「生身の人間は決裂しない」石炭の値打ち LukeRacewalkerさんの映画レビュー(感想・評価)
生身の人間は決裂しない
近年『わたしは、ダニエル・ブレイク』でパルムドールを獲ったケン・ローチが、1976年にBBCで2部作のTVドラマとして制作したもの。
これまで日本では放映も劇場公開もされず、目に触れることがなかった。
それがBunkamuraル・シネマ渋谷宮下で文字通り本邦初公開となった。
※第1部と第2部のあいだに約10分間の休憩あり。
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作品に対する感想の前に、ちょっと映画ドットコムの公式紹介文をご覧いただきたい。以下に抜粋する。
「第1部では…(略)…階級社会の構造的な滑稽さと暴力性を浮かび上がらせていく」
「第2部では…炭鉱労働における労働者への人権軽視と管理体制のずさんさが引き起こす事故の悲劇を痛切に描写。」
・・・は?w
いやいやいやいやwww そんな映画じゃなかったですよ?
なぜにこんなに冷静さを欠いている?
なぁんかこんな紹介をされてしまうと、「このカクメイ的映像作品はケン・ローチ映画芸術同志による炭鉱資本への鉄槌にほかならない」としか見えない。
なぁんだ、ウザいオールドサヨクプロパガンダ映画かぁ…
ってスルーされることを是とし、それでもこの作品を世に問うのだ! …って、趣味で「上映会&ティーチ・イン」やってるミニシアターの支配人のつもりなんだろうか?
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確かにローチの視点は間違ってもイギリス保守党のものではなく、明らかに労働党寄りではある。
1970年代後半という時代性もある。
イギリスは厳然として階級社会である(今でも)。
しかし紹介文を書いた御仁の世界線通りであるならば、ローチは所長をもっと憎々しく、ネクタイ組の管理職をもっと冷酷な鉄面皮に、皇太子歓迎組の労働者たちをもっと阿呆らしく、一方で、会社の生産性優先&労働者の安全性軽視を糾弾する労組のリーダーをもっとヒロイックに描いたはずだ。
しかしそうはなっていない。
ローチの眼差しは、とても公平だったように思える。
それぞれの立場の人間が、それぞれの持ち場で最善を尽くそうとし、意見がぶつかっても怒鳴り合いになっても、殴り合わなかった。
一見、教育も教養もなく、使う言葉は汚く、社会的地位も低い労働者同士が、あるいは組合として会社に物申す場面でも、どんなにいがみ合っても、驚くべきことに「話し合うこと」を放棄していないのだ。
ビリヤード場でも食堂でも、周囲がそれ以上ヒートアップしないように止めに入り、本人たちも「(お前のことは認めないが)また話そう」とばかりに切り上げる。
つまりローチの視点はあくまで生身の人間、炭鉱という濃い人間関係で支えられる共同体のリアリティから遊離していない。
助け合い、慰め合い、からかい合い、ドタバタし、時には対立するが、決して相手を殲滅しないし排除もしない。
つまり絶望的に決裂しない。
この「観念的な理念による決裂や断絶をしない物語」をローチが描くのは、実は彼が等身大の漸進的な変化を望む保守性を持っていることにほかならないと思う。
それは派手さや衒いのない、自然な目線を感じさせる撮影とショットにすべて表れているのではないか。
この眼差しは、40年後の『ダニエル・ブレイク』に到っても変わっていない。
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もちろん、1970年代後半からの炭鉱争議とスト、そして相次ぐ閉山が、世界的に見ればかなり遅くなった石油エネルギーへの転換と国有企業の解体という、英国の社会構造そのものの大きな地殻変動だったことは間違いない。
英国病と言われたその苦しみは、言ってみれば産業革命の発祥の地ゆえの「成功は失敗の元」の見本であり、サッチャーの新自由主義の登場でトドメを刺された。
そんな時代の転換点にあったかも知れない、生身の人間たちの手触りがわかるような架空のコミュニティを描く。
これがローチの撮りたかったことではないのか。
本邦初公開、観ることができて本当に良かった。
