「素晴らしかった」リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界 JYARIさんの映画レビュー(感想・評価)
素晴らしかった
インタビュー形式で進むかのように見える
リー・ミラーの半生。
モデル引退後に悠々自適に暮らしていたかのような生活が、
ある時を境に一変する。
そこまではさらっと、芯を残したまま描きつつ、
人物間の関係性は上手く見せている。
デイヴィッドとのフレンドシップ。
これも後になって、効いてくる。
マリオン・コティヤールとの再会、
「守れない約束はしないで」、この言葉が彼女を突き動かす。
(ああいう短い場面でもキメてくる流石のマリオンコティアール)
そして、ノエミ・メルランと再会する。
人々が消えていき、戻ってこない。
隠れていた人々の恐怖を、まだパリの人たちは知らない。
ここで、アレクサンダー・スカルスガルド演じるローランドとの再会があり、愛を確かめ合う。そして、帰宅を決めたかのように見えたリーが、戦場の最奥地に行くと決めた瞬間、デイヴィッドと同様に胸が熱くなった。
今までの映画だったら、家に帰ってたもん。
本当にリーのこういう姿を見せてくれるのがこの映画の良い所。
そして、収容所の厳しい現実を知る。
かの有名な浴槽での写真を撮る。
デイヴィッドの感情が溢れ出し、二人は友情により労わり合う。
戻って来たリーは、ヴォーグ誌に自らの写真が載らないことで、会社に駆け込み写真を切り刻む。世に出ないのなら、取っておいても仕方がないのだと。
こういう瞬間に、過去と現在が繋がるんだと思うんだよね。
本当に、世に出ない事実は、無かった事にされてしまうから。
そして、それを最も知っていたのは、リー本人だった。
幼い頃に性暴力に遭った経験をオードリーに話す。
どうしても、写真を残さないといけない理由。
それは、迫害に遭った彼らの為でもあり、自分の為でもあった。
自分の後悔を拭い去りたい、彼/女らの気持ちに共鳴したい。
その気持ちが、リーが戦場に出た根拠だったのだ。
ただ、その根拠というものを幼い頃の性被害と照らし合わせていいものだろうか、と少し逡巡した。本当は、写真を残すことに根拠なんて要らないのではないだろうか。リー本人がそう語ったのか、分からないが、同じような経験をしたことがある人しか突き動かされないのであれば、その動機はいつか無になってしまうのではないか。誰も居なくなったときどうなるのか。
ストーリーに戻ると、アンドレア・ライズボロー演じるオードリーが本当に良くて、リーはあの人に当たってしまったけど(それも当然のように思う)、でもオードリーと一緒にあの雑誌をパリに届けていたんだし、彼女自身、リーの写真がどれだけ重要なものかを分かっているから。写真を破壊してはいけない、とリーにそれを伝えるから。ちゃんと知っている人がいるから、リーの支えに見えて、本当にいい関係性だった。
インタビューはいつの間にか終わり、
(この辺がちょっとわかりにくい)
しかし、鑑賞後にあのジョシュ・オコナ―の台詞を思い返すと、非常に胸に迫るものがあって、泣けた。
「自分のせいで母親が不幸になったと思ってたんだ」
「何で言ってくれなかったんだ」
史実として、リーが息子に死ぬまで戦場での仕事を伝えなかった事実がある。それを描く際の選択として、最も正しい描き方をしていたのではないかと思った。
伝えなかったリー。知らなかった息子。
リーに、何故ヴォーグに写真を載せなかったのかと聞かれたオードリーが、「まだこの写真を見るのに恐怖や不安を感じる人がいる」と。一つの真理だと思った。確かに、どこかで自分と同じような誰かが地獄のような日々を送っていたと考えるのは、辛いし苦しい。ましてや写真を見てしまっては、精神的に不安定にもなる。
しかし、それでも載せるべきだったのだと、暗に語っていたのは息子だった。
「何で言ってくれなかったんだ」
(想像上ではあるが)あの悲惨な戦場での話を聞いて、写真も実際に見た。
その後に、母の人生を思って彼が告げた台詞が、言って欲しかったという事、知りたかった、という事なのである。どれだけ自分が傷ついたとしても、見たくなかったものを見る事になるとしても、言って欲しかったのだ。
そうすれば、その傷は少し癒えたのかもしれないから。
その苦痛は少し和らいだのかもしれないから。完全に消えなくとも、少しの間忘れられたのかもしれないから。残し続ける人が現れ、事実は無くならずに済むかもしれないから。痛みを知っている人がいれば、また同じ事が起こらずに済むかもしれないから。
これが、オードリーの反論に対する答えだと思う。
そして、この映画を観た我々に託された希望なのだと思う。
そして、エンドロール。
事実は残り続けると言うかのように、リー・ミラーの写真たちが流れる。
ここで止まっていてはいけない。
隠していてはいけない、表に出していかなかればいけない。
事実を無かったことにしてはいけない。語っていかなければいけない。
そんな重要なことを教えてくれる一作だった。
本当に久々に、まさに映画らしい映画を観た。
これよくアカデミー賞スルーされたな…。
改めて「関心領域」って何だったの?ってなるな本当に。
直視することなく描くって、まさに今生きる自分たちがしそうになっている事じゃん。それを映画にして、再演したって何の意味があるの?
重要なのは、自分を満足させることじゃなくて、何を見せるために映画があるか、じゃないの?