プロフェッショナルのレビュー・感想・評価
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トワイライト・ウォリアーズ
冒頭の爆破シーン、音楽、北アイルランドの風景。
本格的なアクション・スリラーかとワクワクしてたら、
黄昏れた仕置き人とチンピラテロリストの喧嘩みたいにスケールダウンしちゃって残念。
同日公開の作品に対抗してつけた邦題が悪い。
アイリッシュの俳優さんたちなんだろうけど、テロリストも元締めも若い殺し屋も(あんまり若くない)、隣人も、警官も、女の子の母親も、みんな悪くはないけどパッとしない。
音楽と風景、映像が美しく、よくあるB級アクションでなく楽しめた。
同日公開の作品に対抗してつけた邦題が悪い。
続編はないだろうが、この雰囲気で前日譚を作ってほしい。
大自然の小さなパブ
アメリカ版タイトル~聖者と罪人の国で
《批評家のコンセンサス》
よく書かれ、古典的な構成の『In the Land of Saints and Sinners』は、近年リーアム・ニーソンが制作したアクションスリラーの中でも優れた作品の 1 つです。
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🌟近年のリーアム・ニーソン主演作品の中でも優れた作品の一つ。数々のお馴染みのシーンがあるにもかかわらず、賢明にもアクションよりも登場人物を重視しており、登場人物の人間性を深く掘り下げて、より感情移入できる視聴体験を生み出している。
🌟コルム・ミーニー、ナイアム・キューザック、ジャック・グリーソンに出会えるのは嬉しいことだが、彼らはアイデアの無駄遣いや、スクリーンタイムと展開がもっと必要だったキャラクターの連続だ。
《分析、総評》~仕事に対する姿勢や目的、意味の大切さ、島のネットワークの面白さ、などのチャーリーのイメージ変換を中心に向けられる要素があって面白い。『イニシェリン島の精霊』のようでゆったりとした雰囲気、綺麗な景色、最後のカット印象的だった。邦題への不満もあるみたいですがそんなに気になんなかった。
激渋
アクション街道を突き進むリーアム兄貴の新作。ポスターだけ見ると既視感が半端じゃないですが鑑賞してみると全く予想してたのと違いました。
ていうか邦題とかポスターのコピー的外れすぎませんか?
北アイルランドの田舎町で長年暗殺を請け負ってきた男が引退を考えていたところにIRAのテロリストが逃げ込んできて…というのは予告で伝えられている通り。
今回リーアム兄貴が演じるフィンバーさんは常人離れした戦闘スキルを持つ訳ではなく、96時間のようなおじさんが悪党相手に無双するのを期待すると肩透かしかも。敵も4人と小さい所帯ですし、アクションシーンも映画全体からすると時間的にも非常に少ないと感じました。
フィンバーさんを取り巻く田舎町の住人や仕事仲間の若者も好人物が多く、その人たちとの交流の描写や茫漠としながらも美しいアイルランドの風景が魅力のように思いました。
そしてフィンバーさんが身を包むエルボーパッチのついたツィードジャケットやバブアーの格好良さ!!荒涼とした大地をバックに映えまくってますね。
無骨かつ、エレガントといいますかこんなふうに着こなせたらと憧れますね。
1人の老人が立たされる、人生の岐路
【イントロダクション】
『96時間』シリーズのリーアム・ニーソン主演。1974年、紛争只中のアイルランドの田舎町を舞台に、殺し屋家業を引退した老人が、爆弾テロ集団との戦いに挑む。
監督は、ロバート・ローレンツ。脚本は、テリー・ローン、マーク・マイケル・マクナリー。
【ストーリー】
