リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界のレビュー・感想・評価
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ケイト・ウィンスレットの熱演が光るが。。。
写真家のリー・ミラーの半生を描く物語。若い時から晩年までケイト・ウィンスレットが良い演技をしている。物語のバランスも良かった。惜しむらくは彼女が豊満な体をしている事がリアリティに欠けている事。戦時中にあの体つきは無いと思う。実在した本人も痩せているので尚更。演技は素晴らしいので残念ではある。
報道写真家のレゾンデートル
撮られる側から撮る側への転身は、
過去からも耳目にするところ。
至近の例では『安珠』だろうか。
2023年に「CHANEL NEXUS HALL」で
個展も開催されている。
が、やはり慣れ親しんだ人物を被写体にするケースが多く、
『リー・ミラー』ように「報道写真」、
それも「戦場」をフィールドに選択した例は少ないのでは。
とは言え、
主人公が何故そこまで執心したのかは詳らかにはされず、
かなりもやっとした思いがわだかまる。
今よりも更に女性に対しての差別が甚だしい時代。
彼女の従軍は「D-デイ」には間に合わない。
その間に『キャパ』は
最前線で〔オマハ・ビーチ〕の写真をものし
名声を上げている。
しかし、『リー(ケイト・ウィンスレット)』の足跡は
次第に東進するアメリカ軍の進攻に追い付き、終いには先陣にまで。
そこで目にするのは、
世界の人々がまだ認識していない「ホロコースト」の実態。
再現映像でも目を背けたくなるような惨状は、
いくら強靭な精神の持ち主でも
その後の人生に影響を及ぼすに違いない。
一例を挙げれば、アルコールへの逃避、だろうか。
彼女の視線は、敵味方の枠を越え、
常に弱者である女性に向けられる。
常でも差別され虐げられているのに、
戦禍の非常時ではそれが更に際立つ。
痛みを一方的に受けることへのやり場のない憤りが、
幾つもの写真から溢れ出す。
本作は基本的に『リー・ミラー』への賛歌。
主演の『ケイト・ウィンスレット』が
製作にも名を連ねていることからも、
並々ならぬ入れ込み具合は判ろうというもの。
その一方でショッキングな映像、
独軍への協力を疑われ、頭を丸刈りにされる女性や、
解放軍のはずのアメリカ兵士に、まさに犯されようとしている女性など、
ショッキングな場面は多い。
主人公の戦場での体験を際立たせるためのエピソードの数々も、
次第に実録モノと区別がつかなくなり、
彼女のキャラクターが埋もれてしまう難点になってしまうのは難点で
この匙加減はむつかしいところ。
もっとも印象的な写真は
〔ヒトラーの浴室〕だろう。
ベルリンで『ヒトラー』が自殺した日に
彼のアパートのバスタブで湯あみをする彼女の姿は、
官能を感じさせつつ、
独裁者に対しての反抗心が如実に現れている。
戦場を撮っていないのに、
戦争の不毛さをこれほど端的に表現した一枚が嘗て有ったろうか。
ウイットに富みながら、反骨の精神をまざまざと感じる、
『リー・ミラー』を象徴する一枚だ。
奔放かつ果断
あの光景を目の当たりにしたら人間というものを信じられなくなってもしょうがない。
奔放かつ果断なリー・ミラー。20世紀を代表する女流写真家とのことだが、今回初めて知った。
ケイト・ウィンスレットの体あたりの演技は、リー・ミラーその人であろうと感じさせる凄さがある。特にヒトラー総統邸のバスタブであの写真を撮ろうと思いついた時の表情は、いたずらを思いついた少女のよう。
