KIDDO キドーのレビュー・感想・評価
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星がつなぐ母と娘の絆
ラストでお母さんのカリーナは手に入れたお金を全部娘のルウに渡す。彼女はきっと自分で働いてお金を稼いでルウを迎えに来るつもりでお金を取らなかったのだと思う。
今回の二人だけの逃避行で娘のルウはお母さんとのかけがえのない時間を過ごせたけど、お母さんのカリーナにとってもこの二人での旅が大きな影響を与えたはず。
彼女は母親として間違いなく成長した。この数日の娘との旅で。子育ては親育てだ。人間は子育てすることによって大きく成長する。最初から完璧な親なんていない。親になる準備が十分にできて親になる人間なんていないし、ましてや思いがけず子供が出来てしまい心の準備はおろか子育てできる生活も成り立ってなかったりする。
このカリーナにしてもルウは思いがけずできた子供で、親になる準備も心構えもなく生んでしまったんだろう。親が未熟なままで子供を授かるのはけして珍しいことではない。それでも親としての自覚が生まれて四苦八苦しながら育てられる親ならいいが、みんながみんな同じようにできるわけでもない。中には不幸な結末を迎える場合もある。
だから赤ちゃんポストなるものも生まれた。親が自分で育てられない場合子供を引き取るシステム。せめて命を失うくらいなら社会が赤ん坊を守ろうというシステム。
ルウが暮らしていた施設の役割もとても重要。彼女は無断で抜け出したがちゃんと連絡を取っていて母親以上の社会性を身に着けていた。社会が親の代わりに彼女を責任ある子供に育てていたから、むしろルウの方がカリーナよりもしっかりしてる面があった。そんなルウにカリーナが諭される場面も。
おそらくカリーナは精神疾患とかで施設に入っていたのかもしれない。ロボットのように暮らしていたというのはそういう意味なのかも。でも娘を心配させたくないからハリウッドスターなんて噓ついたんだろう。
自分の子供を自分で育てるのが当たり前というのはある意味社会の常識だけどそれをできない人もいる。片親だけで頼れる親類もおらず、それで病気にでもなれば子育てなんて無理だろうし、またカリーナのように事情を抱えている場合もある。
社会に甘えるな、自己責任だと言われても犠牲になるのは何の罪もない子供だ。それを社会は見て見ぬ振りできない。
象は社会性のある動物で群れの中の子供を自分の子供でなくても互いに世話をするのだという。人間社会もこれと同じで他人の子供であってもけして見て見ぬふりはできない。
また会おうというカリーナの最後の言葉。次に会う時には彼女はちゃんとルウの普通のお母さんになれるはず。そんな希望を抱かせるラストだった。
とてもポップでチャーミングな愛すべき作品。ハチャメチャな二人の旅に心が癒された。
ルーが健気でキュート
母親が、かっ飛び過ぎっていうか、突き抜け過ぎてて呆気にとられます。開いた口が塞がらない爆笑🤣笑笑
でも、そんな母親がルーの施設に来て、いきなり車🚗で旅しよう❗️なんて❗️突拍子も無いことを言う。そんな奇想天外な展開が好きだったりする🤣笑笑
ルーも本当の母親だから、母の突拍子も無い行動にビックリΣ('◉⌓◉’)しながらも、楽しそうに過ごしてる🍀☺️。。。そんな情景が好きだなぁ☺️✨
でも、お母さん、最後、実家のお金を強盗しては行けません❗️❗️❗️コレにはルーも怒る💢
ルーが、この旅で、お母さんに影響されずに自分自身をしっかり持って良識ある人に成長をしていってる姿が良い。
この映画は、最後振り返ると、けして悪くは無く考えさせられる映画🎞だと思います。
気持ちよく観れた。
最初はどうなることかと思ったけど、いわゆる暴力的な内容はなく、本当に悪い人も出ず、2人とも分かり合えたうえでのハッピーエンドといった感じ。
売春や暴力といった横道にいくらでもそらせられるし、そのほうが物語としては膨らむのにあえてそっちに行かなかったのかな。
そのおかげか、気持ちよく観ることができた。
【”嬢チャン!アタシたちはボニーとクライドだよ!と破天荒な母は迎えに来た娘に言い、オンボロ車で旅に出た。”今作は破天荒な母と娘のチョイと沁みるロードムービーであり、娘の成長物語でもある。】
■オランダの児童養護施設に”ハリウッドのスターになる!”と言って母カリーナ(フリーダ・バーンハード)に幼い頃預けられた少女ルー(ローザ・ファン・ローレン)のところに”明日面会に行く”と母から連絡が入る。
