「私たちの心に潜んでいる"不発弾"」爆弾 マルホランドさんの映画レビュー(感想・評価)
私たちの心に潜んでいる"不発弾"
とある男が酒屋の店員に暴行し、自販機を壊した騒ぎを起こして警察署に運ばれた。
名前は「スズキタゴサク」
彼の容姿は何の変哲もない中年男性といったところで、一見おとなしい態度を見せるが、どこか無邪気にこちらに話しかけてくる。
警察官の等々力は、タゴサクに対して、被害に遭った酒屋に示談を持ちかけるも、どうやら手持ちの金もなさそうだ。
そんなタゴサクは賠償する代わりに警察に捜査協力を持ちかける。
「このあと、秋葉原で何かが起こりますよ」
不審に思う警官の等々力だったが、その直後、秋葉原内で爆弾が爆発する事件が発生。
タゴサクは自身に霊感能力があると告げ、他にも同様の事件がこのあと起きると予言する。果たして目の前の男は本物の能力者なのか?はたまた別に真犯人がいるのか・・・?
この映画の核心は、「タゴサク」という存在と、彼が仕掛ける「爆弾」というメタファーにあると思う。
まず、キーパーソンである「タゴサク」は、冒頭から既に捕まっている。にもかかわらず、彼は爆弾が仕掛けられている場所のヒントを出し、クイズ形式で捜査官たちを弄ぶ。
彼は、人の心に潜む「欲」を見抜くのが恐ろしく上手い。
例えば、伊勢捜査官の出世欲を瞬時に見抜き「手柄」をエサにする。清宮捜査員の心の内の憎悪を感じ取り、最終的に彼に「容疑者への暴行」という不祥事を起こさせる。人の「欲」を引きずり出し、その後に最悪の「結果」をもたらす。
人間自体が容器で、負の感情は「爆薬」として考えるなら「タゴサク」自身がその「火付け役」として立ち回る。
その姿は、まさに「妖怪」のようだ。爆発を予告する姿は「くだん(件)」であり、こちらの心を正確に読むところは「サトリ(覚)」でもある。
タゴサクの姿は坊主頭で地味な服に身を包み、おどおどしていて、なおかつ言葉使いは異常なほど丁寧語だ。会話の内容も、事件に関係のない話を盛り込んで長文で話す。会話の内容も姿も「特徴がない」のですぐに存在を忘れそうになる。
姿を隠してセリフだけ聞くと中性的で性別がわからないようにも感じるので、姿形が掴めない。印象に残らない。
のっぺらぼうのような外見とは裏腹に、彼の内面から発せられる「悪臭」は、我々が隠し持つ「心のすね」を刺激してくる。
思えば「タゴサク」という単語は「農民や田舎者を嘲って言う言葉」という意味だ。
劇中でも自分を過度に卑下したり見下すような言動を繰り返していたが、その名前を反対にして考えて見れば、東京という大都会の人間たちを自分の掌で踊らせて嘲笑っていたのかもしない。
一方で、映画で執拗に描かれる「爆弾」は、単なる物理的な脅威ではない。
それは、我々の「腹に一物」、つまり「妬み、憎しみ、嫉妬」といった、普段は理性のフタの下に隠している負の感情のメタファーでもあると感じる。
日々暮らしていると、世の中の無情さや理不尽さによって「不満」が蓄積し、それが時限爆弾のように変わっていく。
彼が爆弾を「無作為にばらまく」行為は、彼なりの歪んだ「平等性」の証明だったのかもしれない。
タゴサクは、登場人物、そして我々観客に「選別」を迫る。
爆弾(感情)を起爆させるか、踏みとどまれるか。それは「理性がある=人間」「理性がない=獣」という紙一重の境界線でもある。
劇中で「タゴサクを殺そうとする人たち」は、ギリギリのところで誰かに止められる。この「踏みとどまれるか否か」こそが、人間と獣を分ける決定的な違いとして示されている。
女性警官の倖田や警察署に集まる暴徒と化した人々、石川明日香は受け止めてくれる人はいるが、タゴサクにはいなかった。もしタゴサクの身近にそうした人がいたら今回の事件は起きなかったのではないか。
では、なぜ彼はこんなことをするのか?と考えたときに感じたのは、「何者でもない、何もない人間」が、「真犯人になることで何者かになれる」と信じたからなのかもしれない。
物語の途中、YouTubeに動画を残し、全世界に公開して人々を扇動したのも、歪んだ承認欲求の現れに見えた。
この映画は、「世の中はクソだ」と諦めたくなるような現実を突きつける。
だが同時に、「感情があるからこそ、誰かを守ったり、引き戻したりできる」という、わずかな「人間賛美」も描いている。現場で最後まで爆弾を探そうとしたり、一般市民を必死に引き留めようとする捜査員たちの懸命さなどがその一例だ。
タゴサクという「無」の存在を突きつけられた我々は、いかに世の中が残酷でも、「人間として踏みとどまれるか?」という重い問いを突きつけられる。
マルホランドさま
共感ありがとうございます🙂
『愚か者の身分』は観た後すぐに、誰かに何かを伝えたい気持ちにかられて、レビューの言葉を探していました。
『爆弾』は真逆で、映画は面白かったのに、作品に正面から向かい合いたくないような気分になりました。
>彼は、人の心に潜む「欲」を見抜くのが恐ろしく上手い。…人の「欲」を引きずり出し、その後に最悪の「結果」をもたらす。
>彼の内面から発せられる「悪臭」は、我々が隠し持つ「心のすね」を刺激してくる。
>映画で執拗に描かれる「爆弾」は、単なる物理的な脅威ではない。…普段は理性のフタの下に隠している負の感情のメタファーでもあると感じる。
>いかに世の中が残酷でも、「人間として踏みとどまれるか?」という重い問いを突きつけられる。
マルホランドさんのレビューを読んで、深く腑に落ちました。私のベストレビュー第3弾です。(以前のレビューにも、マイベストがありそうです)
『爆弾』のレビューは95%の人が佐藤二朗さんの話だろうと思って、ちょっとヘソ曲がって、山田裕貴応援スピンオフレビューを書いてしまいました。
タゴサクの人物造形×佐藤二朗さんの通常運転でも、“主演”を喰ってしまうモンスター級の“主役”ですよね。
西田敏行さんや役所広司さんが、映画賞の授賞式で話していたことを思い出しました。
「役者は助演が一番難しいんだよ」
昨年は賞レースの作品賞の行方が気になった年でしたが、今年は主演と助演の男優賞を誰が取るのか注目しています🫡
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