構図が頭に浮かんでしまったからには、撮るしかない。根っからの写真家のリー・ミラーを感じた。
インタビュアーの質問に対してリー・ミラーが答える。彼女の回想をベースに物語は進んでいくが、ちょっとしたトリックがある。そのことを暗示する会話への引っ掛かりが、大きな余韻を作る。
すごい生き様だ❗️しかし 描写は極めて表層的 普通作品
ホームページが情報多くて その上に有料パンフ🈶
あっ ホームページ熟読すれば 敢えて有料パンフ🈶要らないカモなぁ
しかし、有料パンフ🈶を購入して読むレベルのお客さん向け。有料パンフ🈶嫌う買わない人には 相性があるカモ🦆。
①パリ🇫🇷NY🇺🇸でトップモデル
②パリで写真撮影修行 一部被写体 NY
③エジプト🇪🇬→パリ🇫🇷【ここから作品は事実上始まる】→ロンドン 英国🇬🇧版『VOGUE』カメラマン→英国で許可が降りず 米軍従軍記者 『アメリカ『LIFE』記者と共動』
そして ドイツ🇩🇪へ
【ほぼホームページ🏠に載ってます】
というだけで すごい人生だよ
映される側より 写す側
彼女の人生 ①第二次世界大戦の壁 ②軍隊は男社会 という 二つの壁 に立ち向かった【ホームページ・コメントに載ってます。】には感嘆した。
しかし 彼女の生き様 写真 俺は知らなかった。
それが知れただけでも良かった。気迫を感じた
当時のマスコミの動静も良かった。
『ノエミ・メルランさん🟰正月🎍に観た『エマニュエル』さん』頑張って👍
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』キルスティン・ダンストさんの役と似てるなぁと思ったら そのベースとなった人物。
『タイタニック🚢』ケイト・ウィンスレットさんが製作・主役で 独擅場。
それは相違ない。
ただ ナチスの強制収容所の惨状 ほか ほぼほぼ知ってたから 特筆すべき点は無かった。
まあ ヒトラーのアパートの写真も ミュンヘンだから 俺的には弱いメッセージ。米軍といえども
どうせなら ソビエト赤軍が 死闘の上確保した 最後の地下壕だよねぇ。ベルリン。勿論ソ連占領だけども。
ミュンヘンは安全地帯すぎ
それから 申し訳ないけど 従軍記者やカメラマンというのは 最前線では足手まといで 兵隊の士気も下がるから
最前線ではなく 若干後方の戦線に配置なんだよね。
まあ 俺には葛藤が表層的 かつ 描写が リアルに描けば描くほど 平板 安全。
で 多分 少し🤏盛ってる可能性あるから 普通の感想作品でした。
まあ 主人公ケイトさんのこだわり 硬派は感じました。あっ テンポはそこそこ。
ケイト・ウィンスレットの演技
リー・ミラー🪞まるで知らなかった🙀
私は恥ずかしながら、今日 観るまでリーの存在を全く知らなかった
彼女の人間性の原点にまで踏み込むことに成功した、よく出来た伝記映画だと思います♪
平和な時代のパリでマン・レイら多くの芸術家と篤い親交を持つ Vogueなどファッション誌の高名な米国人モデルだったが、
戦場フォトグラファー としてWWⅡ パリ解放前から激戦の戦場へ従軍し、多くの貴重な歴史的記録を残したが、ある事情で死後まで写真のほとんどが公開されていなかったこともつぶさに描かれる
人間に対する独自の視点を持ち、パリ解放ではナチ協力者のリンチやダッハウでユダヤ人の強制収容所解放を最初に撮影し、1945年6月のVogue誌がホロコーストを世界へ伝えた
印象的なヒトラー執務室の浴室で自らを撮影した一枚がこの映画のポスターになっている
戦場フォトグラファーの代表格と言えばいまだにロバート・キャパに他ならないが、
昨今ではピューリツァー賞を受賞した、あの有名な写真のやらせ疑惑などにより評価は揺れている今、彼女の仕事も再評価されるべきだろう
