「ふつう、が、困難であるということ」KIDDO キドー 寝落ち中尉さんの映画レビュー(感想・評価)
ふつう、が、困難であるということ
社会不適合バリバリの得体の知れない母親と、児童養護施設に預けられていた娘との、1970年代風に作られているロードムービー
娘は母に会いたい一緒に居たい気持ちが強く、最初のうちは母のヘンテコな言動行動に合わせて同行してゆくが…
娘視点で、基本的には同じ年頃の子に向けた作品のようにも見える。なぜならば、母視点というより娘視点でのリアクションSEが随所に挿入されているから。加えて、イメージカットがふんだんに挿入されている。このあたりでこの作品に対してに肌が合う合わないの差は出るかも知れない。
小ヘビ、
最初はオモチャかと思ったらいちおう本物という設定なんですね
セイブシシバナヘビとかかな?
娘にとってはその小ヘビが唯一のフレンド
母親という存在を求めるのは主役の娘と同様に、母がポーランドの実家の母親(娘にとっての祖母)を求めて向かうのも同じ。という入れ子構造にはなっている。
母は古い白黒映画好きで宿に泊まるたびに何かしら観ている。自分たちをボニーとクライドだと決め込み、娘は訳がわからないままそれを受け容れる。それは1930年代のアメリカの重犯罪人で、数々の作品の題材となったコンビの名だ。お互いに銃を向けて撃つゴッコ遊びをしてコミュニケーションを楽しむ。
オランダからドイツを横断してポーランドへという道程だが、雰囲気はめちゃくちゃ昔ながらの北米大陸の田舎道って感じ。
半壊したどこからか盗んできたのかもわからないようなシボレーインパラで旅のほとんどを進むが、最後はトヨタの軽車両に変わる。出てきた時からギプスを着けている左手の怪我の原因については最後まで触れられない。
旅の途中、一部始終を見られていた少年に、お前の母はおかしいとズバリと言われ、やはりそうなのか…と思っていそうなのにそれでも母に着いて行く娘。旅の節目節目で養護施設の皆ならどう思うだろう?心配を掛けていないだろうか?と脳裏によぎってしまう娘。
行き当たりばったりでその場その場の衝動のみで動くしかなく、
ゼロか100か、と宣う母。
その思考や観念がパーソナリティ障害的や双極的で、息を吐くように嘘を重ねる姿は観ていてつらいものがあります。気の毒過ぎて。
率直に言えば、私はこの母親のような人物に対して楽しいとはとても思えないし関わりたくないと感じてしまう。(作中では、どこかで投薬でロボットにさせられていたという表現はあるが、具体的な症状や病名は明らかにされていない)
だが、発達障害かパーソナリティ障害が強めだけども誰にも そして自身にもそれをどうしていいのかもわからないまま生きざるを得ないような人は、意外と多いのだろうなとも思うし、そういう人の存在を感じさせてくれる作品として私は評価します。
この作品が一刻の救いになる人も居るのかな