ルノワールのレビュー・感想・評価
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純粋さと危うさの共存
鑑賞後、これは小5の女の子ととある日常を切り取った話だと思った。小5は20歳の半分、つまり子供から大人に変わりろうとする始まりの時期だと思う。中高生よりも幼く、なんでも興味も持つが、善悪の判断がなく、良くも悪くも汚れがなく純粋。だからこそ主人公はあらゆることに興味を持つ。周りから知ればなんでそれに興味を持つかわからないことでさえ、彼女にとっては新鮮で面白く、未知が故に狂気的。そういう子供ながらの純粋さに焦点を当てているのかなと思った。
時々、まるで疲れ果てた大人のように冷めた、全てを見通すような目に見えたのは、母親のヒステリックさと、父の病気によって子供ながらに大人として振る舞うようになったからなのか、そういう日常を過ごす中で日々をフラットにとらえるようになったからなのかなと思った
描写の力
エグい始まり方だなと思ったら、「こんな夢を見た」の作文なんだよね。
それで、主人公が不思議ちゃんというか、独特の感性を持つことが分かんのね。
それで、作文の内容が不穏なので、お母さん(石田ひかり)呼び出されちゃうんだけど、石田ひかりも「先生って暇ね」って良いキャラなの。
石田ひかりは勤めてて管理職なんだよね。そしてどうも部下を激詰めする。ここも描写でやるんだよね。書類を廊下にぶちまけてしまった部下を手伝いながら「すいませんじゃなくて、具体策出して」って。それで、どうも、もう一人の部下が休みがちだと思うと、パワハラ認定されてしまうという。もちろん描写。
現代の話なのかなと思って観てて、なんか超能力ブームみたいなの起きてておかしいなとか思うんだけど、主人公がウォークマン聞いてて気付いた。1980年代が舞台だね。最初の《FRIDAY》やビデオテープで気づけって話だけど。ここも描写。
石田ひかりは研修受けさせられて、そこの講師が中島歩なんだけど、怪しいね。ここは描写もあるけど、中島歩が出てきたら、もう怪しい。
休憩時間にベンチに座る石田ひかりに中島歩が近寄って、石田ひかりが顔を上げると『不倫するんだ』って分かるのすごい。
とにかく何から何まで、くどく説明しないんだよね。描写で人物を分からせてくるの。
これができるのって、登場人物を完全に掴んでるからだなって思った。その完全に掴んだ人物を表すのに、どんなシーンが効果的か考えてやるんだろうな。
ストーリーはあると言えばあって、主人公のお父さんのリリー・フランキーが癌で亡くなるところを描いてるんだけど、まあ、そこは、どうでもいい。石田ひかりは怪しい健康食品買っちゃうし、リリー・フランキーは怪しい気功に金払っちゃうしで、弱ってるやつに寄ってくる奴らひでえなとも思うし、人間って、そういうもんなんだと思うけど、まあ、ストーリーはいい。
その状況で、登場人物がどう動くかを、丹念に描写で描いてくんの。そこがすごいな。
文句なしの作品なんだけど、ちょっとだけ引っ掛かったことがあって。
石田ひかりはパワハラ認定されてるけど、この時代だと「メンタルで休むなんて根性なしめ」って感じで部下の方が詰められると思うんだよね。
あとリリー・フランキーの見舞いにきた部下が「(あの人)空気が読めないだけなんだよ」って言うんだけど、「空気読めない」は1980年代だと言わないんじゃ。どうなんだろう。
逆に言えば、そんな細かいことが気になるくらい、他のところは素晴らしかったよ。
相米慎二の「お引越し」の影響は大で、ある意味臆面もなく「お引越し」の構成を踏襲している。
「PLAN 75」の早川千絵監督の新作。
とても繊細な映画で、彼女自身の体験を自伝的にではなく、当時の思いや感じたことを素直に映像化した映画。
それが見る側にどう響くか。個々に違うだろう。その意味では万人受けする映画ではなかったかもしれない。
私は、共鳴する部分の多い映画ではあった。
特に「死」に対する態度。身内が死んでもTVドラマのような展開なんてあり得ないし、身内の死は特に寝たきりだと、それほどの悲しみがなかったりする。
また病院で知らない老婆が泣き崩れるシーンは、私も経験したことがある(私の場合は母だった)急に死を知らされると泣き崩れるものだと思った。
そう、死はコチラの都合とは関係なく訪れる。
相米慎二の「お引越し」の影響は大で、ある意味臆面もなく「お引越し」の構成を踏襲している。
それは、11歳の少女の子供から大人に変わる時期を描くには、「お引越し」と同様の設定は監督にとっては、最適な方法だったのかもしれない。その上で、必ずオリジナルとしての面白さが出ると踏んでいたのだろう。それはかなり成功している。
少女が少しずつ大人の世界に近づいてゆく過程を瑞々しくしく描くということでは方向性は同じであるが、相米のダイナミックさとは違い、かなり繊細で近視的に描いていてそれはそれで面白かったし、まさしくそこに早川監督の感性を感じさせる表現が詰まっている。
ラストは、「お引越し」のラストと同じ電車の中での母子の交流シーンで終わる(これも意図的)。どちらも暖かいシーンになっているが、違いが当然現れる。それが映画であり、面白さなんだろう。
何から何まで作り込まなくて、見る側に委ねることで、見る側の中に見る側それぞれの映画が完成する。結構確信的に映画の力を最大限生かした映画だと思う。そしてそれが映画の醍醐味だと早川監督は言っているよう。
今回の映画は、早川監督の個人的な部分を素直に映画化した、いわば私小説的な趣があり、万人受けはしない映画だったが、映像作家としての飛躍の一歩となる映画になったのではと思う。自らの少女時代から映像化したい部分を素直に映画化した点で。
次回作はまた別のアプローチの映画になるに違いない。次回作が楽しみです。
一粒の涙
一寸したタイミングで物事は全然違う結果を生むものだけど、それは偶然と言うよりも強い力、本人のものか肉親の強い愛情から来るものなのか分からないけれど守られるべくして守られるものだと感じた。好奇心と感受性のバランスみたいなものも、主人公を成長させるには必要不可欠だった様に思えた。一度きりの涙のシーンはそれを証明するべく見事だったと思う。
そして、鈴木唯ちゃん本人の物語かと錯覚するくらい自然体だった。
“哀しい”のは誰か?
