秋が来るときのレビュー・感想・評価
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守りたいものがあるから、人は“秘密“を抱えて逞しく生きていく
老女・ミッシェル、彼女の親友・マリ=クロード、その息子でムショ帰りのヴァンサン、そしてミッシェルの娘(名前失念)と息子でありミッシェルの孫・ルカ。5人が織りなす哀愁漂いまくりの人生ドラマ。
フランスの田舎風景の中、親友・マリとキノコ狩りをしながら、休暇にやってくる孫・ルカとのひと時を楽しみにする老女・ミッシェル。
しかし自分の娘との日頃からの折り合いの悪さに加え、良かれと思っての採れたてキノコ料理のトラブルから、娘はルカを連れて、訪れた当日早々にパリへトンボ帰り。うーん、このあたりの実家帰省でありがちな、親子間の諍いは身につまされて心が痛い。人の振り見て我が振り直したくなりました。
そしてムショ帰りのヴァンサンが登場してから、物語はヒタヒタと何かしら不穏な空気を纏っていくが、このヒタヒタ感が絶妙。何かしでかしそうなヴァンサンの妖しさと、心根は優しそうなのが不安を抱かせるのよね。
やがて、とある出来事が起こり物語は転換点を迎えていく。登場人物の各々が、慎ましくも幸福な人生を歩みたい歩ませたいが故に、一連の出来事についての"秘密"を抱えながら、脆く儚い幸福たるものを壊さないよう繕っていくのだ。
美しく静かで穏やかなシーンが続いていても 絶え間なく続く胸騒ぎ
何年も映画を見続けていると何年かに一本ぐらいの割合で、スクリーン上で展開しているシーンは美しく静かで穏やかなのに何か不穏な空気が漂っていて、観ているこちらとしてはずっと胸騒ぎがしてそれが止まらない、そんな作品に出会うことがあります。この作品がまさにそれでした。
物語は主人公のミシェル(とてもチャーミングな老婦人です)の日常からスタートします。親友であるマリー=クロードといっしょに森へキノコを採りに行ったり(秋のブルゴーニュの風景が本当に美しいです)、服役中の息子ヴァンサンとの面会に行くマリー=クロードを車で送ったり…… そんな中、ミシェルの娘で母親と折り合いの悪いヴァレリーと、その息子すなわちミシェルにとっては孫にあたるルカが休暇でミシェルの家にやってきます。で、この三人の食卓での母娘の会話から不穏な空気が漂い始めてきて……
この物語では嘘や秘密がキーとなります。秘密もいろいろです。公然の秘密とか、暗黙の了解のもとで共有している秘密とか。
そんな静かなサスペンス感とも言うべき雰囲気を持った物語が美しいブルゴーニュの風景を背景にして展開されます。フランソワ•オゾン監督のマジックに胸騒ぎが止まらなかった100分間でした。
嘘は家族のため
何故親子の不仲・溝は埋まらないの?ミシェルとマリー=クロードの抱える秘密とは?孫のルカはヴァンサンを知っているはずなのに?