リー・ミラーの過去の写真展を調べてみたら
日本では91年横浜での写真展が一度きり
是非 回顧する写真展の開催を強く願います
ケイト・ウィンスレットだからこそ
リー・ミラーという人物を私は知らなかった
この映画を通じて初めて知った
こんな人を知らなかったなんて
ケイト・ウィンスレットが演じるリーの存在感にぐいぐいひきこまれる
低めの声、タバコをふかし、酒をあおり、元モデルなのに体型も気にしてなどいないかのよう
そして、自分の言葉で語る、声を上げる、女が入れなかった世界にどんどん突き進む
そのパワー、生き様にひきこまれずにいられない
映画を観たあと、インタビュー映像やサイトの情報を見て、まさに表現したいものを表現しきっていたことに驚いた
収容所は解放された直後のダッハウだと知った
あの現実を伝えられなかったこと、リー・ミラーにとってどれだけの失望だったことか
映画にもなったアウシュヴィッツレポートの背景を書いたアウシュヴィッツ脱出という本の和訳が最近発刊され読んだばかり
そこでも書かれていたが、この現実の与える衝撃の大きさ、世に伝えることの難しさを改めて思った
撮られるより撮る側を選んだリー・ミラーがなぜバスタブをあの形で写真におさめたのか
知りようもない、けれど、そこに至るまでの彼女の経験してきたことがそうさせたのだろうと思う
映画化に関わっている彼女の息子、この映画の彼の描き方も上手いなあ、とラストで思わされる
ケイト・ウィンスレットさんの演技に圧倒される、骨太の社会派ドラマ
主人公リー・ミラーさんはアメリカ人女性でモデル、その後写真家となり第二次世界大戦中のヨーロッパで従軍記者として命懸けで悲惨な戦場を撮り続けた実在の人物で、2024に話題になった傑作『シビル・ウォー アメリカ 最後の日』(2024)でキルステン・ダンストさんが演じた主人公のモデルになった人としても広く名が知れ渡りました
そんなリーを演じた本作のケイト・ウィンスレットさんがとにかくすばらしい、持ち前の美貌を一切封印しリーの激動の人生を荒々しくエネルギッシュ、そして時にとても繊細でエモーショナルに演じる彼女の圧倒的な演技に惹き込まれ、2時間弱があっと言う間でした
映像もとても格調が高く重厚感があり素晴らしかった
舞台となる第二次世界大戦中のイギリス、フランス、ドイツでの壮絶な戦場が再現され、ハイライトとなるリーがその後PTSDに苦しむ事になるホロコーストの描写は生々しく目を背けたくなる凄惨さ
そしてポスタービジュアルにもなっているヒトラーの自宅の浴室での撮影のくだりなどがとてもリッチな映像で惚れ惚れしました
製作総指揮から主演までを務めたケイト・ウィンスレットさんの渾身の本作はリーの生き様ともオーバーラップし素晴らしい傑作として仕上がっていると思います
そのとき
元モデルの報道カメラマン、リー・ミラーのWW2下の話。
ヒトラーの浴室は知ってはいたものの、リー・ミラーの名前は知らずに観賞。
老齢になったリーが写真について記者に取材を受けて、写真の背景を語る体でみせて行く。
1938年南フランスでローランド・ペンローズと出会ってロンドンに渡り、ヴォーグ誌の従軍記者として1944年にフランスに戻る展開だけれど、女性ということで前線には行かせてもらえず…。
そんな流れから1945年の展開で、ナチス撤退後の元前線の様子はとても重く良かったのだけれど、それを撮っている様子の描き方がマイルドというか、生々しかが足りないというか…あくまでも当時の英国の世情と、そこに生きたリー・ミラーの物語ってことですね。
そういう意味では主人公らしい見せ場はあまり…なんて思っていたら、えっ!そんな話しも!?そしてそこは妄想?
