リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界のレビュー・感想・評価
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彼女の行動原理
リー・ミラーは「シビル・ウォー アメリカ最後の日」でキルステン・ダンストが演じたリー・スミスのモデルとなった人物だが、それ以外のことは正直よく知らなかった。
ニューヨークのファッションモデルからファインアートの写真家、転じて戦場カメラマン。写真家時代のマン・レイとの恋愛関係、ピカソやジャン・コクトー、ポール・エリュアールとの交流など。箇条書きで見れば、精力的で華やかな人生、という印象だ。
だが彼女の心の奥深くには、幼い頃受けた性的虐待の記憶が横たわっていた。また、リー本人がどう評価しているかは不明だが、10代の頃から結婚後まで彼女のヌード写真を撮り続けたという特殊な父親の存在もあった。
戦争、そしてホロコーストという、究極的に個人の尊厳を破壊する蛮行から彼女が目を逸せなくなっていった、他人事としておけなかったのは、そういった体験に根ざす部分があるのだろうか。
本作で描かれるのは、上に書いたリーの目まぐるしい人生の中で、のちに夫になるローランド・ペンローズとの出会いから戦場カメラマンとして終戦を迎える頃までのおよそ10年ほどだ。作品の製作に自ら奔走したケイト・ウィンスレットは、「モデルとしての彼女に対する先入観を捨てるため」「リー自身がもっとも誇りに思っていたであろう時期」だからと述べている。
それは、彼女が受動的な被写体、マン・レイのミューズという男の付属物のような二つ名から脱して真に能動的に生きた時期とも言える。また、終盤に77年パートのインタビュアーが息子のアントニーであることが明らかになるが、ペンローズとの出会い以降10年という区切り方は、実はリーの死後屋根裏から出てきた写真をもとに彼が両親の出会い以降の母親の軌跡をたどっていたという物語の構造とも辻褄が合うようになっている。
己の目指す道を突き進むリーだが、時代の風潮でただ女であるということが様々な場面でハードルになる。ただ、各ハードルは映画の尺的には割と素早く解決されてゆき、なんだかんだリーは最前線で撮影出来るようになる。
そして彼女はドイツの敗戦とホロコーストの痕跡に行き着く。ライプツィヒ市長の家族の遺体、収容所の屍の山。このシークエンスの映像的インパクトが頭ひとつ抜きん出ていて、リーの伝記というよりホロコースト映画なのではという錯覚さえ覚えた。
リーの人生は何故そこへ流れていったのだろう。あくまで本作から受けた印象のみでの推測だが、彼女を動かしていたのは例えば反戦とか世界平和とか、そういう抽象的なお題目ではない。
7歳の時レイプの被害を周囲に黙殺されたという体験を持つ彼女は、戦争の犠牲者を襲った悲劇が自身の受難と同様に、誰にも知られずやがて忘れられてゆくことが我慢ならなかったのではないだろうか。
写真家としての行動原理が観念的な正義感よりも個人的なトラウマに直結しているからこそ、VOGUEが自分の写真を載せないことに、預けた写真を切り裂くほど激昂した、そんな気がする。
一般的な写真家なら、命懸けで撮ったからこそ作品の破壊などせず、時間がかかっても作品を世に問う方法を探すだろう。だが彼女にとっては、犠牲の証が日の目を見ることがトラウマの癒しであり、その逆はトラウマの再現でしかなく、その状態には耐えられなかったということなのかもしれない。
収容所の死屍累々を見た直後にヒトラー家のバスタブで咄嗟に服を脱いで自撮りをするという心理は個人的には理解出来ないのだが、彼女の行動が頭で考えた理念よりもトラウマを背景にした直感と衝動に基づくものだと仮定すれば、漠然と納得してしまうのだ。
ところでこれは非常に言いづらい感想なのだが、観ている間ずっとケイト・ウィンスレットの骨太な体型が気になってしまった。ごめんなさい。
77年パート(リー70歳)は全く違和感がないし、70歳のリーを演じる49歳のウィンスレットに凄みさえ感じた。
だが序盤の1937年、マネの草上の昼食よろしく上半身をはだけて友人とピクニックをしている場面では、肩の肉が盛り上がった貫禄ボディに違和感を覚えた。この時リーは30歳、マン・レイとの活動を経て実業家アジズ・エルイ・ベイと結婚して3年ほどカイロで暮らし、ベイを置いてパリに戻ってきたばかりの時期だ(ベイとはペンローズとの子をみごもってから離婚)。
その後6年ほど戦場カメラマンとして活動するのだが、ずっと貫禄ボディのままだ。これは完全に私の先入観なのだが、最前線で命懸けの取材活動をするリーにそぐわないように見えた(筋肉でガッチリしているならまだ分かるが)。当時の実際のリーの写真を探してみたが、私が見つけた範囲でのリー本人は人気モデルだった頃の面影が残るどこかシュッとした佇まいで、細身とまでは言わないがそこまでガッチリしていない。
弁解すると、これはルッキズム的なものとは違う。デニーロ・アプローチ並にやれとまでは言わないが、ビジュアルでの役の表現も観る側にとっては大事な情報だ。途中でマリオン・コティヤールがきちんとげっそりした姿(元々痩せているからメイクでの演出だろうが)で出てきた時は、ビジュアルの「それっぽさ」に少し安堵した。
ウィンスレットの演技自体は素晴らしいし、そもそも本作は彼女が発起人となって作られたのだから、そういう意味では彼女が主役を張るのは自然なことだ。
ただ、戦場カメラマン時代からインタビュー(もとい息子の空想)までは3〜40年経過しているのだから、役者を分けてもよかったんじゃないかなあ、とは思う。申し訳ありません。
再現へのこだわり
女性で戦場写真家だと、マーガレット・バーク・ホワイトの名は聞いたことあるけど、リー・ミラーという写真家のことは知らなかった。映画きっかけで検索してみたが、彼女の若い頃、モデルとして写っている写真を見たら、あまりの美女ぶりにびっくり。マン・レイの彼女だった〜? マジですか〜? マン・レイのモデル兼恋人といや、キキしか思い浮かばなかったが、他にもたくさんいたのねえ。
リー・ミラーが戦場写真に駆り立てられる理由がよくわからない。パリにお友達がいるから、様子を知りたかったのか。女はダメと言われるのにムカついたか。それとも、表現の素材として、新しいものが欲しかったのか。なんだかやみくもに突っ走っていったが、動機がぼやけていたと思う。あと、苦労した成果が、ヴォーグ誌に掲載されなかった時に、ネガや写真を切り刻む行為になるのが、理解できない。惨状を伝えられないことに怒るのはわかるが、自分の作品でしょう。自分も大変な思いをしたし、被写体はもっと大変だったし、すでに死んでたりするわけだから、なぜ無に帰すようなことをするのだろう。彼女の体内に沸々とたぎる怒りが激しすぎ、かつ行動が短絡的で、まったく理解できなかった。
