フランケンシュタインのレビュー・感想・評価
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まず美術は一級品。モルドールかよ!?とツッコミたくなるほど「悪...
まず美術は一級品。モルドールかよ!?とツッコミたくなるほど「悪の居城」な研究所も、のちの派手派手しい爆破炎上ぶりと合わせて最高だ。役者陣もハマっている。だが、ストーリーはいろいろ工夫はあるものの、結局は原作をなぞることに汲々としている印象を受ける。「父と子」のテーマを強調するのはまとまりは良いが、原作の神学的、SF的な側面からは矮小化ともいえるし、せっかく昆虫好きの才女として肉付けしたヒロイン・エリザベスが脇に追いやられてしまう格好なのも残念だった。永遠性の問題はなにも解決していないものの、「父」との和解を果たしたラストシーンの「怪物」の姿はそれまでと打って変わって荘厳美さえ感じられ、むしろ「この後」のオリジナルストーリーを同スタッフで作ってほしいと思わされる。
私が求めるデル・トロではなかった
これまでのデル・トロ作品は、さりげなく、ジワッと情感を伝えていた。異形のモンスターを描きながら、観る側がメッセージを読み取る作風に大人の味わいがあった。
その点、本作は説明が過剰だった。
「そこはセリフで語らず、演技や映像で表現してほしい」と思える場面が多かった。
オスカー・アイザックはこれまで寡黙ながら凄みのある役が多かったが、本作では感情的で浅はかなマッドサイエンティストを演じた。演技の幅を広げていたと思うが、私のイメージではなかった。
そしてミア・ゴス。彼女が登場するだけで異常な緊張感が漲る。この点は期待以上だった。
本作を通じて、私は鑑賞者として意識のアップデートを迫られた。「この監督∕役者はこういう人だ」という固定観念は捨てないとだめですね。
無慈悲な生
何度も映像化されてきた“フランケンシュタイン”の物語を、2025年...
何度も映像化されてきた“フランケンシュタイン”の物語を、2025年版として現代的にリブートした本作。
映像は美しく、テーマも真面目に作り込まれているが、序盤の説明が長く、中盤は同じトーンの繰り返しが続くため、観ていると 「ちょっと飽きる」 感覚がじわりと積み重なる。
そして何より印象に残るのが 終わり方の唐突さ。
大きな余韻や感情の爆発を待つ間もなく、スッと幕が下りてしまう。
そのため、観終わったあとに残るのは“余韻”というより 妙な寂しさ に近い。
古典を丁寧になぞったリブートとしては正統派だが、新しい驚きや強烈なインパクトを期待すると、どこか物足りなさが残るかもしれない。
たぶん、時間をあけ、二度観るとみえてくる楽しみもあるかも…
フランケンシュタインを深く知る
良くも悪くも変わらず成長のないデル・トロ。
生とは死とは、壮大なテーマに挑むスリラーヒューマンドラマ
ギレルモ・デル・トロ監督が長年温めてきた「フランケンシュタイン」の映画化。これまでも人間と怪物の関係性を描いてきた監督の集大成的作品でもある。
ただ、原作に敬意を表しているからか、かなり忠実であり改変はされていない。そこがデル・トロらしさが抑えられて道徳的な作品になっているような気もする。
何度も映画化されている作品であるが、構成として新しいところが、第1章は怪物を作ってしまうヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)の視点で語られ、第2章は怪物(ジェイコブ・エロルディ)視点で語られるところ。特に第2章は客観的には恐ろしい怪物がヴィクターの身勝手な願望で誕生し、人間から避けられてしまう悲哀を描きスリラーというよりヒューマンドラマとなっておりデル・トロ監督の視点が強く出ている。
人間が身勝手に作った怪物を制御できないところは、現代のAIや変異したウィルスなどの暴走の脅威に置き換えられる。
人間は必ず死があるからこそ生が尊い。しかしこうした「怪物」に死はない。人間はこれからの未来、怪物と共存しなくてはならない。
一方人間ドラマとしてヴィクターと弟の妻エリザベス(ミア・ゴス)への恋心、エリザベスの怪物への愛といったアブノーマルな愛情が描かれるが中途半端。人間の性愛の悍ましさまでつっこんで描けばもっと複雑な人間のエゴを描くドラマになったのでは。
最終的に罪は許される的なキリスト教思想のハリウッド大作映画の印象になってしまったところは残念。
ギレムモデルトロの世界観
芸術性が高く独特の世界観に魅せられる。ダークファンタジーとギレムモデルトロの相性抜群。
