秋が来るときのレビュー・感想・評価
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ゾワゾワ、ざわざわが止まらない
おばあちゃんに限らず、女性はキノコ好き。
まあ立派なんて言いながら、ペティナイフでシュパシュパ切って調理していきます。
もちろん、リュディヴィーヌ・サニエお目当てで観ました😎
ミッチェル役のエレーヌ・ヴァンサン(80)の方がかわいくてチャーミングなおばあちゃん。娘は終始イライラして、親に対して邪険な対応で、リュディヴィーヌ・サニエ(45)の笑顔はほとんどみられません😰
胸が痛みます。自分にも思い当たるフシや記憶がいろいろあるからです。
孫がもう来ないと思った時、これまでに買っておいたオモチャが目に入るとイライラするので、いろいろ手伝ってくれる親友の息子のヴィンセントに廃棄してくれと頼みます。
ヴィンセントはそのおもちゃをひとつひとつ大事に手に取り、壊れてないかチェックします。それをそっとのぞきみているミッチェル。ヴィンセントにバーの出店資金を彼の母親には内緒で出してあげます。
出店初日のパーティーでミッチェルとうんと親しげに踊るヴィンセント。店は順調なのにヴィンセントはずっと独身です。たぶん、ヴィンセントは超熟◯マニアか、服役前からミッチェルに仕込まれていたんでしょうね。
成長し、大学生になった孫のルカが「昔からキノコだいすきだもんね」って言った途端に、
一気にゾワゾワ、胸がざわざわ。
エンドロールの音楽もザ~ワ、ザ~ワと追い打ちをかけてくるようでした。
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いくら歳をとっても女はオンナ
彼女や彼女の親友の マリー=クロード があの稼業繋がりであったにせよ、なかったにせよ、
親と言えども女を舐めたらいかんぜよ!っていうことですな😎
わたしはもうおじいちゃんなんで、生涯ずっと無害デス😅
誰もが「私がやりました」とは一言も言わず秘密が共有されていく快感
予告編ではキノコ中毒のあたりまでしか紹介されない。ひょっとしたらブルゴーニュのカントリーハウスで静かに余生を過ごす老女の心温まる映画を期待していた人が多かったのではと上映前は思っていた。というのはビックリするぐらい混んでいるのです。しかも年配の女性客ばかり。
でもフランソワ・オゾン監督なんだもの、そんな優しい気持ちの映画じゃないよね。と思っていたらやはりトンデモないサスペンス映画でした。
キノコ中毒は掴みでして、基本的にはミシェルとヴァレリーの母娘のどうしようもなく壊れた関係がベースとなり、そこにミシェルの親友マリー=クロードとその息子ヴァンサンが巻き込まれて話がエスカレートしていくかたち。結局、殺人事件が起きてしまうのですが皆が真相を知りながらもそこを飲み込んで秘密が共有されていく姿が描かれます。
謎解きでもなく、贖罪でもない、この淡々とお互いを受け入れていく感じがかなり新しい感じがします。そしてドラマの中で季節は変わっていっているんだろうけど、画面は常に美しい秋の風景を映し出している印象があり、そこがかえって人々の不安や、人生の皮肉を浮かび上がらせている感じも受けました。
ミシェルの前には亡霊がたびたび現れここは怖い。でもミシェルは怯まない。生者は死者に優先するのです。気持ち良いほど。
パリ警察の殺人課の警部(女性です。最初出てくるところでは妊娠している)が狂言回し的に登場するのですが、オゾン監督の他の作品でも登場するんじゃなかったかな。
人生の冬が来る前に
6月4日(水)
「M:I,ファイナルレコニング」の後、「サザンオールスターズ 東京ドームライブビューイング」以外映画館へ行って無かった。
半月ぶりに映画館へ。新宿ピカデリーで「秋が来るとき」を。