しかし、リーの残した写真通りにシーンを作る点は、ものすごいこだわりだった。画作りに監督の執念を感じた。加えて、静止画では臭いは想像できないが、鼻を覆いながら被写体に近づくのを見せられると、現実味がより増す。そこは評価したい。
非常時、弱い者は簡単に犠牲になる。戦争とは、究極の暴力である。その暴力の中へ突入するのに、あんなトロトロしてたら、弾に当たるだろう。もちっと緊張感を持ってくれい。あと、二眼カメラではスピード面で不利な気がする。カメラを持つ位置もかなり低く、あれでピントを合わせられるのか謎だ。ロバート・キャパは、ライカのコンパクトカメラで、機動的に撮影して評価された。LIFE誌のシャーマンも35mmのコンパクトカメラだった。まあ、機材がなきゃ、あるもので何とかするしかないし、二眼で撮影してたのかな。
ヒトラーの台頭について、リーとローランド夫婦がそんなに支持されないだろうと話していたのに、実際は熱烈に担がれたというのが空恐ろしい。独裁者は、密やかに民衆の心を掌握する。うー怖い。これから第二次世界大戦と同じ状況にならないことを祈る。
ケイト・ウィンスレットのことはきれいだと思うし、演技も上手いが、リー・ミラーを演じるには年齢が上過ぎたかな。初老って感じだもん。リー・ミラーが戦場を駆け回っていたのは30代後半、まだフットワークは軽かっただろう。老齢の老けメイクは良かったけど、戦場があまりにも似合わなかった。あと、ブリジット・ジョーンズか、ってくらいパンツがデカかったよね…。
ケイト・ウィンスレット49歳入魂の烈女伝
リー・ミラーは、戦前の実在する元トップモデルにして写真家。
Wikipediaで調べてみたら、あのマン・レイの弟子にして愛人、とあるw
「好きなものは酒とセックスと写真」と豪語し、パリで詩人夫妻や有閑階級の御婦人がたと遊び暮らしていたが、やがて第2次世界対戦の開戦とともにロンドンに移り、ヴォーグUKの写真家となる。そして戦争の前線にやむにやまれず惹き付けられていく。
イギリスでは女性の従軍記者が認められないことに憤慨するが、自身がアメリカ国籍であることを逆手に取って記者証を入手し、ライフ誌カメラマンの盟友ディビィとともにドイツ占領下のフランス前線に潜り込む・・・
あの『タイタニック』のヒロイン、ローズ役の時は24歳?のウィンスレットも49歳か。面構えが半端ない。
実際のミラーは1907年生まれだから、前線で取材しているときは37歳という勘定になる。
のべつ幕なしにタバコを吸い、スキットルでぐいぐいウィスキーを煽りながら仕事に没頭。ちょっと理不尽な仕事上の扱いには容赦なくブチギれ、男装して米軍前線の作戦ブリーフィングに潜り込む。街の暗がりでフランス人女性に乱暴しようとする米GIを突き飛ばし、ジャックナイフをチラつかせて追い払う(そのナイフを女性に護身用にと渡してしまうのがかっこいい)。
そしてドイツ降伏後、取り憑かれたようにディビィとともにジープで荒れ果てたドイツ深部へ。ヒトラー邸宅と、最後に強制収容所に足を踏み入れる・・・
あー、なんてはちゃめちゃで婆娑羅な女性だ。
同じ女性を描くにも、『サブスタンス』みたいな下品な仕上げじゃなくて、こういう道を採って欲しかったな → デミ・ムーア。
素晴らしかった
インタビュー形式で進むかのように見える
リー・ミラーの半生。
モデル引退後に悠々自適に暮らしていたかのような生活が、
ある時を境に一変する。
そこまではさらっと、芯を残したまま描きつつ、
人物間の関係性は上手く見せている。
デイヴィッドとのフレンドシップ。
これも後になって、効いてくる。
マリオン・コティヤールとの再会、
「守れない約束はしないで」、この言葉が彼女を突き動かす。
(ああいう短い場面でもキメてくる流石のマリオンコティアール)
そして、ノエミ・メルランと再会する。
人々が消えていき、戻ってこない。
隠れていた人々の恐怖を、まだパリの人たちは知らない。
ここで、アレクサンダー・スカルスガルド演じるローランドとの再会があり、愛を確かめ合う。そして、帰宅を決めたかのように見えたリーが、戦場の最奥地に行くと決めた瞬間、デイヴィッドと同様に胸が熱くなった。
今までの映画だったら、家に帰ってたもん。
本当にリーのこういう姿を見せてくれるのがこの映画の良い所。
そして、収容所の厳しい現実を知る。
かの有名な浴槽での写真を撮る。
デイヴィッドの感情が溢れ出し、二人は友情により労わり合う。
戻って来たリーは、ヴォーグ誌に自らの写真が載らないことで、会社に駆け込み写真を切り刻む。世に出ないのなら、取っておいても仕方がないのだと。
こういう瞬間に、過去と現在が繋がるんだと思うんだよね。
本当に、世に出ない事実は、無かった事にされてしまうから。
そして、それを最も知っていたのは、リー本人だった。
幼い頃に性暴力に遭った経験をオードリーに話す。
どうしても、写真を残さないといけない理由。
それは、迫害に遭った彼らの為でもあり、自分の為でもあった。
自分の後悔を拭い去りたい、彼/女らの気持ちに共鳴したい。
その気持ちが、リーが戦場に出た根拠だったのだ。
ただ、その根拠というものを幼い頃の性被害と照らし合わせていいものだろうか、と少し逡巡した。本当は、写真を残すことに根拠なんて要らないのではないだろうか。リー本人がそう語ったのか、分からないが、同じような経験をしたことがある人しか突き動かされないのであれば、その動機はいつか無になってしまうのではないか。誰も居なくなったときどうなるのか。
ストーリーに戻ると、アンドレア・ライズボロー演じるオードリーが本当に良くて、リーはあの人に当たってしまったけど(それも当然のように思う)、でもオードリーと一緒にあの雑誌をパリに届けていたんだし、彼女自身、リーの写真がどれだけ重要なものかを分かっているから。写真を破壊してはいけない、とリーにそれを伝えるから。ちゃんと知っている人がいるから、リーの支えに見えて、本当にいい関係性だった。
インタビューはいつの間にか終わり、
(この辺がちょっとわかりにくい)
しかし、鑑賞後にあのジョシュ・オコナ―の台詞を思い返すと、非常に胸に迫るものがあって、泣けた。
「自分のせいで母親が不幸になったと思ってたんだ」
「何で言ってくれなかったんだ」
史実として、リーが息子に死ぬまで戦場での仕事を伝えなかった事実がある。それを描く際の選択として、最も正しい描き方をしていたのではないかと思った。
伝えなかったリー。知らなかった息子。
リーに、何故ヴォーグに写真を載せなかったのかと聞かれたオードリーが、「まだこの写真を見るのに恐怖や不安を感じる人がいる」と。一つの真理だと思った。確かに、どこかで自分と同じような誰かが地獄のような日々を送っていたと考えるのは、辛いし苦しい。ましてや写真を見てしまっては、精神的に不安定にもなる。
しかし、それでも載せるべきだったのだと、暗に語っていたのは息子だった。
「何で言ってくれなかったんだ」
(想像上ではあるが)あの悲惨な戦場での話を聞いて、写真も実際に見た。