1974年、北アイルランド。紛争の只中、ベルファストのとあるパブで爆弾テロが発生。アイルランド共和軍(IRA)の過激派グループのリーダー、デラン(ケリー・コンドン)は、テロの際に民間人の子供たちを巻き込むまいと顔を晒して警告した事で顔を目撃されてしまう。身を潜めるため、デランは仲間達とアイルランドの海岸沿いの田舎町、ドニゴール州グレンコルムシルへと逃げ込む。
グレンコルムシルで殺し屋家業を営んでいたフィンバー・マーフィー(リーアム・ニーソン)は、本の売買で生計を立てていると周囲に話し、射撃仲間の保安官・ビンセント(キアラン・ハインズ)らと日々を過ごしていた。しかし、彼の正体は長年田舎町で暗殺業を行っていた殺し屋だった。
ある日、とある殺しを契機に自身の血塗られた過去に疑問を抱き、雇い主のロバート(コルム・ミーニイ)に引退を申し出る。殺し屋家業を若手のケビン(ジャック・グリーソン)に譲り、フィンバーは引退する。静かにガーデニングの趣味でも始めようと思い立ったフィンバーは、隣人のリタ(ニーヴ・キューザック)からガーデニングの基礎を教わる。
ある夜、フィンバーは行きつけのバーの女主人シネイド(セーラ・グリーン)の娘であるマヤ(ミッチェル・グリーソン)が川で夜釣りをしているところを目撃し、声を掛ける。その際、誤って釣り道具を川に落としてしまい、ただらなぬ様子で去って行くマヤを不審に思う。
後日、マヤの肌に虐待による青痣を見つけたフィンバーは、彼女の住むトレーラーハウスにIRA過激派グループのメンバーの1人で、デランの弟・カーティス(デズモンド・イーストウッド)が頻繁に出入りしている事を知る。家には1発の銃弾があり、カーティスがマヤを脅すために持ってきたのだと悟る。
殺し屋家業を引退したフィンバーだったが、マヤを助けたい一心でロバートに相談する。しかし、ロバートは協力出来ないとフィンバーを返し、仕方なくフィンバーは1人でカーティスを騙して拉致する。窮地をケビンに救われつつ、フィンバーはカーティスを葬る。
弟が帰還しない事を不審に思ったデランは、IRAの仲間からロバートの情報を聞き出し、彼を訪ねる。フィンバーが訪ねた際、カーティスが持ち出した銃弾を置いていっており、その銃弾からロバートが弟殺害の犯人を知っていると確信したデランは、フィンバーの情報を聞き出して殺害する。
友人の死を前に、フィンバーはデラン一味との対決を決意し、最後の仕事を開始する。
【感想】
邦題やポスタービジュアルから受けた事前の印象とはかけ離れた、アイルランドの広大な自然をバックに、殺し屋として生きてきた1人の老人が人生の岐路に立たされる様子を粛々と描く、良く言えば「渋い」、悪く言えば「地味」な一作であった。
これは恐らく、日本の配給会社がリーアム・ニーソンのキャリアによるイメージと、本作と同日に公開される韓国映画の『ベテラン 凶悪犯罪捜査班』や、ハリウッド映画の『アマチュア』と共に、本作がアクション映画として目立つよう強引な邦題を付けたからだと思われる(本作の原題は、“In the Land of Saints and Sinners《聖人と罪人の国で》”)。
実際には、邦題にあるプロフェッショナル感は薄く、ポスタービジュアルのような力強さを見せつけるシーンはほぼ皆無。
舞台が1970年代という事もあって、作品を流れるトーンやストーリーテリングのテンポ感は70年代作品を思わせ、そうした作風は嫌いではない。しかし、矢継ぎ早に展開される昨今のアクション映画の数々に慣れてしまった身としては、あまりにもゆったりとし過ぎており、少々眠くなってくる。
主演のリーアム・ニーソンが、本作の主人公フィンバー・マーフィーと同じく、キャリアの一つの転換期に差し掛かっているという状況が面白い。これまで、特に『96時間』シリーズの影響力の強さから、“戦うオヤジ”としてのイメージを確立してきた。しかし、年齢的(本作の公開当時、既に70歳)にも過酷なアクション映画からはもう離れなければならないのだと思うと、我々観客がフィンバーを見つめる姿勢に違った意味が生じてくる。フィンバーが殺し屋家業から引退したように、リーアム・ニーソンもまたアクション俳優の看板を下ろす時期なのだろう。
