「長崎は今日も晴だった。」夏の砂の上 ちゆうさんの映画レビュー(感想・評価)
長崎は今日も晴だった。
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うだるような暑さ、とても雨が降りそうもない。
地面はどんどん干からびてゆく。潤いのない土地長崎。
それを象徴するが如く、主人公小浦治の身も心も潤いがなく、人として干からびている。
彼の持つ喪失感はなかなか癒えることがなく……
周りの人間はどんどん彼から離れていく。彼もただ、それを呆然と見守ることしかできず、忸怩たる日々を重ねていく。
そして、ひとりぼっちになったとき、彼は不思議にもある達観した気持ちに落ち着く。それが「全部なくなったわけじゃない、親指と小指がある。なんとかなるでしょ」という、妹との会話の台詞に集約される。
人は持っているもの(者)を全部失うと持っていた煩悩もなくなる、それは観ているこちらとしても非常に共感できるのである。
そんなとき、長崎は今日も晴れている。
ジリジリとした暑さは変わらない、けど少し前の干からびた自分とは一線を画す自分がそこに存在する。底値からの上を見上げる彼が長崎を見下ろすカットで終えるこの映画。
苦しかった彼の再生日記といえる。
ちなみに、優子さん、彼女は神様が連れてきた、今はなき息子の仮の姿で、もういい加減、自由になりなよと彼に語り掛けているような気がした。
最後にあとひとつだけ、気になったことがある。
陣野さんの半狂乱になった奥さんはどうなったのだろうか?
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