リリーフランキーが冴えない父親役だったので観に行った。結論としてはそんなに面白くない
「“哀しい”を知り少女は大人になる」っていう惹句が付いてるけど、主人公が泣いているシーンは全くない。感情を表に出さないのか泰然自若な感じだ。挿話(子供たちの泣いているシーンばかりが執拗に収められたビデオを奥さんに暴かれて飛び降り自殺した夫の話)からは、『ファニーゲーム』における暴力のような感じで、ジュブナイル映画で少年少女が感情を揺さぶられる現象、自体を客体化?ー揶揄しているように解釈した。あの映画も、暴力シーンそのものは映してなかったしな……
全体としては主人公の底意地が悪いところはイライラしつつも笑えたけども、リリーフランキーが末期癌なのに奥さん寝取られたりしてて居た堪れない気持ちになったのと、話が断片的すぎてテーマというか「結局何が言いたかったん? あのシーンいる?」っていう釈然としない所感だったので結局そこまで面白くなかった
別に女の子が泣いてるシーンが見たい訳では無いが、悼まれない文脈で死んだリリーフランキーが気の毒な感じだったなあ……
概ね全員どことなく性格が悪くうっすらギスギスしていて、ジュブナイル映画(風)としてはジャンルエラーだろう。占い師のババアとか清掃員とか細々とした人間の悪意が不快だった
『お引越し』と引き合いに出してるレビューもあるが、あの映画は(中盤難解だったが)少なくともカタルシスがあったし、この映画よりは圧倒的に自分の好みだ
LIFE
ポスター的には一夏の成長を描いた作品かな〜くらいに思っていたんですが、カンヌにノミネートといったところでちょっとだけ悪い予感がしていたので心して鑑賞。
悪い予感は間違っていなかったです。相性もあるかもですが、本当に合わなかったです。
年代が昭和というところもあって、今よりもコンプラもモラルも緩い時代、そういう大らかな時代があったのは良い事だよなーとは思いつつも、どうしても負の部分を全面的に押し出していて、尚且つストーリーが繋ぎ繋ぎなのもあってまとまりが感じられずで乗り切れなかったです。
複雑な環境下で過ごしているフキが様々な場面を巡るといった感じで様々な物事を知っていくという物語なのですが、大人たちが自分のせい他人のせいで苦しみながらの様子を見て色んな感情を知っていくという感じのはずなのに、その大人たちの行動が受け入れられず…といった感じで。
母親は旦那の病気にヤキモキし不倫、父親は病気に苦しみながらも宗教に引っかかったり財布を無くしたりするといったボヤッとしたものしか描かれず、かといってそれが繋がるわけでもないので、この親にしてこの子ありと言わんばかりといった感じでした。
死についての変化というところも最小限に抑えられており、それによって人生観が変わったともならないのが残念でした。
肝心のフキも好奇心旺盛といったら聞こえがいいんですが、子供だからこその残酷な行動をやってしまったりはまだ許容範囲内にしても、伝言ダイヤルの話や競馬場周りの話はどう考えてもキツい…となりました。
伝言ダイヤルで見知らぬ人に会うっていうのは今考えるとあまりにも恐怖すぎるだろうと思いましたが、当時は別におかしくないことなんだろうなという温度差は確かに感じました。
坂東さんがめちゃくちゃナチュラルな狂気を帯びているからこそ、あのシーンの気持ち悪さはエゲつなかったです。
歯磨きのシーンとか歯磨いてないのに思わず嗚咽。
超絶戯言でファンタジーである事を承知での文句になってしまうのですが、今作を観ようと思ったきっかけの一つが作中に競馬場が出てくるやん!しかも笠松だ!といったところで見逃してたんですが、フキがよく見たらダートに勝手に侵入してるんですよね…。
時代背景を鑑みたとしても、開催中、もしくは調教中の馬場に入るのはてんで迷惑ですし、そもそも不法侵入なんで年齢だろうがなんだろうがアウトです。
あとお馬の近くで鳴き声のモノマネをやるところがあったのですが、ホンマにやめろ…と心の底から思いました。
お馬さんは音に敏感なのに、あんなに近くで叫びでもしたら大暴れするからファンタジーだとしても本当にその描写はやめて欲しかったです…。
ラストシーンも風呂敷を雑に畳んだかのような終わり方でしたし、思わせぶりな終わり方は何かを空想する事すら拒んでしまうレベルなので嫌でした。
今作を観る動機の一つであった中島歩さんと河合優実さんの出演も1エピソードのみの登場だったので、そこんとこも肩透かしですし、悪い意味で役者の贅沢すぎる使い方では?と思ってしまいました。
あと音楽とセリフが丸かぶりしているシーンが何箇所もあり、セリフが届いてこねぇ!とモヤモヤするところがあったのも残念でした。
この手の作品はもうカンヌ他外国の賞を獲るためだけに作ってんじゃないのかな?と邪推してしまうくらいには日本人ウケガン無視だなぁってなりました。
前作もまだ見てなかったのでそちらも観て色々と比較したいなと思いました。
鑑賞日 6/26
鑑賞時間 16:00〜18:05
ライディーーーーン!
