「真相はお話しできないが、ミシェルの顔が映ったときの神父の言葉は真実のように思える」秋が来るとき Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
真相はお話しできないが、ミシェルの顔が映ったときの神父の言葉は真実のように思える
2025.6.2 字幕 MOVIX京都
2024年のフランス映画(103分、G)
仲の悪い母娘の間で巻き起こる事故を描いたヒューマンミステリー
監督&脚本はフランソワ・オゾン
原題は『Quand vient l'automne』、英題は『When Fall Is Coming』で、「秋が来るとき」という意味
物語の舞台は、フランス・ブルゴーニュ地方の田舎町
元娼婦として娘・ヴァレリー(リュディビーヌ・サニエ)を育ててきたミシェル(エレーヌ・バンサン)は、人里離れた村で過ごしていた
家庭菜園で野菜を育て、親友のマリー=クロード(ジョシアーヌ・バラスコ)とともに森でキノコ狩りをする日々
ある日のこと、ヴァレリーが息子・ルカ(ガーラン・エルロス)を連れて休暇に来ることになった
ミシェルは孫と会えることを楽しみにしていたが、ヴァレリーは着くなり「実家の名義を自分にしてほしい」と言い出し、「公証人を選んでいるので会ってほしい」と続けた
その後、三人は山菜料理やキノコ料理を食べるものの、ヴァレリーの雑言に食欲が失せたミシェルは手を付けず、キノコ嫌いのルカはスープとパンだけを食べた
それから、ヴァレリーは仕事を始めたために、ミシェルはルカとともに森へと出かけることになった
そこで自然と戯れながら家に戻ると、たくさんの人だかりに加えて救急車まで出動していた
聞けば人が倒れていると言い、キノコの毒に当たったヴァレリーが気絶する前に救急車を呼んだとのことだった
治療を受けて事なきを得たヴァレリーだったが、「殺されるところだった」とまくしたてるのである
映画は、この毒キノコ事件でさらに険悪になった二人が描かれ、そんなところに服役中のマリー=クロードの息子・ヴァンサン(ピエール・ロタン)が出所してくる
ヴァンサンはお金を貯めてバーを開きたいと言い、ミシェルは15ユーロの時給で庭掃除の仕事を依頼する
そして彼は、ミシェルの家の手入れを始めるのだが、孫に会えないフラストレーションを抱えたミシェルに同情し、ヴァレリーに態度を改めるようにと、パリにまで出向いて文句を言うことになったのである
物語は、ヴァンサンがヴァレリーの部屋にいたときに事件が起こり、それは本当に事故だったのか、という謎を引きずったまま続いていく
ヴァンサンは母親に「事故」だと言い、警察もミシェルへの聞き込みから「自殺」であると断定する
だが、事件に疑問を持つ警部(ソフィー・ギルマン)は、ミシェルのもとに訪れ、それとない尋問を始めていく
そして、ルカに対して、防犯カメラの写真を見せて、「この男はヴァンサンではないか?」と聞く
映画は、マグダラのマリアの逸話を神父が語るシーンから始まり、「罪深き女」という言葉のところでミシェルの顔がクローズアップされたりする
その意味は「過去」を意味するものの、その後の未来において、彼女は罪深き女だったのか?という疑問が最後まで拭えない
穿った見方をすれば、ヴァンサンに依頼してその報酬を払ったみたいな感じになるが、そこまで計画的なものにも思えない
住人以外の人物が建物に侵入したということしかわかっておらず、部屋には争いの形跡もなく、状況的に「事件」と断定はできなかった
さらに、ミシェルが「不安定で」とヴァレリーの印象を操作し、「自殺」に対して反発しないという言動を見せる
だが、あの状況でヴァレリーが自殺をするとは思えない
彼女の前にヴァレリーの幻影が登場するのは、ミシェルに罪悪感があるからで、その罪悪感がどこから来ているのかは明白のように思える
それでも、ヴァレリーの死は彼女自身の現在が起こした延長線上にある偶然のようにも思えるし、ヴァンサンが彼女に近づいたことでパニックを起こしてバランスを崩したという線のほうがあり得そうに思えた
いずれにせよ、ヴァンサンにヴァレリーとの関係性を暴露したのはわざとなのかわからないが、ミシェルもマリー=クロードもヴァレリーの態度を良くは思っていない
ヴァンサンが無関係なヴァレリーのもとに行って態度を改めろというのも不自然な流れで、彼があの家の場所を知っていることの方が不思議であると思う
そう言った想像力が紡ぎだす仮定というものがどうとでも解釈できるのが面白いところで、はっきりとした答えが欲しい人向けには作られていない
ミシェルが人の愛し方を知っているかはわからないが、赦されないからこそ娘に連れて行かれたと思うので、そう言った意味も含めて、ミシェルは「罪深き女だった」のかな、と感じた