夏の砂の上のレビュー・感想・評価
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事実を知ると、見方が変わる
なんの前知識もなく、タイトルと出演者が気になって鑑賞。
観終わって最初に思ったのは、
「これ、雰囲気映画なの? 結局何が言いたいん…🤫」
満島ひかりさん、松たか子さんという、主役を張れる実力派のお二人を脇に配し、主演は雰囲気俳優の代表格・オダギリジョーさん。
年齢を感じさせない若々しさと整ったお顔立ちは、無精髭や不造作なロングヘアで隠しても、まったく隠しきれない。
オダギリジョーさん扮する主人公・小浦治には
・子どもを不慮の事故で亡くす
・誇りを持っていた仕事を失う
・妻に不倫される
・大切な仲間の死
・そして、自らの指を3本失う事故…
という、人生の5連不幸パンチが容赦なく襲いかかる。
──なのに、舞台となる長崎の映像は、どこまでも静かで美しい。
そして私の中に生まれた違和感。
「こんな不幸が一度に襲ってきた人が、あんなにも静かで美しい“佇まい”でいられるのか?」
どうしてもリアリティに欠けて感じた。
そう思った時点では、正直これは“雰囲気映画”だと思ったのです。
しかし家に帰ってから、映画について調べてみて、オダギリジョーさんが、かつてご自身のお子さんを亡くされたことを知り、思わず言葉を失いました。
「この役に、彼がどんな思いで向き合ったのか──」
それを知ったとき、私の中でこの映画の意味が静かに反転しました。
これはきっと、映画というより“祈り”だったのだと。
愛する人を失っても、生き続けるということ。
再び、誰かと向き合おうとすること。
そしてその姿を、スクリーン越しに見せてくれたオダギリさんの覚悟。
その存在こそが、
この映画の答えだったのだと思います。
一見の価値ある、是枝裕和作品かと思わせる完成度。才能を感じる「演出 × 脚本 × 役者」により誕生した長崎が舞台の名作!
本作は、タイトルだけを見ると正直パッとしない印象を受け、内容も分かりにくそうに感じるかもしれません。
しかし、予備知識が一切なくても問題なく楽しめるほど、非常にクオリティーの高い作品に仕上がっています。
物語が進むにつれて人間関係や登場人物の背景などが自然と浮かび上がってくるような、巧みな脚本と演出。そして、きめ細かい描写の数々は、まさに「映画ならでは」と言えるものです。
一言で表せば、「是枝裕和監督の作品を彷彿とさせる才能が詰まった一本」と言えるでしょう。
強いて気になる点を挙げるなら、音楽の使い方にはやや途上な印象がありました。
作品全体として音楽の使用は控えめですが、冒頭のシーンは印象的だった一方で、中盤のデートシーンでは若干の違和感が残りました。
とはいえ、それもほんのわずかな懸念に過ぎません。全体を通して、本作は間違いなく「名作」と呼べる作品です!
個人的には、台風のようにやってきて台風のように去っていく満島ひかりの存在が興味深かったです。
映画好きなら一度は観ておきたい、そんな一本です。
自分の居場所を見失った人々を描いた映画です。
傷だらけの男
綺麗な映像と撮り方が上手な監督さん
だなぁと思った。
雨で終わり雨で終わる演出も。
暑い夏で断水もあるが雨も降る。
傷だらけで渇ききった男の精神も
肉体もさらっ~と現れた姪っ子に
よって潤っていく。
息子の死は雨が原因なのに
あの雨の日、優子とたっぷり飲んだ
雨と何気無いじゃれあいにより
何かが吹っ切れたのでは。
しかし小浦役、オダギリジョーは
無職も似合うなぁ。
日本家屋の間取り、夏の日照りの階段や
坂道、遠くに見える造船所等々
素敵な場所を選ぶセンス。
内に秘めた傷が恵みの雨によって
流されて。またふさがった二人。
光石研さんの『すべてがかわって行く』が
物語を象徴していた。
情緒溢れる映画でした。
波乱を淡々と描いた映画
あれやこれや降りかかる不穏な現実を
のらりくらりと気怠さで乗り切ってる男の
日常の1ページ。
決して死を選ばないある意味力強い男。
あの気怠い男はオダギリジョーにはピッタリ。
落ちても落ちてもどん底感なし。
全体的に昭和感が漂ってた。
松たか子の髪型か?
