リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界のレビュー・感想・評価
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彼女の行動原理
リー・ミラーは「シビル・ウォー アメリカ最後の日」でキルステン・ダンストが演じたリー・スミスのモデルとなった人物だが、それ以外のことは正直よく知らなかった。
ニューヨークのファッションモデルからファインアートの写真家、転じて戦場カメラマン。写真家時代のマン・レイとの恋愛関係、ピカソやジャン・コクトー、ポール・エリュアールとの交流など。箇条書きで見れば、精力的で華やかな人生、という印象だ。
だが彼女の心の奥深くには、幼い頃受けた性的虐待の記憶が横たわっていた。また、リー本人がどう評価しているかは不明だが、10代の頃から結婚後まで彼女のヌード写真を撮り続けたという特殊な父親の存在もあった。
戦争、そしてホロコーストという、究極的に個人の尊厳を破壊する蛮行から彼女が目を逸せなくなっていった、他人事としておけなかったのは、そういった体験に根ざす部分があるのだろうか。
本作で描かれるのは、上に書いたリーの目まぐるしい人生の中で、のちに夫になるローランド・ペンローズとの出会いから戦場カメラマンとして終戦を迎える頃までのおよそ10年ほどだ。作品の製作に自ら奔走したケイト・ウィンスレットは、「モデルとしての彼女に対する先入観を捨てるため」「リー自身がもっとも誇りに思っていたであろう時期」だからと述べている。
それは、彼女が受動的な被写体、マン・レイのミューズという男の付属物のような二つ名から脱して真に能動的に生きた時期とも言える。また、終盤に77年パートのインタビュアーが息子のアントニーであることが明らかになるが、ペンローズとの出会い以降10年という区切り方は、実はリーの死後屋根裏から出てきた写真をもとに彼が両親の出会い以降の母親の軌跡をたどっていたという物語の構造とも辻褄が合うようになっている。
己の目指す道を突き進むリーだが、時代の風潮でただ女であるということが様々な場面でハードルになる。ただ、各ハードルは映画の尺的には割と素早く解決されてゆき、なんだかんだリーは最前線で撮影出来るようになる。
そして彼女はドイツの敗戦とホロコーストの痕跡に行き着く。ライプツィヒ市長の家族の遺体、収容所の屍の山。このシークエンスの映像的インパクトが頭ひとつ抜きん出ていて、リーの伝記というよりホロコースト映画なのではという錯覚さえ覚えた。
リーの人生は何故そこへ流れていったのだろう。あくまで本作から受けた印象のみでの推測だが、彼女を動かしていたのは例えば反戦とか世界平和とか、そういう抽象的なお題目ではない。
7歳の時レイプの被害を周囲に黙殺されたという体験を持つ彼女は、戦争の犠牲者を襲った悲劇が自身の受難と同様に、誰にも知られずやがて忘れられてゆくことが我慢ならなかったのではないだろうか。
写真家としての行動原理が観念的な正義感よりも個人的なトラウマに直結しているからこそ、VOGUEが自分の写真を載せないことに、預けた写真を切り裂くほど激昂した、そんな気がする。
一般的な写真家なら、命懸けで撮ったからこそ作品の破壊などせず、時間がかかっても作品を世に問う方法を探すだろう。だが彼女にとっては、犠牲の証が日の目を見ることがトラウマの癒しであり、その逆はトラウマの再現でしかなく、その状態には耐えられなかったということなのかもしれない。
収容所の死屍累々を見た直後にヒトラー家のバスタブで咄嗟に服を脱いで自撮りをするという心理は個人的には理解出来ないのだが、彼女の行動が頭で考えた理念よりもトラウマを背景にした直感と衝動に基づくものだと仮定すれば、漠然と納得してしまうのだ。
ところでこれは非常に言いづらい感想なのだが、観ている間ずっとケイト・ウィンスレットの骨太な体型が気になってしまった。ごめんなさい。
77年パート(リー70歳)は全く違和感がないし、70歳のリーを演じる49歳のウィンスレットに凄みさえ感じた。
だが序盤の1937年、マネの草上の昼食よろしく上半身をはだけて友人とピクニックをしている場面では、肩の肉が盛り上がった貫禄ボディに違和感を覚えた。この時リーは30歳、マン・レイとの活動を経て実業家アジズ・エルイ・ベイと結婚して3年ほどカイロで暮らし、ベイを置いてパリに戻ってきたばかりの時期だ(ベイとはペンローズとの子をみごもってから離婚)。
その後6年ほど戦場カメラマンとして活動するのだが、ずっと貫禄ボディのままだ。これは完全に私の先入観なのだが、最前線で命懸けの取材活動をするリーにそぐわないように見えた(筋肉でガッチリしているならまだ分かるが)。当時の実際のリーの写真を探してみたが、私が見つけた範囲でのリー本人は人気モデルだった頃の面影が残るどこかシュッとした佇まいで、細身とまでは言わないがそこまでガッチリしていない。
弁解すると、これはルッキズム的なものとは違う。デニーロ・アプローチ並にやれとまでは言わないが、ビジュアルでの役の表現も観る側にとっては大事な情報だ。途中でマリオン・コティヤールがきちんとげっそりした姿(元々痩せているからメイクでの演出だろうが)で出てきた時は、ビジュアルの「それっぽさ」に少し安堵した。
ウィンスレットの演技自体は素晴らしいし、そもそも本作は彼女が発起人となって作られたのだから、そういう意味では彼女が主役を張るのは自然なことだ。
ただ、戦場カメラマン時代からインタビュー(もとい息子の空想)までは3〜40年経過しているのだから、役者を分けてもよかったんじゃないかなあ、とは思う。申し訳ありません。
This movie must be made based on the idea and understanding of Kate Winslet.