にはビックリしたw
はい「ルノワール」
いつもの如く貰っていただけのフライヤー。
キービジュアルしか印象に残っていなかったので、、、
こんな作品でしたか!って感じだった。
予想外ではありましたが
良くも悪くも「ザ・早川千枝!」な作品でした。
「PLAN75」しか観てないけどw
日本がバブル経済絶頂期にあった1980年代のある夏。
超能力や人の弱みにつけ込む怪しげな民間療法、ロリコン(や、それに伴う犯罪)、伝言ダイヤルなど、あの時代の日本を色濃く匂わせていた。
11歳のフキは、余命宣告されて闘病中の父と、看病と仕事で忙しい母と3人暮らし。
子供?大人?
ゆれる年代の少女の成長物語。
軽やかで伸びやかな鈴木唯ちゃんを前に、
かつて子供だった自分を見ているようで、こちらの心は大きく動いた。
私の父は自営業で、自宅が事務所も兼ねていた為、フキと同じ歳の頃は大人の出入りが頻繁な家で育ちました。
大人の会話を盗み聞き、大人なのに子供みたいな人もいるんだな〜とか思ったし、大人が望む子供らしい発言やリアクションをしていた事を思い出した。
又、父の影響で、絵画や映画も身近だったので、画集やその解説を読んで、その作品の背景を知り、想いを巡らせたり、数々の映画に触れて「死」について考えたり、大人になっても孤独を感じたりする事を知った。
特に「死」については今でも尚、まだ身近な人を亡くした経験が少ないので、あまり実感がない分、変に想像力が膨らんでしまう。
最愛の父から常に死の匂いを感じているフキの立場に寄り添ってしまい苦しかった。
しかしフキの「死」に対する捉え方はもっともっと原始的。
人が死んだら何で泣くの?
自分が可哀想だから泣くの?
フキが今置かれている状況は現実的にはかなり苦しそうなのに、ぼんやりと感じる「死」や「寂しさ」は、誰もが子供の頃に感じたであろう、その程度と変わらない。
終始フキの視点で描かれるが、様々な人と関わりを持ったり、危険な目にも合うが、自分ごとなのにどこか冷静で俯瞰して見ている。
母親をお母様と呼ぶ裕福な家庭の娘であろう女の子と仲良くなり、彼女の家庭の秘密を知る。
そこで残酷な行動に出るのだが、フキに悪意は感じられない。
単にどんなリアクションを取るのかな?位の軽い気持ちで彼女を観察している。
又、夫を亡くした女性の告白。
隠された秘密を知った彼女の絶望や失望は計り知れない程の衝撃をもたらすが、フキは催眠術にしか興味はないようでうわの空。
一方で、母親と講師の関係性に何かを感じる感覚の鋭さは、あの年頃の女の子ならではじゃないかな。
(私もそうだった。。。
おっと〜!!!ww)
興味本位ではじめた伝言ダイヤル。
フキはあの瞬間、危ない!怖い!と感じたのかも私にはわからなかった位の危うさは子供ならではの無知。
父を亡くしたフキを抱きしめる外国人教師の涙も見ても、この人は何で泣いているのだろう?とでも思っているような表情が印象的だった。
そしてその涙は自分に向けられたものではなく、同じく子供の頃に父を亡くした彼女自身の為の涙だと感じているからなのか、ここでも冷静で、ちょっと戸惑った表情を見せる。
そこに父を亡くした悲しみはシンクロしていない。
深刻に捉えていないのが逆に深刻に見えた。
この辺りの、子供が故の残酷さや無知さ、鋭さ、悪気のなさ、純粋さ、寂しさ。。
色々持ち合わせているのに、常にフラットなフキを見ていると、こちらはそれを補うように、様々な想いを乗せて観てしまいしんどくなった。
ただ、超能力(スピリチュアルなもの)に夢中になる姿は、深層心理では常に死を意識していたからじゃないかなと思った。
不安や寂しさを解消する手段に見えなくもなかった。
(死を受け入れる準備??)
