抜け落ちていて、その謎を探る物語は当時のUFOブームに絡めたものでありファンタジー色の色合いが強い。しかしそれは彼の現実逃避によるもの。当然同じ被害にあったニールのことから彼にも同様の悲劇が起きていたことを予感させる。
幼い自分に起きた恐ろしい出来事、その事実を受け止めることが出来ずブライアンは自己防衛から記憶を失ったのだろう。それを受け止めるにはあまりにも幼すぎた。
ニールには男性に魅力を感じる性的指向はたしかにあった。だがそれが性暴力を肯定できる理由にはならない。好意を抱いてる人間からの性被害は当然成り立つ。
ニールは自分に起きた出来事を彼もまた自己防衛のためにすり替えた。これは愛による行為であると。事実はただ性のはけ口として弄ばれただけだったがそれを受け止めるにはやはり彼も幼すぎた。
彼は自分にされたことが酷いことであると自覚はしていた。その証拠に相手にいじめたことを告げ口しないよう自分がされたことと同じことをして相手の口をふさいだ。こんなことをされたら自分の親にも話すことはできないとよくわかっていたからだ。被害者が加害者になるという性暴力の負の連鎖をここでは描いている。思えばあのコーチも幼いころ性被害を受けたのかもしれない。性被害の連鎖を断ち切る必要性をまざまざと見せつけられる。
その後のニールは男娼になり体を売り続けた。それはまるで自分に起きた出来事を打ち消すためのように思えた。自分は汚れてなどいない、あの行為は愛による行為。自分に起きた出来事を彼なりに受け入れるには、自分を肯定するためにはこのような行いがけして汚れた行為でないと思い込む必要があった。
しかし彼も内心では自分を消し去りたいほど苦しんでいた。自分たちの身に起きたことをブライアンに伝えることはそれは自分も同じ被害にあったことを認めることだった。二人はただお互いを慰め合うしかなかった。同じ被害に遭い傷ついたもの同士。
本作で唯一の救いは彼らが共にお互いの傷ついた心を理解し合える同士であり、彼らが支え合うことで今後いつか救われる日が来るのではという望みを抱けるようなラストであったこと。
やはり性暴力は罪深い。
タイトルなし(ネタバレ)
米国の地方都市で暮らすふたりのハイティーンの少年。
ニール(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は、男娼として、刹那的ともいえる生き方をしている。
ブライアン(ブラディ・コーベット)は、幼い頃にUFOに連れ去られたとして、その時の記憶がすっぽり抜け落ちている。
ブライアンはその時の記憶、UFOに拉致されたことが正しいかどうか確かめるために、同じ経験をしたと告白する年上女性のもとを訪れる・・・
といったところからはじまる物語。
ふたりの現在が幼少時に受けた性的虐待による影響で、現在の青春時代が陰鬱極まりないものとして描かれていきます。
過去の虐待をある種の特権的経験として受け止めているニールの生き方も悲惨なのだけれども、記憶が抜け落ちるほどの衝撃・トラウマを受けたブライアンの生き方はさらに悲惨。
ふたりのトラウマの一部は、過去の虐待を思い出し、認識することで少しばかり浄化されるが、残された傷跡は深い。
明かされる性的虐待の描写は生々しくおぞましい。
ブライアンが訪ねるUFOに拉致されたと告白する年上女性の過去も、もしや・・・と思わせる。
思い出したのは『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』『ダウト あるカトリック学校で』などだが、やはり併せて観るなら『マイ・プライベート・アイダホ』かしらん。
すごく意味のある映画だが、ひどくつらい映画でもある
幼いころにわけもわからず損なわれてしまった尊厳を、暴力的につけられてしまった大きな傷跡を、なかったことにしようともがく姿があまりにもつらい。
最初から最後までつらくてつらくて、これ以上つらいめにあってほしくなくて、ずっと緊張しながらみた。
こういう、おとなにひどく傷つけられた子どもがでてくる映画をみていると、いつもおとなとして申し訳ない気持ちでいっぱいになるし、すべての子どもがただただ無邪気におとなになるまでの時間を子どもらしく過ごしてほしいとおもう。
これ以上自分自身を傷つけることなく、やわらかに救われてほしい。
みてよかったと思うけど、もう一度みるにはそれなりの覚悟がいる。
ウェンディ役のミシェル・トラクテンバーグさんが楠本まきの漫画みたいなゴシックパンクガールですごくいいな!と思ってちょっと調べたら、今年夭逝されていて驚いた。ご冥福をお祈りします。