This is the story of Lee Miller as a war photographer, as captured by Kate Winslet, who must have been busy making the film. It was made in the form of a conversation between the young interviewer and Lee, but from her particularly cold tone, we find out who the interviewer is halfway through.
She used a medium-sized Rolleiflex, which we have come to call a twin-lens reflex. On the other hand, David Sherman, a photographer, and editor at Life magazine, used a small camera that seems to be a Leica. However, there is never any mention of developing the photos. How on earth did they develop them on the battlefield?
After entering Normandy, France, she worked as a war photographer, but the problem is the passage of time. They traveled alone in a jeep that seems to have been loaned from the US military in Paris, but when they entered Germany, a couple who committed suicide with potassium cyanide is found, reminiscent of Goebbels and his wife. However, later, on April 30th, 1945, the day Hitler died in Berlin, she entered Hitler's former headquarters in Munich and took photos. Goebbels and his wife died the day after Hitler's suicide. Furthermore, she visited the concentration camps, Buchenwald and Dachau consequently, but the US military entered the former camp on April 11th, and Lee visited the latter concentration camp, known for its railroad siding, just before Munich. I wonder if the film was made based on these historical facts to some extent.
What did Lee Miller herself really want to do? She would like to express something particular by herself. She started taking photographs with Man Ray during her time in Paris (1930s), and she was also the subject of a photo shoot at Hitler's house. In wartime London, she managed to get into Vogue magazine as a photographer, where she had once been a famous model, and then made a fuss when the photos she brought in were not published.
Even though it was wartime, she showed no consideration for the subjects she photographed. The limited rights of women were mentioned many times in this film, but if she was an artist, it is not difficult to imagine how much the rights of her subjects must have tormented her in the latter half of her life.
I wish they had been a little more conscious of the historical facts surrounding the war when making the film. What a shame.
ケイト・ウィンスレットの演技が素晴らしかった。
存じ上げなかった実在の人物「リー・ミラー」
モデルからフォトグラファーに転身し
米国陸軍の従軍記者として
第二次世界大戦の数々の報道写真を残した
彼女の伝記的映画。
酒もたばこも男まさりで気性も激しい彼女が
残した写真は、戦場の凄惨さを女性特有の目線と
芸術性の高いものだったけれど
英ヴォーグは掲載を認めなかったけれど
その理由はその理由としてわからなくもない。
ただ、彼女の無念に思う心の叫びが痛い。
そんな彼女を陰ながら支えた
英ヴォーグ編集長オードリーと
同僚カメラマン、デイヴィ・シャーマンの存在が
とても羨ましく感じた。
ディヴィのリーに対する感情が垣間見れるシーンでは
切なくもある。
こんな仕事仲間、本当に羨ましいかぎり。
傷とは、見えないところにこそ深く負う。
外傷は時が来れば治って行くけど
心に深く負った傷は、
薬や酒に頼らなくてはいけなくなるほどで
本作ではその傷を彼女の苦悩として
隠さずしっかり描ききっている。
在り来りな感想ではあるけれど
人間の恐ろしさ、戦争の愚かさをまざまざと
見せつけられた本作は、
リーの残した写真のようでもある。
彼女の世界?現実の世界?
まさに『その時代』を生きてきた人⋯⋯女かな?
あまり多くを語らない自由に誰にも縛られなく言いたい事も言い感性の赴くまま進んできた人。
なんだろうけど写真から見えた光や影には彼女自身そのものを捉えていたのかもしれない。
やはりまだ女というだけで虐げられた時代に翻弄されて納得行かないアメリカ人。
同じ所には長くいれば切れ味が鈍るナイフかの様に男や文化、そして時代に立ち向かって行った彼女。
別に好き好んで前線に飛び込んだ訳ではなく、自身に起きた過去から逃げて立ち向かい乗り越えようとした彼女の一部を写真にしたのかも。
そして戦争の終結時に霧の中に迷い込んだかの様に彷徨い行き着いた地獄の淵⋯⋯。
知って欲しかった今起きている世界を戦争を傷ついた人々を、そして女性たちを。自分自身を。
バスタブでの1枚はヒトラーの邸宅(戦争、暴君、権力、そして男たちの世界の象徴)ですべての不安を脱ぎ去り、温かい湯の中で安息をつき汚れを流してさらなる世界に準備をするかの様にも思える。
しかし誰も見ようとはしなかった。
戦争の真実や女性、そして彼女を。
彼女が現代にいたら何を見ているのだろう?
