ルノワールのレビュー・感想・評価
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響かなかった
長かった〜という印象でした。
いろんなエピソード(制作側が入れたいこと全部)が繋がることなく、並べられている感じで⋯
私の心には響いて来なかったです。
伝言ダイヤルのパートも出来事だけだし、他のパートも人の心の機微が見えない。
フキなどは、大人が作り上げた子どもを演じている感じが強くて、ナチュラルじゃなかったんだよなぁ⋯。
円卓のが面白かったなー、とか比べるところでもないけども、なぜか思い出してしまいました。
あと、なんか嫌だなーと思う人が多くて⋯
お父さんの部下とか、お母さんに薬を買わせる人とか、伝言ダイヤルの男とか⋯
って、全体的に、みんなのキャラが薄いのかも⋯
11歳の子どもの父親は、もう少し若いほうがリアルだなぁ⋯と。
リリーさんは、おじいちゃんにも見えなくもないのよ。
石田ひかりさんは、良い感じに歳を重ねてらして⋯
お母さん役もっとみたいかもー。
少女から大人への間の光と影
少女から大人へ移ろう瞬間の日常を光と影を織り交ぜて繊細に点描する、「PLAN75」の早川千絵監督の長編2作目。2作連続で今年のカンヌ国際映画祭出品作品となった。
11歳の少女フキ(鈴木唯)は発想豊かで個性的な小学5年生で周囲からは少し浮いている。
末期がんで余命わずかな父親(リリー・フランキー)と管理職で忙しくいらいらしがちな母親(石田ひかり)の間で比較的放任され自由に育っている。英語教室で出会う裕福な家庭の同級生、過去を抱える同じマンションの女性(河合優実)、母親が通うセミナー講師(中島歩)、伝言ダイヤルの男性(坂東龍汰)などとフキのエピソードが点描される。
どのエピソードでもフキは奔放で配慮がない。それは純粋さと無意識の残酷性を併せ持ったこの歳頃の少女特有のものとして瑞々しく描かれている。
オーディションで選ばれたフキ役の鈴木唯は観ていてハラハラするようなシーンを伸び伸びと演じ切っていて驚く。
時代背景の80年代後半は携帯電話もスマホもインターネットもない時代。超能力やUFO、心霊現象や怪しげな健康食品など怪しげなもので溢れ、嘘と事実が混濁しどこかしら牧歌的な時代であった。フキの奔放さはこの時代背景だからこそ引き立つ。
そして「ルノアール」というタイトルは早川監督が映画のイメージを限定させないために、あえて物語と関連性がないタイトルを付けたと語っているが、フィルムルックなコントラストの映像といい、フキが自転車で駆け抜ける広々とした郊外の川沿いの夕景など、屋外の情景を光と影で描いた印象派を想起するものとなっている。
監督の評価は保留にしたい
かなり難しい。上映中から大いに頭を悩ませた。
この映画の作者が何を言いたいのか、何を訴えたいのかはぼんやりとわかったつもり。それを言葉にしてこのレビューに残そうと思うといろいろと悩んでしまう。それが難しいと言った点。
ぶっちゃけで言ってしまえば早川千絵監督の個人映画であり、今の自分自身の残しておきたい映像を鈴木唯の姿を借りてフィルム(現代はフィルム撮影ではないよというツッコミはさておいて)に残せたわけだから、その意味でこの作品は大成功。どこのどんなツテを使ったかはわからないがそれがカンヌまで届いたのだからこれまた成功。過去にこんな手法で世に出た監督がいたなぁと思ったら河瀨直美の顔が浮かんできた(苦笑)。
彼女同様に早川監督は「撮れる」という評価はできるが、観客にどう伝わるかという考察が足りないのではないか?だから商業的に見ると当たり外れが大きい。最後まで僕を椅子に繋ぎとめておいたのはティーザーにも使用された楽しそうに踊るカット。これが最後の方にちょっとだけ出てきて、その印象だけで映画が終わる。論理に裏付けられた思考がないから論理ではなくただの印象だけで「良かった」「悪かった」と論じるしかない。それはこちら側も問題かもしれないが正直に。
全体を見るとここでも指摘の通り「お引越し」や「こちらあみ子」などの影響も感じる。もっとも「お引越し」は古すぎてこちらの記憶も定かではないすまん。
唯一、おそらく誰もが指摘するであろう技術的短所が整音だ。BGMがセリフに丸かぶりしたりきちんと拾えていなかったり。これは日本映画共通の弱点ではあるが今回は顕著だった。どうにかならないのかな。
ともかく、自己顕示欲丸出しのような今回の作品でも一定の評価は得たわけだから、早川監督には「伝える」技法をもっと研鑽していただき、真の評価は次の作品まで待ちたいと思う。
どう読み取るか
共感するしない。
それは正に個々の思考の問題であって、相違があれば焦燥感や孤独感・痛みを味わい不安に駆られ、合致すれば歓びや哀しみを共有し安心感・幸福感をもたらす。
その最たるものが、エンディングでのフキの微笑みであり、催眠術であり、伝言ダイヤルであり、森のくまさんだったのでは。
多感な時期を過ごすフキ。その心の移り変わりを唐突に場面転換で表現していると思うと、一見、脈略ない転換に見えるが腑に落ちる。
そして、その対局にあるのが父圭司。
死という現実を突きつけられ、向き合い受け容れる。ただ死という一点だけを見つめて病室で過ごす日々。