リー・ミラーに思い入れがあったり、詳しい人には良いのかなとは思ったけれど、個人的には妙にヌメッとした終わり方に少々モヤっと。
ある時代を生ききった一人の女性の足跡
「ヒトラーの浴室の写真」という予告編のコピーがよく分からなくて気になりました。
リー・ミラーという写真家を全く知らなかったので興味深く鑑賞しました。
映画は欧州戦争中の取材を中心としており、モデル時代、戦後の活動についてはなにも情報がなかったので鑑賞後にちょっと調べてみましたが
写真家としては目立った活動はされていないようです。
古色あふれるカメラを両手に(あのカメラで構図が決められることに驚きです!)不屈のバイタリティで4年にわたり欧州戦線を駆け回る主人公をケイト・ウィンスレットが熱演。
もともとふくよか気味の方でしたが、更に体格が良くなったなぁなどと邪念を持ちつつ迫真の演技に引き込まれました。
彼女の闘志、友情、挑戦、挫折、衝撃、愛、そして悲しみ…
2時間の映画で見事に描き出されていました。
脇役である雑誌編集長(?)の女性が、私の目にはとても魅力的に映りました。
地味な内容かもしれません。
けれど、ある時代を生ききった一人の女性の足跡を是非スクリーンの上で辿ってみてください。
ケイト・ウィンスレットが煙草を何本燻らすか数えて欲しい
リー・ミラー…WW2下、パリ解放やダッハウ強制収容所、奇しくもヒトラーが愛人と自殺した日の、彼のマンションの浴室写真を撮影した女性戦場カメラマン
アメリカでのファッションモデルから、アメリカ出身芸術家マン・レイの弟子兼愛人となり、(エジプト人実業家と結婚/ここは映画では割愛)、イギリス人ローランド・ペンローズと知り合い(後に結婚)、イギリスへ渡り、英版『VOGUE』のファッションカメラマンとなって、後に戦場で写真を撮り、写真をやめて料理人になって……というこの人ひとりで映画を3〜4本撮れるほどの充実した人生を歩んだ
この映画の製作には8年、脚本も3人担当したらしいが、彼女の人生の前半はバッサリ割愛されて、パリでマン・レイから独立したあたりから
冒頭は戦場シーンから始まり、時は遡って南仏か何処かの避暑地の享楽的なヴァカンスから始まる。ここのエピソードも割愛できそうな気もするが、ここで集っていた華やかな友人たち(マリオン・コティヤール、ノエミ・メルラン)が戦争中どんな目に遭遇したかを表現するためには、必要か
ケイト・ウィンスレットは冒頭から煙草をスパスパふかしまくり、再度見るときは何本吸ったかカウントしたいと思うほど。途中、戦場ではアルコールを手放せなくなる
年老いたリーが、若きジャーナリストからインタビューを受けるシーンが数回挿入されるが、インタビュー中でもストレートであおっている
(ここの老けメイクは、なかなかの出来)
やや薹が立ったモデルという設定の冒頭のシーンから、ウィンスレットの体形がなぁという意見には、やや同意。鈴木亮平さんのようにギリギリまで体形を変化してとまでは言わないが、さすがに緩み過ぎ
おまけに冒頭からやたら脱ぎまくる。まぁ代表作『タイタニック』でバストショット晒しているから、抵抗ないのかな…?
ストーリー構成には無駄がない(敢えて言えば冒頭の戦闘シーンはいらなかったかな)
ファッションカメラマンから、イギリス国内の戦意高揚写真、ゴリ押しして渡欧し、戦場カメラマンとしてアメリカの部隊と共にD-DAY以降のパリ解放に立ち会うことに
女性は差別的扱いをされ、女性兵士・看護師がいるような場所しか立入を許されず、それにいちいち立ち向かう戦闘的で直情型のキャラクターは、ケイト・ウインスレット本人の投影なのか、ハマり役でもある
パリ解放。歓喜に沸く市民はドイツ兵士と通じた女性を晒し者にして気勢を上げる。パリは彼女の知ってる町のようだが、もはや別の町。豪奢を極めた南仏で楽しく過ごした友人のアパルトマンを訪ね、そこでのコティヤールの演技はさすが