その後に、母の人生を思って彼が告げた台詞が、言って欲しかったという事、知りたかった、という事なのである。どれだけ自分が傷ついたとしても、見たくなかったものを見る事になるとしても、言って欲しかったのだ。
そうすれば、その傷は少し癒えたのかもしれないから。
その苦痛は少し和らいだのかもしれないから。完全に消えなくとも、少しの間忘れられたのかもしれないから。残し続ける人が現れ、事実は無くならずに済むかもしれないから。痛みを知っている人がいれば、また同じ事が起こらずに済むかもしれないから。
これが、オードリーの反論に対する答えだと思う。
そして、この映画を観た我々に託された希望なのだと思う。
そして、エンドロール。
事実は残り続けると言うかのように、リー・ミラーの写真たちが流れる。
ここで止まっていてはいけない。
隠していてはいけない、表に出していかなかればいけない。
事実を無かったことにしてはいけない。語っていかなければいけない。
そんな重要なことを教えてくれる一作だった。
本当に久々に、まさに映画らしい映画を観た。
これよくアカデミー賞スルーされたな…。
改めて「関心領域」って何だったの?ってなるな本当に。
直視することなく描くって、まさに今生きる自分たちがしそうになっている事じゃん。それを映画にして、再演したって何の意味があるの?
重要なのは、自分を満足させることじゃなくて、何を見せるために映画があるか、じゃないの?
決して忘れてはならない負の遺産
❶相性:上。
❷時代(登場する文書やテロップや会話等の日付から):
1977→1938~1945→1977。
❸舞台:イギリス:イースト・サセックス、ロンドン。フランス:パリ、サン・マロ。ドイツ:ブーヘンヴァルト、ダッハウ、ミュンヘン。
❹主な登場人物
★以下の7人は全員が実在、実名。
①リー・ミラー〔実在:1907-1977〕(✹ケイト・ウィンスレット、47歳):主人公。アメリカの先駆的な従軍記者兼写真家。かつては『VOGUE』の表紙を飾るモデルだったが、30代で写真家に転じ、ダッハウ強制収容所を始め、ヨーロッパ各地で衝撃的で恐ろしい光景をフィルムに収めた。彼女の写真は、WWⅡにおいて最も意義深く、歴史的にも重要なものとして残り続けている。一方、凄惨なものを見たこと、そしてその物語を伝えることに多大な労力を費やしたことにより、精神的に大きな犠牲を払うことになる。
②デイヴィッド・シャーマン〔実在:1900-1984〕(✹アレクサンダー・スカルスガルド、46歳)
アメリカ「LIFE」のフォトジャーナリスト兼編集者。取材中リー・ミラーと出会い、チームを組み、数々の仕事をした。二人は生涯の友人となる。
③ローランド・ペンローズ〔実在:1916-1997〕(アンディ・サムバーグ、44歳)
イギリス人の芸術家、歴史学者、詩人、伝記作者。WWⅡ勃発の2年前にリー・ミラーと出会い、恋に落ちる。リーが従軍記者になることを応援しており、リーの人生における大きな転機には必ず彼女を支えた。
④オードリー・ウィザーズ〔実在:1905-2001〕(アンドレア・ライズボロー、41歳)
イギリス人ジャーナリスト。イギリス版『VOGUE』の編集者。リーの写真を評価する一方、社会的制約や雑誌方針との板挟みになる。
⑤ソランジュ・ダヤン〔実在:1898-1976〕(✹マリオン・コティヤール、47歳)
リー・ミラーの芸術家仲間。フランス版『VOGUE』の編集者。レジスタンスのメンバーだった夫のアヤン公爵は1942年にゲシュタポに逮捕され、幾つもの強制収容所を経てベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送されたが、収容所が解放される前日に死去。ソランジュも強制収容所に送られていたが、パリ解放後リーと再会する。
⑥ヌーシュ・エリュアール〔実在:1906-1946〕(ノエミ・メルラン、34歳)
リー・ミラーの芸術家仲間。フランス人パフォーマー、モデル、シュルレアリストの芸術家。夫は詩人のポール・エリュアール。ナチス占領下のフランスでレジタンスのために働く。1946年にパリで病死。
⑦ジャーナリスト(実はリーとローランドの息子アントニー・ペンローズ)〔実在:1947-〕(ジョシュ・オコナー、32歳)
1977年、イギリスの自宅で、70歳のリー・ミラーに当時の様子を取材する若手ジャーナリスト。
★最後に、彼がリーとローランドの息子アントニー・ペンローズであることが示される⇒❺⑮★参照。
❺要旨と考察
①1977年。イギリスはイースト・サセックスのファーリー・ファーム(Farley Farm)の自宅で、70歳のリー・ミラー(ケイト・ウィンスレット)が、若いジャーナリスト(ジョシュ・オコナー)からインタビューを受け、写真家として活躍したWWⅡ時代について語り始める。
②1938年南フランス。31歳のリー(ケイト・ウィンスレット)は、芸術家や詩人の仲間たち──ソランジュ・ダヤン(マリオン・コティヤール)やヌーシュ・エリュアール(ノエミ・メルラン)らと休暇を過ごしていた。
③そこでりーは、イギリス人の芸術家ローランド・ペンローズ(アレクサンダー・スカルスガルド)と出会い恋に落ち同棲する。2人は1947年に正式結婚。
④同じころ、ドイツでjは48歳のアドルフ・ヒトラー(1889-1945/4)が政権を掌握し、WWⅡ(1939-1945)の脅威が迫っていた。
⑤1939年、りーとローランドはロンドンへ移住。仲間達はレジスタンスに参加する等して離れ離れとなってしまう。
⑥1940年、リーはかつてモデルとして活躍した『VOGUE』の英国編集部に、写真家としての仕事を求め、女性編集者のオードリー・ウィザーズ(アンドレア・ライズボロー)と出会った事で仕事を得る。
⑦写真家として活動する中で、リーは米国従軍記者のデイヴィッド・シャーマン(アンディ・サムバーグ)と出会い、チームを組む。
⑧1942年、リーは戦場を希望するが、英国軍の規定により女性の戦地への参加は認められない。アメリカ国籍のリーは、デイヴィッドの機転により、アメリカ軍の従軍記者となる事で戦場へ赴く。
⑨1944年。リー達はアメリカ軍が解放したパリを訪れ、やつれて変わり果てたソランジュと再会する。そこでリーは強制収容所の存在と、ユダヤ人をはじめナチスに抵抗する人々が姿を消している現実にを知る。
⑩真実を明らかにしなければならないとの使命感に駆られたリーとデイヴィッドは、先に待ち受ける“この世の地獄”を目指すことを決意する。
⑪1944年、仏サン・マロの戦いを乗り越え、史上初めてのナパーム弾が使用された瞬間をスクープする。
⑫1945年、独 ブーヘンヴァルト強制収容所とダッハウ強制収容所が解放されたその⽇に、現場に初めて⾜を踏み⼊れ、何万人もの行方不明者の死体を記録。
⑬1945年4月30日、ヒトラーが自殺した日、ミュンヘンにあるヒトラーのアパートの浴室を記録。