いや自分たちは目を逸らさず真実を捉え立ち向い後世に残し伝える。
過ちは誰でも起こしうる事。だけど過去から学ぶ事は出来るはず。
誰もが安心して温かい湯に身を浸す幸せな時間を得る事を祈りつつ。
彼女が見てきたものを再現するなら、ラストのネタバレはない方が良かったかも
2025.5.15 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のイギリス映画(116分、G)
原作はアントニー・ペンローズの伝記『The Lives of Lee Miller』
実在の写真家、リー・ミラーの半生を描いた伝記映画
監督はエレン・クラス
脚本はリズ・ハンナ&マリオン・ヒューム&ジョン・コリー
物語の舞台は、1977年のイギリス、ファーリー・ファーム
モデル、写真家としての生涯を送ってきたリー・ミラー(ケイト・ウィンスレット)は、ある若いジャーナリスト(ジョシュ・オコナー)の取材を受けていた
ジャーナリストは彼女が撮った写真を見ながら、そこに込められた「物語」に傾聴していく
舞台は変わり、1938年のフランス・ムージャン
リーは友人たちと共に避暑地を訪れ、ジプシーのような生活を送っていた
モデル仲間のヌーシュ(ノエミ・メルラン)とその夫ポール(ヴァンサン・コロンプ)、編集者のソランジュ(マリオン・コティヤール)とその夫ジャン(パトリック・ミル)たちと過ごしていたリーだったが、そこにイギリス人の芸術家ローランド(アレクサンダー・スカルスガルド)が招かれてやってきた
リーは「どうしてこれまで出会わなかったのかしら?」と言い、ローランドの人となりを推理し始める
友人たちは「また、始まった」と言い、「今度は僕の番だ」とローランドもリーの人柄を語り始めた
その後、第二次世界大戦が本格化し、リーはローランドと共にロンドンに逃げることになった
パリは陥落し、ロンドンにも空爆が起こるようになり、そこでリーは爆破された街の写真(家の防空壕)を撮り始める
そして、現地にアメリカから派遣されていた従軍写真家のデイヴィッド・シャーマン(アンディ・サムバーグ)と出会い、行動を共にすることになった
イギリス政府は女性を戦地に派遣することを認めていなかったが、アメリカ人のリーは母国で申請をし、ようやくノルマンディーに行けるようになる
だが、最前線は想像以上に酷いもので、リーはそこで補給機のパイロットをしているアン・ダグラス(Harriet Leitch)と出会い、彼女を写真に収めた
映画は、1945年のドイツ・ベルリンにて「ヒトラーの家のバスタブで写真を撮る」というところまでを描き、ダッハウ、ブーヘンヴァルトの二つの収容所の現実を写真に収めていく様子が描かれていく
構成としては、ジャーナリストがリーの回想録を聞くというテイストだが、実際には「リーの死後に遺品を見つけた息子の想像」というものになっていた
リーは息子に戦争写真家であったことを死ぬまで隠していて、息子は第一子が生まれた際に「自分の幼少期の写真」を探すことになった
その際に母親が何をしていたかを知り、それを後世に残すための活動を始めている
原作にあたる伝記小説、ロケ地として使われたファーリー・ハウスなどがその活動の一環であり、それによって、第二次世界大戦の知られざる物語というものが世に出るようになったと言われている
映画は、女性が見た戦争という視点で語られ、戦争の影に隠れて蔑ろにされた女性の悲哀を切り取っていく
それと同時に、女性が踏み込めなかった世界を切り開いていく様子が描かれ、その集大成がバスタブの写真であると言える
この写真を撮る時にヒトラーの家で多くのアメリカ兵などがヒトラーが好んだウイスキーなどを飲んではしゃいでいたが、それらの道徳的とは言えない行為のさらに上をいくのがリーの写真であると思う
これまではどうして撮ったのかは謎だとされていたが、彼女の物語を女性目線で再構築すると、あのような理由になるのだろう
収容所での汚れをあの場所で洗い流すことに意味はあるし、騒いでいるアメリカ兵の倫理観を超えた、というところに彼女らしさというものが凝縮されているのかな、と感じた
いずれにせよ、女性が戦地に入ることで救われる女性もいれば、そこで尽くしている女性たちの励みにもなるので必要だと思う
イギリスとアメリカで扱いが違うところは国柄だが、彼女がアメリカ人でなければ成し得なかったというのは事実だろう
その後、戦争をどう裁くかという部分でもイギリスとアメリカの姿勢は違うし、アメリカでもダメなもの(ナパーム弾使用)はダメだったりする
そう言ったものが時代を超えて蘇ったのが戦後30年後であり、そこから多くの人が戦争がどんなものだったのかを知ることになった
そう言った効果を前面に押し出すというのも方向性の一つだと思うが、映画は「実は息子だった」というものをミステリーにしているので、それがうまくハマっているのかは何とも言えない感じがした