ストーリーが展開して行くに連れ、色々な?マークが頭の中を飛び交い、早く次のシーンへ!次行って!!と謎解きに夢中になるような魅力的な作品でした。
そして、秋から冬にかけての情景なのに菜園や林はもとより、室内の壁紙や調度品、それに登場人物の身に付けているものなどの色彩が、全てに差し色が施されているかのように鮮やかで心惹かれました。
登場人物のほとんどが(娘ヴァレリーを除いて)、誰かの為に良かれと思い嘘をつく。きっと女性刑事もそれを理解していたのでしょうね。
だからこそ、娘が母のことをあれほど忌み嫌う姿には共感しかねたところがありました。自分の出自には影響がなかったはずで、小さな町だからこその住民の中傷ネタしか話題が無い中で卑屈になったのかもしれませんが、自分が親になった立場で意識の変わりようはあっただろうにと思うと、そこは少し悲しくなりました。
それでも作品全体に流れる優しさに癒されました。
こういうの好き。
真相はお話しできないが、ミシェルの顔が映ったときの神父の言葉は真実のように思える
2025.6.2 字幕 MOVIX京都
2024年のフランス映画(103分、G)
仲の悪い母娘の間で巻き起こる事故を描いたヒューマンミステリー
監督&脚本はフランソワ・オゾン
原題は『Quand vient l'automne』、英題は『When Fall Is Coming』で、「秋が来るとき」という意味
物語の舞台は、フランス・ブルゴーニュ地方の田舎町
元娼婦として娘・ヴァレリー(リュディビーヌ・サニエ)を育ててきたミシェル(エレーヌ・バンサン)は、人里離れた村で過ごしていた
家庭菜園で野菜を育て、親友のマリー=クロード(ジョシアーヌ・バラスコ)とともに森でキノコ狩りをする日々
ある日のこと、ヴァレリーが息子・ルカ(ガーラン・エルロス)を連れて休暇に来ることになった
ミシェルは孫と会えることを楽しみにしていたが、ヴァレリーは着くなり「実家の名義を自分にしてほしい」と言い出し、「公証人を選んでいるので会ってほしい」と続けた
その後、三人は山菜料理やキノコ料理を食べるものの、ヴァレリーの雑言に食欲が失せたミシェルは手を付けず、キノコ嫌いのルカはスープとパンだけを食べた
それから、ヴァレリーは仕事を始めたために、ミシェルはルカとともに森へと出かけることになった
そこで自然と戯れながら家に戻ると、たくさんの人だかりに加えて救急車まで出動していた
聞けば人が倒れていると言い、キノコの毒に当たったヴァレリーが気絶する前に救急車を呼んだとのことだった
治療を受けて事なきを得たヴァレリーだったが、「殺されるところだった」とまくしたてるのである
映画は、この毒キノコ事件でさらに険悪になった二人が描かれ、そんなところに服役中のマリー=クロードの息子・ヴァンサン(ピエール・ロタン)が出所してくる
ヴァンサンはお金を貯めてバーを開きたいと言い、ミシェルは15ユーロの時給で庭掃除の仕事を依頼する
そして彼は、ミシェルの家の手入れを始めるのだが、孫に会えないフラストレーションを抱えたミシェルに同情し、ヴァレリーに態度を改めるようにと、パリにまで出向いて文句を言うことになったのである
物語は、ヴァンサンがヴァレリーの部屋にいたときに事件が起こり、それは本当に事故だったのか、という謎を引きずったまま続いていく
ヴァンサンは母親に「事故」だと言い、警察もミシェルへの聞き込みから「自殺」であると断定する
だが、事件に疑問を持つ警部(ソフィー・ギルマン)は、ミシェルのもとに訪れ、それとない尋問を始めていく
そして、ルカに対して、防犯カメラの写真を見せて、「この男はヴァンサンではないか?」と聞く
映画は、マグダラのマリアの逸話を神父が語るシーンから始まり、「罪深き女」という言葉のところでミシェルの顔がクローズアップされたりする
その意味は「過去」を意味するものの、その後の未来において、彼女は罪深き女だったのか?という疑問が最後まで拭えない
