夏の砂の上のレビュー・感想・評価
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事実を知ると、見方が変わる
なんの前知識もなく、タイトルと出演者が気になって鑑賞。
観終わって最初に思ったのは、
「これ、雰囲気映画なの? 結局何が言いたいん…🤫」
満島ひかりさん、松たか子さんという、主役を張れる実力派のお二人を脇に配し、主演は雰囲気俳優の代表格・オダギリジョーさん。
年齢を感じさせない若々しさと整ったお顔立ちは、無精髭や不造作なロングヘアで隠しても、まったく隠しきれない。
オダギリジョーさん扮する主人公・小浦治には
・子どもを不慮の事故で亡くす
・誇りを持っていた仕事を失う
・妻に不倫される
・大切な仲間の死
・そして、自らの指を3本失う事故…
という、人生の5連不幸パンチが容赦なく襲いかかる。
──なのに、舞台となる長崎の映像は、どこまでも静かで美しい。
そして私の中に生まれた違和感。
「こんな不幸が一度に襲ってきた人が、あんなにも静かで美しい“佇まい”でいられるのか?」
どうしてもリアリティに欠けて感じた。
そう思った時点では、正直これは“雰囲気映画”だと思ったのです。
しかし家に帰ってから、映画について調べてみて、オダギリジョーさんが、かつてご自身のお子さんを亡くされたことを知り、思わず言葉を失いました。
「この役に、彼がどんな思いで向き合ったのか──」
それを知ったとき、私の中でこの映画の意味が静かに反転しました。
これはきっと、映画というより“祈り”だったのだと。
愛する人を失っても、生き続けるということ。
再び、誰かと向き合おうとすること。
そしてその姿を、スクリーン越しに見せてくれたオダギリさんの覚悟。
その存在こそが、
この映画の答えだったのだと思います。
坂の街、長崎の日常に人生の縮図が見える
夏の長崎にある坂道を、買い物袋を持った男がゆるゆると家路を急いでいる。その男、治は長く務めていた造船所が倒産後も、定職のないまま日々、そんな風にゆるゆると過ごしている。しかし、彼の周辺は慌ただしい。突然訪ねてきた妹の佐和子は17歳の娘、優子を治に預けたまま、男が待つ博多に行ってしまうし、優子はなかなか扱い辛い娘だし、別れた元妻、恵子の事情もなかなか複雑だし。。。
以上、大まかな物語の間には、日本の造船事業の行き詰まりや、目的をなくした老後の殺伐や、そして、原爆の記憶が垣間見えてくる。閉塞的な日常を描いているようでいて、実は構造はけっこう複雑で、じっくりと向き合う価値がある味わい深い作品なのである。
そこから、坂の多い長崎を人生に例えて考えるというアイディアが湧いてくる人もいるだろう。筆者は、留まる者(治)と出ていく者(その他)の対比から、人生という旅の縮図を見た気がした。恐らくこの日本にも多数いるはずの出ていく者たちに届けたい、留まる者の声にならない叫びが聞こえてきそうだ。
一見の価値ある、是枝裕和作品かと思わせる完成度。才能を感じる「演出 × 脚本 × 役者」により誕生した長崎が舞台の名作!
本作は、タイトルだけを見ると正直パッとしない印象を受け、内容も分かりにくそうに感じるかもしれません。
しかし、予備知識が一切なくても問題なく楽しめるほど、非常にクオリティーの高い作品に仕上がっています。
物語が進むにつれて人間関係や登場人物の背景などが自然と浮かび上がってくるような、巧みな脚本と演出。そして、きめ細かい描写の数々は、まさに「映画ならでは」と言えるものです。
一言で表せば、「是枝裕和監督の作品を彷彿とさせる才能が詰まった一本」と言えるでしょう。
強いて気になる点を挙げるなら、音楽の使い方にはやや途上な印象がありました。
作品全体として音楽の使用は控えめですが、冒頭のシーンは印象的だった一方で、中盤のデートシーンでは若干の違和感が残りました。
とはいえ、それもほんのわずかな懸念に過ぎません。全体を通して、本作は間違いなく「名作」と呼べる作品です!