なんで子どもをいたぶるのか⁉️
ブライアンとニールがまだ10代のうちに再会できてよかった。ブライアンがニールから最後まで話を聞く勇気をもててよかった。ニールがもっと話して大丈夫?とその都度ブライアンに確かめるのがよかった。
どれだけ二人は驚き恐怖を覚え未知の気持ち悪い不気味な思いをしたか。記憶の仕方は異なっても共通の経験をしてしまった二人だから、耳を傾けてもらい自分に起こったことを話してもらえて8才の時からの日々を少しでも解放できたと思いたい。
ニールの親友エリックが二人の架け橋になった。ニールにはソウルメイトのウェンディも居る。じっと耳を傾けてハグしてわかってくれる相手、仲間がいてくれるから、ブライアンとニールは優しさと信頼の関係を築いてゆっくりと忘れられる、と思える時が来るかもしれない、難しいと思うけれど。でも寄り添ってくれる友だちがいる。
体が大きく力があり権威・権力を持っている(と思っている)男による犯罪は、体力的にも身体の大きさの点でも立場の点でも、自分より弱い者(男女に関わらず、大人・子どもに関わらず)をターゲットにする。その犯罪者は弱くて小心者で自信がないのに。暴力と性犯罪は連鎖する。家庭における父親の不在、または父親から暴力を受けた、或いは母親が父親から暴力を受けているのを聞いて見た子どもに大きな影響を与える。
ジョセフ・ゴードン=レヴィットとブラディ・コーベット、共に素晴らしかった。
性加害を受け容れ、愛だと思える者
グレッグ・アラキ監督。
なぜか過去の作品がこの頃注目をされているようで、
「ミステリアス・スキン」はブラディ・コーベット
(『ブルータリスト』監督)が俳優として主演していて、
ジョセフ・ゴードン=レヴィットもダブル主演のように堂々としている予告編を観て、俄然興味をもち映画館へ。
グレッグ・アラキ監督の(マスコミ・映画関係者・ゲイの界隈で盛り上げ作り上げた?)ブームは過去にも数回あったと記憶しているが、
絶賛されていた『途方に暮れる三人の夜』が僕には全く引っかからなかったので、
監督(演出・脚本)として興味をもってはいなかった。
「ミステリアス・スキン」だが、原作は他者だがグレッグ・アラキ監督・脚本の特徴に合っていた内容に思えた。
同性児童への性加害を(まるで天性のように)受け入れる者と、
記憶がなく思い出すとエイリアンとの遭遇と像が浮かぶ者。
きっと理解し合えることもない、永遠にすれ違う共感と誤解。
同じ性被害体験でも、被害ではなく楽しむ者も居れば、
エイリアンとのやりとりだと転嫁する者の、
その奇妙さを最後まで案内されて、僕は独り暗闇の中に取り残されたような感覚で映画館の席を立つ。
日本では有名な性加害報道にジャニー喜多川さんのスキャンダルがある。
そんなの大昔から、郷ひろみさんやフォーリーブスの時代から続いている性加害(枕営業)だから芸能界の習わしなのだと受けとめていたが、
被害を受けたと訴える者と、被害は受けていないという者と、ジャニーズ問題も分かれるが、
ジャニー喜多川からされること皆んな同じ事(性加害)である。
デビューして売れれば被害ではなく、干されれば被害を受けたと傷になる。
本作にも通ずる部分が、ずっと僕の心にモヤモヤし続け
る。
性被害者サバイバーは観ないでください
出口のない痛みと哀しみ
心に重くのしかかる傑作
小児性愛者によって性的虐待を受けた2人の少年のその後を描く作品。主演を務めるのはその後インセプションや500日のサマーなど数々の名作に出演することになるジョセフ・ゴードン・レヴィットと、第97回アカデミー賞(2025年)で作品賞を含む10部門にノミネートされたブルータリストの監督として知られるブラディ・コーベット。
2人の少年ブライアンとニールはかつて同じ少年野球チームに所属しており、チームのコーチを務めていた男に性的な行為を強要された過去を持つ。ニールはそれをキッカケに自分が同性愛者であることに気づき、街の男たちを相手に売春行為をして金を稼ぐようになる。一方ブライアンは、ショックのあまりエイリアンに拉致されたと記憶を改ざんし、真相の追究に没頭し始める。記憶の断片からニールが当時自身と一緒にその場にいたことを思い出したブライアンは、10年越しに彼と再会し、真相を一部始終聞かされるところで映画は幕を閉じる。
ブライアン・ニール両者にとってその後の人生に大きく影響する出来事であることは間違いないが、それぞれの出来事に対する解釈がまるで違うのが興味深い。ブライアンはラストのリアクションでもわかる通りレイプであったと認識しているのに対し、ニールはあそこに真の愛があったと語る。ニールがその後繰り返し売春行為に及んだのは、金を稼ぐことが目的ではなくもう一度愛されているという感覚を味わいたかったからだと思う。