田舎の夏ってこんな感じだけどね。
波乱に満ちた日常な割には、サクッと解決!
みたいな潔いスッキリ感は一切なく、
映画終わった後もまだ彼らの日常はこんな感じで
続いていくのであろうと思わせる余韻。
妻(松たか子)が子供の位牌を置いて次のステージへ
旅立って行くのはリアル。
妹(満島ひかり)は多分また「最低」とか言いながら
帰ってきて同じような男に引っかかるに違いない。
女は強い。
不倫男後輩(森山直太朗)は土下座しても、
しっかり妻を連れて遠路へ旅立って行く強者。
男も強い。
オマケ
高橋文哉がまた九州弁で現れた。
カレーパンマンは九州弁がお好き。
長崎は今日も晴だった。
うだるような暑さ、とても雨が降りそうもない。
地面はどんどん干からびてゆく。潤いのない土地長崎。
それを象徴するが如く、主人公小浦治の身も心も潤いがなく、人として干からびている。
彼の持つ喪失感はなかなか癒えることがなく……
周りの人間はどんどん彼から離れていく。彼もただ、それを呆然と見守ることしかできず、忸怩たる日々を重ねていく。
そして、ひとりぼっちになったとき、彼は不思議にもある達観した気持ちに落ち着く。それが「全部なくなったわけじゃない、親指と小指がある。なんとかなるでしょ」という、妹との会話の台詞に集約される。
人は持っているもの(者)を全部失うと持っていた煩悩もなくなる、それは観ているこちらとしても非常に共感できるのである。
そんなとき、長崎は今日も晴れている。
ジリジリとした暑さは変わらない、けど少し前の干からびた自分とは一線を画す自分がそこに存在する。底値からの上を見上げる彼が長崎を見下ろすカットで終えるこの映画。
苦しかった彼の再生日記といえる。
ちなみに、優子さん、彼女は神様が連れてきた、今はなき息子の仮の姿で、もういい加減、自由になりなよと彼に語り掛けているような気がした。
最後にあとひとつだけ、気になったことがある。
陣野さんの半狂乱になった奥さんはどうなったのだろうか?
夏の砂の上の 何か、、、が、ずっと残ってる
最近洋邦韓と新作も昔の作品もよくみてきたなかで、鑑賞後1番余韻が強く残った映画 鑑賞してから何日も経過しているのですが 風景やそこに自分がいるかのような臨場感のせいなのか、乾ききった登場人物達の心理に共鳴したからなのか、実際に経験したかのような感覚が複雑な感情と共に時々蘇る 最後に感じた悲しみのなかのわずかな希望のようなもののせいかもしれない、、。けど、観て本当によかった。
佳作 好みが分かれそう
良い。
この雰囲気は好き嫌いあるだろうけど、自分は好き。
オダギリジョーはオダギリジョーだった。
方言を話すだけで特に力みもなく、淡々としていた。悪くないね。
髙石あかりさんは注目されすぎている。
それだけ目立つので、グイグイ話を引っ張り男を引っ張り大活躍。彼女がいなけりゃだいぶ退屈したと思う。
いくつか美しいシーンがあった。
雨のシーンは大好きだし
麦わら帽子を渡すところはグッと来た。
髙石さんの表情、ここが最高だった。
ただ良くも悪くも長崎に縛られ過ぎた作品。
撮るならちゃんと人や街を撮って欲しかった。
死んだ街のようにしたかったのかも知れないが
、主張しようとしたりしたかと思えばぼやかしたり、そこは話の邪魔でした。
何があっても
夏の長崎の空気の中で切なく心に沁みるも、もう一歩
幼い我が子を失い、勤めていた造船所が倒産、仕事に就かず、妻とは別居という喪失感の中で彷徨っている主人公の治。
突然、身勝手な妹が連れてきた17歳の姪優子を預かることになり、治の姪っ子との同居生活が始まる。
それぞれが自身の痛みと向き合いながら、僅かな希望を見出していく姿を描いていく。切なさだけでなく愛おしさを感じさせる造りの脚本で、演じる役者たちもそれをうまく伝えてくれる。