キャスティングの妙なのか、息子はどっちかというとデイヴィ寄りに見えるので、そのあたりに意図があったのかはわからない
それは重要なことではないと思うのだが、見えない痛みを描く映画ということを考えれば、見えないものを映している部分もあるのかな、と感じた
あれが実話とは…
戦争を体験していない私にとっては、簡単にあーだこーだ言える立場ではないが、命の危険もありながら悲惨な現場の写真を撮り続けるってのはよっぽどの使命感がないと出来ないことだと思う。その使命感は、撮れば撮るほど、戦地で亡くなった方々の無念を後世に残したいと思うのだろう。そんな写真が掲載されなかった時の怒りと悲しみは相当であっただろう。
と同時に、苦しんでいる人々を助けるより、ひたすら写真を撮るというのはどんな気持ちだったのだろうか… とも思う。私なら出来ない。
映画の構成はリーがインタビューされている程で始まるが、実は息子が遺品を見ながら彼女の過去を想像し、母親に対する蟠りと向き合うというものだった。素晴らしい。その終わりに感動し、リーの残した写真も戦争の悲惨さにも更に深みを持たせる効果があったと思う。
素晴らしい女優さん。バッと大胆な脱ぎっぷりもリーの性格を上手く表現出来ていると感心した。ちょっと、なんだろ、この役柄としてふくよか過ぎるのがイマイチだったので3.5。
連合国はすごいな
リー・ミラー、知らなかったな。
奔放というか退廃的なというかな生活を送ってるよね。
オープニングで上半身裸でピクニック風なのをやってるのは《草上の昼食》オマージュなのかな。
この辺みてるとね、インテリ層みたいな奴らがふざけたことをやれるのが社会の余裕だとは思うけど、あんまりにもふざけてると反インテリ主義に走るのも分かるなと思った。
この人たちはレジスタンスになったりで、芯は強いんだけど、そこがなかなか見えないもんね。
リー・ミラーは当たり前だけど写真うまいね。
モデルをやってたから、その辺で美しさに対する感覚が磨かれたのかなと思ったんだけど、Wikipediaみたらマン・レイの弟子で愛人だったんだね。「マン・レイは駄目よ」みたいな台詞もあったけど、そういう理由なのか。
それで従軍記者になって、色んな写真を撮ってくよね。
それを載せるのが VOGUE だっていうのがすごい。単なるファッション誌じゃないんだ。
戦場でも女性に読まれてて「あなたたちの仕事は世界を教えてくれる」って言われて、泣いちゃうね、こんなこと言われたら。
だんだんとナチスの行ないを撮るようになって、エグいね。
ヒトラー宅の浴槽で写真撮って、これで有名になったのかな。
すごいなとも思うけど、あんまり意味はないよね。
パリが解放されて、みんな手放しで喜んでるんだけど「そんな簡単な話じゃねえだろ」とリー・ミラーは怒ってるのがいい。
イギリス版VOGUEに写真が掲載されないと乗り込んでフィルムを切り裂くのいいね。そりゃ、そうだよ。
編集長で友人のオードリー・ウィザーズが「私も努力しているの」というと「そうね。でも十分じゃない」と飽くまでも怒る。
エンドロールでみんなのその後がでたときオードリー・ウィザーズはイギリス版VOGUEに写真掲載しなかったことを死ぬまで後悔したと出てて、なんか、すごいね。
観ててずっと思ったんだけど、そりゃ日本、戦争に負けるよね。
連合国側は従軍記者に女性を入れて、そりゃ命がけだけど、その人たちがなんとか戦場で生活できるだけの備えがある。
旗色が悪くなってからの日本軍にそれができたかというと、無理だよね。その辺も含めて、彼我の差は大きいなと思いました。
ラストはインタビュアーが実は息子で、遺品を前に独り問い掛けていたっていうギミックで終わるけど、これはまあ、なくても大丈夫だね。
シュルレアリスム
リー・ミラーもポスターの写真も全く知らずに鑑賞しました。
この写真はまさにシュルレアリスム。リーはマン・レイの弟子かつ愛人でしたし、夫のローランドもシュルレアリスムの芸術家。他にも彼女の周りにはシュルレアリストが多数。
また、ファッションモデルや父のアマチュアヌード写真のモデルの経験もあり、あの異常な時・異常な空間で血が騒いだのだと解釈しています。
英語版Wikipediaによると、この写真を撮影した後、ヒトラーのベッドで眠り、妻のベッドでも写真を撮ったとあります。その感覚、とても異常かもしれないけれど理解できます。
怯える女の子へのリーの態度が印象的でした。街中でレイプされかけた女性を助けた時もそうですし、リーの行動は一貫していました。