映画館は満席でした
辛いですが、見る意義のある映画です。
性虐待のおぞましさがしっかりと伝わる一方で、子役の撮影には配慮が行き届いているであろうことが見て取れ安心しました。
一方、成長したニールの売春の表現は少し踏み込んでいます。それでも、モザイクが必要なほどの場面はなく、嫌悪感は多少和らぎました。
映画館は久しぶりの満席でした。30〜50代くらいの女性が多く、皆さんほとんど動かず映画に集中できました。
帰宅後気になって調べましたが、英語版ウィキペディアによると、加害者(コーチ)役の俳優も子供の頃に性被害の経験があるとのこと。この経験から、普通の虐待者が実際にはどのようなものなのかを考えながら演じたようです。確かに、ステレオタイプな表現ではなかったと感じました。
制作から20年経過している事実が、映画が描き出す問題の複雑さを物語っている
2025.5.1 字幕 アップリンク京都
2005年オランダ公開、2025年アメリカ公開の映画(99分、R15+)
原作はスコット・ヘイムの小説『Mysterious Skin(邦題:謎めいた肌)』
8歳の頃に起きた事件によって強烈なトラウマを抱えた二人の青年を描いた青春映画
監督&脚本はグレッグ・アラキ
物語の舞台は、アメリカ・カンザス州にある田舎町
8歳の少年ブライアン(George Webster)はある雨の日の5時間の記憶がすっぽり抜け落ちていた
気がつくと姉のデボラ(Eacheal Nastassija Kraft) から「鼻血が出ている」と言われ、母(Lisa Long)から過剰に心配されてしまう
父(Chris Mulkey)は無関心なようで、その態度に母親は怒っていた
一方その頃、ブライアンと同じリトルリーグに所属していたニール(Chase Ellison)は、コーチ(ビル・セイジ)とよからぬ関係を深めていた
以降、ニールは強迫観念に囚われるようになっていて、仲良くなった少女ウェンディ(Riley McGuire)は彼の狂気じみた行動を心配するようになっていった
それから10年後の1991年、ニール(ジョセフ・ゴードン=レビット)は男娼として生計を立てるようになり、町では「ある場所」がキーワードになっていて、そこにニールを買いたい客が訪れるようになっていた
ウェンディ(ミシェル・トラクテンバーグ)は「いつかヤバい奴に酷いことをされる」と感じていたが、ニールは聞く耳を持たなかった
一方のブライアン(ブラディ・コーベット)は、「空白の5時間」に固執するようになり、悪夢に苛まれていく
彼は地球外生命体のテレビ番組に傾倒し、自分は子どもの頃にUFOに拐われたのではないかと思い始める
そして、TV番組に出演していたアヴァリン(メアリー・リン・ランスカブ)に手紙を出すようになっていた
映画は、ブライアンが空白の5時間を探すのと並行し、ニールが後戻りのできない生活へと入っていく様子が描かれていく
ニールはコーチに特別扱いされたことに固執していて、同じような愛を探しているがどこにもなかった
ブライアンは空白を埋める何かを探しているうちに、あの時に一緒にいた少年が何かを知っていることに辿り着く
そして、古い写真からニールという少年が同じリトルリーグに所属していることがわかった
だが、家を見つけた時には、ニールはすでにニューヨークに行っており、そこに居合わせたニールの友人エリック(ジェフリー・リコン)と親密になって、彼が帰省する日を待つことになった
ニールはニューヨークでウェンディを頼って生きてきた
サンドイッチ店で働く傍で売春行為を繰り返していて、ようやくクリスマスイブに実家に戻るチケットが手配される運びとなったのである
映画は、8歳の時の出来事が二人を変えたのだが、その行為によって本質が芽生えた者と、行為自体に対するトラウマが生まれてしまった者が生まれたことを描いていく
ニールにとってはコーチは絶対の存在であり、彼自身も行為自体を拒絶はしていない
だが、彼の意思でそれを行ったのかは曖昧な部分があり、立場を利用した虐待以下には思えない
彼自身は本当にゲイだったのかもわからず、コーチによって無理やりこじ開けられたもののようにも思えた
また、ブライアン自身は10年以上も空白に囚われていて、その多くの人生を無駄にしてきたことがわかる