キャスティングよくそれぞれの役者の演技は見応え十分。特にオダギリジョーは心の機微が伝わる演技、優子を演じた髙石あかりも不思議な少女をうまく演じていた。
その他、時折物を取りにやって来る別居中の妻恵子を演じた松たか子も好演。かつて働いた造船所の同僚を演じる光石研、森山直太朗らもしっかり脇を固めていた。
原作は戯曲のため、舞台ではおそらく室内中心にドラマが展開したと思われるが、この映画はオール長崎ロケ。それを生かして当地ならではの石段が続く道を歩くシーンが幾度となく出て来て、夏の暑い日に登るしんどさが伝わってくる。
高台から海を望む景色などからも、長崎の空気をとことん感じさせてくれる映像。そして雨が降らず断水になったり、うだるような暑さの中、水を飲むシーンや扇風機を回すシーンが何度か出てきて、更に観るものにその暑さを感じさせる上手い演出。
それぞれが話す長崎弁の台詞が心地よく響き、室内の雑然とした雰囲気やカメラワークも手伝って、地味ながらも心に染み込む味わいのある映画となっている。
一方で、もやもやが残る要素も幾つかあり、もう一歩掘り下げて深く心に迫るもの、深い余韻に繋がる何かを描けていれば更によかったという気はする。
すこぶる評価の高い「国宝」と比べると、二桁違う低予算の作品。インディペンデント映画ゆえ上映館も限られ、広く観られる映画ではないが、これはこれで映画を観る楽しみでもある。
似たもの同士
それでも生きて行くって事かぁ、。
オダギリ・ジョーのやさぐれ感たっぷりの佇まいはいつものことだが、今回彼にのしかかった不幸はちと多すぎ。息子を水の事故で亡くし、妻の松たか子は不倫をして別居となり、造船所が閉鎖され失業、。そんなところに自分勝手な妹の満島ひかりが登場し17歳の娘を押し付けて(絶対に失敗するだろうと思う)胡散臭い話にのせられ博多へ行ってしまう。その17歳の娘の高石あかりは何考えてんだかわかんない感じで、。その後も同僚だった光石研がタクシー運転手に転職するも事故で急死し、その葬儀で妻を寝取った森山直太朗の妻の篠原ゆき子に激しく詰られる。やっと就職したちゃんぽん屋では慣れない厨房作業で大怪我(絶対に指が危ないなぁと思ってたら、。)をしてしまう。そして妻とは離婚。高石あかりは満島ひかりとカナダへ(絶対に今度も失敗するだろう)。断水が続く暑い夏の長崎に突然降ってきた大雨にオダギリ・ジョーと高石あかりが歓喜するシーンに少しホッとしたが、。
いつものようにだらだら続く坂を登り、たばこ屋へ寄ってから誰も居ない家に帰る。希望があるようには見えない。それでも生きていくって事は分かるが、。出ている俳優は大好きな人ばかりだし皆、持ち味を出していたが、。映画自体は好きにはなれないかなぁ、。ちょっと残念。
奇跡の共演による画力は、尊かった。
オダギリジョー、松たか子、満島ひかり。
この3人が同じ画面に映ってる場面だけで、
ご飯3杯は行けるくらいの画力に震えました。
他の方も仰るように、
たしかにこの映画は他の俳優では成り立たないような、微かな感情の起伏を、まさに砂の上に僅かに表現して行くような映画だったかも知れません。
しかしそれは、この俳優陣が積み上げて来た経験でしか成し得ない、途方も無い高度な技術があってこそなんだろうな、と思いました。
高井あかり、光石研、森山直太朗etc.の存在感も素晴らしく、なんだかずっと観ていられる映画でした。
そしてもはやオダギリジョーのオハコとも言える、
少しダラシなくどこか頼りない父親像も、
目を細めてタバコをくぐらせるだけで、
それは「オダギリジョー」という俳優を凝縮して抽出した全てとなり、ただただ溢れ出る色気、カッコ良さの極地でした。
TVや映画のお決まりに馴れてしまうと何か物足りない、起伏が無いように感じるストーリーも、実際の現実ではやはりこのようなカタルシスを抱えながら生きて行く、進んで行く事がほとんどなのかも知れません。私はそれも含めて、そうだよな、そういうもんだよな、と少し諦めにも近いような感情で共感する事ができました。
