「グラフィック・サウンド100点、脚本B級」ジュラシック・ワールド 復活の大地 メカニック過激派さんの映画レビュー(感想・評価)
グラフィック・サウンド100点、脚本B級
『ジュラシック・ワールド/復活の大地』は、シリーズの看板と莫大な製作費という二つの大きな武器を携えながら、その潜在力をほとんど活かしきれなかった、痛烈なまでに空虚な一本である。映像と音響の完成度は間違いなく一級品であり、恐竜の皮膚の質感や筋肉の躍動、咆哮が生む空気の震えまでも感じさせる技術力は、劇場スクリーンとサラウンド環境で最大限に映える。視覚・聴覚の両面においては、これまでのシリーズの中でも頂点に近い表現力を備えていることは否定できない。
だが、その豪奢な外殻の内側にあるべき「物語」という芯は驚くほど脆弱だ。脚本は粗雑で、展開は唐突かつ急ぎ足。登場人物の動機や感情は描き込みが浅く、観客が感情移入できる余地は極めて少ない。人間関係は構築されないまま場面が切り替わり、重要キャラクターが退場(死亡)しても、その瞬間に至るまでの交流や背景が薄いため、残るのは悲しみではなく虚無感である。特に救助される家族の扱いは象徴的で、物語上の意味や前振りがほぼ皆無。主人公たちが彼らに注ぐ善意にも理由付けがなく、終盤まで主人公との絡みもほとんどないまま、ただ画面上を移動する「お荷物」として存在するに過ぎない。
設定面では前作との連続性が軽視され、物語の世界観が自己矛盾を起こしている。『新たなる支配者』で描かれた「恐竜が世界中に拡散した」というダイナミックな状況は、今作では何の説明もなく「赤道付近のみ生息」に縮小されてしまう。この変更はドラマ上の必然性よりも、舞台設定をシンプルにしたい制作上の都合を強く感じさせ、シリーズの積み上げを自ら否定する結果となっている。
さらに問題なのは、この改変によって生じた空白を埋めるはずの新要素が、創造性に乏しいことだ。新たに登場するキャラクターは旧作ファンにとって完全な「顔ぶれの刷新」だが、その人物像は記号的で、内面の描写も背景の掘り下げもなく、記憶に残るような魅力を持たない。新しい恐竜も同様で、シリーズの象徴であった「現実に存在していたらこう見えるだろう」という生物的リアリティは失われ、代わりに安価なSF映画を想起させる凡庸なエイリアン風デザインが採用されている。その造形はのっぺりとして生命感に欠け、しかも拳銃一丁で容易に倒されるという安直さが、かつての「未知の脅威」としての恐竜像を徹底的に貶めている。
演出面では、シリーズの緊張感を支えてきた恐怖描写が後退している。コンプライアンス配慮なのか、流血や惨殺の描写は極端に抑えられ、観客が感じるべき「恐竜の前での人間の無力感」が大幅に薄れてしまった。恐怖を削ぎ落とした結果、画面には迫力ある恐竜が存在していても、観客の心拍数は上がらず、感情は動かない。映像は派手であっても、それが物語的なカタルシスや緊張感に結びつかないのである。
総じて、本作は映像技術とブランドの力に依存し、映画としての根幹──物語、キャラクター、世界観──を軽視した印象が強い。華やかな外装の裏にあるのは空洞であり、その空虚さは上映時間が進むほどに明らかになる。結果として、『ジュラシック』という名のついた恐竜アトラクション映像集のような作品に終始し、シリーズが本来持っていた探求心やスリル、そして恐怖の魅力は影も形もない。長年のファンにとっては、このシリーズがついに「名前だけの存在」になってしまったという現実を突きつけられる、苦い体験となるだろう。
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