色々思う所はあったがやはり、委ねる系、
それも全てのパートがそれなので、全体重を
フキに預けて観る事は出来なかった。
ただ、
"哀しい"を経験したフキは、その涙の重さを噛み締めて大人になるんだと思う。
私達がそうであったように。。
鈴木唯ちゃんはずっと目で追ってしまう魅力がありますね。
このまま唯ちゃんの一人勝ちかと思われたが、やっぱり!
ここでも優実ちゃんの存在感はレベチ。
あの語りだけで映像が見えました。
贅沢な(勿体無い)使い方でしたw
やっぱりろくでもないあんな役は絶品の
中島歩!大好きだ!
こないだまでやってたドラマでは彼に泣かされたけど、今作では何も語らずともあの顔だけで、やべー奴を表現できる坂東君に震えた(°▽°)
ドラマ先にやってくれて良かったww
お姉ちゃんよりお姉ちゃんに見えるひかりさんだが、彼女だったからあの母親を嫌いにならずに済んだのかも。
リリーさん。腹水溜まったお腹が〜!!
本当にこうならないでよぉ〜!!と願った。
多くを語らない、娘と競馬場行く父親、、
ぴったりだった。
本作のメッセージも全体像も掴みきれなかったが、聞いた事あったけど知らなかった、伝言ダイヤルの仕組みはよく理解出来た♪
そだそだ!
本編スタート前に「雪風」の予告で、
NOBUさ、、あ!竹野内豊様が私をずっと見ながら告知してきた。
照れた☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
題にNoir、中身はBlanc
粗筋から『こちらあみ子』と『お引越し』を合わせたようなものを想像していた。
しかしフキは前者ほど変わり者でもなければ後者ほど大人に振り回されもせず、なんだか薄味。
そして圧倒的にワケが分からなかった。
劇場を間違えたかと思うような映像から始まり、序盤はカットを入れ替えても成り立ちそうなほど断片的。
目当ての河合優実や中島歩もほぼスポットの出演。
中盤からやっと筋のようなものが出来はじめるが、これはフキではなく父を主体としたもの。
フキの方は超能力とか伝言ダイヤルとか色々やるけど、終盤に出会う大学生とも結局何もナシ。
父の死にも特に感情が動いてるようにも見えず。
主人公が見知らぬ土地を一人で彷徨いあの世との狭間に迷い込むのは、まんま『お引越し』。
フキがあまり大きく感情を出さないのは、観客がフラットに受け取れるようにかな、とも思った。
でも、あの程度(しかも他人事)では何も感じない。
最後の最後でまた狼男だのクルーズ船だのぶっ込んでくるけど何がしたいの?
生命力に溢れたポスターに反し、常に暗くて単調だし。
深夜にトイレの鏡に映った父の顔や、喪服を見て立ち尽くすカットはとてもよかった。
キャンプファイヤーを『RYDEEN』で踊るのは笑う。
風景(特に空)なんかも綺麗に撮れてるが、肝心の中身に何も見出せませんでした。
そこはかとなく欧州風
あまり事前知識が無い状態で鑑賞。いきなり主人公がアレだったのでまさかと思いつつ、しばらくどっちどっち?と疑うワタシ。その後もあくまでおっさんがついて行けるレベルの(ここ大事)混濁を散りばめてそこはかとなく欧州風。クレジットで判明、フランス資本も入った合作で編集や音楽など多くのメインスタッフが非日本人でポストプロダクションも多国籍。どこまでが早川監督の味なのかもはや分かりません。しかし全体に心地よいすっ飛ばし方でしたー。パンフ買ってしまったけど未読、何か新しい情報がわかると良いのだが。
鈴木唯ちゃん、ちょっとインティマ心配。事務所は河合優実坂東龍太同様、本作の製作にも名を連ねる鈍牛倶楽部の様です。
大人でも子どもでもない大切な時間。
少女を中心に見える世界と”死“を考える大人たち。
揺れ動く心と当時の世間の空気感がとてもよく描かれています。
残酷な一面を持つ子どもと傷つく父を優しくかばう大人が同居しているのが面白い。
”死“を迎え自身に湧き上がる感情や故人への想いが彼女の成長を垣間見えるのが良かったです。
普通の人間にはわからんわ!
まずタイトルの「ルノワール」
フランスの印象派の画家。分からなかった。この映画が印象派?ルノワールっぽい作品?普通の人間には分かりません。
何を言いたい、何を見せたいとずっと観ていて考えても分からなかった。
父親がガンで死ぬまでの話。事件は起きるが、だから何だと感じる。「PLAN75」は増える老人の問題への警鐘を鳴らして、皆に考えてもらいたいみたいな芯があっての観て良かったと感じたけど、これは何したいのか普通の人間には全く不明でした。
こういう作品がカンヌ対策を施したものなら、カンヌ映画祭に出す作品は観てもしゃあないと思うしかないと感じました。
フキは「イリーヌ」のような人生を歩むのか?