その後は戦争や強制収容所を目の当たりにした経験から深刻なPTSDに苦しんだとのこと。幼少期のレイプについても長い間秘密にしなければならず、子供には戦時中の経験を語らなかったことから恐らく長く1人で抱えていたものと思います。映画の初めの自由奔放なイメージとは少し違った印象を受けました。緊迫した状況で薬やタバコに頼るあたりに弱さも垣間見えました。
「写真が世に出なければ意味がない」というリーにももちろん共感しましたが、個人的には、オードリーのジレンマに思いを巡らせました。オードリーも組織の制限がある中で、できる限りのことはしたと思います。アメリカ版とはいえ、雑誌に掲載されたことは大きな意味があります。ファッション誌のVOGUEというのも異例です。
息子のアンソニーはリーの死後に写真を発見するまでは、母からの愛情を感じられず複雑な母子関係だったとのこと。リーの残した写真のおかげで真実を知ることとなり、母を理解できたのは良かったです。
「タイタニック」の美しいケイト・ウィンスレットも良かったけれど、「愛を読む人」や今作も見ごたえのある演技で好きです。他の方のコメントにあるような「戦時中にあの体型…」というツッコミも理解できます。
型破り・・・まさしく彼女の瞳が映す世界
リー・ミラー
バスタブに浸かる女性のポスター画像
どういうものだろうと思っていたが、
そんな歴史的な1枚だったのか
ケイト・ウィンスレットの迫真の演技が凄まじい作品
リー・ミラーのモデルから報道写真家への転身
これは彼女の悲惨な過去が彼女を強くし、突き動かしたものか
第二次世界大戦の背景
ナチス・ドイツの残虐行為
それらを写真に収める気丈な彼女だが
その奥底に蓄積される怒り悲しみを全て写真が物語る
ヴォーグ誌に自分の写真が掲載されず
自ら出向いて自分の写真のネガをめちゃくちゃにするシーンには一緒に泣いた
彼女の悔しさ、怒り、世に知らしめるべき事実を収めたものが無意味だったと
彼女と一緒に泣いた
まさしく怒りの涙だった
エンドロールで流れる実際の彼女の写真の背景が、
かなり忠実に再現された作品だったように思う
忘れてはいけない、もしくは知るべき事実を
彼女の写真が物語る
少し強面のケイト・ウィンスレット
ヴォーグモデルからカメラマンに転身したリー・ミラーの人生のほんの一部だが最も色濃く、彼女のその後の人生において大きな影を落としたと言われる戦場カメラマン時代のお話。
リーは自由奔放で現代女性の先駆けの様なタイプで、ヒトラーが住んでたアパートのバスタブに入った写真で有名な人らしい。
チェーンスモーカーでアルコールと薬(飲んでた錠剤あれ何?)を日常的に摂取し、戦争による悲劇的な惨状に対し常に心を平静に保とうとする男前。
画家兼画商の恋人が連れ戻しに来た時に「こんな時に塗料なんか塗ったくっててお前頭の中お花畑かよ!」(もちろん正確には違う言い方ですw)みたいな事を言い罵倒するが、奇しくも現在放映中の朝ドラで戦時中に東京の美大に通っている能天気な幼馴染(やなせたかし先生がモデルです)に対し今田美桜さんが同じような事を言うが、人が生き死にしている状況下での芸術の立ち位置っていつでもこんなものw
話としては最後のシーンで「そうだったんだ!」と思わせる若干分かりにくい構成になっており、また息子アントニーに生前は戦場カメラマンであったことを明かすことはなく、屋根裏部屋にずっと保管していた大量の戦地の写真を亡くなった後に息子が見つけ、世に広めたということを知っていないと今一つピンとこないラストとなっている。
主演のケイト・ウィスレットは本作ではプロデューサーも兼ねており、この役を本当にやりたかったんだろうと思わせるほどに凄みと意気込みを演技から感じることができる。
内にあるものの表現やルッキズムへの抵抗が彼女の女優としての矜持やポリシーなのだろうが、映画である限りビジュアルへのアプローチは説得力を得る意味も含め避けるべきではなく、そこについては非常に残念に思った。
従軍記者リーが見た戦争の悲劇とナチスの蛮行。
解放されたユダヤ人強制収容所の場面がすごい。悲惨な映像とケイト・ウィンスレットの名演により、リーの受けた衝撃が伝わってくる。
戦後、戦地を離れた後も、戦場のフラッシュバックで鬱に悩まされたというのも頷ける。
自分の近くで銃弾が飛び交い、爆弾が破裂したり、積み上げられた死体の山を映像で見るのと、体験するのとでは受ける衝撃度がダンチだと思う。映像では実体験の空気感は体験できないと思う。死体の山はニオイまであるから最悪だ。
リーの戦場での体験がトラウマになるわけだよ。
それから、ヒトラーの家の浴室で撮った写真は初めて知った。有名な写真らしいが、僕は特にメッセージ性は感じられなかった。
この頃リーは戦場カメラマンだから、モデル時代と違って自分が写されることはない。多少は自分か相棒がポートレートを撮ったかもしれないが。
だけど、ヒトラーが使っていた浴槽を見て、リーのモデル魂というか、元モデルの血が騒いだんじゃないかな?