個人的には、台風のようにやってきて台風のように去っていく満島ひかりの存在が興味深かったです。
映画好きなら一度は観ておきたい、そんな一本です。
良い意味で観客に考えさせる作品かと。
「夏の砂の上」←このタイトル天才すぎる
雨の降らない夏の砂のように乾いた人間模様が描かれる本作。
雨で我が子を亡くした主人公が、姪と雨の喜びを分かち合うことで希望が生まれる。
たった一滴でいいんですよ。心にたった一滴したたるだけでこんなにも潤う。
すべてが満たされるわけではないけれど、何かが劇的に変わるわけではないけれど、たった一滴でこんなにもマシになる。
冒頭とラストはほぼ同じシーンが繰り返されるが、印象は全く違う。すごい表現力。
序盤から、雨が降らないことによるのどの渇きや水のない生活への焦燥感と乾ききった人間模様を重ね、そして終盤にやっと雨が降る。
主人公にとって雨は小さい息子を亡くした後悔の象徴だが、その雨に喜びを感じることでカタルシスに繋がる。
重要なのは、どうやってカタルシスに繋がるかをぼかして観客にゆだねている点だ。雨の喜びを大げさに演出し、なぜこんなにも喜んでいるのかということをあえて言及していない。
息子の死を乗り越えたととらえる人もいれば、雨の喜びを分かち合い心を通じさせた友人(姪)ができたととらえる人もいるだろう。
それはどうとらえても観客にとって正解となり、観客が自分で気づくことが観客にとって最も説得力のある答えなのだ。
そして、きっとそれは”なんでもいい”のだと思う。なんでもいいから乾いた心に一滴でもしみこませることが重要だと説うている作品だと思う。
そこをぼかすのは「分かりにくい」と感じさせることもあるのですごく勇気のいることだと思うし、ぼかし方も素晴らしく絶妙だ。
邦画らしく、劇的でなくじんわりときいてくる作品だった。
個人的には静かで、かなり好みな作品だったけど、退屈だという人もいるだろう。
最後、指を切るシーンは必要だったのかね。あれいらなかったんじゃないの。
余談ですが、これを見に行ったとき、ちょうど劇場の空調が故障により機能が低下していて、少し汗ばみながらの観賞となった。作品の内容とマッチした環境で逆に良かった。
ぼやーっと
「もうよかよ」オダギリジョーが言うとセクシー
全ては失われる、だから美しいーー駆け込みで観れた傑作!
ずっと気になっていたのだけれど、映画.comでの評価があまり高くなく、どんな映画か調べることもせず、他の映画を観ているうちに今日になってしまった。日比谷での上映は、朝一番の今回が最後らしい。
結果、駆け込みで大スクリーンで観られて本当に良かった。2025年の夏は、この映画を観た夏として記憶に残りそうだ。大傑作だと思う。
非常に余白の多い映画なので、人によって感じ方は大きく違うだろう。「だから何を言いたいの?」「どこで感動すればいいの?」と戸惑う人もいるかもしれない。
それ故の“そこそこの評価”なのかもしれないが、僕のようにそれで見逃しかけるのなら、映画.comも罪深いと思ってしまう。
こういう作品がもっと制作されてほしいし、今作の監督にも、もっと自由に映画作りをしてもらいたい。もっと高い評価がついていい作品だ。
まず観はじめて、映像美に目を見張った。1ショット1ショットが完璧に決まっている。
アメリカでカラーフィルムの登場とともに、何気ない街の片隅や人々を切り取った「アメリカンニューカラー」という写真運動があったが、それを思い出した。
何気ない日常を観ること、それを美しいと感じる撮影者の喜びが伝わってくる映像美。静止画としても美しく、おそらく計算し尽くされたカメラワークに合わせて、今をときめく名優たちが非常に抑制された演技を見せる。
感情を強く表現する日本映画は予告編で敬遠してしまう僕にとって、この控えめさは心地よく映画の世界に浸らせてくれた。制作陣も役者たちも本物のプロたちの仕事だと感じた。
舞台はおそらく80年代の長崎。地元の大産業であった造船所が閉鎖された後の、渇水の夏の出来事を淡々と描く。
主人公も同級生の多くも、学校を卒業したらそこに勤めるのが当たり前の人生を歩んでいた。ところが時代が変わり、造船所の閉鎖で、当たり前のように生まれ育った地元で生きていく人々の、人生の歯車が狂ってしまう。主人公もその一人だ。