そんな彼の演じる、フィンバー・マーフィーのキャラクター設定が面白い。第二次世界大戦の帰還兵であり、戦時中に妻を亡くした事から人生の目的を見失い、ロバートに拾われて殺し屋家業を営んでいる。ターゲットを拉致しては、仕事場である森に連れて行き、ターゲット自身に自らの遺体を埋める穴を掘らせて、ショットガンで射殺する。遺体を埋めた場所に木の苗を植え、ターゲットの遺体を養分として木は育ってゆく。既に何十人もの人間を手に掛けており、フィンバーの仕事場に植えられた木は映像を確認するだけでも10数本に上る(この一連のシーンだけは、邦題にあるプロフェッショナル感が出ていた)。
しかし、爆弾で吹き飛ばされたシネイドの店や、デランに撃たれた客、「暴力はもうたくさんだ」として故郷を離れたにも拘らず、フィンバーの争いに巻き込まれて怯えるハサン等、彼が迷惑を掛けた人々のその後の姿が全く描写されず、1人自由を手に町を離れていく姿には身勝手さを抱いた。せめて、ケビンに渡した貯金の入ったバッグを、彼が亡くなってしまった以上は店の修繕費としてシネイドに渡すor置いていく展開でもあれば、まだ印象は変わったのだが。
“銃も金も持たず、唯一手元にあるのは、隣人リタから受け取ったガーデニング本と「また始められる」という言葉のみ。それでも、老人は新しい人生に向けて旅立つ”という姿を映した方が、より印象的で素晴らしいラストになったのだと思うが。
【タイトルに見る、1人の男が立たされる人生の岐路】
先述した通り、本作の原題は“In the Land of Saints and Sinners(聖人と罪人の国で)”である。
フィンバーは、最後に殺害したターゲットに「善きことをしろ」と忠告を受けた事で、自らの行い、果ては人生そのものに疑問を抱き始め、引退を決意する。
マヤに自身の飼い猫を贈る際の台詞が印象的。「何かを愛せば、人間らしくなれる」
しかし、フィンバーは猫に名前を付けてはいない。彼は、ペットを飼う(動物を愛す)事では、人間らしくはなれなかった人なのだ。
結局、フィンバーは殺し屋家業を引退しても、誰かを守る為に銃を取らざるを得なくなる。それは、殺しによって人生を構築してきた彼の持つ宿命なのだろうか。
しかし、町を去る当日、フィンバーは隣人のリタに励まされる。ガーデニングも上手く行かず仕舞いのフィンバーは、彼女から借りたガーデニングの本を返そうとするが、リタはそのまま持っていて良いとして、「また始められるわ」と告げる。
ラスト、フィンバーはビンセントにドストエフスキーの『罪と罰』を贈り、カリフォルニアで歌手になる夢を抱えていたケビンの車に乗り、フィンバーは静かに去って行く。人間性の回復を描いた名著を贈った意図は、果たして希望か皮肉か。
フィンバーが何処に向かうかは誰にも分からない。ケビンの遺志を継いでカリフォルニアに向かうとは限らないのだから。しかし、アイルランドの広大な大自然と、そこに差し込む朝日は、新しい始まりとしての“希望”を示していたように思う。
【総評】
リーアム・ニーソンのアクション俳優引退作などとも囁かれている本作は、1人の老人が人生の岐路に立たされ、新たな旅立ちを迎えるという渋い一作として確かな魅力を放つ。
しかし、日本の広報戦略に乗せられて鑑賞した身としては、あまり楽しめる一作とは言えなかった。作品としても、106分という上映時間は少々長い。このストーリーなら、90分で上手く纏め上げてほしかったところ。
ところで、リーアム・ニーソンは結局またアクションやるの?宿命だね。
西部劇…