途中、放置され鍵をかけられた端が見えないほど長い貨車の中でユダヤ人が多数餓死しているシーンがある。リーはあまりの臭気に近づく前から鼻を覆うほどだが、その横の一軒の家の前で無邪気にボール遊びをしている母子がいる。去年見た『関心領域』の世界がそこにあった
そしてダッハウ強制収容所。死体が材木のように、覆われることもなく山積みになっていて…
練りに練られた脚本なので、パリ解放やホロコーストについて予備知識が無くても鑑賞できるし、最後に全く予見してなかったオチがつき、彼女の勇気ある足跡を辿る映画にうまく結着をつけてくれる
魂を込めた撮影だったと思います
実話をベースにしているので、怪しい演出もありません。落ち着いて、じっくりと映画を観たい方にお勧めです。
当時の詳しい状況はもちろん分かりませんが、女性が戦場に行くことだけではなく、報道カメラマンとはいえ、有力な新聞や報道機関ではなく、彼女がVOGUEという雑誌のカメラマンという立場であったことも、大変だったと思います。
では、なぜ、彼女は戦場、しかももっとも悲惨な状況を撮り、伝えることに固執したのか? 映画は、若いインタビュアーの質問に答える形で始まりますが、彼女はあまり語りません。その理由は、映画の最後に明かされます。
戦争の真っただ中ですので、映画の尺では足りないぐらい、本当に、大変な苦労があったと思います。しかも、彼女が使っていたカメラはローライフレックスの中判カメラ。たぶん、12枚撮る毎に、フィルム交換が必要です。戦場にそれほどたくさんのフィルムを持っていけないことを考えると、1枚1枚、本当に彼女の撮りたいもの、伝えたいものを、魂を込めて撮影していたんだろうなと思います。
ヒトラーとしてのわたし
不謹慎な表題だが、業界人にはこのポスターがパロディに映る。セルフポートレート作家のシンディー•シャーマンや森村泰昌なら、さしずめ『ヒトラーとしてのわたし』のタイトルがつけられるであろう絵に見えて仕方がない。。
冒頭、酒色に耽る高等遊民どものなか、相変わらず脱ぎっぷりの良いケイト・ウィンスレット。トップモデルから戦場カメラマンに転身するプロセスは、“地の彼女“とも相まって、丹念に描かれ、かなりの熱演なのだが、惜しむらくはその体型。まるまると肥えた体躯で、ドタドタと戦場を駆け廻り、いかにも重そうな尻が強調され、食事もままならない戦時にこんな人間居るのか?と訝られる。まあ、わざとらしく”ガレ”てみせるのも本意ではないでしょうね。
パリ解放時に、路地裏で兵士に襲われそうになった女性を助けたリー。護身用にとナイフを渡すときの台詞が良い!『次はコレで切り落として!』その手の輩は震え上がるだろう。
それは後に語られる彼女のトラウマで、幼少時に受けた性被害。それを実の母親に”恥“であると言われたことがリーの心の傷である。だから、被写体(モデル)としてより、撮る側に拘った理由は、自分よりもっと酷い、もっと残酷な目に遭った人々が居る!として多くの被害者をさがし続け、それを発表することで自身の安寧を得ようとする、専ら個人的な動機であり、悲惨な戦争を記録するという崇高な”使命感“などではない。そう思わせるのは彼女の生き様だ。自由奔放、傍若無人。周囲の人間にぶちギレる。思いやりを見せたのは友人にだけ。
勇躍、駆けつけたアウシュビッツ、累々たる屍の腐臭をものともせずシャッターを切り続けるリー。しかし、いちばん感動させられたのは、リーという女傑に対してではなく相棒のディビッドがヒトラーの部屋で嗚咽するシーン。コイツのために何万人も殺されてと男泣き、リーと抱擁する場面だ。
ほどなく、リーは帰還して、わくわくしながらヴォーグ誌のページをめくるが、自分の写真が一枚も掲載されていないのに、怒り心頭、編集部に殴り込む。編集長は『人々を不安にさせないために載せなかった』と言い訳するも、リーは激高し収まらない。ただ、落ち着いてみれば、写真云々より、要は自分の存在を訴えたいエゴなのだと認める賢明さもあったリー。
結局、後のアメリカ版には発表される事になるのだが……
インタビュアーが実は息子だったというひねりをきかせる演出。あるいはすべてが妄想?のようにも見える。
