「欲しいチカラ」か「」く「」し「」ご「」と「 ちえべさんの映画レビュー(感想・評価)
欲しいチカラ
登場人物5人の不思議な力。
気持ちを読み取るチカラ。
「!」「?」「・・・」みたいな気持ちが頭の上に見える京(奥平大兼)。
胸元にプラスとマイナスのシーソーが見えるミッキー(出口夏希)。
心拍数(リズム)が見えるパラ(菊池日菜子)。
喜怒哀楽がトランプの記号として頭上に見えるヅカ(佐野晶哉)。
好きな気持ちが胸元からの矢印で見えるエル(早瀬憩)。
そんなチカラを持ちながら、持っているからこそなのか、人間関係? 人との距離感・接し方に悩んでいる様子。
個人的には、ミッキーとヅカとエルの3人のチカラを同時に持てれば、人間関係に悩むこともないように思える。あれは欲しいなぁ。
見間違いでなければ、男子は頭上に、女子は胸元に チカラが現れるのだけれど それは何かしらの意図・設定によるものだろうか。
前に本で「男脳と女脳の違い」について書いているモノを読んだけれど、そういうモノだろうか。
最近の青春映画にありがちな無駄にいちゃつくシーンとか、演技もりもりな芝居とか変顔演技とかもなく、とてもいい感じに見終えることができた。かなり爽やかな感じに終えたと思う。
それでも、強いて難を言えば、映画は、不思議なチカラを持っている5人の「自分はこんなチカラを持っている」という打ち明け話しをつなげていくのだけれど、そのキャラクターの話しの時は、かなり頻繁に そのチカラが表す記号やシーソーとかを見る演技を見せてくれるのだけれど、他のキャラクターでの話しになると、まるでそのチカラがないような振る舞いをしていた。見えているモノを見るという演技が足りなかった。
たとえ、そのチカラが見せるマークやシーソー、数字、矢印を イヤで見たくなくても、本人の意図とは関係なく出てくるのだから、そこに目が行ってしまわないだろうか。
自分なら、イヤだったとしても 不意に見てしまうだろうと思う。
無意識に見てしまうと思う。無意識ゆえの視線の動き、大きく言えば目の動き、顔の傾きなど、そういう演技が欲しかった。
個人的な趣向で言えば、学園祭のヒーローショーはとても楽しめたし、そのラストのパラの行動とセリフは一番かっこいいと思えた。
ヅカの話しが まるで「ついで」のように短くまとめられていたけど、佐野晶哉のちょっと潤んだ眼の演技が印象に残った。
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