クロエ・ジャオ監督の「ノマドランド」と同じ世界を描いているとも言えそうだ。そう考えると、これは極めて現代的な物語かもしれない。アメリカのラストベルトで起きている現象や、そこから派生する政治的動き──「忘れられた人々」の物語でもある。
本作は「失うこと」「人生の有限性」が骨格になっている。長崎の夏の物語と聞いただけで、私たちは生まれる前の、終戦の夏を思い出す。高石あかり演じる主人公の名のセリフ「一瞬で消えちゃったんでしょ」も、それを明示している。
何度も映し出される長崎の街並みは、原爆で全てが失われた上に再興されたものだ。
この素晴らしい街も生活も人間関係も、いつ突然終わるかわからない。その危うさが映画全体の通奏低音であり、主人公の人生そのものとして表現される。
彼は子供を失い、職を失い、妻を失い、友を失い、体の一部すら失う。それらは淡々と描かれ、痛みは日常の隙間から漏れ出してくる。
だが、この「いつ全てが終わるかわからない」というメメントモリ感覚こそが、日々や空間を美しく輝かせるのだ。この映画の圧倒的な映像美はその感覚を強く支えている。
やがて、一夏を一緒に過ごし、主人公の面倒を一生見るとまで言ってくれた姪も去っていく。
オダギリジョー演じる主人公は全てを失ったとも言えるが、そこに悲惨さはない。体の一部まで失った彼には、遅かれ早かれ全ては失われる──それが早いか遅いかの違いだけだという諦観、あるいは悟りのようなものが生まれたように見える。
「全ては失われるもの」という前提に立てば、この世界の片隅での一夏の出来事、そこで起きる数々の喪失体験も、一回限りだからこそなんとも尊く、美しいものとなる。
限りある人生をどう観るのか、それによって見える景色も変わり、人生が意味あるものと感じられるかどうかも決まる。そんなことを感じさせてくれる映画だった。
夏っていいなと思った
夏のいいところがたくさん登場した気がする
その中で髙石あかりさんが弾けていて
みていて心地よかった。
のびのびいきいきしている心地の良い女優さんを久しぶりに見た気がする
オダギリジョーさんは安定に良い
お互いに信頼しているようで
そこも良い。
満島ひかりさんと髙石あかりさん親子は抜群に粋な組み合わせだなと
高橋文哉さんも絶妙
恋愛はどうなるか分からないものだ
それが人間の気持ち、だ。
途中からあれ、この作品
坂元裕二さんが書いてるっけとか
監督オダギリジョーさんだっけとかよぎたりしながら。
いやいや玉田真也さんだわ、といろんな考えが巡っていた。カメラワークにも動きがあったように思うし
最近のいきなりドアップだとか定点が多かったりとかがなくて
それも観心地良かった。
良きーーーー
市井の人々のありのままを描いた、といえば聞こえが良いか。 淡々とよ...
市井の人々のありのままを描いた、といえば聞こえが良いか。
淡々とよくいる人々の生活と心の在りどころを描き、変な感動ものに走っていないところは良いと思うが、
それにしても後味が悪すぎる。誰にも感情移入できないし、結局誰も救われていなくて、辛い。
それからこれは苦言だが、
あの店で働き始めたところから嫌な予感がし、案の定自分が一番苦手とするシーンが。
こういうシーンがあるなら、せめてPG12にして、その理由を公表しておいてほしい。
オダギリジョーさんと髙石あかりさん
夏の長崎。
どん底の男・小浦治(オダギリジョーさん)。幼い子供を事故で亡くし、妻・恵子(松たか子さん)は家を出た。働いていた造船所は倒産し職を失った。
職も探さずふらふらする治。
ダメダメな治を自分と重ねた。
男に走るシングルマザーの妹・阿佐子(満島ひかりさん)が預けた娘・優子(高石あかりさん)との突然の同居生活。
治と優子のふれあいに救われた。「二人の再生の兆し」に救われた。甘すぎるかも知れんけど、こんな優しさがありがたい。
オダギリジョーさんと髙石あかりさんが圧倒的だった。心を持っていかれた。とんでもない俳優さんたちだ。
波長が合わない
❶相性:中
★波長が合わない。フィーリングで観る映画は相性が悪い。
❷時代:スマホが普及している現代。
❸舞台:夏の長崎。
❹主な登場人物
①小浦 治(オダギリ ジョー):愛を失った男。主人公。坂の途中にある一軒家に暮らしている。働いていた造船所が潰れても新しい職を探さずふらふらしている。一粒種の息子が豪雨で死亡した喪失感から抜け出せない。
