「ここ数年の邦画で私的1番ヘンテコな映画に思われ、最後まで大変面白く観ました!気になっている人は頭を真っ白にして是非‥」ぶぶ漬けどうどす komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
ここ数年の邦画で私的1番ヘンテコな映画に思われ、最後まで大変面白く観ました!気になっている人は頭を真っ白にして是非‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作の映画『ぶぶ漬けどうどす』を大変面白く観ました!
とにかく、独特な音楽の中で延々と流れるスタッフ表示と、主人公・澁澤まどか(深川麻衣さん)と夫・澁澤真理央(大友律さん)がほぼ遠景で歩き続けるオープニングから様子がおかしいかったです。
と頭で、夫・澁澤真理央が通行人レベルですぐ彼の実家からいなくなるのも、意味不明で変です。
京都のしきたりに翻弄される都会人の映画かな?と思って観ていると、実は真逆で、京都人の方が、例えば、和菓子屋でハロウィンに対応するなど、割と現在と折り合いをつけてまともに暮らしているように描かれます。
しかしその京都人も、全面的に肯定されているわけでなく、洛外の生粋の京都人より、よそから来た洛中の人の方が大きな顔をしていると、否定的に描かれたりもします。
京都の町家は、間口が狭く、奥行きが長い、細長い造りになっているのですが、ずいずいと暗い町家の奥に歩いて入って行く行程を延々と見せるのも、京都人の入り組んだ心の内面を象徴的に表現していて秀逸だと思われます。
変なシーンはそこかしこにちりばめられ、例えば、主人公・澁澤まどかが他の人物と歩いている場面でも、いきなり俯瞰からの画が挿入されたりします。
地べたと俯瞰を織り交ぜる撮影は、撮影場所の許可取りのわずらわしさから、基本は混ぜたりしないと思われますが、さして意味のない俯瞰ショットの挿入は、この映画のヘンテコさの1つの特徴だと思われました。
中村航 教授(若葉竜也さん)の間を開けずつらつらと喋り続ける人物造形も、大学の街の京都にいそうなおかしさがあったと思われます。
ちなみに、主人公・澁澤まどかが、安西莉子(小野寺ずるさん)と組んで、京都の深層を漫画で暴露して行くやり方は、たとえ登場人物が匿名表記でも、その人物が実際の人と分かる「同定可能性」があれば名誉棄損が成立します。
つまり、今作の主人公・澁澤まどかが、不動産会社社長・上田太郎(豊原功補さん)などを漫画で暴き立てるやり方は、名誉棄損の例外の3要件(公共性・公益性・真実相当性)に合致しているかは怪しく、現実では逆に主人公・澁澤まどかが訴えられたり、批判の対象になりかねません。
しかし、冨永昌敬 監督や脚本のアサダアツシさんはそんなことは百も承知で、おそらく主人公・澁澤まどかの悪い意味でのおかしさを、自覚的に描いていたと思われます。
そして、主人公・澁澤まどかの様子のおかしさの理由は、ちゃんと映画の中で描かれていると思われるのです。
主人公・澁澤まどかは、東京の自宅に京都から戻った時に、夫・澁澤真理央が浮気をしている現場に出くわします。
しかし、主人公・澁澤まどかは、浮気相手が誰かを暴いたり、夫・澁澤真理央を責めたりはしません。さっさと荷物をまとめて京都の夫・澁澤真理央の実家に戻って行くのです。
このことは、主人公・澁澤まどかが、【自身の身近な問題からは目を逸らせて生きている】のが理由だと思われます。
そして、主人公・澁澤まどかにとって【自身の身近な問題から目を逸らせて生きるために、逃げ場としての漫画作品がある】、と思われるのです。
さらにそこに(現在と折り合いをつけている実際の京都ではなく)【逃げ場としての、妄想的な京都の古き良き伝統、それに従えない人物の糾弾】が加わります。
しかしこの主人公・澁澤まどかの【自身の現実(の折り合い)から目を逸らす、逃げ場としての思い込みの京都の伝統と、それに従わないものへの糾弾】は、実は主人公・澁澤まどかだけに留まらない、現在の病理だとも思われるのです。
例えば、現在の週刊誌での様々な暴き方は、主人公・澁澤まどかの漫画での暴き方とほぼ同じだと思われます。
そして現在の週刊誌の記事も(主人公・澁澤まどかの漫画と同様に)、現実での折り合いや様々なそれぞれの複雑な事情をすっ飛ばした、【ある種の思い込まれた価値観からの糾弾】になっているのです。
さらに、そんな週刊誌の読者は、【自身の現実の問題から目を逸らすために、糾弾に加担】していると思われるのです。
しかしこの映画が僭越ながら優れていると思われるのは、そんな(現在の病理の象徴とも言える)主人公・澁澤まどかを、一方で、否定的に糾弾的に描いていない所にあると思われます。
主人公・澁澤まどかの暴走は、映画の中で、一方で悪い意味でホラー的な恐怖やおかしさを感じさせながらも、深刻さを超えて、その推進力はある種の魅力ある人物描写だったことも事実だと思われます。
今作は、例えば映画を観る前には、京都人の伝統固執がある作品では?との観客の先入観を、逆に転倒させ、様々な場面でこちらの思い込みをひっくり返して行く面白さがあったと思われます。
その上で、それぞれの登場人物を(現実に対応する人も、現実から目を逸らし別の価値観に固執する人も)根底では肯定した描き方になっていたと思われるのです。
夫の母・澁澤環(室井滋さん)が家を売ってマンションを建てようと企てる一方で、夫の父・「澁澤扇舗」13代目の澁澤達雄(松尾貴史さん)は、京都の伝統に固執する余り、陰謀論的なネットの世界にはまり込み、ついには脅迫書き込みで警察沙汰になってしまうのも、現代の病理的な内容になっていたと思われます。
今作の映画『ぶぶ漬けどうどす』は、現在の普遍的な病理を根底で描いていると思われ、一方で、(例えば観客に向かってカメラ目線で説教することもなく)その病理の世界を生きる人物も含めて、価値を転倒させながら違和感もそこかしこに挿入し、人間賛歌的にそれぞれの人物を肯定的に描いている所にも、深さと面白さと滑稽さと恐ろしさがないまぜにされた、稀有な作品なった要因があったと思われました。
今作を大変面白く観ました!