人は目まぐるしく思考している。その思考の中で立ち位置を探し、もがき苦しむこともあれば歓喜することもある。
「幸福の画家」と呼ばれるルノワール。
それをタイトルに持ってくるあたりも巧妙。
いろんな要素が鏤めてあり、なかなか欲張りさんの物語。
それこそ思考が重なり合えば、こんなに奥深い作品はないだろう。
難しい。
感受性の豊かさに共感
自分を客観視するのは難しい
風変わりな小学五年生の女の子の話。
2022年公開の『こちらあみ子』っぽい。
あみ子は自分の行動がどういう結果をもたらすかわからずやってるけど、フキはある程度わかってやってると思うので、こちらの方が悪質(笑)
自分が不遇な環境に置かれた状況を想像して作文に書いたり、友達の家族の秘密をそれとなく伝えたり、伝言ダイヤルに興味をもったり…
子供なのもあって、フキに何か起こることは少ないけど、大学生との交流はかなり危険なことに。
フキ以外の家族がまともかというと、それぞれ秘密を持っていたりして、みんな他人に厳しく自分に甘いのだなと思う。
描写が最小限なので、よくわからない部分もあったけど、フキの視線で見る大人の世界が面白いので、そういうのが好きな人なら。
配役について、リリーフランキーが父親に見えない。おじいさんかと思っちゃった。
徒然なるままに‼️❓よじれた心のちびまる子ちゃん‼️❓
ただ一人、いつまでも生きていてほしいと願う人
オープニングから衝撃的な展開で始まるのは、早川千絵監督の前作『PLAN 75』と同様。
映画全体を通して説明は最小限に抑えられているが、観客がその意味を想像できるよう巧みに作られており、個人的には好みの作り。
舞台は昭和末期だが、女子たちが黒魔術に夢中になる様子を観ていて、かつて流行した「こっくりさん」を思い出した。
予告編を見た際、「“哀しみ”を知り、少女は大人になる」というメッセージから、2015年のピクサーアニメ『インサイド・ヘッド』と類似したメッセージを感じた。
しかし、実際に鑑賞してみると、その印象は異なっていた。
『インサイド・ヘッド』が「哀しみ」の必要性を描く一方で、本作は少女が「哀しみ」を初めて知るまでの過程を描いていた。
本作には、大きく分けて二つのテーマがあると感じた。
一つ目は、『PLAN 75』でも描かれた「年寄りは早く世の中から消えてほしい」という世間の風潮について。
リリー・フランキー演じる主人公フキの父親は、末期癌を患いながらも生きることを決して諦めない。
あらゆる治療法を試し、闘病中でありながらも仕事に励み、社会復帰を諦めていない。
しかし、映画が進むにつれて、周囲の人々の思惑が異なることが明らかになる。
妻や仕事の同僚からは表面上は励まされているものの、その内心では見捨てられていることが見て取れる。
この事実が判明してからは、父親の必死に抗う姿がより一層切なく胸に迫る。
そのような周囲の人々の思惑とは裏腹に、フキだけは言葉にはせずとも、父親にいつまでも生きていてほしいと心から願っていることが伝わってくる。
暇を見つけては病室へ赴き、父親に寄り添うフキ。
ある時、父親が急遽自宅に立ち寄ることになり、部屋の明かりをつけた際に壁に吊るされた喪服を見て愕然とする。
その様子に気づいたフキが、そっと部屋の明かりを消す場面では、思わず胸が締め付けられた。
フキと父親が遊園地で過ごす場面で、父親が一人ベンチでぐったりしていると、数名の若者が父親をからかい始める。
この光景は、2021年の西川美和監督作『すばらしき世界』に登場する、介護職員が患者を陰で嘲笑する戦慄の場面を彷彿とさせた。
その時、フキが取った行動には「いいぞ、もっとやれ!」と心の中で喝采を送ってしまった。
もう一つのテーマは「小児性愛」について。
河合優実は『PLAN 75』でも印象的な脇役を演じていたが、本作でも前作とは全く異なる雰囲気で登場。
彼女の登場シーンは短いながらも、この映画では珍しく長台詞があり、彼女の台詞を要約すると「どんなに愛する夫であっても、小児性愛者と判明したら、気持ち悪くて無理」というもの。
今年公開の『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』でも河合優実の長台詞は出てくるが、社会的メッセージとしてはこちらの方が強烈。
舞台が昭和末期のため、出会い系アプリの代わりに伝言ダイヤルが登場。
フキが興味本位で吹き込んだ「小5…」という短いメッセージに男が食らいついてくる様子は、2021年にチェコで制作された衝撃的なドキュメンタリー『SNS 少女たちの10日間』を想起した。
近年、未成年の少女を自宅に連れ込み逮捕される男のニュースを頻繁に目にするが、本作の後半の展開はまさにそれを映像化。
そうしたニュースが報じられた際のヤフコメを閲覧すると、男側に言及する意見は少なく、大半が少女やその親を非難する内容ばかりであることに、毎回驚きを禁じ得ない。
そのたびに、「本来ならば男側が大問題であるはずなのに、なぜこれほどまでに男側に甘いのか」と感じてしまう。
「おそらく、ヤフコメに書き込む層の中には、少女を自宅に連れ込みたいと考える人々が多いのだろう」と勝手に推察。
被害女性やその親を非難する人々は、この映画の後半の展開を観ても、被害者側を叩こうとするのだろうか?