リーの死後発見された膨大な数の写真やヒトラーのイニシャルAH入りの銀製トレー等は息子達によって世間に紹介され、女性報道写真家リー・ミラーの数奇な生涯は、はっきりと歴史に刻まれた。
「翻訳 松浦美奈」
私にとって「信頼のおける映画字幕翻訳者」のお一人である松浦美奈さん。劇場鑑賞の際には、余程の理由がない限りエンドロールが終わるまで席を立つことをしないようにしていますが、字幕映画の場合、最後にクレジットされるのが字幕翻訳者。そこに「翻訳 松浦美奈」とあれば、いい映画だったと感じた気持ちに更なる「確信」くれます。(ちなみに字幕も当然に権利が伴うため、配信など別の形態では訳者が異なることが多いためご留意ください。)
本作はアメリカ合衆国の写真家・リー・ミラーの伝記映画。(いつものことながら)不勉強な私はこの方を全く存じ上げないままの鑑賞でしたが、映画は一人のジャーナリスト(ジョシュ・オコナー)によるインタビューに始まり、リー(ケイト・ウィンスレット)の回想で語られる1938年(南フランス)以降の「リーの人生」。戦争に伴う悲劇を簡潔に表現するストーリーと、演出としてのカメラワークの巧みさによって強く印象に残るシーンの数々。本作が長編映画初監督となるエレン・クラスですが、これまでの撮影監督としての実績を振り返ればなるほど、本作の撮影監督を務めるパベウ・エデルマンとの相乗効果で、そのアイディアや的確さを感じるカメラワークはさもありなんと頷けます。
そして、何と言ってもケイト・ウィンスレット。本作では製作にも名を連ねており、またその本気度が否応なしに伝わる演技は、リー・ミラーの偉業、そしてリーその人を「伝説」にする気概を強く感じます。エンドロールでは劇中のスナップショットと実際の写真の比較も見られ、リーの命を賭けたチャレンジ、そして自ら背負った使命を全うした事実を顧みることが出来、改めてその偉大さを感じて反芻します。
さらに、脇を固める面々も皆素晴らしい。まず一人挙げるならリーのバディとなり、時に精神的な支柱にもなるデイヴィッド・E・シャーマンを演じるアンディ・サムバーグ。自身ユダヤ人としてナチスの所業、そして列車や収容所に打ち捨てられたままの数えきれないほどの死体にも最後まで我を失うことなく、全てを世界に伝えるため立ち向かうジャーナリスト・デイヴィッド。「出来るやつ」であり且つ「こんないいやついないだろ」と思わせる人物像に、アンディの何とも言えない表情が相まって、彼の存在にリーはもとより、観ている私も壊れそうになる心を度々救われます。
そしてもう一人はリーの友人の一人、ソランジュ・ダヤンを演じるマリオン・コティヤール。大戦前の南フランスでのソランジュは大変に明るく前向きな印象。リーを良く解っていて愛しているのが真っ直ぐに伝わる裏表のない感じは、演じるマリオン自身と重なって大変に素敵なのですが、、その後リーとの「再会」シーンが正に両極で唖然。ナチス・ドイツに全てを奪われ、絶望の淵にいるソランジュ。やせ細り、心身ともに消耗しきっている姿を演じるマリオンに強い衝撃を受けます。
今までも少なからず戦場カメラマン・ジャーナリストが題材になる作品観てきましたが、本作はとても理解しやすく、そして大変に感情を揺さぶられる作品でした。リー・ミラー、そしてジャーナリストという仕事と役割に改めてリスペクトを捧げたい一作です。
戦争写真家・記者のリーを語る映画
ケイト・ウィンスレットは出演したどんな映画でも強靭な挑戦をしているように思う。この映画でも同様だ。リーとウィンスレットは重なって見える。モデル時代のリー、錚々たるアーティスト達のミューズとしてのリー、この煌びやかな二つの時代をバッサリと切り捨て報道写真家のリーのみ!としたウィンスレットプロデューサーの決断が潔い。同じくリーもテキパキと意見を言う、人を見る目があり賢く知的、社交的で親友を大事にし、自分の体型に無頓着。自分は一体何者か、何をしたらいいのか常に考えていた20代から30代。悩んで決めたら一直線、戦後は別の道を歩む自由と前を見る生き方に共感し憧れる。