愚かな人間が創り出した化け物。望まない命、永遠の命ほどつらいものはない。哀しみを抱えたまま死ねないというのは地獄なのだ。永遠の命や美が欲しいと願うが人間は老いてその先に死があり、期限があるから幸せなのかも知れない。深かった。
怪物美を描かせたら右に出る者なし
ただただ悲しい物語
良くも悪くもデルトロ監督作品。
命をつくるということは命を育てるということ。それを知らなかったビクター・フランケンシュタイン。ただただ悲しい物語だった。人の尊厳なんてない。時代背景もあるんだろうけど、階級制度と貧富の差が激しい時代だからこそできた非道の行い。古典文学なんだから道徳心や倫理を説いたって意味がないことは分かっているけれど、見てる側は不快になってくる。ビクター自身が罪を自覚していないことも悲劇につながっている。だからこそ、ビクターの弟の最後の言葉が凄く印象的。女性キャラも原作通りなのだろうか。彼女が一番理解できなかった。デルトロ監督のラブストーリーは理解に苦しむ心情が多くあまりにも脈略がなくて苦手です。画を一つ一つ切り取ったらとても美しいカット場面になるだろうけど繋げたらなんとも歪んだ人間模様が見えてしまった。
”怪物“と老人とのシーンがほんとうに切なくて心が痛い。鉄砲で簡単になにかを打つという行為もこの時代の価値観がよく垣間見える。だからこそお爺さんの優しさがこの物語の中で一番美しい姿に見えました。しかし長い。面白かったら時間は気にならなかったけど、苦痛を感じ始めたらもうダメですね。好きなタイプの物語のはずなのに、鑑賞後はどっと疲れを感じてしまった。
愛を求める怪物と創造主の罪
ルーマニアのドラキュラ、アメリカの狼男と並ぶ、世界3大ホラー・モンスターのフランケンシュタインを、ギルモア・デル・トロ監督が、Netflix配信用に新たに手掛けた話題作。ギルモア監督は、これまでにも『シェイプ・オブ・ウォーター』や『クリムゾン・ピーク』等、ちょっと不気味なモチーフの中に、確かな映像美を追求し、そこに愛情劇や人間ドラマをしっかりと入れ込んで、アカデミー賞をも受賞した監督。そんな彼には、全く持って相応しい題材となる本作。随所に、ホラー的なグロさも混じえながらも、終わってみるとヒューマンティックな余韻を残す作品に仕上げている。
『フランケンシュタイン』とは、モンスターの名前でなく、それを創り出した博士の名前であり、本作でのそれは、単に『怪物』と名付けられて登場している。その為、他のモンスターとは一線を画す、人造人間として位置づけられる。それによって、悪魔的な絶対悪のモンスターではなく、人間の心を宿しながらも、その容姿の醜さ故に人々に嫌われ、孤独と悲哀を漂わせる存在となっている。これまでにも数多くの『フランケンシュタイン』映画が製作上映されてきたが、1994年のロバート・デニーロ主演の作品のラストシーンでは、心揺るがし、胸が熱くなったことを記憶している。
本作は、自分を生み出したビクター・フランケンシユタイン博士の裏切りへの復讐を果たそうと、北極の地まで追いかけてきた怪物が、ビクターを襲うシーンから始まる。そこに、氷で閉ざされて航海不能となった輸送船が居合わせ、ビクターを助けたことから、輸送船員達も怪物に襲われていく。物語は、その輸送船の船長に、ビクターと怪物が、それぞれの視点で語られるシーンが描かれた、2部構成の作品となっている。
前半では、悲観した幼少期を過ごしたビクターが、自分の欲望に駆られて怪物を生み出すまでの経緯を語っていく。後半では、怪物として生まれた切なさからの存在意義や、愛するとは、人間とは何かを問いかけてくる。また、そこに『シェイプ・オブ・ウォター』でも扱った、怪物と人間との禁断の愛も交えることで、より人間臭さい愛憎劇を盛り込んでいる。但し、ストーリーとしては、オーソドックな『フランケンシュタイン』作品となったており、それほどの斬新さは感じなかったし、死体を繋ぎ合わせた怪物の身体が、色白で美しく映し出されていたのは、ギルモア流の演出なのだろう。
主演のフランケンシュタイン博士には、グアテマラ出身のオスカー・アイザックが猟奇的な博士を熱演している。怪物には、お初の俳優さんで、オーストラリア出身のジェイコブ・エロルディが務めている。また、フランケンシュタインの弟の婚約者役には、『Pearl』や『X』のホラー映画でブサカワいいと評されたミア・ゴスが演じていた。
醜い人間の所業
勝手に作って勝手にガッカリすんな
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