タイトル通り
『ルノワール』を観ていると、2022年公開の『こちらあみ子』がふと頭に浮かんだ。
どちらも、普通とは少し違う感覚を持った少女の視点から世界を見つめている。
言葉や感情を大げさに説明することはなく、映像や音の中に少女の内面を静かに映し出している。
この2作品に共通しているのは、少女たちの「世界の見え方の違い」を欠点や悲しみとしてではなく、もう一つの大切な視点として描いていることだ。
普通とは違うからといって劣っているわけではなく、その違いこそが彼女たちの世界を豊かにしている。
その静かな優しさや誠実さが、観た後に心にじんわりと残り、軽くなるような感覚をもたらしてくれる。
『ルノワール』には派手な展開や劇的な出来事はほとんどない。
しかし少女の視線を通して、世界の輪郭が揺らぎ、観ているこちらの心の中にある何かと静かに出会わせてくれる。
それはまるで、澱んでいた水が少しずつ澄んでいくように、自然と心が癒されていく感覚だ。
この映画は、誰かと感想を語り合うためのものではなく、ひとり静かに見つめて、自分の中にあるもやもや、よごれにそっと触れる時間をくれる。
だからこそ、個人的には一人で鑑賞されることを勧めたい。
フランス映画みたいな
本作の直後に見た映画とほぼ同じ感想に……
映画としてのルックは素晴らしいし、役者陣もみな好演。描かれているメッセージも濃厚で最後まで退屈することなく、しっかり鑑賞しました。
じゃあ、好きかと聞かれたらNoです。
知り合いに勧めるか?と聞かれてもNo。
すごく面白かったというわけではない。
上映中はそこそこ楽しんだけど、お話そのものには首を傾げるシーンも多く、極端な説明の省略によって、具体的な感想がほとんど出てこない、という稀有な作品です。
文字にしてみると本作の直後に見た「メガロポリス」と完全に同じになります。全然違う映画なのに。
断片的な場面場面の表現がすごく印象的
50年近くも埋もれていた記憶を刺激されました
積極的に観ようとした理由は河合優実さんの出演作だから。短い時間でもいつものように、しっかりと存在感を発揮してくれていました。
河合さんからどんな台詞がどんな表情と声色とテンポで産み落とされるのかを観るのが、ここのところの大きな楽しみの一つです(今期の朝ドラも蘭子の登場をいつも心待ちにしています)
で、「ルノアール」。
フキちゃんを演じた主演の鈴木唯さんの演技の素晴らしさは言わずもがな。こういう子をオーディションでしっかり射止めた制作サイドにも拍手です。
でも物語に関しては、刺さらない人にはまったく刺さらないんだろうな、とは思いました。
自分にとっては…課題の作文には嘘の物語。聞こえてくる会話を聞こえていない、関心がない、理解できないかのように振る舞いながら実はしっかり聴いていて覗き見る大人の世界。思いがけず家から遠く離れた場所に行き、一人で長い時間をかけて家に帰り着く…など、自分の子ども時代の記憶と重なるシーンが多くあって、50年近くも埋もれていた記憶をぐぐぐっと刺激される映画でした。
ただ、この手の物語にたくさん刺されすぎてしまって、不感症気味になっている身には、もう少し何かが足りない気がしました。フキちゃんと両親それぞれとの関係がとても健全な感じがして、もう少し歪みがほしかったとか?(両親との距離感はまさに昭和だとも思うし、健全な関係だからこそ怖いもの知らずの伸びやかな想像力が発揮されている気もするけど…)
好きな人目当ての夢いっぱいの恋物語もいいけど、まだ感性が鋭い若い子にこそこういう映画を観てほしいと思うのです。中高生が観たら5人に1人、少なくとも10人に1人くらいは心の隅にずっと残る映画なんじゃないかと思います。(河合優実さん目当てで観に行ったお前が言うな)
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