⑭戦争は終わるが、リーが目撃した光景は、PTSDとなり長きに渡り彼女を苦しめることとなる。
⑮時が流れて1977年のイギリス。イースト・サセックスのファーリー・ファームの自宅で70歳のリー・ミラーが、若いジャーナリストからインタビューを受けている冒頭のシーンに戻る。
★ジャーナリストはリーとローランドの息子アントニー・ペンローズだった。この時点で、リーは既に亡くなっていて、相続人のアントニーが、屋根裏部屋で発見したリーの遺産(写真と文書)から、リーの業績を振り返る仕掛けになっている。リーとの対話はアントニーの想像だったのだ。仕事一筋だったリーは、息子との時間が取れず、加えてPTSDにより、母と息子は不仲のままで終わっていた。最後に母の後悔の心を理解した息子に気持ちが強く伝わった。
★でも、この設定をよく吟味すると大いなる疑問があることに気付く。本作で描かれた、1938年~1945年のリーに関わる出来事は、アントニーの眼を介したものになっている。しかし、生前のリーと息子のアントニーは不仲で、相手の気持ちが理解出来ていなかった筈である。とすれば、そんなアントニーが、母の気持ちを代弁することは出来ないのではないか?
★このことから、リーに関わることは本人から語る設定にした方が良かったと思うのである。
❻まとめ
①圧倒的な男性社会の中で、女性の主人公が20世紀を代表する写真家の一人となった経緯がよく理解出来た。
②ヒトラーのアパートのバスタブでのリーの入浴シーン等、よく理解出来なかったシーンもあるが、容認出来る。
③一番の問題は、要となっている1938年~1945年のリーに関わる出来事を、アントニーの眼を介した設定にしたことだと思う。
④強制収容所とホロコーストに関しては、下記❼参照。
❼参考1:今は博物館になっているナチスの強制収容所
①1年前公開された『関心領域(2023米・英・ポーランド)』のラスト直前で、画面が突然現在の「アウシュビッツ・ビルケナウ国立博物館」に飛ぶ。そこでは清掃員たちが開館前の清掃を行っている。大きな窓の向こうには、亡くなったユダヤ人たちの遺品(靴や杖や写真等)が山積みになっている。つまり、80年以上前のホロコーストの悲劇が、現在でも学ぶことが出来るようになっているのだ。
②ナチス・ドイツは、ユダヤ人、反ナチ分子等々の該当者を収容するために、ドイツ本国及び併合・占領したヨーロッパの各地に強制収容所を設置した。
③最も悪名高い「アウシュビィッツ=ビルケナウ強制収容所(現在のポーランド)」を始め、最初に作られ後続の強制収容所のモデルとなった「ダッハウ強制収容所(ミュンヘン近郊)」等、2万ヵ所もあったという。
④現在では、多くの元収容所が整備されて博物館や付属施設となっている。忘れてしまいたい負の歴史を保存・継承し学習して、同じ過ちを繰り返さないようにするためである。ドイツのみならず、ヨーロッパ各国の学生や社会人が訪問して、体験学習出来るようになっている。
⑤私は、本作に登場した「ダッハウ強制収容所」を2011年に見学している。収容房、バラック、ガス室等の現物や、写真、展示物等過去の残虐な行為を自分の目で見て大きな衝撃を受けた。他国の出来事とは思えなかった。こんな悲劇は二度と起こしてはいけないと痛感した。他の見学者も基本的には同様だと思う。たとえ観光コースであっても、悲劇の遺跡を自分自身で体験することは、風化を防ぎ、未来へ継承するために、大きな意義があると確信する。
❽参考2:リー・ミラー(Lee Miller)とリー・スミス(Lee Smith)
『シビル・ウォー アメリカ最後の日(2023米)』でキルステン・ダンストが演じる報道写真家の名前リー・スミスは、本作のリー・ミラーから採られている。
行動し、挑発し、傷を引き受けた人生
VOGUE誌の表紙を飾ったモデルから第二次世界大戦の戦場カメラマンに転身したリー・ミラー。その存在を知るだけで意味のある映画だった。演じるケイト・ウィンスレットも本人が乗り移ったかのような力の入った演技で、代表作タイタニックを今から見てみたくなった。
冒頭、セレブ達がフランスの海岸で優雅にバーベキュー、主役のリー・ミラーはいきなり上半身裸で、胸をあらわにしながら煙草をスパスパ。その場を訪れたイギリス人アーティストと、数時間で恋に落ちる。
こういう肉食系の女性でありつつも、戦争が始まればいてもたってもいられずカメラマンとして戦場に乗り込む。ナチスが占領中のフランスを連合国が奪回する、ノルマンディー上陸作戦だ。
豊満な肉体と、戦争の状況を読み取る知性、戦場における男女の境界を突破しようとする執念や行動力。全部の方向へ100%エネルギーを注ぐ、今までにないような人物像に引き込まれた。
過酷な戦場でミラーの視線が向かうのは、何重にも傷つけられる女性の存在だ。フランスではナチスに協力したとして街頭で丸刈りにされる若い女性、ドイツでは男性の影に隠れてパンを分け合う、ホロコーストの生き残りのユダヤ人少女。
彼女たちの警戒心を解くため、ミラーは英語からフランス語に言葉を切り替えたり、「男装」して帽子の中に隠した長い髪をほどいたりする。
クライマックスはミュンヘンのヒトラーの私邸に忍び込み、浴室で自分を被写体にフォトセッションを敢行。これをナチスに向けた芸術的な挑発だと理解した。モデル、カメラマン、演出家としての役割を兼ねるミラーの真骨頂だろう。
女性が背負う見えない傷という現代的テーマもひしひしと感じる。何かに突き動かされるように悲惨な戦場を直視するミラー。しかし「見てしまった」ことによる傷、見たものを共有しようとしない友人への不信感という傷も背負うことになった。
ミラーが戦後、自分のキャリアについて語らなかったのもそれらの傷のためだろうか。晩年のミラーを描く場面はやや単調で、沈黙への答えを得る難しさを想像させられた。
This movie must be made based on the idea and understanding of Kate Winslet.
This is the story of Lee Miller as a war photographer, as captured by Kate Winslet, who must have been busy making the film. It was made in the form of a conversation between the young interviewer and Lee, but from her particularly cold tone, we find out who the interviewer is halfway through.