カンヌ映画祭の「ある視点」部門でカメラドール(新人監督賞)の次点に選考された、『PLAN 75』の早川千絵監督作品ということで、『メガロポリス』を差し置いて観に行きました。
リリー・フランキー、石田ひかり、河合優実、中島歩、そして、フキ役の鈴木唯といずれも確実な演技をしています。特に、鈴木唯はあと10年もすると、キミスイで鮮烈な印象を残した浜辺美波のように、朝ドラの主役になるんだろうな、と思いました。
初っ端から画面の陰影が強烈な印象を残すのですが、谷崎の『陰翳礼賛』にあるような日本的な美学を表現していて、それがカンヌ映画祭で評価された理由のような気がしました。
ストーリーとしては、起伏が激しかったり、大どんでん返しがあるというものではなく、思春期の少女らしい、何にでも興味を持つけど飽きっぽいところや、神秘的なものや死に関心をもって、ときとして思いついたことを行動に移してしまう、危うげな少女の日常を描いたものです。
細部にわたって緻密に計算されて作られた作品であると感心しましたが、一度観ただけではわからなかったところがいろいろあり、極めて難解な映画であると思いました。
永遠に色褪せない少女の絵には、フキなりの大人への抵抗が示されていたように感じた
2025.6.23 一部字幕 MOVIX京都
2025年の日本映画(122分、G)
父の死に直面する11歳の少女を描いた青春映画
監督&脚本は早川千絵
物語の舞台は、日本のとある地方都市(ロケ地は岐阜県岐阜市)
闘病中の父・圭司(リリー・フランキー)と、彼を支える母・詩子(石田ひかり)との間に生まれた11歳のフキ(鈴木唯)は、どこからか手に入れた「子どもたちが泣いているビデオ」を見ていた
見終えた彼女はそれをマンションのゴミ捨て場に捨てに行くものの、そこで不審に思える住人と遭遇した
その後、フキはその男に襲われて殺され、死んだことを実感していない彼女は自分の葬式を目のあたりにしてしまう
だが、一連のこの事柄はすべてフキの想像で、課題の作文だったことがわかる
彼女はこの作文以外にも「孤児になったら」という題名で作文を書き、担任の戸田先生(谷川昭一朗)を困らせていた
母も学校に呼ばれるものの「先生は暇なのかしら」と毒を吐き、「たかが作文じゃないの」と吐きすてた
その後、父の容態は悪化し、入院せざるを得なくなる
当時の日本では末期癌に対する治療は限定的で、父は海外の医療誌などを引っ張り出してきて主治医を困らせていた
ある日のこと、同じマンションの住人・北久里子(河合優実)と遭遇したフキは、彼女の部屋に入れてもらうことになった
フキは超能力とか催眠術に興味を持っていて、見様見真似で久里子に催眠術をかけていく
すると彼女は、夫が奇妙なビデオを隠し持っていたことを告白し、それを見つけて以降、夫を見る目が変わってしまったと告げた
また別のある日には、英語塾で一緒になったちひろ(高梨琴乃)の三つ編みに興味を示し、友だちになって、彼女の家に招かれることになった
ちひろの家は裕福なようで、母・梨花(西原亜希)はケーキを出してくるものの、父・淳(大塚ヒロタ)の無言の圧に苛まれ、ケーキを買い直しに出掛けてしまう
フキはこの夫婦に不穏なものを感じていたが、別の日にかくれんぼをしていた時に、大事にしてそうな箱の中から「別の女の人と一緒にいる父の写真」、「その女の人が赤ん坊を抱いている写真」などを見つけてしまう
フキはそれとなくちひろが見つけるように仕向け、それが原因かはわからないものの、彼女は遠くに引っ越すことになったのである
映画は、淡々と大人たちの裏の顔を知っていくフキが描かれ、父の死によって動いていく大人の世界というものを体感していく
母は早々に知人に葬式の相談をしているし、死んでもいないのに喪服を部屋に出していたりする
父の会社の同僚(中野英樹&佐々木詩音)も「もう復帰はできないだろう」と考えていた
さらに、母は研修先で出会った男・御前崎(中島歩)の妻・貴和(宮下今日子)が手がけている健康食品を大量に買い込んだり、占い師(天光眞弓)に「恋をしている」と言われて浮き足だったりもしていた
フキは超能力の本で得た知識で母と男を引き離そうと考え、ある術のようなものをかけていく
映画のタイトルは「ルノワール」で、これは劇中でフキが父のために買う絵画のレプリカのことで、購入したものは「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」と呼ばれるものだった
ルノワールの作風とか、彼にまつわることが映画と関連しているというふうに捉えがちだが、おそらくは「少女の絵」というところに意味があるのだと思う
この絵は「少女の絵」としては最も有名な作品で、ある伯爵の8歳の長女を描いたものだった
前述の変わりゆく大人たちとは対称的な存在であり、変わらないものとしてのメタファーであると思う
父から見れば「変わらないフキ」であり、フキから見れば「変わらない私」であり、父の死によって変わっていく大人たちへの抵抗にも思える
父の死後は彼女の家に絵が飾られることになるのだが、これは変わらぬ父のメタファーになるのだろう
あの絵を見るたびに思い出すのは、11歳だった時に過ごした父との時間であり、その思い出は色褪せることはない
そう言った想いをフキなりに表現したものが、あの少女の絵であり、直接的な意味を避けるために「ルノワール」というタイトルにしたのかな、と思った
いずれにせよ、少女期に感じたことがテーマになっていて、あの時期の彼女には「大人の感じているもの、発しているもの」を敏感に感じ取る力があったのだと思う
それによって、見たくない部分も見てしまうことになり、いずれは自分が身につけてしまう大人の事情というものを先取りしているようにも見えた