あるいは、アーチストとしてのアイデアが閃いたんじゃないかな。「このバスタブを使って遊んでやれ」なんて思ったのだ。
つまり、リーの遊び心の一作だ。
「あの有名な作品がリーの遊び心?それホントかよ」って、もちろんただの妄想でふ (^^)。
あと、邦題の方が原題より分かりやすくて良いと思った。
原題の 「Lee」 じゃあ ジーンズの映画か?なんて突っ込みたくなる (^^)。
リーのことは全く知らなかったので、観賞直前に、Wikipediaと、リーに関する以前のボーグの記事(ボーグ ジャパン2018/3/18)をざっと読み、VOGUEでのトップモデル時代、パリでのアーティスト、ミューズ時代、戦場カメラマン時代、後年、戦場での影響で鬱に悩まされたことなど、ニワカ知識を頭に入れて観賞。
どーせ才色兼備なモデル上がりのネーチャンの(失礼^^、訂正:ネーチャンの → 女性の)、波乱と苦悩に満ちた生涯の伝記だろう、なーんてタカをくくって踏ん反り返って観てると頭をガツンとやられる。 (この「踏ん反り返って観てる」というのは、Nさんの「今日の空~」のレビューにあったフレーズのパクリである (^^)。)
男前なケイトさん
好きな女優さん。
先日ケイト演じる主婦が、大恐慌を経た波瀾万丈な人生を送るドラマを観たばかり。
他にも田舎の刑事役を演じたドラマとか、割と男前な役が適役だと思っている。
本人はどういう役が好きかはともかく。
今回もベビースモーカーで自由奔放な女性の役。
いきなり脱いだり。
とにかく豪快な女性を演じてた。
老けメイクは特に違和感なし。
ただ、回想シーンはちょっとかわいそうだったかな〜。
役作りで減量する役者さんもいるけれど、それは酷というものか。
若い頃から肉付きがよかったという思えばいいかもだけど、加齢によるものとは違うかな、と。
爆弾を避けて走るシーンもかなりキツそうに見えた。
正直無理を言って戦場についてきた割には足手纏いでは?と。
下手するとオジサンにも見えてしまう、バスタブのシーン。
意味が私にはよくわからなかったな。
相方ディヴィッドを呼んで何をするかと。笑
少しだけの割には無防備でやりたい放題。
旦那さん役のスカルスガルドも若い頃を演じるにはやや無理があったか?身体は細いけど。
「アンジーの瞳」の頃くらいの若さだったらなぁ。
モデルとなる写真家については全く知らなかった。
こんな人もいたんだな、と。
もっと知りたくなった。
【”リー・ミラーがナチスドイツ崩壊後も戦地に留まり、数々の哀しき写真を撮った訳。”今作は派手な交友関係があった彼女が、戦地の悲惨な光景を見て使命感を持ち、哀しき写真を撮り続ける姿が沁みる作品である。】
■1938年フランスのリゾート地。
モデルであったリー・ミラー(ケイト・ウィンスレット)は、芸術家や詩人の知人たち、ソランジュ・ダヤン(マリオン・コティヤール)やヌーシュ・エリュアール(ノエミ・メルラン)らとノンビリと休暇を過ごしている。
そんな時に芸術家のローランド(アレクサンダー・スカルスガルド)と出会い、出会って5時間後には恋に落ち、情を交わす。早いなあ。
だが、第二次世界大戦の脅威が迫る中、モデル業から、写真家としての仕事を得たリーは、アメリカ「LIFE」誌のデイヴィッド・シャーマン(アンディ・サムバーグ)と出会い、チームを組むのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・本作の構成は、老いたリーが若い記者(ジョシュ・オコナー)からの問いに答える形で、過去に彼女が経験した事が描かれて行く。
・序盤は、モデルであったリー・ミラーのリゾート地での優雅な文化人の知人たちとの休暇風景と共に、彼女が芸術家のローランドと恋に落ちる様が描かれる。
・だが、画面が一変するのは第二次世界大戦末期に入ってからである。英国版「VOGUE」にファッション写真を発表していた彼女は、戦場カメラマンとして戦地で女性と言う壁を乗り越え、数々のスクープ写真を撮って行くのである。
