「自己承認欲求という「爆弾」」爆弾 暁の空さんの映画レビュー(感想・評価)
自己承認欲求という「爆弾」
本作の真価は、単なる“テロ事件”や“爆発物”を描いたサスペンスにとどまらず、「なぜ人は爆弾を仕掛けるのか」ではなく「なぜ人は注目されたいのか」という現代的な問いを突きつけている点にある。
タゴサクの「お前らは俺と同じだ」という叫びは、「心に闇の爆弾を抱える」登場人物たち、そして観客自身の中にある「見られたい」「認められたい」という欲望を容赦なく照射する告発である。
本作は、SNSによる自己承認の連鎖、匿名性の中で肥大する自己顕示欲、社会の分断と無関心といった現代の病巣をモザイク状に組み上げ、それらが最終的に“爆弾”という象徴に収束していく過程を描く。つまりここでの“爆弾”とは、物理的な破壊装置ではなく、現代人が抱える「承認欲求の暴走体」そのものだ。
緊張感の質も特異である。通常のサスペンスのような“いつ爆発するか”ではなく、“人間の理性がいつ切れるか”という精神的な爆心地が焦点となる。観客は加害者を断罪することができず、むしろ彼らの“存在を見たい”という欲望に引きずり込まれる。観る者を「共犯者」にしてしまうこの構造自体が、自己顕示社会の縮図である。
SNSの投稿ひとつ、他人への無関心ひとつが導火線を延ばしていく。彼らは社会の被害者であり、同時に無意識の加害者でもある。この“二重性”を映画は冷徹に突きつけてくる。
最も印象的なのは、クライマックスに訪れる静寂だ。爆発そのものよりも、その“後”に残る空虚さにこそ核心がある。自己顕示欲の果てに待つのは、誰にも見られない「沈黙」である。
『爆弾』は、現代社会の真ん中に置かれた鏡のような映画だ。
私たちがスマートフォン越しに他者を見つめるその視線こそ導火線の火花であり、誰もが無自覚のまま「爆弾」を抱えて生きている。起爆スイッチを押すのは、私たち自身の指先なのである。
そして鑑賞後、SNSで「感想」を書こうとする私の衝動こそが、タゴサクの言葉を証明している。
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