乱文、失礼致しました。
もしかすると万人受けする映画では無いかも知れませんが、私はこの映画に漂う雰囲気や世界が、大好きでした。
ハッピーエンドは通過点
水(雨)の事故で息子を亡くし自分を失った男が、出会いと雨(水)をきっかけに再生して行く物語。
個人的にはおぞましい人間が3人登場しますが、それらに対比して長崎のロケーションがとても綺麗です。
映画、ドラマにおいて時折ハッピーエンドか否かが話題になる事があるけれど、実際にはその後も人生は続いてゆくわけでハッピーエンドは通過点に過ぎない。そんな事を劇終盤のアクシデントを見ながら感じました。
オダギリさんと松さんの最後のやり取り。恵子のキっツイ台詞に対して放つ治の言葉が極めて強烈で、あまりの破壊力に笑ってしまった。治は意図してなかったと思うけど、その後の恵子の表情、松さん流石。
ただ全体としてお客さんの観る「力」に頼り過ぎかなと。説明し過ぎる映画もどうかと思いますが、やはり伝わる事も大事ですから。
役者がいい
水と坂と猫と煙草と残心
「砂の上にも立つ二人の強固な結びつき」
まったくの予備知識なしで監督が「そばかす」の玉田真也監督、キャストを見れば、オダギリジョー、高石あかり、松たか子、満島ひかり、に誘われるように映画館へ見に行った。
お客さんも8割くらい入っていて、私みたいな中高年、若いカップル、年齢層も幅広い人たちを集めていました。
私の感想文を読んでください。
【映画感想文】
80年前、世にも恐ろしい爆弾によって火と血にまみれた街に強い雨が容赦なく降り注ぎ川は激流となっていた。
小浦治は、幼い子供を亡くし、仕事を失い、妻に浮気され家から出て行かれた、まさに三重苦に陥っていた。そこに妹が、娘優子をしばらく預かってほしいと言われやむなく姪の優子と同居することになった。
仕事を探していないと元同僚に叱責され小浦は激怒する。小浦は無力であるとともに頑張る意志も力もすでに枯渇していた。吸い上げようとしてもカラカラに干上がった井戸のように。
預けられた優子は学校にも行かずバイトをしている。ただ優子も無気力で何もない。目標、やりたいこともなく、そもそも生きる意味も持てないでいる。
優子の親代わりとなった小浦と優子の共同生活は、なにかまったりとした余裕がある。優子に嫌いなことは無視しろという小浦の言葉は、軽いのではなく自分の思い通りに生きよというあたたかみにあふれているのだ。どっちにしても行き詰っている二人は変わらない。
連日暑い日が続き、断水状態になっているとき、突然強い雨が降ってきた。優子は待ち焦がれていた雨に歓喜し鍋を持って外に出てずぶ濡れになりながら雨を集める。小浦もそれを見て濡れながら喜んでいる。
この雨は80年前の火の海を消し、小浦と優子の行き詰ったやるせなさすべてを洗い流し、枯渇した心に水がたまったように、まさに恵みの雨であった。
小浦は妻と正式に離婚した。小浦はふと妻に漏らす。何年も連れ添ってきたのに何も憶えていないと、まるで砂上の楼閣であった。
優子は小浦の家を出る決心をする。新しい生活に挑むのだ。小浦と優子は別れる。何年も連れ添おうが妻を忘れ、短い時間だが優子とは心が通い合った別れであった。言葉や態度ではない。それほど二人は傷つき生きる意味を見失っていたことを強固な結びつきで理解していた。
暗く一見救いのない映画のように見えるが、すべてを失っても砂の上にすら残るつながりがあれば、それが心の芯として生きていける、わずかな希望にみちた映画であった。
全138件中、1~20件目を表示
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