劇場公開日 2025年4月11日

「哀愁の漂い方が半端ない」プロフェッショナル カツベン二郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0哀愁の漂い方が半端ない

2025年4月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

北アイルランドのどんよりした薄寒そうな気候と引退を決めたロートルの殺し屋の雰囲気がマッチし過ぎてもの哀しさが全編に漂い、歳取ったリーアム・ニーソンの被害者顔(私が勝手にそう思ってるだけ)も合わさって冒頭から何となく悲劇的な結末を予感させる。

暗殺者と言っても70年代の田舎なのでハイテクツールなどは一切なく武器は猟銃。
個人的な感情で人を殺し、トドメを指す前に時間を与えるなど非情にはなりきれず、また仲介人もセキュリティの激甘な普通の民家に事務所を構え、詰められると簡単に口を割るなどとても邦題のような「プロフェッショナル」とは言えず、地方の互助会とか小規模の組合レベルのイメージ。

IRAのテロ活動はまさに70年代あたりがピークで現在に至っても規模は縮小してはいるものの活動はを行っているようだが、宗教や愛国心または強い思想でもってその意義を真剣に感じている連中はどれだけいるんだろうかと思うが、本作のテロ集団もリーダーのデラン以外は破壊活動をしたいだけのはぐれもの達。

若い殺し屋ケビンも一歩間違えばIRAに入ってもおかしくないくらいイカれたはぐれ者だが、フィンバーに父性を感じたのか人間として最低限の心は失っておらず、ラストの対決ではフィンバーに加勢する。

当時のカリフォルニアってノーテンキで天国みたいな場所と思われてたようで時代を感じた。
特にサンフランシスコはヒッピー全盛期の象徴的は地域なので、他国からしたらそこへ行けば人生が変わるくらいに思ってしまうのは当然なのかも知れない。

殺しを生業としていた者が幸せな余生を過ごす事への抵抗は少なからずあるが、イーストウッド組のスタッフが製作したと言う事で、彼らの多くの映画に見られる人生のさまざまな閉じ方みたいなものを本作でも観ることができ個人的には楽しめた。

カツベン二郎