ルノワールのレビュー・感想・評価
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色々な意味で恐怖を感じる映画でした。
冒頭のビデオテープの映像からマンションのゴミ置き場でのやり取りまでとても不穏で怖かった、その怖さが映画の底で流れ続けて後半の伝言ダイヤルのくだりでピークに…本当に勘弁してくれ!これにドキドキしたら駄目だろ人として!直後のリリーフランキー演じる(大名演!)お父さんの純粋な父性に多少救われました。まあ楽しんでるんでしょうね翻弄されまくりでしたから。
もちろん、相米慎二監督の「台風クラブ」と「お引越し」の強い影響下にある映画ですが、「台風クラブ」の少女のエロティシズムを「お引越し」に移植したみたいで性格悪いよ監督さん。少女を性の対象として見て、且つ実際に行動に移せばそれは犯罪でこの映画の監督さんもそれは唾棄すべき恐ろしいものだと表現していますが、少女のエロティシズムはしっかりと活写する相米慎二かあんたは!
数々登場する大人達もどうしようも無い駄目な人達ばかり駄目だけど愛すべき人達じゃなくひたすら駄目なだけの人達、「お引越し」の大人達も特に家族は駄目な人達でしたが関西弁だからなのか駄目だけど愛すべき部分がある様に感じたけれど、この映画の大人達はひたすら冷たくどうしようも無く今の私たちそのものの様に思ってしまう。
その大人達をその印象的な眼で観察する主人公の少女も決してよい子ではなく、純粋で残酷な神様の子供のようでした。是非とも何年か後には「ナミビアの砂漠」のカナの様に傍若無人で我儘で力強い女性に成長?してロリコン野郎をボコボコにして欲しいものです。
この映画の監督さん結局何を考えて何を言いたいのかわからない…わからないから面白く興味深い…傑作です。
ラストシーン、寝床から抜け出て手を振る、そこで暗転してエンドロールの方が切れ味鋭く私好みではありますが、船上のシーンも「お引越し」へのオマージュの様でこれもありかな。次の作品も期待して待とうと思います。
自由奔放で空想がちな11歳小5女子の、ひと夏の冒険
1980年代。超能力、ルノワール、伝言ダイヤル。
自由奔放な11歳小5女子、ひと夏の冒険の輝き。
冒頭からの唐突なシーン。
時に大胆に、時に危なっかしく、時に底意地悪く。
「少年と犬」でも見た、主演の鈴木唯の魅力そのまま、それ以上に。
父親や友達の少女とのシーンがいい。
優しくない、明るくない、一般的な良い母親像と異なる終始不機嫌な石田ひかりの普通っぽさもいい。
今や旬の河合優実の衝撃的な語り、そして冒頭の泣き顔のビデオとの意外なつながり。
さらに、こちらも出演作目白押しの中島歩の起用もさすが。
相米慎二、田畑智子の「お引越し」を少し思い出した。
ひと夏の経験をした割には、少女の成長が感じられない
冒頭、主人公と思われる少女が絞殺されてしまい、「えっ、こんな映画なの?」と驚かされる。やがて、これが、少女の夢を作文にしたものだと分かるのだが、ここまでの掴みは上々である。
この主人公、この他にも「孤児(みなしご)になりたい」という作文を書いたり、超能力や催眠術に興味を持っていたりと、かなりクセのある少女なのだが、どうやら、それは、父親が末期のがん患者で、「死」というものを身近に意識しているからなのかもしれないということが分かってくる。
彼女の母親も、また、相当なクセ者で、最後は家族と過ごせるようにと家に帰ってきた父親を、面倒を見切れないと病院に送り返すは、部下に対するパワハラの嫌疑でグループセラピーに強制参加させられるは、その指導員と不倫関係になり、彼の妻にたしなめられるはと、とても子供のお手本になるような大人ではない。
と、主人公に限らず、結構個性豊かな登場人物が出てくる割には、物語がなかなか転がり出さず、いつになっても何の話なのかがよく分からないのはどうしたことだろう?