この日本語タイトルは嫌いだ‼︎
配給会社は何故こんなダサい日本語タイトルにしてしまったのか⁇ これでは客が入りません‼︎
否、ダサいでは無くこのタイトルでは観客を全くミスリードしてしまう。主人公はプロフェッショナルな訳でも無く、プロフェッショナルになりたい訳でも無い人物。このポスターもNGだ‼︎悲しいかな、これではいつものリーアムの映画その物になってしまっている…。。
舞台が1970年代と言うのが良い。そしてまたリーアムがいつもの向かう所敵なしでは無く、ひとりの人間として描かれている点も良い。怪我も負うし失敗もする。しかし一方で引退となるカタルシスがもっと欲しかった。なんか話しが単純過ぎた。
アイルランド特有のあのどんよりとした重い雲の空と木々が無いカルスト台地が非常に美しいのが対照的であった。
ある意味、とても痛ましい作品
殺し屋でプロ、という言葉だけ聞くと、冷徹、緻密、無慈悲…などのイメージが浮かぶけど、このタイトルってそもそも配給会社の一種のノリ(同日公開「アマチュア」とのコラボ効果狙い?)みたいなもので、的の外し方が半端ない。
・どう見てもメンタル的にクリニックを受診したほうがいいような老若の殺し屋ふたり
・贖罪意識(と本人が自覚しているわけではないけれど)から発露される優しさ
・頑なに正当性を主張することで、かなり無理をして罪悪感を押しとどめながらテロ行為を繰り返すIRA戦士
どんな相手であれ人を殺すことは罪なのか。
だとしたら罰を受けなければいけないのは自分なのに、罰を下す側にいる。
人に罰を下せるのは神のみ。だとしたら、自分は神の代理で人を殺める聖人なのか。
地元高校性のラグビー試合に集まった人たちだけで町の人口の半分以上が来てるのではないかと思ってしまうほどの田舎町。パブと教会以外ではほとんど人と話す機会もないような場所で暮らしていると、否応なく神と対話しなければならなくなる(日本人の場合、普段宗教とは縁のない生活をしている人が大半なので、向き合うのは神ではなく自分ということになる)。
いつも仕事(それが「殺し」であっても)で忙しければ、神(自分)と向き合う時間なんか取れなくて、平常心を保っていられるかもしれないけれど、こんな田舎町ではそれも叶わない。正義を振りかざすIRA戦士も、もしかしたら自分の良心に圧し潰されないために、爆弾つくりやテロ行為という(彼らにとっては正義の)仕事に没頭せざるを得ないのかもしれない。
自分の弱さを胡麻化そうとしているうちに罪を重ねてしまう姿が、他人ごととは思えないような痛ましさを伴う作品だと思います。
哀愁漂うストーリー
原題は「聖人と罪人の国で」。
映画を見終わった後、邦題よりもしっくりとくる。
主人公が過激派グループの一員に手を出さなければここまで大事にはならなかったのであろう。ただ見過ごすことが出来なかった。
まるで西部劇のような味わいだった。
単なるアクション映画ではなく人生後半の哀愁漂うストーリー展開が素晴らしい。
確かにクリント・イーストウッドが演じそうな主人公なのだがリーアム・ニーソンが負けず劣らず演じている。
敵役の過激派女性リーダー役をケリー・コンドンが。整った顔立ちも気性の荒い、しかし弟思いのキャラクターを上手く演じている。彼女はマーベルシリーズでお馴染みの「人工知能FRIDAY」の声優だそう。
またクセのある主人公の相棒ケビン役でジャック・グリーソン。インパクトがあって印象に残る好演だった。
主要俳優陣がアイルランド人で固めてられているなど、こだわりも感じられレベルの高い作品に仕上がっている。
リーアム・ニーソンは次作に主演作「裸の銃を持つ男」リブート版が控えているので是非本作との振り幅を楽しみたい。
予想ができる展開といぶし銀のアクション
思ってたのと違った
人間模様に魅了される