80歳のミシェルは、パリからブルゴーニュに移り、田舎生活をしている。パリの頃からの友人マリー・クロードがいて、刑務所に入っている息子ヴァンサンに面会に行く
マリーを送迎している。
休暇で離婚調停中の娘ヴァレリーが息子ルカを連れてやって来るのでマリー・クロードとキノコ採りをして二人にキノコ料理をふるまう。娘はキノコの毒に当たり緊急搬送され、怒ってルカを連れて帰ってしまう。母ミシェルと娘ヴァレリーのギクシャクした関係が謎だが、しかしそれには理由があった。
娘に電話しても出ない、孫のルカにも会わせてもらえないミシェルはうつ状態に。そんなミシェルの様子をみかねた出所したヴァンサンはパリのヴァレリーの所へ物申しに行くのだが…。
娘や孫への思い、友人への思い、祖母への思い。そして、嘘。嘘が本当?嘘も方弁。嘘と秘密が渦巻くオゾンの二重構造的世界(ゴーストも含めて)が展開されるが、終わり方がいまひとつスッキリしなかった。ストンと落としてくれたら、もう少し評価が上がったかも。
孫のルカ役の子はカワイかった。美男子だな。美男(ハンサム)になりそう。
モヤモヤ感が溢れてる
腹落ちしない
言いたいことはわからなくもないが娘を思うと複雑
冒頭にマグダラのマリアの説教があることからも、過去に罪を犯していようとも愛があればやり直せる、ということなんだろうなとは思うものの。
自身も金に困りつつもなんとか真っ当に暮らそうとする娘からは軽蔑されて、いくら親子とは言っても、いなくなって正直ほっとした、というのは本当に素直な気持ちの吐露だろうなとは思う。
たとえ周りから非難をされようともなんとか娘を育てるために必死でしてきたことであって、一番そのことで否定してほしくなかったのは娘だったはずだ。
どうあがいても理解しあえない母娘の関係に疲れても仕方がないと同情する気持ちもわいてくる。
皆がうっすらと、ヴァンサンの罪を知っても、見ないふりをしたのは、そのほうが都合がいいしヴァンサンや友人への親愛の情があるからなのだろう。
が、それでも、では娘は非難するばかりでろくでもなかったのかというとそれもまた違うと思う。娘だって子供を離婚して奪われやしないかと不安で必死で娘なりに頑張って生きてきたのではないのか?
方法は違えどもなんとか必死で子供を育てようとした立場としての分かり合うことはできなかったの?同情はできなかったの?復讐とまでいかずとももう少しそこに思いをはせても良かったんではないの?
どうしてもそこがひっかかって、すんなりと人生賛歌だなとは受け取れなかった。前半は眠かったし。
言わなくてもいいものを
黙っていられないものだろうかと、考えてしまう。
どの人も、共通して秘密をかかえられない。
秘密なのに、なんだかオープン。
大事なとこだけは、秘密のまま。みんなで抱えていくわけで。
そのあたりの微妙なニュアンスの描写がうまい。
正直に生きたけど、その結果はどうだったのだろうかと考えさせられてしまう。
正直が正直を庇い、嘘が真実になる。そんなストーリーかもしれない。
会いに来たの
娘と関係が上手くいっていない女性が、大好きな孫と会うのを楽しみに、友人と平穏な日々を送っていたが…といった物語。
ヒューマンドラマでちょっとサスペンスでファンタジックな作品。
これは中々に考えさせられる内容ですね。
ミシェルの抱える過去が理由で彼女の事がヘドが出るほど嫌いな娘。しかし孫とミシェルの元に来た理由…そりゃあねぇわ。
対して、友人マリーとその息子で前科持ちのヴァンサン親子。この2人も、ミシェルの物語に深く関わって行き…。
観た方なら少なからず同じ事を思った人は居るんじゃないかと思いますが、実はミシェルにはそんな目的があったりしたのだろうか?…なんて思ってしまったりもしたが、それなら最後に手を取らないか?…う〜ん。。