穿った見方をすれば、ヴァンサンに依頼してその報酬を払ったみたいな感じになるが、そこまで計画的なものにも思えない
住人以外の人物が建物に侵入したということしかわかっておらず、部屋には争いの形跡もなく、状況的に「事件」と断定はできなかった
さらに、ミシェルが「不安定で」とヴァレリーの印象を操作し、「自殺」に対して反発しないという言動を見せる
だが、あの状況でヴァレリーが自殺をするとは思えない
彼女の前にヴァレリーの幻影が登場するのは、ミシェルに罪悪感があるからで、その罪悪感がどこから来ているのかは明白のように思える
それでも、ヴァレリーの死は彼女自身の現在が起こした延長線上にある偶然のようにも思えるし、ヴァンサンが彼女に近づいたことでパニックを起こしてバランスを崩したという線のほうがあり得そうに思えた
いずれにせよ、ヴァンサンにヴァレリーとの関係性を暴露したのはわざとなのかわからないが、ミシェルもマリー=クロードもヴァレリーの態度を良くは思っていない
ヴァンサンが無関係なヴァレリーのもとに行って態度を改めろというのも不自然な流れで、彼があの家の場所を知っていることの方が不思議であると思う
そう言った想像力が紡ぎだす仮定というものがどうとでも解釈できるのが面白いところで、はっきりとした答えが欲しい人向けには作られていない
ミシェルが人の愛し方を知っているかはわからないが、赦されないからこそ娘に連れて行かれたと思うので、そう言った意味も含めて、ミシェルは「罪深き女だった」のかな、と感じた
人は聖人じゃなくても、小さな幸せを守りたいんだけど…
自分の後悔(レッテル)は赦してもらえない、誰もがささやかな幸せを守るための小さな虚勢から大きな欺瞞でガードしてる。映画では深追いもしないし、動機推察も観客任せの展開だが見ている時間を早く感じる映画。ルカ、名義変更、開店資金、不本意な庭の手入れなどなど高齢のミシェルが世間と繋がるための心持ちが悲しい
とは言え、中盤のキモのヴァンサンのミシェルへの想いの起源や匿名投書(警部のハッタリ?)はもう少し描写してほしかったし、ラストも他2人からの離脱からが早すぎませんか?その辺はモヤッとします
本筋と全く関係ないが、娘も友達も田舎にしてもかなり良い墓石、お国では普通なのかな
日本なら数百万円必至だから羨ましい😅
傑作とは思わない。と言って佳作でもない、優秀作品と呼ぶのが正解か。
先ず第一に、脚本が良くできていると思った。
フランスの田舎で1人暮らしをするお婆さんの話かとのんびり観ていた。夕食に出した茸で1人娘が食中毒に当たってから、物語が私が予想していたのと違う方向に走り出した。ネタばれになってしまから、これ以上は書けないが本当に脚本が素晴らしい。勿論、監督も演技者も。
私が疑問と思えたのは、幻覚・妄想を使う必要があったのか。最終の森の中の場面のみにしたほうが良かったと思えた。それと匿名の投書にちょっと引っ掛かった。誰が出したんだ。傍観者がいたのかと。
冒頭、神父がマダグラのマリアの話を読み上げる。
これが「鍵」だったんだと感心した。
小さく静かな悪意
遠くの親族より、身近な他人
ベルリン、カンヌの常連、フランソワ・オゾンです。余裕があります。力みも無駄な贅肉もありません。物語は小ぶりです。日常からの些細な脱線が、サスペンスとは呼べないほどの緊張を生み出しますが、最後は穏やかに静かに幕を閉じます。
母親を憎む娘と孫。過去を共有する親友。母親の友人を慕う男。娘婿。パリ市警の警部。登場人物は、それだけです。舞台となるのはオセール郊外の田舎町とパリ。ですが、ほとんどは田舎町で物語は展開して行きます。
ひなびた田舎町の風景。虚飾の無い街並み。小ぶりな物語。少ない登場人物。独居老人の日常。交錯することの無い時系列。と言う構成で、映画そのものが堅く引き締まった感じがするところが、とにかく好き。
愛する者と平穏な生活を守るために吐いた嘘。
母親を喪った孫息子も、同じ判断をする。