あの絵があることで、フキなりに抵抗を見せていたことがわかるのだが、いずれはそう言ったものも変わってしまうのだろう
でも、父が存命中に動き出す必要はないので、いささか心が離れているとしても拙速に思えたのだろう
そう言った感覚が当時の監督にあって、それを印象的な映像に作り込んだのかな、と感じた
【今作は、一人の少女が様々な死の匂いに触れ、命の尊さをぼんやりと感じながらも、ルノワールの如く周囲の大人たちの表情を捉えながら、悲しみを静かに乗り越え新しき生を踏み出す姿を描いた作品である。】
■11歳の少女フキ(鈴木唯)は、末期がんの父(リリー・フランキー)と、看病と仕事に追われる母(石田ヒカル)と暮らしている。
フキは、父の死が近い事を何となく感じているのか、自分が首を絞め殺され自分の葬式の夢を見たりする夢想的な少女である。彼女は夫を自殺で亡くした女(河合優実)に催眠術を掛け、夫の死の話を聴いたりもする。
更に彼女は、仲の良い友達の父母の仲が破綻している事や、母のストレスなども感じている。そして、ある日、出会い系の電話で出会った青年(坂東龍汰)の家に行ったりもするのである。
◆感想
・一番印象的なのは、少女フキを演じた鈴木唯の不思議な存在感である。死に対する興味を持ち、冷静に周囲の大人の言動を大きな目で観察しているし、時には大胆な行動にもでるのである。
が、それが自然に見えるのだなあ。
・母は、ストレスからか自覚無き同僚教師へのパワハラにより行かされた研修の講師(中島歩)と、ファミリーレストランでのカスハラを行いながら、近しくなっていく姿と講師の顔を興味深そうにじっと見ている。
・フキは、人一倍感受性が豊かな女の子なのだろうな。だがその態度はどこか飄々としている。そして言うのである。”人が死ぬと、どうして哀しいの?”
そして、フキは思うのである。”大人って、完璧な人なんていないじゃん。お父さんだって、病気に付け込まれて100万円、騙し取られるし・・。”
けれども、彼女はそんな大人達を馬鹿にするわけではなく、只、彼らの表情を見ているのである。ルノワールが絵画を描く際に人を観察したように。
<そして、父はあっけなく亡くなり、(このシーンが映されないのが上手いと思う)母とフキは何事もなかったかのように列車に乗り、フキは観光先の太陽が降り注ぐ船の上で若者達と踊るのである。
今作は、一人の少女が様々な死の匂いに触れ、命の尊さをぼんやりと感じながらも、ルノワールの如く周囲の大人たちの表情を捉え、悲しみを乗り越え、新しき一歩を踏み出す姿を描いた作品なのである。>
誰の為に創った作品なのか。ほとんど心が動じなくて、も一つ疲れるだけに。
PLAN 75(2022年)作品から3年目。
この前 第78回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されたことは知ってました。
今日は「ルノワール」の鑑賞です。
少しだけ期待はしていましたが、これから見る方には申し訳ないけども
期待通りの作品仕上がりでは無かった感じでした。
前作の”PLAN 75”では 流れが読めてはいましたが
役者陣がシッカリ演技で支えてて そこが有ったからこそ
成り立ってた映画作品と思います。
今作の出ている俳優の方々は 何でこの作品に出ようと?思ったのか?
きっと前作がカンヌで特別賞貰った監督だったからでしょう?違うかな。
大御所も出ていたし。その前例もあって
だから それに纏わりつく様に寄って来られたと思うのですよ。
それ自体は別に問題とは思いませんけど この本は読んで選びましたでしょうか。
今作のメインの沖田フキ役:鈴木さんね。(オーディション時小学生)
厳しい事言うけども 感情出しが弱いですよ。
英語先生との家の食事場面は 本当に楽しそうで笑顔は有った。
でも 他の場面の感情が全部指示された演技となっており
これでは 絵に成って行かないと感じました。
難しい感情表現だとは思うのだけど、ほぼ目が死んでますね。
こっちは眼球の奥の心情までも読み取って観て行くので
本気で本物を前に出してこないと 総て空振りに受け取れます。
若いから仕方がないとか、それはプロでは通じないと思いますね。
ただ ok出すのは現場なので、そこは そうなったのは仕方がないですが。
あとは、全体的に散漫なイメ-ジが在ります。
行間埋める様に汲取らないと感情流れが埋まって行かない手法が
カンヌ好みかと言えばそうなんでしょうけど、
観ている側に強制的に求めて行くのも どうかと感じます。
ハッキリ言って 繋ぎが酷く 疲れます。
(他・感じた所)
・序盤のタイトルコールで 俳優陣のテロップを下から上へ表示出しましたよね。
正直不吉さ感じました。過去 逆方向出し作品は どれも不吉さが有って
それを僅数秒見ただけで 大体内容が分かってしまう思いです。
・出会い系伝言ダイアルで 見知らぬ青年に会いに行ったフキ。
彼の自宅から、事の状況が変わって追い出さて 雨の中彷徨う。
そこへ駆け寄るなに者かの姿。 (あれは?何だったのか・・・)
タオルで頭を拭いてくれる父(リリ-フランキ-さん)の姿が在り、そこに娘に対しての優しさは十分溢れていて良かった場面と思います。
そして同時に 彼が病で亡くなったのだと言う事。それが伝わる。
ここの流れだけが 良い展開だったでしょうか。そう感じました。
カンヌとか妙に賞を獲っちゃったから 変なプレッシャーが生まれて。だから
監督にとって 撮らされた作品感を感じましたです。
誰かの為に創るのでは無くて、自分の求める作品を探求して制作にこれからも励んで欲しいと思います。
変ですけど期待は一切致しませんw。
心は常に前向きにと そう思う次第です。
ご興味ある方は
劇場へどうぞ!