②小浦 恵子(松 たか子):愛を見限った女。治の妻。息子を亡くしてから、治との生活にやりきれない思いを抱き別居している。
③川上 優子(髙石 あかり):愛を知らない少女。17歳。治の姪。阿佐子の娘。阿佐子の都合で、治の家に一方的に預けられる。学校へ行かず、スーパーでアルバイトをはじめる。
④川上 阿佐子(満島 ひかり):治の妹。優子の母。おいしい儲け話にのせられ、兄の治へ娘の優子を預け、単身で博多へ向かう。
⑤陣野 航平(森山 直太朗):治の職場の元同僚。治と同じ造船所で働いていた。治の不甲斐なさから、治の妻・恵子に寄り添っていたが不倫関係になる。
⑥立山 孝太郎 (高橋 文哉):優子のアルバイト先の先輩。長崎の大学に通い、東京からきた優子を何かと気にかける。
⑦陣野 茂子(篠原 ゆき子):陣野の妻。治の妻である恵子と夫の関係を疑っている。
⑧持田 隆信(光石 研):治の職場の元同僚。治と同じ造船所で働いていた。現在はタクシーの運転手をしているが、事故で死亡する。
❺考察
①冒頭は大雨のシーン。見る見るうちに道路が川になっていく。やがて雨があがり、青空に変わり、溝の水が消えていく。
②主人公の治(オダギリジョー)が、溝を眺め、煙草を吸い、吸い殻を捨てる。そこには吸い殻が溜まっている。
治は、ビニール袋を下げて坂を上り、途中のタバコ屋で挨拶をして煙草を買って、家に帰る。
★ここまでは文句なし。
③家には妻の恵子(松たか子)がいる。2人の少ない会話を、耳をさらにして聞いていると、次のようなことが分かってくる。
ⓐ2人は別居している。
ⓑ2人には小学生の息子がいたが、集中豪雨で流されて亡くなってしまった。
ⓒ治は責任を感じて息子の死を受け入れられない。
ⓓ位牌は恵子が引き取ることになった。
ⓔ治の仕事の同僚の航平(森山直太朗)は2人を慰めてくれるが、その内恵子と不倫関係となる。
ⓕ治の勤めていた造船所が倒産して、大勢が失業するが、治は求職の意欲がわかない。
④そんな時、治の妹の阿佐子(満島ひかり)が17歳の娘・優子(髙石あかり)を預かってほしいとやってきて、自分だけ博多の男のもとに行ってしう。
⑤こうして、治と優子の同居生活が始まる。
⑥そこは、雨が一滴も降らない、からからに乾いた夏の長崎。
★えっ??雨が一滴も降らない? じゃあ、冒頭の豪雨はなんだったの?
⑦ここまで来て、冒頭の豪雨は、治の息子が亡くなった豪雨だったことが分かる。
★しかし、冒頭の豪雨が過去のシーンであるようには見えない。上記①と②は連続しているように見える。これは、編集がまずいように思える。このような描き方には賛成出来ない。
⑧この後、治と優子を軸に物語が進むが、何が言いたいのか分からない。
⑨終盤には久しぶりに雨が降って、治と優子がはしゃぐ展開となる。
⑩そして、ラストは、阿佐子がやってきて、新しい男がバンクーバに日本料理屋を開くので優子を一緒に連れていくという。後には、恵子と離婚した治が一人残される。お終い。
❼まとめ
何が言いたいのか分からない。
私にとっては無色透明無味無臭。
観終わって印象に残ったのは、急な坂と俯瞰で捉えた長崎港の風景のみだった。
あぁ〜長崎はぁ今日も…
日本映画て感じ?
ただただ日常を描いてるようだがそこまでの人居てるのかと思ったり、
人生投げやりな治の元に姉の娘が居候する事になって少し生きる事に前向きになってきた途端又前よりも杜撰な事になる
姪の優子の彼氏が高橋文哉だけど、バイト先の先輩を演じてるのだがわざとなのか下手すぎるセックスシーンを映画で見るの初めてだ
これは役として誰にでも好意を持ってしまう大学生だけど、本当は初めてで優子から見たらお家もいい環境で素敵な家族だったのだろうか
雨の降らない坂の上の家に雨が降りタライを持って雨水をゴクゴク飲むシーン印象的だった
中華屋で働くようになったが指を切ってしまい仕事も又無くし、妻とも離婚して不倫相手と遠くにいかれ、妹の阿佐子もアメリカに行くといい優子を迎えに来た
又1人になった治
それでも生活していかなければいけない
生きていかなければいけない治
中々難しい話で、感想書くのも難しい
考えさせられる
なんと良き人選よ。 面白いし分かるのは、このマトモの周りのラインに...
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