物語の核心にあるイベントは、シンプルです。
この緊張感を際立たせるための、一見だらだらした描写の連続は、オゾンらしい技巧を感じずにはおれませんでした。
やっぱりフランス映画が好きみたいですw
良かった。
結構。
静かなお話しでありながら見応えあります
かなり素晴らしい映画でした。
静かなお話しでありながら、最初から最後まで見応えがあります。
それぞれが各々に止むを得ない大きなものを抱え、それをもて余しながら生きていく。
色々と考えさせられました。
主役のエレーヌ・バンサンの演技は、流石に秀逸。
脇を固める俳優も良かったです。
フランス語の映画は耳に心地好く、朝に観る映画に相応しい。
秋と謎が深まる傑作
フランソワ・オゾンの初期の作品群はとがってて、それはそれで好きなのですが、近年は語り口のうまさ、観るものの感情を揺さぶる手管が絶妙で、もはや名匠の名に相応しい存在です。
さて、本作冒頭にミシェルの穏やかな田舎暮らしが丁寧に描かれます。礼拝、料理、家事、親友との森の散策。ここまでで、美しい自然との調和の中での老いや孤独がテーマなのかと想像してしまいました。
ところが、娘と孫の登場により状況に変化が。穏やかな老母に対する娘の態度が相当にキツく、こちらの気持ちもゾワっとなります。不機嫌なのは娘なりの理由があり、今度は家族と親子の業の話しかと想像を働かせます。
しかし、単純にここで終わらないのがオゾンの真骨頂。中盤から後半へのミステリアスなプロットと人間の心奥をチラッと覗き見するようなアプローチに唸ります。ラストのシーケンスは絵的にもとても好きです。
ルカ役の少年も青年もドキッとするような美形でしたね(オゾンの好みなのかな)。
答えは私たちに委ねられる
秋🍂映画❗️わからないようで理解容易 深いor深く無い サスペンスor人生 の映画ファンのための一本
上映回数 上映劇場が絞られるから 前の5列除いて9割の🈹入りの盛況
蒸し暑かった🥵
地域の 中高年層 シニア🧓世代 の映画ファンが集ってた。若いカップル👫とか学生・新社会人クラスは見当たらず
オゾン監督 『私がやりました』【2023】では 爆睡😪😪で申し訳なかったけど
今週末はこの①本だけ鑑賞だから 一睡もしなかったです😤😤😳😳
【まあ単純に『ヤンキー拳🤛映画』『高校生映画恋愛❤️』はジジイの俺には無理カモと遠慮しました。若い人是非👍👍
きっと面白いですよ この2作品】
フランス 田舎の 老いていく人生。それでも こういう田舎の秋の風情は良いよねぇ的な作品。
この作品の面白さ は サスペンス的な要素もあること
それがゆえに 名画座😊だけに留まらない 大衆作品。
誰でも大きなストーリーはわかります。理解は容易。登場人物少ないから。
家族愛の方向性 近隣との付き合い とか 繊細な展開もある。
罪の重さ 生命力 『事実 と 心の中の事実→真実』疑惑疑心・・・基本有料パンフから引用
まあ 単なる風景映画ではありませんが
中年以降の人なら 誰でも理解容易なストーリー
フランス🇫🇷の田舎生活の良さ 何となく雰囲気はイイ 緊張感とサスペンス キノコ🍄🟫🍄 🍂秋は良いなぁ作品
時間的にもちょうど良い時間配分 尺
展開も ミディアムです 冗長な箇所は無い 好作品でした。
🈶有料パンフは エキスが詰まってる 普通のパンフ 要るっちゃ要るけど 要らない人も的な
その人の 映画館の映画に対するスタンス による。俺は読みやすくて良かった。👍
結論は 色々考える作品でもありますが 考えなくても気軽に観れる 良い 穏やかな作品でございました。😶🌫️
たまーに 1日1本 週末 だと マジ爽やか な 週末でした。で 来週は 厳選3本見ようかな😀😶🌫️
良かれと思うことが大事
主人公の老婦人の過去が、物語の大きな鍵となるに違いないと思って観ていたら、中盤で、それがあっさりと明かされてしまい、少し拍子抜けしてしまった。しかも、それは、「墓場まで持っていく」といった類の秘密ではなく、村人の誰もが知っているような公然の秘密なのである。