鈴木唯ちゃん‼️
1980年代を舞台に、複雑な家庭環境に揺れる11歳の少女フキの物語‼️淡々と物語を描く早川千絵監督の演出は賛否分かれると思いますが、今作はやはりフキ役鈴木唯ちゃんの存在感に尽きると思います‼️まさに鈴木唯ちゃんの一人劇場‼️どうか子役から名女優へと無事成長してくれることを祈って・・・‼️
無自覚のカウンター
1.ざっくりあらすじ
1987年、バブル真っ只中の東京郊外。11歳の少女・フキは、がんと闘う父、仕事に追われる母と3人暮らし。
本質的な不安を抱えたフキの生活はしかし、どこでにでも日常のなかで進んでいく。
彼女はいつも引き出しを開け、扉をのぞき、見えないものを探している。
彼女は自分の“眼”を研ぎ澄まし、邪気なく(無神経に)残酷に世界を観察していく。
伝言ダイヤル、親の不倫、意思を伝える超能力、死に向かう父との競馬場の思い出。
そして…クルーザー上での祝祭的な(非日常の)ダンス。
フキはどこへ向かうのか。どこにも向かわないのか。
静かなのにざらつく、妙に鮮やかな映像が印象的。
________________________________________
2.感想文:「無分別のまなざしが、世界の綻びを暴き出す」
この映画を「少女のひと夏の成長物語」として語ると、作品の核心を見誤る。
たしかに、11歳の少女が主人公で、家族の死を経験するという点で、成長譚的な表層を持ってはいる。
だが、実際フキは、成長したのか? そもそも成長すべきなのか?
彼女は最初から最後まで、冷静で、残酷で、そして妙に客観的なまなざしを持って、世界をじっと見つめている。
私はこの映画を通じて、「無神経」という言葉の意味を再確認することになった。
11歳という年齢を考えれば、フキは無邪気だ、というのは簡単だ。
しかし、無邪気の範囲を超えて、彼女の行動は端的に言えば無神経だ。
他人の家に勝手に入り、引き出しを開け、押し入れを覗き、プライベートを容赦なく暴く。果ては友達にそのプライベートを覗き見るように仕向ける。
伝言ダイヤルで赤の他人の人生に耳を傾け、とある男子大学生(これもウソ)と会う約束をする。
他人の心を覗き見る「超能力」に異様な興味を示す。
それらは、どう見ても「悪趣味」であり、快くはない。
だがその“悪趣味”こそが、彼女の真実に対する嗅覚なのだ。
彼女は「正しさ」や「思いやり」では動いていない。
彼女の行動原理はただ一つ——知りたい、確かめたい、という切実な欲望だ。
それは“無邪気”を超えて、明らかに“無神経”の域に達している。
そうした彼女の「悪趣味」な行為は、結果として大人たちの欺瞞や沈黙を暴き出してしまう。
社会の中にある“見て見ぬふり”の断片。
家族という空間に漂う“言葉にならない断絶”。
それらを、フキは誰よりも繊細に、そして誰よりも残酷に暴いてしまう。
父の死は、その極点だった。
家族であるにもかかわらず、父とはまともな対話が成立していなかった。
そしてだからこそ、彼の死は、母と娘の両方に“精神の解放”をもたらす。
怒りでも悲しみでもなく、むしろ不思議な「軽さ」と「自由」。
その象徴として描かれたのが、あのクルーザーのダンスの場面だ。
たしかに、文脈的には唐突で、浮いた印象もある。
だが僕は、あの場面を映画の核心的な断章として受け取った。
踊るフキは、誰にも見られていない。誰とも話していない。ただ太陽のもとでリズムに乗って動いている。
それは救いだったかもしれないし、幻想だったかもしれない。
その解釈は、僕ら鑑賞者にゆだねられている。
でも、確かに映画のなかで最も美しい場面だった。
この映画は、明確なストーリーの起伏があるわけではない。
むしろ、出来事の連なりに意味の因果をつけることを、あえて拒んでいる。
だからこそ観客には、一貫した物語は残らない。
残るのはグロテスクな違和感だ。
そしてその違和感の正体が、「子ども」という存在が抉り出す大人の世界の真実だ。
抉り出された真実は、常にグロテスクで不快なのだ。
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3.芸術としての評価(4.0)/映画としての評価(3.5)
芸術作品として見ると、この映画は非常に完成度が高い。
沈黙、間、視線、画面構成といった要素において、映画らしい映画と言える。
説明せず、誘導せず、ただ映し出す。
その誠実さ、潔さ、美しさを、僕は高く評価したい。
一方で、映画作品として、エンタメとしての評価となると、少し冷静にならざるを得ない。
フキという主人公は、その演出も相まって、万人が共感できる人物とはいえない。
彼女に不快感を覚える観客も少なくないだろうし、それゆえ物語に没入できない人も多い気がする。
