「悪意の質」爆弾 neo.the.one.1999さんの映画レビュー(感想・評価)
悪意の質
チェンソーマン3回目と迷いながら本作を視聴。
取調室内の少人数の静かなやり取りはさながら舞台演劇の趣があり、それが物語りの半分を占めるのに面白いという良質なミステリーかつサスペンスで、本日はこちらを選んで大正解。
物語りの中心人物の鈴木は冴えない見た目とは少し違い、滑稽なしぐさで楽しそうに饒舌に人を煙に巻きながら、人々を不幸に落としていく。まさに舌禍。
おそらく人は誰しも善と悪の両面を持ちながら、社会に適合するため自己を律してバランスを保っている。少し悪いことをしたり、少し人の悪口を言うのは刑事でも例外ではなく、犯罪を犯す者との違いは悪意の量と質の違いなのだろう。
私は悪かという鈴木の問いは、鏡で自分の顔見てみろという我々への皮肉であった。
その鈴木は取調室で一貫して悪人を演じていて、静かなサイコパスを演じる時も、類家とのバトルで高揚し大声で怒鳴り散らした時も。唯一素の自分だったのはホームレス時代の過去で、優しさに触れたと思った明日香からも裏切られたと察し、肩を落とし帽子を脱いだ姿が印象的だった。同情はしない。
鬱屈した物語りの最後、最初に取調室から退場した等々力が、鈴木から嫌味を言われたのに返した言葉「でも俺は不幸だと思っていない」(確かこう)がしっくり来た。私がこの物語りで一番共感できたのも彼だった。
「でも、俺はそういうのは嫌いじゃない」みたいなことを言ってましたね。長谷部の不祥事に対して「分からなくはない」という発言もしていました。
私も等々力が一番共感できました。
世の中、きっぱり白黒つけられることの方が少ないし、自分とは違う感覚を否定しない(同意はしなくても)余白をもっているほうが生きやすいし人生面白いと思いました。
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