戦場カメラマンになってからの前半は、女性ゆえの枷があり撮影対象は女性パイロットや女性の宿舎や病院内などに限られてしまう。でも彼女の視線と被写体への共感は彼女自身の痛みと優しさから来ることが撮影するときの表情と写真から伝わる。下着を手で洗い室内に干すしかない宿舎。病院では手術中に停電し持っていた手持ちランプでドクターの手元を灯し、顔中が包帯の若い傷病兵の目を美しいと誉め頼まれて撮影する。市内では兵士が女性をレイプしようとしている。ナイフを突きつけ男を追い出し女性にナイフを渡す。恐ろしいがまだ目に見える戦争の現実。それがやつれきった親友のソランジュ(マリオン・コティヤール)に彼女のパリの邸宅(見るも無残な状態)で再会して話を聞き、リーは変わった。「みんなが消えてしまう」「列車はどこかへ行くが戻ってこない」「そんなに沢山の人間が行方不明とはどういうことか」見えない、報道されない、知らされていないことがある、これがリーをまた動かす。
カメラマン同士として知り合ったLIFE誌のディヴィッド・シャーマンと共に戦場で多くの写真をものにした彼女はドイツへ向かう。ミュンヒェン近郊のダッハウ強制収容所や線路に止まったままの列車の中で彼らが見たもの。それは暴力そのもの、見えなくされていた、ないものとされていた暴力の事実。リーは自分が蓋をしてきた過去と同一のことを感じたに違いない。ミュンヒェン市内一等地のプリンツレゲンテン通りに車で来た二人はヒトラーのアパートに入る。ヒトラーは愛人のエヴァ・ブラウンと共に「本部」のベルリンに居る。名前の頭文字A.H.を彫らせたトレーなどが置いてある客間を通り奥のバスルームへ。そこでバスタブに入った自分をディヴィッドに撮らせた写真がかの有名な写真だ。
戦争終結、連合軍勝利に終わった戦争。ほっとして浮かれた空気の中だからこそ、見えなくされていた暴力の記録を雑誌に載せて見てもらわなければ意味がない、自分が受けた傷と同じことになる。過去に受けた暴力に沈黙を強いられてきた自分が、戦争の暴力を写真で明らかにしなければ自分は一体何をしてきたのか?
リーにインタビューするジャーナリスト(ジョシュ・オコナー)とのシーンを最初、途中で何度か、そして最後と置いた構成と脚本は非常に良かった。個人的にジョシュが大好きなので嬉しかったし、ラストはショックと驚きと共に愛と赦しを感じた。
今も世界中で戦争が続いている。壁を作り土地を奪い昔からその地に住んでいた人々を追い出し殺すことしか頭にない。力あると見える側が実は常に負けてきた歴史を私たちはなぜ忘れるのだろう?
二眼レフ•カメラの長所と被写体に対するリスペクト
本篇が始まってすぐに10年ほど前に亡くなった自分の父親のことを思い出しました。
「あーっ、二眼レフ、使ってる!」そう、戦場の報道写真家 リー•ミラーさんは二眼レフ•タイプのカメラを使っていたのです(ローライフレックス? カメラがアップになったシーンがあったので目を凝らして見てたのですが、ブランドは確認できませんでした)。そして、私の父の愛機がヤシカの二眼レフだったのです。もうどこに行ったか分かりませんが、黒い台紙で布の表紙のついた分厚い武骨なアルバムに貼ってあった私の赤ん坊からの成長を記録した写真の数々は、そのヤシカの二眼レフを使って撮影されたものでした。
二眼レフ•カメラの構造はわりと単純です。まったく同じ光学性能を持った二つのレンズを上下に並べて使います。上のほうのレンズはこれから撮影する景色を見るためのファインダー用です。下のほうのレンズは実際の撮影用でシャッターを切るとレンズ後方にある扉が開いて更に後方にあるフィルムを露光させることになります。さて、ここから重要なのですが、ファインダー機能を持つ上のレンズを通った光はミラーによって90度角度を変えられます。よって撮影者はカメラを上から覗き込んでこれから撮るべき景色を確認し、構図を決めることになります。それに対して一眼レフを始めとする現在の一般的なカメラはレンズを向ける方向と撮影者の視線の向きは一致しており、手持ち撮影の際には撮影者は顔の前でカメラを構えることになります。
