「日常に隣り合う貧困の奈落」それでも夜は訪れる ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
日常に隣り合う貧困の奈落
最初の15分で、毒親ドリーンのあまりのクズっぷりに反吐が出そうになる。リネットが朝から口酸っぱく言い聞かせた新居購入の契約の場に現れず、あまつさえそのための頭金を使って車を衝動買い。
ここで母親を殴りつけてでもキーを取り上げ、車を返品するなり売るなりすればまだ良かったが、リネットはどん底へと続く道を選択する。その道程で、彼女の背負った過去が徐々に見えてくる。
物語の舞台であるオレゴン州ポートランドは公共交通の発展したコンパクトシティで、2010年代にはアメリカ国内の「住みたい街ランキング」上位の常連だったそうだ。それがこの十数年で人口増に起因する住宅不足や地下高騰に見舞われるなどいくつかの要因により、ホームレスや薬物使用者が増加、安全面での不安などから中心部のオフィステナントの空きが増え人流が減り、荒廃が目立つようになったという。
冒頭のホームビデオから、リネットの幼い頃、父親がいた時には彼女の家庭はいわゆる中流のレベルの生活をしていたのではと想像される。だが父はいなくなり、一家は一度は離散し、リネットは路上生活を経験、障がいを持つ兄のケニーは社会福祉局に「連れ去られ」た。
ラジオのDJが語る。給与以外の全てが値上がりし続ける中、ただ1度多額の請求を払えなければ家を追い出される。強制退去歴があれば家は借りられない。
リネットにとって、平和な中流の生活とホームレス生活は紙一重なのだ。加えて彼女の言葉のニュアンスから、以前ケニーが社会福祉局に保護された時、理不尽な扱いを受けたことが察せられる。彼女は兄を守りたかったし、二度とホームレスに戻りたくなかった。
リネットの金策行脚はひたすら殺伐としていた。
相手もクズが多いが、リネットの行動もなかなかイカレている。パパ活客スコットの高級車を盗む、議員の愛人になった友人の部屋から金庫を盗み自分のものだと嘘をつく、比較的親切に動いてくれた(金目当てでもあったのだろうが)バーの同僚コーディには金庫解錠にかかる報酬を払わず盗んだ高級車を売りつけようとする、思い通りにならないと彼を車で轢く……
一晩で2万5千ドルを用意する必要に迫られた時、彼女が思いつく精一杯の選択肢があれら一連の行動だった。誰かを頼ろうとした時、彼女が思いつく相手がああいう人間たちしかいなかった。
そもそも犯罪で解決を図るのは間違っているというのは誰でも思うことで、その視点から見ればリネットの行動は愚かでしかない。ただ、この物語はリネットの犯罪行為を正当化しているわけではなく、綺麗事を打ち捨ててそこまでしないと抜け出せないと当事者に思い込ませてしまうほどの貧困の奈落が、アメリカの日常の中にあるということを言いたいのではないだろうか。
経済的困窮だけでなく、母親ドリーンとの絶望的なコミュニケーション不全もリネットを苦しめた。ドリーンはあれだけリネットが口酸っぱく言ったのに家購入の契約をすっぽかし、この家を出てケニーと共に知人宅に身を寄せると決めたことをリネットに伝えていなかった。夜通し危険を犯して金策に奔走したリネットの闘いは、母の告白によって無意味な一人相撲になった。
車の購入のこともそうだが、事前にリネットに話さなかった理由をドリーンは「話したら怒鳴られるから」と娘のせいにした。毒親特有の被害者ポジションの取り方が妙にリアルで吐き気がした。この母親さえいなければリネットは家を購入出来たのにと思う。だが、兄には母親が必要だったし、リネット自身の心の奥底にもまだ母の愛への未練があった。
最後にリネットが母にお礼の言葉を残して出て行ったのは、あまりにドライな母との対話で、その未練を断ち切ることが出来たからかもしれない。
彼女は、身軽になったことで貧困の奈落から抜け出せるのだろうか。彼女のやり方に感情移入できなかった私は去り行くリネットを遠目に見送るばかりだったが、それはすなわちあのような境遇とは縁遠いことの証左であり、幸運なことなのかもしれない。