そうした点を踏まえ、映画としては★3.5かな、というところ。
見る人を選ぶ作品
共感できる場面も人物も最後まで全然出てこなく、私にとっては残念な作品であった。この映画の時代設定の頃に主人公のフキの歳と近かった世代の人間だと思うので、場面に出てくるブラウン管テレビや古めかしい冷蔵庫など、こんなだったなあと懐かしい感覚はあったが、理解できたのはそのくらい。今では手に入りにくいであろう、こうした貴重な小道具を多大な労力をかけて準備して、この時代設定にした必然性も特に感じられずもったいなく思った。あえて理由があるとすれば、伝言ダイヤル(今だとマッチングアプリ?)にまつわるエピソードをどうしても入れたかった、ということか。幸運にも、取り返しのつかない事件にまでは至らず終わって良かったが、フキはこの体験で何を感じたかも特に描かれていなかったように思われ、何のためのシーンだったのか理解しがたい。
予告編映像や「"哀しい"を知り、少女は大人になる」とのキャッチコピーが、この映画に興味を持ったきっかけだったが、フキちゃんがはたして、非行に走らず命も落とさず無事成年を迎えられたのだろうか。そういったことを想像させる場面も(私が見逃しているのでなければ)何も描かれていなく、後味悪いまま作品が終わってしまった。そういえば、タイトルに選ばれたルノワールも、内容との関係性があまり明確でないように思う。フランスの映画祭に出品するためフランス人画家の名前を冠した方が目をひく、ということかと考えざるを得ない。
演者や製作者の立場であれば、優れた見どころが多いのかもしれないが、そうではない私には合わない作品であった。
生と死と、好奇心と想像力と感受性と
衝撃的な近未来映画『PLAN 75』で注目を集めた早川千絵監督の長編第2作でした。今回は11歳の少女・フキ(鈴木唯)を主人公に、末期がんを患い入退院を繰り返す父親(リリー・フランキー)との関係の中で、彼女が“死”に向き合いながら成長していく姿が描かれます。
『PLAN 75』同様、“死”が一つの大きなテーマにはなっているものの、本作には随所にコメディ要素やファンタジー的な表現も織り交ぜられており、重さと軽さが同居する独特の味わい深さを醸し出していました。物語の舞台は、一応携帯電話がまだ普及していなかった1980年代後半とされており、「伝言ダイヤル」の登場や、ナースキャップを着けた看護師の描写など、時代性を感じさせる一方で、母親(石田ひかり)が職場でのパワハラにより研修を命じられるという現代的なエピソードも含まれており、時間軸のねじれた世界観も非常に魅力的でした。
また、物語は冒頭、フキが殺されるというショッキングな展開から始まりますが、これは実は彼女の想像(作文)だったことが明かされ、その後も彼女の空想が物語の中にたびたび挿入されることで、現実と虚構が入り混じる巧みなシナリオ構成が光りました。
キャスティングも見事でした。母親が参加するパワハラ防止研修の講師として登場し、母と不倫関係になる男を演じた中島歩、そして伝言ダイヤルでフキを呼び出し手籠めにしようとする変態男を演じた坂東龍汰と、二枚目俳優があえてアンチモラルなキモい役柄に挑んでいた点が印象的でした。また、近年めざましい活躍を見せる河合優実も、夫を事故で亡くした女性役で短い登場ながら強烈な印象を残しました。さらに、物語の中ではこの“死んだ夫”の性癖が坂東演じる変態男へと引き継がれているなど、エピソード同士がミルフィーユのように重なり合い、緻密に構築されたシナリオの完成度には驚かされました。
リリー・フランキーも安定の演技を見せており、娘を深く愛する良き父親としての顔と、病床にありながら部下の企画書に赤を入れる“モーレツサラリーマン”としての一面を併せ持つ役柄を絶妙に演じています。加えて、その彼を陰でディスる部下の声をフキが聞いてしまうという展開もあり、彼のキャラクター性がさらに奥行きを増していました。
最後に、本作を観て思い出されたのは、相米慎二監督の『お引越し』でした。こちらも小学校高学年の少女が主人公で、両親との3人家族が描かれていました。『お引越し』では田畑智子が天才的な演技を見せましたが、本作の鈴木唯もそれに匹敵する存在感を放っていました。どちらもショートカットで、躍動する若さと溢れるエネルギーを全身で体現していた点も重なりました。鈴木唯の今後の活躍が非常に楽しみです。
そんな訳で、練りに練ったシナリオやファンタジックな世界観の描き方が素晴らしかった本作の評価は★4.6とします。
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