とても自然体に見せることで、ワタクシの考えすぎなのかハタマタ逆にわざとそうしてるのか、どちらとも取れなくもないもどかしさが逆に印象的だった。
後半はグッときました。窓越しの視線や、僕は参列した…には目頭が熱くなったし、同じような境遇にいながら母が大好きな人もいれば大嫌いな人もいるわけで…。
そんな対比も、とても心に響いた。
真実をしまっておく…これが正解になるか不正解になるか、慎重に見極めて生きていかなければならない、とリアルな感想を抱いた作品だった。
フランス映画らしい
フランス映画を観ていつも思うのは、役者の皆さん演技がとても自然であること、ストーリーが淡々としていてメリハリが少ないこと、また終わらせ方もハッキリしないというか余韻を残す終わり方が多いことです。
本作もそれに漏れず、とても自然な感じで観ていて心地よいのですが、あまりにも淡々とし過ぎだと感じました。人が死んでいて、警察が事件性を疑っているにも関わらず、皆さんとても冷静で、なおかつ葛藤する様子があまり描かれていないのが不自然で残念でした(あえて描いていないのかも知れませんが…)。あと、ルカがヴァンサンを庇ったシーンも、子供にそれを背負わせるのはどうなのかと、ちょっとそのシーンの真意が分からなかったです。
という訳で、フランス映画らしく静かで穏やかな雰囲気だったのですが、それがかえって不自然に思われる作品でした。
毒キノコに騙された。
さすがの内容でした
美しい映像に静かなメロディーが響き渡って、静かに気持ち良く始まった作品、その雰囲気は終始変わらないままに、複雑で様々な含みを持たせながら刺激的な内容が展開していったこの感じ─いや~さすがだなぁといったところです。
核心部分は全く明示されないのに、内容は非常に分かりやすくて、それでいてミステリアス、そして一筋縄ではいかないストーリーテリング・・・スゴい、凄すぎます。最後は泣けましたしねー、泣けたけど万事オーケーなんて決して言えないしなー
色々考えさせられるところが多い作品ですが、まずはとにかく面白くて、この面白さで観賞者へのメッセージというか問いを投げかけるとは─、これからもオゾン作品は見逃せません。
守りたいものがあるから、人は“秘密“を抱えて逞しく生きていく
老女・ミッシェル、彼女の親友・マリ=クロード、その息子でムショ帰りのヴァンサン、そしてミッシェルの娘(名前失念)と息子でありミッシェルの孫・ルカ。5人が織りなす哀愁漂いまくりの人生ドラマ。
フランスの田舎風景の中、親友・マリとキノコ狩りをしながら、休暇にやってくる孫・ルカとのひと時を楽しみにする老女・ミッシェル。
しかし自分の娘との日頃からの折り合いの悪さに加え、良かれと思っての採れたてキノコ料理のトラブルから、娘はルカを連れて、訪れた当日早々にパリへトンボ帰り。うーん、このあたりの実家帰省でありがちな、親子間の諍いは身につまされて心が痛い。人の振り見て我が振り直したくなりました。
そしてムショ帰りのヴァンサンが登場してから、物語はヒタヒタと何かしら不穏な空気を纏っていくが、このヒタヒタ感が絶妙。何かしでかしそうなヴァンサンの妖しさと、心根は優しそうなのが不安を抱かせるのよね。
やがて、とある出来事が起こり物語は転換点を迎えていく。登場人物の各々が、慎ましくも幸福な人生を歩みたい歩ませたいが故に、一連の出来事についての"秘密"を抱えながら、脆く儚い幸福たるものを壊さないよう繕っていくのだ。
美しく静かで穏やかなシーンが続いていても 絶え間なく続く胸騒ぎ
何年も映画を見続けていると何年かに一本ぐらいの割合で、スクリーン上で展開しているシーンは美しく静かで穏やかなのに何か不穏な空気が漂っていて、観ているこちらとしてはずっと胸騒ぎがしてそれが止まらない、そんな作品に出会うことがあります。この作品がまさにそれでした。