主人公の少女は、自分の住んでいる集合住宅で、朝、喧嘩別れしたまま、その夕方に転落死してしまった夫のことを話す女性と知り合うのだが、喧嘩の原因となったビデオが、冒頭で主人公が観ていたビデオであったことが判明するものの、そのビデオが、どういう経緯で2つの家庭で観られることになったのかが分からないし、その話を聞いて、主人公がどう思ったのかも描かれることはない。
同様に、主人公が、友達になった少女の家で、彼女がある写真を見るように仕向けるのだが、それが、何の写真なのかがよく分からないし、後日、彼女が転校していった理由も不明のままである。
主人公が、伝言ダイヤルに手を染め、そこで知り合った若い男に会いに行っただけでなく、彼の家までノコノコ付いて行くくだりは、観客をハラハラさせる見せ場になっているのだが、こうした軽はずみな行動は、とても「好奇心旺盛」といった言葉で済ませられるものでなく、どうして、こんな非常識なエピソードを盛り込んだのかという疑問を感じざるを得ない。この時は、たまたま難を逃れることができたものの、こんな性格なら、彼女は、いつかは事件に巻き込まれて、無事に成人することはないだろうとさえ思ってしまった。
魔術を使って母親と不倫相手の絶縁を祈願したり、父親と一緒に競馬を見に出かけたり、父親をからかう若者を蹴飛ばしたり、父親と手をつないで河原を歩いたり、父親の病気の回復のために教祖様の儀式に参加したりと、主人公は、父親のことが大好きなはずなのに、彼が亡くなった時に、あっけらかんとしていたところには、何を考えているのかよく分からない彼女らしさが出ていたとは思う。
ただ、それだけに、朝食の席に父親がいる夢を見て、涙を流していた彼女の寝顔には、グッとくるものを感じたので、こうした、彼女の心情が伺えるような描写は、もっとあってもよかったのではないかと思えてならない。
主人公が、迷い込んだ人けのない競馬場で、馬に向かって馬の鳴きまねをしたり、橋の上で雨に打たれていたところを父親に助けられたり、客船の上で外国人たちと踊りに興じていたりと、夢とも現実ともつかない描写も多く、それらが果たして必要だったのだろうかという疑問も残る。
結局、よく分からないことが多過ぎて、言いたいことも分からずじまいだったのだが、何よりも、少女のひと夏の経験を丹念に描いた割には、彼女の「成長」を感じ取ることができなかったのは、残念としか言いようがない。
なつかしい
あの頃は今よりも寛容で、でも差別的で、危ういものもいっぱいあった。
平成初期の遠慮のない、怪しい雰囲気がよく現れており、また鈴木唯さんも当時に馴染んだ小学生をしてた。
わたしも当時は小学生。当時、超能力や催眠術の真似事もはやった。サイババとかいたな〜って。
観客の年代によっても受け止め方は異なりそう、
哀しい を知った11歳の夏、世界は輝きだす
というコピーとポスター&チラシの写真から期待する
かわいくて瑞々しい魅力的な主人公
脇を固める華のある助演陣
ワクワクするストーリー
せつない物語
といったものは一切ない。
冒頭の泣いている子どもを延々と見せられるビデオが好きな人か、不幸な目になんてあったことがないという幸せな人は楽しめるんだろうが、
病んで老いた父親と歩いているところを同級生には見られたくないから隠れる
帰宅した自宅で自分の葬式で着る妻の喪服を見てしまう
不倫相手の妻に乗り込まれて前の相手はもっと若い子だったと告げられる
こんな不幸・不運・気まずいあるあるを2時間見せ続けさせられても、
そんなこと世の中には溢れているし、あらためて突きつけられても、そうですかって感じ。
お父さんとお母さんと学校の先生が年とりすぎていないか。
父親の死を悲しんでくれた英会話の先生がハグしてくれるところはよかった。
イオンさんも何をとち狂ったのか、「国宝」や「フロントライン」といった大ヒット中の作品や、同日公開の「28年後」を差し置いて一番大きなスクリーンで上映してたけど観客3人だった。
河合優実ちゃんが出てるし、初日に観に行ってよかった。来週はもう小さなスクリーンで上映回数も少なくなっているかもしれない。
人生って素晴らしい
素晴らしくて、素晴らしくて、
いつか終わりがやってくる
人生は一度きり🎵
って主題歌(英語)がエンディングに流れたけど、そんな映画が観たかった。
河合優実ちゃんと坂東龍汰くんが主役の爽やかな青春映画を誰か作ってくれないかな。
「どうして哀しいんですか?」人生の指針を示す人生最高の映画!