She used a medium-sized Rolleiflex, which we have come to call a twin-lens reflex. On the other hand, David Sherman, a photographer, and editor at Life magazine, used a small camera that seems to be a Leica. However, there is never any mention of developing the photos. How on earth did they develop them on the battlefield?
After entering Normandy, France, she worked as a war photographer, but the problem is the passage of time. They traveled alone in a jeep that seems to have been loaned from the US military in Paris, but when they entered Germany, a couple who committed suicide with potassium cyanide is found, reminiscent of Goebbels and his wife. However, later, on April 30th, 1945, the day Hitler died in Berlin, she entered Hitler's former headquarters in Munich and took photos. Goebbels and his wife died the day after Hitler's suicide. Furthermore, she visited the concentration camps, Buchenwald and Dachau consequently, but the US military entered the former camp on April 11th, and Lee visited the latter concentration camp, known for its railroad siding, just before Munich. I wonder if the film was made based on these historical facts to some extent.
What did Lee Miller herself really want to do? She would like to express something particular by herself. She started taking photographs with Man Ray during her time in Paris (1930s), and she was also the subject of a photo shoot at Hitler's house. In wartime London, she managed to get into Vogue magazine as a photographer, where she had once been a famous model, and then made a fuss when the photos she brought in were not published.
Even though it was wartime, she showed no consideration for the subjects she photographed. The limited rights of women were mentioned many times in this film, but if she was an artist, it is not difficult to imagine how much the rights of her subjects must have tormented her in the latter half of her life.
I wish they had been a little more conscious of the historical facts surrounding the war when making the film. What a shame.
ケイト・ウィンスレットの演技が素晴らしかった。
存じ上げなかった実在の人物「リー・ミラー」
モデルからフォトグラファーに転身し
米国陸軍の従軍記者として
第二次世界大戦の数々の報道写真を残した
彼女の伝記的映画。
酒もたばこも男まさりで気性も激しい彼女が
残した写真は、戦場の凄惨さを女性特有の目線と
芸術性の高いものだったけれど
英ヴォーグは掲載を認めなかったけれど
その理由はその理由としてわからなくもない。
ただ、彼女の無念に思う心の叫びが痛い。
そんな彼女を陰ながら支えた
英ヴォーグ編集長オードリーと
同僚カメラマン、デイヴィ・シャーマンの存在が
とても羨ましく感じた。
ディヴィのリーに対する感情が垣間見れるシーンでは
切なくもある。
こんな仕事仲間、本当に羨ましいかぎり。
傷とは、見えないところにこそ深く負う。
外傷は時が来れば治って行くけど
心に深く負った傷は、
薬や酒に頼らなくてはいけなくなるほどで
本作ではその傷を彼女の苦悩として
隠さずしっかり描ききっている。
在り来りな感想ではあるけれど
人間の恐ろしさ、戦争の愚かさをまざまざと
見せつけられた本作は、
リーの残した写真のようでもある。
彼女の世界?現実の世界?
まさに『その時代』を生きてきた人⋯⋯女かな?
あまり多くを語らない自由に誰にも縛られなく言いたい事も言い感性の赴くまま進んできた人。
なんだろうけど写真から見えた光や影には彼女自身そのものを捉えていたのかもしれない。
やはりまだ女というだけで虐げられた時代に翻弄されて納得行かないアメリカ人。
同じ所には長くいれば切れ味が鈍るナイフかの様に男や文化、そして時代に立ち向かって行った彼女。
別に好き好んで前線に飛び込んだ訳ではなく、自身に起きた過去から逃げて立ち向かい乗り越えようとした彼女の一部を写真にしたのかも。
そして戦争の終結時に霧の中に迷い込んだかの様に彷徨い行き着いた地獄の淵⋯⋯。
知って欲しかった今起きている世界を戦争を傷ついた人々を、そして女性たちを。自分自身を。
バスタブでの1枚はヒトラーの邸宅(戦争、暴君、権力、そして男たちの世界の象徴)ですべての不安を脱ぎ去り、温かい湯の中で安息をつき汚れを流してさらなる世界に準備をするかの様にも思える。
しかし誰も見ようとはしなかった。
戦争の真実や女性、そして彼女を。
彼女が現代にいたら何を見ているのだろう?