物語は主人公のミシェル(とてもチャーミングな老婦人です)の日常からスタートします。親友であるマリー=クロードといっしょに森へキノコを採りに行ったり(秋のブルゴーニュの風景が本当に美しいです)、服役中の息子ヴァンサンとの面会に行くマリー=クロードを車で送ったり…… そんな中、ミシェルの娘で母親と折り合いの悪いヴァレリーと、その息子すなわちミシェルにとっては孫にあたるルカが休暇でミシェルの家にやってきます。で、この三人の食卓での母娘の会話から不穏な空気が漂い始めてきて……
この物語では嘘や秘密がキーとなります。秘密もいろいろです。公然の秘密とか、暗黙の了解のもとで共有している秘密とか。
そんな静かなサスペンス感とも言うべき雰囲気を持った物語が美しいブルゴーニュの風景を背景にして展開されます。フランソワ•オゾン監督のマジックに胸騒ぎが止まらなかった100分間でした。
嘘は家族のため
何故親子の不仲・溝は埋まらないの?ミシェルとマリー=クロードの抱える秘密とは?孫のルカはヴァンサンを知っているはずなのに?
ストーリーが展開して行くに連れ、色々な?マークが頭の中を飛び交い、早く次のシーンへ!次行って!!と謎解きに夢中になるような魅力的な作品でした。
そして、秋から冬にかけての情景なのに菜園や林はもとより、室内の壁紙や調度品、それに登場人物の身に付けているものなどの色彩が、全てに差し色が施されているかのように鮮やかで心惹かれました。
登場人物のほとんどが(娘ヴァレリーを除いて)、誰かの為に良かれと思い嘘をつく。きっと女性刑事もそれを理解していたのでしょうね。
だからこそ、娘が母のことをあれほど忌み嫌う姿には共感しかねたところがありました。自分の出自には影響がなかったはずで、小さな町だからこその住民の中傷ネタしか話題が無い中で卑屈になったのかもしれませんが、自分が親になった立場で意識の変わりようはあっただろうにと思うと、そこは少し悲しくなりました。
それでも作品全体に流れる優しさに癒されました。
こういうの好き。
真相はお話しできないが、ミシェルの顔が映ったときの神父の言葉は真実のように思える
2025.6.2 字幕 MOVIX京都
2024年のフランス映画(103分、G)
仲の悪い母娘の間で巻き起こる事故を描いたヒューマンミステリー
監督&脚本はフランソワ・オゾン
原題は『Quand vient l'automne』、英題は『When Fall Is Coming』で、「秋が来るとき」という意味
物語の舞台は、フランス・ブルゴーニュ地方の田舎町
元娼婦として娘・ヴァレリー(リュディビーヌ・サニエ)を育ててきたミシェル(エレーヌ・バンサン)は、人里離れた村で過ごしていた
家庭菜園で野菜を育て、親友のマリー=クロード(ジョシアーヌ・バラスコ)とともに森でキノコ狩りをする日々
ある日のこと、ヴァレリーが息子・ルカ(ガーラン・エルロス)を連れて休暇に来ることになった
ミシェルは孫と会えることを楽しみにしていたが、ヴァレリーは着くなり「実家の名義を自分にしてほしい」と言い出し、「公証人を選んでいるので会ってほしい」と続けた
その後、三人は山菜料理やキノコ料理を食べるものの、ヴァレリーの雑言に食欲が失せたミシェルは手を付けず、キノコ嫌いのルカはスープとパンだけを食べた
それから、ヴァレリーは仕事を始めたために、ミシェルはルカとともに森へと出かけることになった
そこで自然と戯れながら家に戻ると、たくさんの人だかりに加えて救急車まで出動していた
聞けば人が倒れていると言い、キノコの毒に当たったヴァレリーが気絶する前に救急車を呼んだとのことだった
治療を受けて事なきを得たヴァレリーだったが、「殺されるところだった」とまくしたてるのである