タイトルのフキが劇中で問いかけたこのセリフがこの映画の答えですね。自分が今まで観てきた映画の中でもベストの映画だと思いました。
他の邦画と比べても質が違いすぎます。光と影の使い方が素晴らしく、フキが自転車をこいでいく場面は名場面の一つです。
病に侵されたフキの父親は、詐欺に騙され、競馬に負け、財布を落としたり、若者にからかわれたり、人生てこんなものです。
しかし、フキはまだ若いので無限の可能性を秘めています。人生は下ばかり向いていてはいけない、しっかり前を向いていかなければ人生は好転しません。人生の指針を示す珠玉の映画なのです。
鈴木唯ちゃんのオーラが凄かったです。カンヌの主演女優賞逃したみたいですね。馬やヤギの鳴き声よかったです。今後も応援しています!
欧州映画風日本映画
監督・早川千絵氏の少女時代の断片的な記憶や感性をコラージュ、或いは父の病を軸にストーリーづけした作品という印象を受けました。万人ねらいの商業映画ではなく、あくまで監督の感性のみの芸術作品であり、言い方悪いですが抑揚無く平坦で、言いたい事、感じて欲しいことは観る側に委ねられるような、遥か昔「映画通」の人が見るヨーロッパ映画を背伸びして観に行った頃を思い出しました。
中盤、ストーリーと関係無さそうな日本的映像や音楽が流された途端、「国際映画祭出典作品?」かと邪推してしまい、調べたらカンヌに出品されていたと知りました。そう知ると、ヨット上で踊るシーンも国際感演出のために無理に挟んだような印象。そのシーンの写真が映画チラシやポスターに使われていますが、物語通して主人公フキ(鈴木 唯)はあんな笑顔がしょっちゅう出る女の子ではありません。広告用のミスリードさせるショットです。
ここまでくるとタイトルの「ルノアール」もカンヌが行われるフランスと、日本を両方意識したかと勘ぐってしまい、ここはフキが夏休みで知り得た、経験した様々な事象からくる彼女の心境を表現した絵・画家(個人的にはルネ・マグリットとか、ジョルジョ・デ・キリコなどシュルレアリスム系)とした方が欧州の目から見る作品性も高まったのではないでしょうか。
余談ですが、撮影期間が長かったのかわかりませんが、鈴木 ”唯ちゃん”がだんだん鈴木 ”唯さん”に見えていったのは、演出の妙?それとも成長期だから? 特徴立った雰囲気はあったので今後に期待です。
とある夏の出来事。
1980年代後半、癌を患い闘病中の父・圭司と、夫と娘を支えるため働く母・詩子と、超能力に興味あり、人の話はそっちのけ~な小学生女子・沖田フキの話。
超能力番組で影響され、出来た友人、近隣女性へ試す超能力、催眠術かけた体、留守番頼まれれば勝手に部屋を漁る手癖の悪さと見せるけれど。
少し計算ができ、良い子なのか悪い子なのか微妙な立ち位置、伝言ダイヤルを聞いては登録そして待ち合わせ、少し背伸びな年頃?を見せていくけど、何ともレビューが難しい…。
タイトル通り“とある夏…”的にまとめた方が無難なんですかね(笑)
とりあえず観てて思ったのは「用意周到」、まだ亡くなってないのに喪服の用意はともかく、物の処分と早くね?!と思った。
ルノワールがかわいそう
英会話の先生の表情だけが胸を打った。
イレーヌ嬢の絵に触発されて作った映画なのだろうが、この作品の題名に名前を使われるのは、ルノワールがかわいそうに感じた。
ただ、エンドロールの歌の字幕があるだけで、この映画の価値は随分上がったことだろうと思う。
