劇場公開日 2025年7月4日

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「期待値の高さに応えられなかった、空洞の映画化」夏の砂の上 シモーニャさんの映画レビュー(感想・評価)

0.5 期待値の高さに応えられなかった、空洞の映画化

2025年12月28日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

単純

難しい

松田正隆の傑作戯曲を原作に、気鋭の演出家・玉田真也が映画化した『夏の砂の上』は、事前の触れ込みからすれば“筋金入りの本格派作品”として大きな期待を抱かせる企画だった。
さらに、オダギリジョーと近年存在感を増す髙石あかりの共演というキャスティングも、作品への期待値を自然と押し上げていた。
しかし、実際の映画は、その期待に応えるどころか、作品の核となるテーマがまったく立ち上がってこないという致命的な問題を抱えている。

玉田監督は、自身の劇団で上演した思い入れの深い戯曲を映画化したはずだが、その“思い入れ”が映画表現に昇華されていない。
物語はただただ進行するだけで、登場人物の関係性や裏切り、内面の揺れといったドラマの核心部分が、雰囲気だけで語られ、セリフや表情から読み取れるものが極端に少ない。
主人公・小浦治の孤独や喪失感も浅く、役作りは単調。
オダギリジョーは、監督の意図が見えない中で“これまでの自分のキャラクター”に寄せて無難に演じるしかなかったように見える。

松たか子の淡々とした演技も、複雑な関係性を浮かび上がらせるには至らず、物語の深度を支えるには弱い。
さらに問題なのは、髙石あかりのキャスティングだ。
特にバケツを持ってオダギリと盛り上がるシーンは、キャラクターの必然性も感情の流れも見えず、観ていて理解に苦しむほどだった。

演出と役者の身体性が噛み合っておらず、映画としての説得力が著しく欠けている。
そして、作品のテーマがブレた背景として見逃せないのが、オダギリジョーが共同プロデューサーを務めている点である。
監督が何か譲歩せざるを得ない状況が生まれたのか、あるいは互いを尊重し合うあまり、作品の方向性が曖昧になってしまったのか──
いずれにせよ、“誰の映画なのか”が不明瞭なまま制作が進んだ印象が残る。
その結果、映画全体が焦点を欠き、登場人物の感情も物語の主題もぼやけてしまったのだろう。

最終的に、この映画が何を描きたかったのか──
孤独なのか、複雑な人間関係なのか、社会から逸脱した人々への賛歌なのか──
テーマが曖昧なまま観客に丸投げされており、作品としての責任を放棄した印象すら残る。
期待して観たにもかかわらず、心の琴線に触れる瞬間は一度も訪れなかった。

シモーニャ
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