「映画館で観ようよ」フランケンシュタイン TRINITY:The Righthanded Devilさんの映画レビュー(感想・評価)
映画館で観ようよ
何度も映像化されたメアリー・シェリーのホラー小説に独自の解釈を交えて挑んだギエルモ・デル・トロ監督の新作。
医学者の父から後継者として厳格に育てられたヴィクター・フランケンシュタイン。
優しかった母を亡くした幼少期のショックがトラウマとなり、不死の生命を創り出すという妄執に捕らわれたまま成長していくが…。
本作は概ね原作の筋書きを踏襲しているが、1931年に製作されたユニヴァーサル・ホラーの同名作品(以下『1931年版』)からもいくつかのアイデアを引き継いでいる。
ついでに言及すると、ボリス・カーロフの特殊メイクばかり話題になることが多い1931年版は完成度の高いれっきとした名作。ビクトル・エリセが『ミツバチのささやき』(1973)に引用したのもダテや酔狂からではない。
以後の派生作品に大きな影響を与えているが、主人公が科学者(もしくは博士)という設定も同作が編み出した新基軸で、原作のヴィクターは単なる学生(留学生)に過ぎない。
そのぶんオリジナルの弟ウィリアムの設定年齢も低くて婚約どころか年端もいかない少年だが、こいつが紛う事なきクソガキで、要らんこと言って怪物を挑発したせいでイチコロに縊り殺される。
創造物のあまりの醜さからただちに放棄する原作と異なり、当初は主人公が怪物の面倒をみる点も1931年版と同じ。
だが、怪物が自分の名前だけでなく弟の婚約者エリザベスの名前を口にしたために、自分だけの秘匿物と禁断の想いを寄せる彼女に対する二重のジェラシーと羞恥に苛まれたヴィクターは創作物の消却を決意する。
神の領域を侵す罪を厭わないヴィクターと昆虫好きのエリザベスとの噛み合わない会話は、初めのうちは進化論を巡るダーウィンとファーブルのように他愛のないやりとりに過ぎなかったが、やがて二人は怪物を挟んでユダと慈悲深き聖母ほどの乖離を見せヴィクターの未熟さを露呈していく。
本作がヴィクターのモノローグと怪物のそれとの二部構成になっているのは原作のプロットに沿っているからだが、ヴィクターのセリフが身勝手で自己弁護に終始した幼稚な主張ばかりなのに対して、怪物の独白は格調高く詩的ですらある。
彼が盲目の老人のもとで読み耽る書物は、おそらく聖書とほかは『プルターク英雄伝』にミルトンの『失楽園』(状況は異なるが原作では聖書の代わりにゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読むことになる)。
環境が後天的な人格形成に与える影響は原作、1931年版、ともに重要なテーマとなっている。その点は本作も同じだが、外見の醜さゆえの迫害に曝され造物主ヴィクターへの復讐心を凝縮させる原作や、防衛本能から攻撃性を剥き出しにすることになる1931年版と較べると、本作の怪物は内省的な存在にも思えてくる。
作者が女性なので母性の介在を主唱する論評もあるようだが、原作には母性を体現する人物は出てこない(原作のエリザベスは弟ではなくヴィクター自身の婚約者だが、男性に追従する旧い価値観の存在に過ぎない)。
監督のデル・トロは本作のエリザベスを完璧な母性の象徴として描くことでヴィクターの幼稚さを強調するとともに、彼と怪物の歪んだ父子関係(父性)を際立たせようとしているのではという気もする。
デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)はオスカー等、幾つもの賞を獲得したものの、個人的にはグロテスクなだけで後味の悪い印象しか残らなかったし、メッセージ性も未熟で未消化に感じた。
監督の作品をそんなに多くは観ていないが、『パンズ・ラビリンス』(2006)はスペイン内戦を背景にしているし、アニメーション作品『ピノッキオ』(2022)は第二次大戦が舞台。
本作も直接の戦闘シーンこそ登場しないものの、己れの願望と名誉欲を満たすために食屍鬼のように戦場で死体をあさるヴィクターの姿を通して戦争の愚かさを訴えかけている。
怪物が今後関わりを持たないことを交換条件に伴侶(つまり女の怪物)を創るようヴィクターに迫る設定は原作どおり。
ただし、原作のヴィクターは増殖した怪物の子供がやがて人類に取って代わるのではという現代の移民排斥問題を先取りしたような根拠のない妄想に駆られ、完成間近の「伴侶」を破壊し、激怒した怪物をさらなる凶行に奔らせる。
グロテスクな残酷趣味の映画を撮りたいだけなら、こんなもってこいの場面を避ける必要はなかっただろう。にも関わらずデル・トロはこのエピソードの映像化を回避している。
敢えて描かなかったのは、もっと大切な主題がほかにあったからだろう。
原作の怪物は安易に自分を生み出し無責任に遺棄したヴィクターをとことん追い詰めた結果、彼の死によって己れの存在意義までも失い、いずこともなく消えていくが、本作の怪物はヴィクターの請いを受け容れて彼を赦し和解を遂げる。
創造主(父親)であるヴィクターが原作ではクソガキだった弟からさえ“You are the monster(兄さんこそ怪物).”と吐き捨てられるほど精神的に未熟で身勝手な人物に描かれるのと対称的に、賢者のごとき老盲人と出会い名著に触れて以降の怪物(息子)を思索的な存在と捉えているからか、彼らの和解は両者の父子関係の逆転とも受け取れ不思議な印象を残す。
怪物が朝日に向って晴れやかな表情で両手を拡げるラストシーンも、1931年版へのオマージュ。
神の領域を侵犯したヴィクターは結局ただの人間として息を引き取るが、不死の生命と無限の力を手に入れ、神にも悪魔にもなれる存在と化した怪物は果たして――。
本作を見終えて彼が後者を選ぶと想定する人なんておそらくいないだろう。
今後デル・トロ監督の代表作とも、フランケンシュタイン映画の金字塔とも賞されて然るべき傑作。
Netflixが配信用に製作したそうだが映像は緻密で完成度も高く、ラストシーンは神々しいまでに美しい。
映画館で観ないのはもったいない。