余白なんて一切ない、白紙の映画
泣く顔で始り、笑う顔で終わる。極めて希望に満ちたような終わり方である。しかしそれで良いのか?この映画は何をしたかったのか、これは全く分からなかった。
フキが出会う数人の大人との点描的なシーンで積み上げられる時間を扱っている、それぞれのシーンの大人とフキの関係性にはいくつかの解釈が許されているように物語上で説明されることは少ない。これは観客に委ねているに違いないのであるが、それを全て「余白」という都合の良い言葉で纏め上げて高尚な雰囲気にしてしまうのは、いかがなものだろうか。
まずこの作品の時代設定にいささか疑問を持たざるを得ない。80年代後半なのは分かる、しかし、インサートで挿入される電車は余りにも現代のものであり、LEDすら登場する。サマーキャンプでの『RYDEEN』もある種テクノ×キャンプというミスマッチを演出するシュール的且つ時代設定を説得するために?使用されるが、、、しかも『RYDEEN』は79年の楽曲である。自分はあまりここら辺の時代感をダイレクトに吸い取ることはできないが、聞く人が聞いたら果たしてどう思うのか。どっちにせよクレバーな使い方とは言えない。おそらく監督にもそこら辺の教養はないのだろう。ガバガバな時代設定は最後まで80年代後半である必要性を認めさせてくれない。
主人公のフキは、役割不能に陥っている父親とその面倒に追われている母親の元、放置されている。ネグレクトではないが、信頼して生活を任せられているとも言えない塩梅だろう。
そうやって一時的な自由を手に入れた子供だったらどこまで跳躍して親元から離れていくか、これによって得られた一夏の経験は9/1には彼女をどこまでも無敵な小学5年生に大きくさせる。たとえそれが様々な大人に迷惑を掛けたとしても、だ。ガキの加虐性と奔放さに向き合うには格好の題材である、にも関わらず点描法で上部しか攫わない関係性の蓄積という断片性に目をむけてしまったため、フキは大変大人しい。ただ相手を正面から眼差すだけでシーンが終わると関係は続かない。フキに魅力を感じるか否かは観客それぞれだろうが、なんかあまり可愛気はなく、かと言って大人を振り回すほどのエネルギーを持ち合わせてもいない。英語教室になんか通わされて上流階級の友達を見つけては、彼女の家でケーキや靴下をもらう。履いている靴下は袋に縛られる。これ自分の娘がそうされて帰宅したら母親としてはとても侮辱に感じやしないか??なのにこの作品では汚い靴下と同様にシーンすらゴミ箱に入れらてしまう始末だ。フキは座って大人の営みに巻き込まれていくだけに終始する。その結果彼女が興味を持つのは、超能力やマジックなのだ(テレパシーを使ったラストシーンも品がない)。あみこの方がより生き生きとしていた子供を映した素晴らしい映画だ。『ミツバチのささやき』になんて到底及びもしない。
タイトルにもあるルノワール。だいぶ大きく出たな、光や自然というものをさぞ美しく描いているのだと大きな期待を抱いたが、これは結局カンヌへの目配せなのか??『PLAN75』の時にも題材の選び方が映画祭へのおべっか以上の深掘りはされていなかったが、本作も結局大した提示もないまま、あらゆるものが中途半端に垂れ流されていった。
ムーディー勝山的「PLAN11」とでも言おうか。
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