いや自分たちは目を逸らさず真実を捉え立ち向い後世に残し伝える。
過ちは誰でも起こしうる事。だけど過去から学ぶ事は出来るはず。
誰もが安心して温かい湯に身を浸す幸せな時間を得る事を祈りつつ。
彼女が見てきたものを再現するなら、ラストのネタバレはない方が良かったかも
2025.5.15 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のイギリス映画(116分、G)
原作はアントニー・ペンローズの伝記『The Lives of Lee Miller』
実在の写真家、リー・ミラーの半生を描いた伝記映画
監督はエレン・クラス
脚本はリズ・ハンナ&マリオン・ヒューム&ジョン・コリー
物語の舞台は、1977年のイギリス、ファーリー・ファーム
モデル、写真家としての生涯を送ってきたリー・ミラー(ケイト・ウィンスレット)は、ある若いジャーナリスト(ジョシュ・オコナー)の取材を受けていた
ジャーナリストは彼女が撮った写真を見ながら、そこに込められた「物語」に傾聴していく
舞台は変わり、1938年のフランス・ムージャン
リーは友人たちと共に避暑地を訪れ、ジプシーのような生活を送っていた
モデル仲間のヌーシュ(ノエミ・メルラン)とその夫ポール(ヴァンサン・コロンプ)、編集者のソランジュ(マリオン・コティヤール)とその夫ジャン(パトリック・ミル)たちと過ごしていたリーだったが、そこにイギリス人の芸術家ローランド(アレクサンダー・スカルスガルド)が招かれてやってきた
リーは「どうしてこれまで出会わなかったのかしら?」と言い、ローランドの人となりを推理し始める
友人たちは「また、始まった」と言い、「今度は僕の番だ」とローランドもリーの人柄を語り始めた
その後、第二次世界大戦が本格化し、リーはローランドと共にロンドンに逃げることになった
パリは陥落し、ロンドンにも空爆が起こるようになり、そこでリーは爆破された街の写真(家の防空壕)を撮り始める
そして、現地にアメリカから派遣されていた従軍写真家のデイヴィッド・シャーマン(アンディ・サムバーグ)と出会い、行動を共にすることになった
イギリス政府は女性を戦地に派遣することを認めていなかったが、アメリカ人のリーは母国で申請をし、ようやくノルマンディーに行けるようになる
だが、最前線は想像以上に酷いもので、リーはそこで補給機のパイロットをしているアン・ダグラス(Harriet Leitch)と出会い、彼女を写真に収めた
映画は、1945年のドイツ・ベルリンにて「ヒトラーの家のバスタブで写真を撮る」というところまでを描き、ダッハウ、ブーヘンヴァルトの二つの収容所の現実を写真に収めていく様子が描かれていく
構成としては、ジャーナリストがリーの回想録を聞くというテイストだが、実際には「リーの死後に遺品を見つけた息子の想像」というものになっていた
リーは息子に戦争写真家であったことを死ぬまで隠していて、息子は第一子が生まれた際に「自分の幼少期の写真」を探すことになった
その際に母親が何をしていたかを知り、それを後世に残すための活動を始めている
原作にあたる伝記小説、ロケ地として使われたファーリー・ハウスなどがその活動の一環であり、それによって、第二次世界大戦の知られざる物語というものが世に出るようになったと言われている
映画は、女性が見た戦争という視点で語られ、戦争の影に隠れて蔑ろにされた女性の悲哀を切り取っていく
それと同時に、女性が踏み込めなかった世界を切り開いていく様子が描かれ、その集大成がバスタブの写真であると言える
この写真を撮る時にヒトラーの家で多くのアメリカ兵などがヒトラーが好んだウイスキーなどを飲んではしゃいでいたが、それらの道徳的とは言えない行為のさらに上をいくのがリーの写真であると思う
これまではどうして撮ったのかは謎だとされていたが、彼女の物語を女性目線で再構築すると、あのような理由になるのだろう
収容所での汚れをあの場所で洗い流すことに意味はあるし、騒いでいるアメリカ兵の倫理観を超えた、というところに彼女らしさというものが凝縮されているのかな、と感じた
いずれにせよ、女性が戦地に入ることで救われる女性もいれば、そこで尽くしている女性たちの励みにもなるので必要だと思う
イギリスとアメリカで扱いが違うところは国柄だが、彼女がアメリカ人でなければ成し得なかったというのは事実だろう
その後、戦争をどう裁くかという部分でもイギリスとアメリカの姿勢は違うし、アメリカでもダメなもの(ナパーム弾使用)はダメだったりする
そう言ったものが時代を超えて蘇ったのが戦後30年後であり、そこから多くの人が戦争がどんなものだったのかを知ることになった
そう言った効果を前面に押し出すというのも方向性の一つだと思うが、映画は「実は息子だった」というものをミステリーにしているので、それがうまくハマっているのかは何とも言えない感じがした
キャスティングの妙なのか、息子はどっちかというとデイヴィ寄りに見えるので、そのあたりに意図があったのかはわからない
それは重要なことではないと思うのだが、見えない痛みを描く映画ということを考えれば、見えないものを映している部分もあるのかな、と感じた
あれが実話とは…
戦争を体験していない私にとっては、簡単にあーだこーだ言える立場ではないが、命の危険もありながら悲惨な現場の写真を撮り続けるってのはよっぽどの使命感がないと出来ないことだと思う。その使命感は、撮れば撮るほど、戦地で亡くなった方々の無念を後世に残したいと思うのだろう。そんな写真が掲載されなかった時の怒りと悲しみは相当であっただろう。
と同時に、苦しんでいる人々を助けるより、ひたすら写真を撮るというのはどんな気持ちだったのだろうか… とも思う。私なら出来ない。
映画の構成はリーがインタビューされている程で始まるが、実は息子が遺品を見ながら彼女の過去を想像し、母親に対する蟠りと向き合うというものだった。素晴らしい。その終わりに感動し、リーの残した写真も戦争の悲惨さにも更に深みを持たせる効果があったと思う。