やって来た母は、超オンボロ車にルーを乗せて”お婆ちゃんのいるポーランドに行って、隠してある大金を貰って、二人で住む家を建てよう!”と言うのであった。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・マア、この破天荒な母カリーナの行動が凄い。イキナリ右腕にギブスを嵌めて現れて”ちょっと、トラブった。”などと言いながら超オンボロ車にリーを乗せて走り出すのだが、休憩の時にトラックの荷台の上に乗って運転手の兄ちゃんから怒られるし、一日に一回は大声で叫ぶし・・。
けれども、ルーは久しぶりに会った母の言う事を一生懸命に聞くし、楽しそうなのである。
・母カリーナは、敢然と無銭飲食を決行したり、トンデモナイのだが、何だか可笑しいのである。
・オンボロ車は、矢鱈とエンストをするのだが、その度にルーを運転席に座らせて、押し掛けする母。押し掛けなんて、久しぶりに観たなあ。
そして、母はガンガンエンジンルームを叩いて修理中に煙が出て来て、謎の仏頂面爆竹少年から奪った爆竹に火が付いて、オンボロ車は炎上するのである。クスクス。
・で、二人でヒッチハイクをして、漸くポーランドのお婆ちゃんの家に付くのだが、既に他界していて、母カリーナの姉だか、妹だか、よく分からない人が不愛想に彼女を家に入れないのだが、カリーナは決然として家に入り込み、隠してあった大金をゲットするのである。
■だが、ルーはそんな母の数々の行状に付き合うのだが、最後半到頭”プンスカぷん!”と怒ってドンドン母を置いて歩いて行って、ビックリしたカリーナが追いかけて来ると”普通のお母さんでいてよ!”と叫ぶのである。
そして、シュンとしてしまったカリーナは、ゲットした大金で買った車でルーをオランダの児童養護施設まで連れ帰り、寝てしまった彼女に新車とトランクに入れた大金をそのまま残して、何処かへ去るのである。
<今作は、破天荒な母と娘のチョイと沁みるハチャメチャなロードムービーであり、幼い娘が久しぶりに現れた母を反面教師として見ながら成長する物語なのである。>
ふつう、が、困難であるということ
社会不適合バリバリの得体の知れない母親と、児童養護施設に預けられていた娘との、1970年代風に作られているロードムービー
娘は母に会いたい一緒に居たい気持ちが強く、最初のうちは母のヘンテコな言動行動に合わせて同行してゆくが…
娘視点で、基本的には同じ年頃の子に向けた作品のようにも見える。なぜならば、母視点というより娘視点でのリアクションSEが随所に挿入されているから。加えて、イメージカットがふんだんに挿入されている。このあたりでこの作品に対してに肌が合う合わないの差は出るかも知れない。
小ヘビ、
最初はオモチャかと思ったらいちおう本物という設定なんですね
セイブシシバナヘビとかかな?
娘にとってはその小ヘビが唯一のフレンド
母親という存在を求めるのは主役の娘と同様に、母がポーランドの実家の母親(娘にとっての祖母)を求めて向かうのも同じ。という入れ子構造にはなっている。
母は古い白黒映画好きで宿に泊まるたびに何かしら観ている。自分たちをボニーとクライドだと決め込み、娘は訳がわからないままそれを受け容れる。それは1930年代のアメリカの重犯罪人で、数々の作品の題材となったコンビの名だ。お互いに銃を向けて撃つゴッコ遊びをしてコミュニケーションを楽しむ。
オランダからドイツを横断してポーランドへという道程だが、雰囲気はめちゃくちゃ昔ながらの北米大陸の田舎道って感じ。
半壊したどこからか盗んできたのかもわからないようなシボレーインパラで旅のほとんどを進むが、最後はトヨタの軽車両に変わる。出てきた時からギプスを着けている左手の怪我の原因については最後まで触れられない。
旅の途中、一部始終を見られていた少年に、お前の母はおかしいとズバリと言われ、やはりそうなのか…と思っていそうなのにそれでも母に着いて行く娘。旅の節目節目で養護施設の皆ならどう思うだろう?心配を掛けていないだろうか?と脳裏によぎってしまう娘。
行き当たりばったりでその場その場の衝動のみで動くしかなく、
ゼロか100か、と宣う母。
その思考や観念がパーソナリティ障害的や双極的で、息を吐くように嘘を重ねる姿は観ていてつらいものがあります。気の毒過ぎて。
率直に言えば、私はこの母親のような人物に対して楽しいとはとても思えないし関わりたくないと感じてしまう。(作中では、どこかで投薬でロボットにさせられていたという表現はあるが、具体的な症状や病名は明らかにされていない)