映画は、この毒キノコ事件でさらに険悪になった二人が描かれ、そんなところに服役中のマリー=クロードの息子・ヴァンサン(ピエール・ロタン)が出所してくる
ヴァンサンはお金を貯めてバーを開きたいと言い、ミシェルは15ユーロの時給で庭掃除の仕事を依頼する
そして彼は、ミシェルの家の手入れを始めるのだが、孫に会えないフラストレーションを抱えたミシェルに同情し、ヴァレリーに態度を改めるようにと、パリにまで出向いて文句を言うことになったのである
物語は、ヴァンサンがヴァレリーの部屋にいたときに事件が起こり、それは本当に事故だったのか、という謎を引きずったまま続いていく
ヴァンサンは母親に「事故」だと言い、警察もミシェルへの聞き込みから「自殺」であると断定する
だが、事件に疑問を持つ警部(ソフィー・ギルマン)は、ミシェルのもとに訪れ、それとない尋問を始めていく
そして、ルカに対して、防犯カメラの写真を見せて、「この男はヴァンサンではないか?」と聞く
映画は、マグダラのマリアの逸話を神父が語るシーンから始まり、「罪深き女」という言葉のところでミシェルの顔がクローズアップされたりする
その意味は「過去」を意味するものの、その後の未来において、彼女は罪深き女だったのか?という疑問が最後まで拭えない
穿った見方をすれば、ヴァンサンに依頼してその報酬を払ったみたいな感じになるが、そこまで計画的なものにも思えない
住人以外の人物が建物に侵入したということしかわかっておらず、部屋には争いの形跡もなく、状況的に「事件」と断定はできなかった
さらに、ミシェルが「不安定で」とヴァレリーの印象を操作し、「自殺」に対して反発しないという言動を見せる
だが、あの状況でヴァレリーが自殺をするとは思えない
彼女の前にヴァレリーの幻影が登場するのは、ミシェルに罪悪感があるからで、その罪悪感がどこから来ているのかは明白のように思える
それでも、ヴァレリーの死は彼女自身の現在が起こした延長線上にある偶然のようにも思えるし、ヴァンサンが彼女に近づいたことでパニックを起こしてバランスを崩したという線のほうがあり得そうに思えた
いずれにせよ、ヴァンサンにヴァレリーとの関係性を暴露したのはわざとなのかわからないが、ミシェルもマリー=クロードもヴァレリーの態度を良くは思っていない
ヴァンサンが無関係なヴァレリーのもとに行って態度を改めろというのも不自然な流れで、彼があの家の場所を知っていることの方が不思議であると思う
そう言った想像力が紡ぎだす仮定というものがどうとでも解釈できるのが面白いところで、はっきりとした答えが欲しい人向けには作られていない
ミシェルが人の愛し方を知っているかはわからないが、赦されないからこそ娘に連れて行かれたと思うので、そう言った意味も含めて、ミシェルは「罪深き女だった」のかな、と感じた
人は聖人じゃなくても、小さな幸せを守りたいんだけど…
自分の後悔(レッテル)は赦してもらえない、誰もがささやかな幸せを守るための小さな虚勢から大きな欺瞞でガードしてる。映画では深追いもしないし、動機推察も観客任せの展開だが見ている時間を早く感じる映画。ルカ、名義変更、開店資金、不本意な庭の手入れなどなど高齢のミシェルが世間と繋がるための心持ちが悲しい
とは言え、中盤のキモのヴァンサンのミシェルへの想いの起源や匿名投書(警部のハッタリ?)はもう少し描写してほしかったし、ラストも他2人からの離脱からが早すぎませんか?その辺はモヤッとします
本筋と全く関係ないが、娘も友達も田舎にしてもかなり良い墓石、お国では普通なのかな
日本なら数百万円必至だから羨ましい😅
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