コーチの不在は二人にとって影を落とすことになるのだが、彼らの両親がそのことに気づいていない、というところが残酷であるようにも思えた
いずれにせよ、かなりショッキングな内容で、直接描写はないものの直視に耐えないシーンは多かった
演じた子役のその後も心配で、意味もわからず演技していたのかなと思った
制作されたのは2005年だが、アメリカと日本では2025年まで劇場公開がなされていない
その年月が意味するものはたくさんあると思うが、まずは演じた二人の子役のケアが必要だったのかな、と感じた
性暴力の傷痕
幼い頃に成人男性に性的搾取された少年2人、ブライアンは記憶を自ら改ざんして宇宙人に誘拐されたと思い込み、ニールは年長者の男性に愛を求めて男娼として生きている。
少年たちが人生を狂わされていく様子がつぶさに描かれており、どちらもトラウマへの防御反応かと思うと辛い。
スクリーンから目を逸らしたくなるような具体的な描写もありましたが、巧みに映像化されていて、彼らの受けたショックがそのまま胸にグサグサ突き刺さりました。
(スコット・ハイム原作の小説は作者の実体験を元に書かれたそう)
少年野球チームの監督が少年たちを毒牙に、というと嫌でも思い出してしまうのが、某男性アイドル事務所元社長のJ氏(故人)。
あの件がまず欧米諸国で糾弾されたのは、ペドフィリアに容赦ないお国柄だからなのか。
いや、それだけ隠れ愛好者が沢山いて、社会的に看過できないということなんでしょう。
この映画を観て、やはり氏の蛮行は何があろうと許されることではない、との思いを強くしました。
…とはいえ、2人の少年の可愛らしさと、ニールを演じたJ.G.レヴィットの色気…に全く邪な気分にならなかったか?と聞かれたら、否定できず…
(レヴィットはインセプション以降しか知らなかったので、体当たりでこんな役をやっていたとは知らず。潔く脱いでてびっくりした!のと、この頃から目の演技が秀逸ですね)
そのたびに、これはそういう映画じゃないし、これじゃああのオッサンたちと同じだよ?と、自分を諫めること度々。
性暴力のトラウマ、って、ドラマや漫画等でスパイス的に気軽に持ち込まれがちなネタだったりするのですが、そこに真正面から切り込んだこの作品を見ると、そんなに甘いものじゃないよなーと思わせてくれます。
演技も演出も素晴らしく、20年の時を経て映画館で観れたことに感謝です。
(上映館が少なすぎるのが残念です)
癒えることのない傷
20年前観たかった
カタルシスでは無い癒しを。
ずっと宇宙人の仕業だと信じたり、
自分に何か力が与えられた気になってしまったり、
他者を同じ方法で支配したり。されたり。
すべてが過去の被害に結びついて
人生にまとわりつく感じがして、
サバイバーとしての人生を想った。
それとクィアにおける父親像、母親像
あの描き方も興味深かった。
父に対抗し、ママを求める
ラストシーン、
「魔法のように2人で天使になり、消えるんだ」
この台詞の物悲しさ。
魔法は無いし、天使にもなれない。
消えることすら出来ない。
でも2人で居たあの時間だけは誰にも奪えない。
傷が少しでも癒えていると信じたい。
追記
観終わってから30分ほど経つが、全く余韻がさめない。
どこか空洞に落ちてしまって、一歩も前に進めなくなってしまった感覚。
ウェンディを演じてた
ミシェル・トラクテンバーグにあいたい、てことで行ってきました。
けっこう前の作品なので当たり前ですけど、元気なお姿をスクリーンから
目に焼き付けておこうと。
ジョセフ・ゴードン=レビットとエリザベスシューも大好きです。
あとブルータリストの監督さん、ナイーブな役どころでそれも観たかった。
ビリー・ドラゴもHIV発症しつつ、他人に触ってほしい人役で出てましたね〜
いい役者さんが名演技めじろ押し、でした。
なんでこんなに長く公開しなかったかは、内容が理由なんでしょうね。
ストーリー、子供がとくにブライアンの方ですが、歪むのがちょっと許せなかったです。
身勝手な欲望が原因だと到底、納得できません。
ニールは資質があったのかもしれませんが、まだ時期が早い。
いろんな人と、世界と巡り合ってからでいいと思うし、それには時間も必要なので。
そう感じます。
普段考えもしない、想像もしない、他人と意見交換もすることがない事柄について
自分の価値観と向き合う機会になりました。
映画館にいた人はマナーがいい人ばかりだったのか、全員が集中してご覧になってる
感じがしました。
映画館で観てよかったです♪
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