予告を目にすることがなかったので、内容はよく知りませんが、リーアム兄さん主演ということで鑑賞決定!公開初日に行ってきました。
ストーリーは、長年の殺し屋稼業から足を洗い、北アイルランドの海辺の町で穏やかに暮らそうとしていたフィンバー・マーフィーが、最近この町に現れ、知り合いの少女を虐待していた男を葬るが、その男がベルファストで爆破テロを起こしたIRA(アイルランド共和軍)の4人組の一人だったことから、フィンバーは、残りのテロリストたちと対峙していくことになるというもの。
ストーリーそのものはいたってシンプルなのですが、その過程で見せるフィンバーの交友関係が物語に奥行きを与えています。近所で庭づくりに精を出すリタ、親友の警察官ビンセント、パブの店主シニードと娘のモヤ、行きつけの店の無愛想な店主、殺しの依頼人ロバート、同業の若者ケビンなど、フィンバーの表の顔と裏の顔で繋がる人々が、彼の人柄を浮き彫りしていきます。
もちろんフィンバー自身についても、裏稼業に就くまでの経緯が語られたり、殺めた死体の処理の様子が描かれたりして、彼の人柄が感じられます。死体を埋葬した場所への植樹は、罪滅ぼしのようでもあり、死者への手向のようでもあり、自責の念の表れにも見え、彼の心の内が垣間見えるようです。
こうした描写から、小さな町で暮らす人々の息づかいが感じられ、フィンバーの行動にも、それを見守る人々の言動にも説得力が生まれているように感じます。おかげで、ラストはじーんと沁みるものがあり、思わず目頭が熱くなってしまいます。
また、話運びも巧みで、フィンバーが最近読んでいる本、壊された路傍の案内板、モヤの持っていた銃弾、フィンバーが始めようとした家庭菜園など、終盤で次々に伏線回収していくのも心地よいです。
舞台として北アイルランド紛争を背景にしてはいますが、その知識が全くない私でも、ストーリーからおいていかれることはなく、最後まで楽しく観ることができました。それでも、知識があれば、テロリストたちの心情にもう少し寄り添えたかもしれないと思うと、そこだけはちょっと残念です。
主演はリーアム・ニーソンで、年齢ゆえ激しいアクションは少なめですが、それでも存在感と佇まいと生きざまで魅了します。脇を固めるのは、ケリー・コンドン、ジャック・グリーソン、キアラン・ハインズ、コルム・ミーニーら。
クリント・イーストウッド
THIS IS リーアム・ニーソン
どうも・・良い意味で、クリント;イーストウッド作品ぽいなぁ・・と思っていたら・・
ロバート・ローレンツ監督は、クリント・イーストウッドの数々の名作の助監督や制作陣に名を連ねていました♪納得♪
原題は「In the Land of Saints and Sinners」、「聖人と罪人の地で・」という感じか・・。
邦題がなぜか「プロフェッショナル」とプロモーションも、いかにも俗っぽく・・???がいっぱい並ぶ・・。
多分 同日に封切られる「アマチュア」という対抗馬的なアクション映画を意識したのだと推察・・・
この自己満足な安っぽいアイデア・全く意味不明・・・。原題の翻訳の方が余程、映画の持ち味を表している・・。
邦題だと・・劇中のトルストイの「罪と罰」の意味も薄くなっちゃうしね・・
で、内容は・・クリント・イーストウッドが 西部劇で描きそうなお話を、IRAと英国の紛争時代の北アイルランドを舞台にした・個人的には好物な、ハードボイルド的なお話♪
「アマチュア」を観るか・・と迷いましたが・・選択は正しかった♪ どうせ「アマチュア」も観ると思いますが♪
※「殺しの流儀を教えてやる」や「俺を怒らせるな」の日本の配給会社のコピー。作品を観て考えたとは思えない。
まるで、ネガキャン・・・。
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