素晴らしい女優さん。バッと大胆な脱ぎっぷりもリーの性格を上手く表現出来ていると感心した。ちょっと、なんだろ、この役柄としてふくよか過ぎるのがイマイチだったので3.5。
連合国はすごいな
リー・ミラー、知らなかったな。
奔放というか退廃的なというかな生活を送ってるよね。
オープニングで上半身裸でピクニック風なのをやってるのは《草上の昼食》オマージュなのかな。
この辺みてるとね、インテリ層みたいな奴らがふざけたことをやれるのが社会の余裕だとは思うけど、あんまりにもふざけてると反インテリ主義に走るのも分かるなと思った。
この人たちはレジスタンスになったりで、芯は強いんだけど、そこがなかなか見えないもんね。
リー・ミラーは当たり前だけど写真うまいね。
モデルをやってたから、その辺で美しさに対する感覚が磨かれたのかなと思ったんだけど、Wikipediaみたらマン・レイの弟子で愛人だったんだね。「マン・レイは駄目よ」みたいな台詞もあったけど、そういう理由なのか。
それで従軍記者になって、色んな写真を撮ってくよね。
それを載せるのが VOGUE だっていうのがすごい。単なるファッション誌じゃないんだ。
戦場でも女性に読まれてて「あなたたちの仕事は世界を教えてくれる」って言われて、泣いちゃうね、こんなこと言われたら。
だんだんとナチスの行ないを撮るようになって、エグいね。
ヒトラー宅の浴槽で写真撮って、これで有名になったのかな。
すごいなとも思うけど、あんまり意味はないよね。
パリが解放されて、みんな手放しで喜んでるんだけど「そんな簡単な話じゃねえだろ」とリー・ミラーは怒ってるのがいい。
イギリス版VOGUEに写真が掲載されないと乗り込んでフィルムを切り裂くのいいね。そりゃ、そうだよ。
編集長で友人のオードリー・ウィザーズが「私も努力しているの」というと「そうね。でも十分じゃない」と飽くまでも怒る。
エンドロールでみんなのその後がでたときオードリー・ウィザーズはイギリス版VOGUEに写真掲載しなかったことを死ぬまで後悔したと出てて、なんか、すごいね。
観ててずっと思ったんだけど、そりゃ日本、戦争に負けるよね。
連合国側は従軍記者に女性を入れて、そりゃ命がけだけど、その人たちがなんとか戦場で生活できるだけの備えがある。
旗色が悪くなってからの日本軍にそれができたかというと、無理だよね。その辺も含めて、彼我の差は大きいなと思いました。
ラストはインタビュアーが実は息子で、遺品を前に独り問い掛けていたっていうギミックで終わるけど、これはまあ、なくても大丈夫だね。
シュルレアリスム
リー・ミラーもポスターの写真も全く知らずに鑑賞しました。
この写真はまさにシュルレアリスム。リーはマン・レイの弟子かつ愛人でしたし、夫のローランドもシュルレアリスムの芸術家。他にも彼女の周りにはシュルレアリストが多数。
また、ファッションモデルや父のアマチュアヌード写真のモデルの経験もあり、あの異常な時・異常な空間で血が騒いだのだと解釈しています。
英語版Wikipediaによると、この写真を撮影した後、ヒトラーのベッドで眠り、妻のベッドでも写真を撮ったとあります。その感覚、とても異常かもしれないけれど理解できます。
怯える女の子へのリーの態度が印象的でした。街中でレイプされかけた女性を助けた時もそうですし、リーの行動は一貫していました。
その後は戦争や強制収容所を目の当たりにした経験から深刻なPTSDに苦しんだとのこと。幼少期のレイプについても長い間秘密にしなければならず、子供には戦時中の経験を語らなかったことから恐らく長く1人で抱えていたものと思います。映画の初めの自由奔放なイメージとは少し違った印象を受けました。緊迫した状況で薬やタバコに頼るあたりに弱さも垣間見えました。
「写真が世に出なければ意味がない」というリーにももちろん共感しましたが、個人的には、オードリーのジレンマに思いを巡らせました。オードリーも組織の制限がある中で、できる限りのことはしたと思います。アメリカ版とはいえ、雑誌に掲載されたことは大きな意味があります。ファッション誌のVOGUEというのも異例です。
息子のアンソニーはリーの死後に写真を発見するまでは、母からの愛情を感じられず複雑な母子関係だったとのこと。リーの残した写真のおかげで真実を知ることとなり、母を理解できたのは良かったです。
「タイタニック」の美しいケイト・ウィンスレットも良かったけれど、「愛を読む人」や今作も見ごたえのある演技で好きです。他の方のコメントにあるような「戦時中にあの体型…」というツッコミも理解できます。
型破り・・・まさしく彼女の瞳が映す世界
リー・ミラー
バスタブに浸かる女性のポスター画像
どういうものだろうと思っていたが、
そんな歴史的な1枚だったのか
ケイト・ウィンスレットの迫真の演技が凄まじい作品
リー・ミラーのモデルから報道写真家への転身
これは彼女の悲惨な過去が彼女を強くし、突き動かしたものか
第二次世界大戦の背景
ナチス・ドイツの残虐行為
それらを写真に収める気丈な彼女だが
その奥底に蓄積される怒り悲しみを全て写真が物語る
ヴォーグ誌に自分の写真が掲載されず
自ら出向いて自分の写真のネガをめちゃくちゃにするシーンには一緒に泣いた
彼女の悔しさ、怒り、世に知らしめるべき事実を収めたものが無意味だったと
彼女と一緒に泣いた
まさしく怒りの涙だった
エンドロールで流れる実際の彼女の写真の背景が、
かなり忠実に再現された作品だったように思う
忘れてはいけない、もしくは知るべき事実を
彼女の写真が物語る
けっこう面白い
実在の写真家の実録映画で、ヒトラーの自宅で風呂に入る写真を撮るなどふざけていて最高だ。そりゃあやってみたいだろう。今なら大炎上だ。当時まだ誰も知らなかった収容所にいち早く足を踏み入れるなど、さぞ衝撃的だっただろう。知ってて行っても怖い。
やれるならやっちゃえみたいな、そこで二の足を踏まずぐいぐい行く姿勢がかっこいい。そうあるべきだ。
少し強面のケイト・ウィンスレット