女性戦場カメラマンとしては、彼女とマーガレット・バーク=ホワイトが有名であるが、リー・ミラーはそれまでの華やかな世界から戦場写真家に転身した点が、特徴であろう。
又、女性戦場ジャーナリストとしては、ロザムンド・パイクが「プライベート・ウォー」で演じた戦地で左目を失明し眼帯をした姿の、メリー・コルビンが有名であるが、リーはその先駆者と言っても良いであろう。
・彼女が異臭がする街で見た列車の中で死んでいる多数のナチスに囚われた人達や、ガリガリに痩せこけて山のように積まれた人たちの姿を見た時の表情や、マリオン・コティヤール演じるソランジュ・ダヤンが、荒れた部屋でやせ細った身体で掃除をしている姿を見た時の表情と、彼女を抱きめる姿。
そして強制収容所で乱暴されたロマの娘、ナチスに協力したとして髪を切られるフランス人女性達の姿を、次々に写真に収めて行くのである。沈痛な表情で・・。
■ヒトラーが愛人と自死した後に、彼のアパートの浴槽で自らが裸で入り、撮影した写真は余りにも有名であるが、今作ではその場も収められている。
その際のリーを見ると、可なり直情的な人だったのかなと思うが、だからこそ、あのような悲惨な写真を戦地に留まって撮り続けたのだと思う。
・だが、彼女の写真は英国版「VOGUE」の”戦勝版”には、一枚も掲載されないのである。彼女の味方だった編集長オードリー(アンドレア・ライズボロー)は、事情を説明するが怒り狂った彼女は自身の写真を次々に破り捨てるのである。
・そして、再び老いたリーと若い記者との姿が映される。すると、リーはその記者に紐で結んだ箱を開け、中から彼の幼き時の写真を取り出すのである。若い記者は彼女の息子だった事が分かるのである。
若い時に”子供は作らない”と言っていた彼女は、子を成しその子の幼い時の写真を大切に取って置いたのである。少し、沁みる・・。
<今作は、派手な交友関係があった彼女が、戦地の悲惨な光景を見て、人間として使命感を持ち、哀しき写真を撮り続ける姿が沁みる作品なのである。
現況下、このような作品をプロデュースし主演した大女優ケイト・ウィンスレットさんには、敬意を表すべき作品でもあるのである。>
癒えない心の傷。
1938年、南フランスで仲間と休暇中に出会った芸術家ローランドとの恋、その直後起こる第2次世界大戦、当時の話を聞く男性ジャーナリストと、その話を語るリー・ミラーの話。
芸術家ローランドと恋に落ち、直後の戦争、当時雑誌Vogueでモデルとして活躍してたリー・ミラーが写真家から従軍カメラマンとなり見てきた“現場”、戦後も鮮明に残る記憶、残る写真で“癒えない心の傷”の内を語り映像として見せてく。
ナチスとかこっちの系の話は苦手で知識もない私ですが。ただ本作観て思ったのは女性リー・ミラーの強さ、正義感、男勝りな性格が印象的!
持ち帰ったパンを食べる女性達の中にいる独りの少女、その娘へ「恐がらないで…」といいながら写真を撮るシーンは何かグッときたね。
作品としは面白いとかツマラナイではなく、こんな事実があったんだって感じ。
観賞後に気になってリー・ミラーさんを調べたらホントにキレイ!雑誌Vogueってこの時代には既にあったんですね!
シビルウォーの空気感
が現実に迫る中、“リー”について考えるのは更なる学習と考えた。
序盤はケイトウィンスレットのボディーに圧倒される。まるで白鯨、ベッドに横たえるのも一苦労だよねシャーマンくん。
この作品からは戦場カメラマンのモチベーションって部分は見いだせなかった。作り手もソコが目的では無かったのだろう、インタビュー自体虚構だったし。道理でジンの量が増えたりしてたの?
自分なりに解釈すると、何より行って、見て、判断する行為をしたかったんじゃ。無論報道に載せたかったんでしょうが、それが一番の目的じゃなかったと思います。
やはり酒とクスリが無いと、戦場では正気を保てないのか。みんながそんなの嫌だぁー!!と敬遠する時は来るのだろうか?