だが、発達障害かパーソナリティ障害が強めだけども誰にも そして自身にもそれをどうしていいのかもわからないまま生きざるを得ないような人は、意外と多いのだろうなとも思うし、そういう人の存在を感じさせてくれる作品として私は評価します。
この作品が一刻の救いになる人も居るのかな
母が最後に遺したのは、自分らしくいられるために必要なもの(お金、叫び)だったのだろう
2025.4.23 字幕 京都シネマ
2023年のオランダ映画(91分、PG12)
訳あり母親と施設で育てられた娘が祖母の家に向かう様子を描いたロードムービー
監督はサラ・ドビンガー
脚本はネーナ・ファン・ドリル&サラ・ドビンガー
原題の『Kiddo』は、「親しみを込めて子どもを呼ぶときの言葉」で、劇中では「お嬢ちゃん」「ルー」と訳されていた
物語の舞台は、オランダのとある児童施設
そこには11歳になる少女ルー(ローザ・ファン・レーウェン)がいて、養母ヘニー(アイサ・ウィンター)は、ルーの母カリーナ(フリーダ・バーンハード)からの電話を受けていた
どうやら明日の朝8時に迎えにくるという知らせで、それによってルーは浮き足だってしまう
だが、約束の時間が過ぎても来ず一日が終わってしまう
翌日にはみんなで海に遊びに行くことになっていたが、ルーは「行きたくない」と言って一人で施設に残った
物語は、その後カリーナがひょこっとやってきて、ルーを連れ出す様子が描かれていく
少しどこかに行くだけと思っていたルーだったが、実は祖母(Izabela Pogonowska)のいるポーランドに行くために「誘拐」されていたことがわかる
誘拐は大袈裟だが、規定違反を犯していることになり、ルーは秘密裏にヘニーに連絡を取っていた
だが、それを告白すると置いてけぼりを喰らうようになり、ルーも携帯を捨てて、母と一緒に行動を共にすることになったのである
映画は、このイカれた母娘の道中を描き、それが最後の母娘の時間であることを示していく
劇中では明言されていないが、おそらくカリーナは何らかの罪によって投獄されていて、捕まる前に実家に金を隠したのだと思う
それをルーに届ける必要があり、文字通り「逃亡者」としてどこかに消えてしまう
映画に登場する爆竹少年グジェゴシュ(マクシミリアン・ルドニツキ)は「ボニーとクライドは最後は死んじゃうよ」と言うものの、カリーナはルーだけは死なない世界線に置いていくことを考えていた
カリーナは最後に親らしいこと、娘らしいことをしたいと思っていて、今回がそのラストチャンスだったのだと思う
実家に母がいると思っていたカリーナだったが、実際にはすでに亡くなっていて、いとこ(リディア・サドウカ)からは連絡すらなかった
それは、カリーナが一族の恥であると考えられていたからであり、そこにも「ボニー&クライド」の引用があったのかな、と思った
いずれにせよ、6つくらいの章立てになっていたが、それらは全て劇中のセリフだったように思う
覚えているところだと「Eat and Run(食い逃げ)」とか、「Money and Run(お金を持って逃げる)」のように、要所に「Run(逃げる)」と言う文字があったように思う
そして「Crazy」が転換となって、ラストは「Home」に戻ることになるのだが、印象的だったのは「一日一回叫ばないとおかしくなる」と言うカリーナの習慣だろう
最終的にはルーも叫ぶようになっていて、これが彼女たちが普通でいられるための方策なのだと思う
現代の都会では叫べるところが少ないが、合法的なところだとカラオケボックスとか、車で走りながらと言うところだろうか
やってみるとわかるのだが、ストレスの発散には良いと思うので、普段大声を発せずにうちにこもっている人ほど、自分の中にあるものを外に出すと言う習慣をつけても良いのかな、と感じた
いずれにせよ、オランダの映画なのであまり情報がなく、ショートフィルムにも同じタイトルの作品があるので混同しやすい
ロードムービーとしての風景の移り変わりは分かりにくいが、脇で登場する人たちは個性的なキャラが多いので面白い
火薬少年も面白いが、ポーランドのレストランで「あいつはサイコキラー」とか、「火星人のコスプレしてそう」とか、「恐ろしい魔女」などのようにアテレコしていくのも楽しかった
ルーは最後に恐ろしい魔女に銃を撃つフリをしていたが、こういう細かなところにルーの変化が描かれていたので凄いなあと思った
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