この秘密によって、それまでの娘の態度にも合点がいくのだが、幼い娘を養うための苦渋の選択だったのに、そのことで娘に毛嫌いされるようになってしまった主人公の身の上には同情せざるを得なかった。
その一方で、主人公の過去を知った孫の男の子が、初めは嫌悪感を示したものの、事情をしっかりと理解して、主人公を許容するところでは、思わず「なんて良い子なんだ」と感激してしまった。
主人公の娘が、自宅のベランダから転落死してからは、主人公の親友の息子が彼女を殺したのではないかという疑念が高まってくる。
この息子が、親友が「子育てを失敗した」と言っている割にはイイ奴で、主人公の家の庭を丁寧に掃除したり、孫の男の子をいじめる上級生を懲らしめたり、主人公の娘に母親を嫌うなと言いに行ったりと、非の打ち所がないような活躍ぶりで、一体どんな罪状で服役していたのだろうかと不思議になる。
サスペンスとしての緊張感は、女性警察官が、彼のアリバイ等について、主人公と孫の男の子を尋問する場面で最高潮に達するのだが、2人の回答が「優しい嘘」であったことには納得できるし、ホッとさせられた。
何よりも、「良かれと思ってしたことが裏目に出る」と言う主人公に、「良かれと思うことが大事なのよ」と応える主人公の親友の一言が思い起こされて、胸が熱くなってしまった。
淡々と進んできた物語だっただけに、最後の最後に、何か「衝撃的な事実」でも明らかになるのだろうかと期待したのだが、そうした展開がないままで終わってしまったところには、物足りなさを感じざるを得ない。
その一方で、最後まで娘との和解を願っていた主人公が、たとえ脳内現象であったとしても、それを果たせたということは、ハッピーエンドであったに違いないと思えて、少し幸せな気持ちになることができた。
人生の終盤において、自分の幸せを選び取ること
さまざまなことを考えた映画でしたが、一晩寝ると、身体の中に染み込んで消えていくような感覚がありました。
主人公ミシェルの秘密が守られ、人生が穏やかに閉じられたせいかもしれません。
今作は、親子や近しい間柄での葛藤や理解、そして人間の多面性を描いたものだと思いました。
真実はわからないし、それぞれに言えないこともあるわけですが、登場人物ひとりひとりが矛盾や後悔を抱えながら生きている姿には、ブルゴーニュの豊かな実りに例えられるような、人の営みのたくましさを感じました。
誰もが多様な面を持ち合わせていること、ひとりの中でもさまざまに気持ちが揺れ動く様子など、繊細に丁寧に描かれていて素敵でした。
この映画は、真実とは何か? 正しさとは何か?と深く追求しませんし(警察でさえ!)、答えも提示しません。
真実がすべてを解決するわけではなく、むしろ真実は大切な誰かを傷つたり、自分自身の豊かな生活を損なう可能性もあるのだ、と表しています。
これは、人生の終盤においても「自分の幸せは自分で収穫するのだ」という能動的なメッセージなのではないでしょうか。
私の心に残ったのは、死んだはずのヴァレリーが幻のように母ミシェルの前に現れる場面。
生前、二人の間で語られた言葉よりも、語られなかった感情…愛、赦し、理解の断片のようなものが、浮き上がってくるのを感じました。
これを和解と受け取れるかどうかはもう少し考えを深めたいところですが、少なくともヴァレリーの中では娘との対話がなされ、穏やかな結末を迎えました。これは幸せなことだと思うのです。
死者との和解というのは私にとっても非常に興味のあることで、そのヒントが得られたような気がしました。
登場人物すべての人生をすくい上げる優しさに満ちていて、悲しみ、後悔、言葉にならなかった感情も、否定されることなくありのままに表現された、素晴らしい作品だったと思います。
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