一般的なカメラの場合、手持ち撮影時にはカメラは撮影者の顔と被写体の間に厳然として存在するのですが、二眼レフ•カメラの場合は手持ち撮影時でも撮影者の顔からみると下斜め前方ぐらいにカメラは位置し、撮影者の視線を妨げません。視線を下に落として構図を決めた後、そのまま顔を上げて視線を前にして肉眼で被写体を確認、そして、視線をまた下に落としてファインダー内の景色を再確認……と、肉眼、レンズ越しを交互に確認することができます。この長所がもっとも発揮できるのが被写体が人だった場合で、撮る側、撮られる側の視線をさえぎる位置にカメラは存在しないわけで、撮影しながらのアイコンタクトが可能です。もし、先述した黒い台紙のアルバムに貼ってある幼い私の写真の数々がリラックスした表情で撮れているなら、それは撮影者たる私の父がカメラの向こう側にいる人ではなく、絶えず、顔全体が私に見える状態でアイコンタクトしながら撮影してくれた賜物だと思います。
ということで、直感を大切にし、肉眼で見ることにこだわったリー•ミラーさんは二眼レフ•カメラを生涯に渡って愛用し続けたのではないでしょうか。そうは言っても、私が上に挙げた長所というのは極めて人間臭い部分に関するもので、スペックとかの数字で表せるものでもありませんし、何かと使い勝手が悪いこともあって二眼レフは1950年代半ばあたりから衰退の一途をたどります(私の父のように後生大事にずっと70年代あたりまで使い続けた人もいますが)。フィルムも一般的なカメラのそれと違って若干大きめで1コマがほぼ正方形でフィルム一巻で12枚撮りだった記憶があります。今では二眼レフ•カメラもブローニー判と呼ばれたそれ用のフィルムも入手不可能と思ったら、少なくともブローニー•フィルムは富士フィルムやコダックのものが入手可能のようです。バカ高いですが。フィルム•カメラおたくがいるのかな?
なんだか映画のレビューとは思えない内容になってしまいましたが、映画に登場する特定アイテムに関して蘊蓄を傾けるのも一興ということで。
リー•ミラーさんの魂が安らかでありますように。あ、父の墓参りにも行かなきゃ。
傷にはいろいろある。見える傷だけじゃない
本作が投げかける問い
試写会にて。
第二次大戦に従軍したおそらく世界初の女性戦場カメラマンであり、「シビルウォー」の主人公リーのインスパイア元ともいわれる、元々モデルで後に写真家となったリー・ミラーをケイト・ウィンスレットが演じる。
これはねぇ…素晴らしい映画でしたけど、食らいますから覚悟が必要です。劇中でリーは「ある日気付いたら戦争になってた。でも何故だか分からないが行かなくちゃいけない気がする」的なことを言ってヨーロッパに向かう。かなり無理して向かう。戦場は女性を閉めだしているから。
そしてそこでリーが体験するのはまさに「地獄の黙示録」もかくや、という地獄巡り。ただ、最後に目撃するのはカーツ大佐ではなく強制収容所でありそこへ向かう列車に満載された死体でありヒトラーのバスタブである。そして彼女は常に女性の視点を忘れない。
そこから導かれる本作のテーマ。
目撃すること。報道すること。目撃し続けること。報道し続けること。伝えること。伝え続けること。被写体に想いを馳せること。被写体への想いを忘れないこと。
アウシュビッツ、ダッハウ。ガザ、ウクライナ、南京。
文化大革命、ポル・ポト、光州。全部繋がってんじゃん。
リーがこれほど明らかに伝えてくれてるのに、何故我々は同じ過ちを繰り返すのか?何故我々は学べないのか?
トランプとヒトラーがいかほど違うというのか?
本作が投げかける問いは重く、辛い。しかし我々は向き合う義務があるのだと思う、同時代人として。
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