ヴォーグモデルからカメラマンに転身したリー・ミラーの人生のほんの一部だが最も色濃く、彼女のその後の人生において大きな影を落としたと言われる戦場カメラマン時代のお話。
リーは自由奔放で現代女性の先駆けの様なタイプで、ヒトラーが住んでたアパートのバスタブに入った写真で有名な人らしい。
チェーンスモーカーでアルコールと薬(飲んでた錠剤あれ何?)を日常的に摂取し、戦争による悲劇的な惨状に対し常に心を平静に保とうとする男前。
画家兼画商の恋人が連れ戻しに来た時に「こんな時に塗料なんか塗ったくっててお前頭の中お花畑かよ!」(もちろん正確には違う言い方ですw)みたいな事を言い罵倒するが、奇しくも現在放映中の朝ドラで戦時中に東京の美大に通っている能天気な幼馴染(やなせたかし先生がモデルです)に対し今田美桜さんが同じような事を言うが、人が生き死にしている状況下での芸術の立ち位置っていつでもこんなものw
話としては最後のシーンで「そうだったんだ!」と思わせる若干分かりにくい構成になっており、また息子アントニーに生前は戦場カメラマンであったことを明かすことはなく、屋根裏部屋にずっと保管していた大量の戦地の写真を亡くなった後に息子が見つけ、世に広めたということを知っていないと今一つピンとこないラストとなっている。
主演のケイト・ウィスレットは本作ではプロデューサーも兼ねており、この役を本当にやりたかったんだろうと思わせるほどに凄みと意気込みを演技から感じることができる。
内にあるものの表現やルッキズムへの抵抗が彼女の女優としての矜持やポリシーなのだろうが、映画である限りビジュアルへのアプローチは説得力を得る意味も含め避けるべきではなく、そこについては非常に残念に思った。
従軍記者リーが見た戦争の悲劇とナチスの蛮行。
解放されたユダヤ人強制収容所の場面がすごい。悲惨な映像とケイト・ウィンスレットの名演により、リーの受けた衝撃が伝わってくる。
戦後、戦地を離れた後も、戦場のフラッシュバックで鬱に悩まされたというのも頷ける。
自分の近くで銃弾が飛び交い、爆弾が破裂したり、積み上げられた死体の山を映像で見るのと、体験するのとでは受ける衝撃度がダンチだと思う。映像では実体験の空気感は体験できないと思う。死体の山はニオイまであるから最悪だ。
リーの戦場での体験がトラウマになるわけだよ。
それから、ヒトラーの家の浴室で撮った写真は初めて知った。有名な写真らしいが、僕は特にメッセージ性は感じられなかった。
この頃リーは戦場カメラマンだから、モデル時代と違って自分が写されることはない。多少は自分か相棒がポートレートを撮ったかもしれないが。
だけど、ヒトラーが使っていた浴槽を見て、リーのモデル魂というか、元モデルの血が騒いだんじゃないかな?
あるいは、アーチストとしてのアイデアが閃いたんじゃないかな。「このバスタブを使って遊んでやれ」なんて思ったのだ。
つまり、リーの遊び心の一作だ。
「あの有名な作品がリーの遊び心?それホントかよ」って、もちろんただの妄想でふ (^^)。
あと、邦題の方が原題より分かりやすくて良いと思った。
原題の 「Lee」 じゃあ ジーンズの映画か?なんて突っ込みたくなる (^^)。
リーのことは全く知らなかったので、観賞直前に、Wikipediaと、リーに関する以前のボーグの記事(ボーグ ジャパン2018/3/18)をざっと読み、VOGUEでのトップモデル時代、パリでのアーティスト、ミューズ時代、戦場カメラマン時代、後年、戦場での影響で鬱に悩まされたことなど、ニワカ知識を頭に入れて観賞。
どーせ才色兼備なモデル上がりのネーチャンの(失礼^^、訂正:ネーチャンの → 女性の)、波乱と苦悩に満ちた生涯の伝記だろう、なーんてタカをくくって踏ん反り返って観てると頭をガツンとやられる。 (この「踏ん反り返って観てる」というのは、Nさんの「今日の空~」のレビューにあったフレーズのパクリである (^^)。)
男前なケイトさん
好きな女優さん。
先日ケイト演じる主婦が、大恐慌を経た波瀾万丈な人生を送るドラマを観たばかり。
他にも田舎の刑事役を演じたドラマとか、割と男前な役が適役だと思っている。
本人はどういう役が好きかはともかく。
今回もベビースモーカーで自由奔放な女性の役。
いきなり脱いだり。
とにかく豪快な女性を演じてた。
老けメイクは特に違和感なし。
ただ、回想シーンはちょっとかわいそうだったかな〜。
役作りで減量する役者さんもいるけれど、それは酷というものか。
若い頃から肉付きがよかったという思えばいいかもだけど、加齢によるものとは違うかな、と。
爆弾を避けて走るシーンもかなりキツそうに見えた。
正直無理を言って戦場についてきた割には足手纏いでは?と。
下手するとオジサンにも見えてしまう、バスタブのシーン。
意味が私にはよくわからなかったな。
相方ディヴィッドを呼んで何をするかと。笑
少しだけの割には無防備でやりたい放題。
旦那さん役のスカルスガルドも若い頃を演じるにはやや無理があったか?身体は細いけど。
「アンジーの瞳」の頃くらいの若さだったらなぁ。
モデルとなる写真家については全く知らなかった。
こんな人もいたんだな、と。
もっと知りたくなった。
ウィンスレットの女優魂とむっちりボディ
ケイト・ウィンスレット主演・製作。
トップモデルから報道写真家へと転身した実在の女性リー・ミラーの半生を映画化した。
1938年、南フランス、アーティスト仲間たちとの休暇、イケメン芸術家(アレクサンダー・スカルスガルド‼︎)とのラブ・アフェア。時代の先端を行くファッショナブルなリーがいた。
第2次世界大戦が始まりすべてが一変。
従軍記者兼写真家として突き動かされるように戦場へ。強い衝動だった。決定的な写真を撮った。20世紀を代表する報道写真家となった。
ヒトラーが自死した当日、ミュンヘンにあるヒトラーのアパートの浴室で自らのポートレイトを撮影した。このシーンが強烈なインパクトを残した。この写真が世界に強烈なインパクトを与えた。
ウィンスレットの女優魂に感動する傑作となった。
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