「「語られぬ感情、映し出される世界」」ルノワール まるさんの映画レビュー(感想・評価)
「語られぬ感情、映し出される世界」
「ルノワール」|早川千絵監督作品
映画館で鑑賞
早川千絵監督の新作『ルノワール』は、一人の少女の視点を借りて、時代と社会を鋭く見つめる異色の作品である。舞台は1980年代、少女の目を通して映し出されるのは、家庭や社会の中で静かに進行していく歪みや違和感の数々だ。だがこの映画は、決してセンセーショナルに問題を暴いたり、分かりやすい感動に収束したりする作品ではない。
主人公の少女・フキは、ごく淡々とした表情で、どこか達観したように世界を眺めている。彼女の行動は時に挑発的でさえあるが、それは言葉に置き換えられることなく、意味を明かすこともない。ただ、そこにある事実や現象に静かに反応するのみだ。その沈黙が、逆に観る者に多くを語りかけてくる。
印象的なのは、登場人物たちが抱える苦悩や不和が、あくまで“描かれる”ことに留まり、“解決”や“癒し”へとは向かわない点である。日常の中に潜む重さや、愛情のすれ違い、不意に訪れる破綻──それらは物語の中で特別な扱いをされることなく、ただ静かに通り過ぎていく。感情を爆発させる場面も、明快なメッセージもない。むしろ、判断を保留するまなざしが貫かれていることが、この作品の核心と言えるだろう。
フキは、常に一歩引いた距離で周囲を観察する。だがそれは無関心ではない。彼女なりのやり方で、身の回りに起きる出来事と向き合い、対峙している。その姿勢は、私たち観客にも静かな問いを投げかけてくる──「世界をどう見るのか」「何を感じ、どう振る舞うべきなのか」。
作品の終盤、ある楽曲がエンドロールに重なって流れる。それは単なる救済のメッセージではない。むしろ、混沌とした現実の中でも、私たちには人生を選び直す力があるのだと、そっと背中を押してくれるような優しさに満ちている。
ここにあるのは、“悲しみの物語”ではなく、“悲しみの中でも生きていくこと”を描いた映画なのだ。
『ルノワール』は、物語のわかりやすさやカタルシスを求める人には、ややとっつきにくく映るかもしれない。だが、この作品が本当に提示しているのは、「人生の観察者」としての視点。何が正しく、何が間違っているのかを断定しないまなざしで、社会や人間を見つめるその姿勢こそが、今の私たちに最も必要な“まなざし”なのかもしれない。