ナチスの残虐性を暴いた戦場女性カメラマン
リーを演じたケイト・ウィンスレットの演技が圧倒的だ。
これに尽きる作品だと思う。
冒頭いきなり
戦場でナパーム弾の爆風に巻き込まれるリーの姿から、
1977年に自宅で記者から過去を振り返るインタビューへ
転換し、リーによる昔語りが始まるのは、私としては
『タイタニック』を彷彿とさせるオープニングだった。
リーの奔放さもさることながら、
その行動力、意志貫徹度合いなどの気迫がハンパない。
真実を追求する姿には感銘を受けた。
幼少時のトラウマから、女性へ味方することは徹底して
おり、あらゆる場面でそれを感じることができたが
印象的なのは写真を撮る時にファインダーを覗きながら
シャッターをきるのではなく、相手を見てシャッターを
きる姿には、被写体へのリスペクトを感じた。
おそらく自身がモデルだったことが、
リーのカメラマンとしての信条をつくりあげていると思う。
強制収容所を撮影するシーン、
ヒトラーの邸宅のお風呂で撮影するシーン、
は、彼女なりの戦争の真実をより現実的に伝えるための
シチュエーションだったに違いない。
その生き様を、晩年に記者である息子に伝えたのは
死期を悟ったからではあるまいか。
そのラストシーンにもグッときた。
リーの真剣な生き様を見事に演じ切った
ケイト・ウィンスレットに惜しみなく拍手をおくりたい。
人間の目には命が満ちている
こないだMOVIEWALKERさんの試写会に招待して頂きました🎬
ケイト・ウィンスレットはリー・ミラーを力強く演じてますね🙂
ものすごい行動力と胆力を併せ持つ女性で、この時代はまだ男女差別的な思想があったはずですが、それでも戦争の現実を撮り続ける姿勢には驚嘆しました。
リーとタッグを組むデイヴィッドにはアンディ・サムバーグ🙂
彼も良き理解者であり同業者として、リーを支える姿に感服します🫡
それにしてもローランドを演じたアレクサンダー・スカルスガルドは男前ですね。
あれじゃリーとすぐ恋仲になるのも仕方ないのかな🤔
リーの友人ソランジュにはマリオン・コティヤール🙂
凛とした美しさは相変わらずですが、今作では出番少なめで残念でした😥
VOGUE誌の編集者オードリーを演じたアンドレア・ライズボローも、手堅い演技で存在感を発揮していましたよ🙂
「シビル・ウォー アメリカ最後の日」
のリー・スミスは、今作のリーがモデルだそうで。
時に目を覆いたくなるシーンもあり、戦争がもたらす被害について考えさせられる作風です😔
シビル・ウォーが好きな方には、是非見てもらいたいですね🖐️
上映後のトークショーでは
渡部陽一さん
LiLiCoさん
が登壇。
渡部さんはあの口調で感想を述べられており、LiLiCoさんは同じ女性としての立場からの見解をそれぞれ語ってくれました😀
進行は奥浜レイラさんが務めてましたね🙂
滅多にない機会で、充実した時間を過ごせました🫡
MOVIEWALKERさん、ありがとうございます😁
一般公開は5月9日からですよ👍
(オンライン試写会は内容に関係なくネタバレ扱い)彼女の果たした実績にフォーカスが当たった良作。おススメ。
今年97本目(合計1,639本目/今月(2025年3月度)31本目)。
もう4月も来そうですが、日によって10度も乱上下するのでもう少しダッフルコートが必要な私。オンライン試写会に招いていただいた fansvoice さま、ありがとうございました。
彼女のモデルからの写真家への転身、そしてその写真家の実績から彼女の生涯全体を描くドキュメンタリー(に準じる)作品です。当時、モデルといえば確かに体格や顔つき等で当然(今もでしょうが)縛られていた、かつ女性の権利が抑制的に働いていていたこの当時の時代において、写真家に転身して撮影した写真の多さや重要さは、男女問わず20世紀の「代表的な写真家」と言われます。いわゆるナチスドイツの蛮行を撮影した写真(作品)や、当時の戦争の中でも、女性が動員(ここでいう「動員」というのは、実際にパイロット等として戦場に赴くことを要請されたことをいう)された彼女たちを描いた写真等は戦後高く評価され、今では20世紀の写真家として誰を上げる?と言われれば彼女をあげる人は少なくない人物でもあります。
しかし一方で戦争に多くまつわる写真を多くとってきた彼女はやはりその事情から少しずつ精神を病んでいったのであろうこと、また史実に沿えばこの当時に結婚離婚(形式的なものも含む)を繰り返したこともあり精神的に不安定なこともありました。このことも映画内では示されます。
全般的にドキュメンタリー映画ではないですが、彼女の一生涯を描くという意味において「ドキュメンタリー映画に準じる」作品であり、観てよかったなという作品です。正規公開は5月とかなり先のようですが、迷ったらおススメ枠(いわゆる映画の中でも「教養枠」と言われるところに位置するか)といったところです。
採点上特に気になる点までないのでフルスコアにしています。ただ、彼女が活躍した当時のフランス、ドイツ等の史実(まあ、高校世界史程度の知識で十分ですが)にある程度詳しいと見るときに有利かもしれません。
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