「荒唐無稽な与太話で映画的スペクタクルも感じられず 久々に地雷を踏んでしまった感じ 作り手の趣味の悪さやセンスのなさを感じさせるタゴサク映画(?)」爆弾 Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
荒唐無稽な与太話で映画的スペクタクルも感じられず 久々に地雷を踏んでしまった感じ 作り手の趣味の悪さやセンスのなさを感じさせるタゴサク映画(?)
ここ数年の間に映画館で観た映画の中では恐らく最悪の鑑賞後感でした。ここのところ観る映画の選択が我ながらうまくなってきたなあと思っていたのですが、久々に地雷を踏んでしまった感じです。私は読書好きからシネマ好きに移ってきたクチなので、原作未読で観た映画の原作は結果的に読む読まないにかかわらず、それなりに興味を持つものなのですが、この映画の原作には食指が動かないどころか、敵意さえ持ってしまいました。まあ、マーケティングでいうところのターゲット顧客のはるか外側に私がいたということなのでしょう。相性の問題はいかんともし難いところではあります。
ミステリーのジャンルに「フーダニット」(whodunit) というのがあります。”Who [has]done it?” すなわち「誰がやったのか」という英語の口語表現が由来の、誰がその犯罪を犯したかに重点をおいたミステリーを指します。同様にして、「ホワイダニット」すなわち「なぜやったのか」犯行の動機や犯人の心理に重点がおかれたもの、「ハウダニット」すなわち「いかにしてやったのか」いかにして犯罪が成し遂げられたかの方法の解明に重点がおかれたものがあります。上記でジャンルとしましたが、犯罪を描いた本格的なミステリーならば、特定のジャンルに収まることなく、who 誰が、why なぜ、how いかにしての3要素は絡み合って物語の根幹を成しているものであると思われます。
この作品では、24時間以内の短い時間の中で東京都心の十数ヶ所で爆弾が爆発するという、日本の犯罪史上 類を見ないような無差別テロ、凶悪犯罪が描かれています。フーダニットに関しては、まず、厨二病を拗らせて自己承認欲求の塊になってしまったような「かまってちゃん」のスズキタゴサクなる人物(演: 佐藤二朗)を取調室に登場させておいて拡大版トリックスター兼狂言廻しのような役割をさせ、「誰が」の中心にタゴサクがいるように見せかけておいて少し捻り、犯罪企画グループの存在を見せています。これはまあまあの出来なのですが、ハウダニット、ホワイダニットの部分がまるでダメ。いかにして犯罪を実行したのかに関しては自販機内の在庫管理をどうしたのか等ツッコミ所満載なのですが、まあエンタメ映画にはよくありがちなことなので目を瞑るとしても、なぜそれをやったのかに関しては、実行した犯罪のどデカさに比べて動機が希薄のように思えて仕方がありません。フィクションなので言ってみたら「ホラを吹く」という行為をして我々観客に見せてくださっているわけなのですが、これだけデカいホラを吹くには、『ジョーカー』の背景に架空の街「ゴッサムシティ」とそれにまつわる世界観があったように、それなりの世界観を背景に用意しないと、タイトルにあげたように、単なる「荒唐無稽な与太話」になってしまいます。私にはそんな背景となる世界観も感じられませんでしたし、犯罪に関わった人物であるタゴサクや石川明日香(演: 夏川結衣)、石川辰馬(演: 片岡千之助)等の人物それぞれ、及び、その関係性が納得できるように描かれていたようには思えませんでした。
また、『爆弾』というタイトルからして、爆破シーンはこの映画の呼び物とも言うべきシーンだと思うのですが、それにもちょっとがっかりしました。美しく静かで平和な街並みで突如、爆発が起こるから映画的なスペクタクルがあると思うのですが、ストーリー上のタメみたいなものもなく、あちこちでボンボラボンボラ爆発させるだけで、映画的スペクタクルにはほど遠く、デカいサイズのTVドラマを観てるような感じでした。
私がそんなネガティブな感想を持つことになってしまった主原因には、やはり厨二病のかまってちゃん、佐藤二朗演ずるところのスズキタゴサクをあげるしかないでしょう。彼が慇懃無礼な口調でさも得意げに展開する「九つの尻尾」とかいう、次の爆破ターゲットを仄めかすクイズというかなぞなぞが、良識ある大人を愚弄し、揶揄し、挑発してくる感じで駄目でした。それを中途半端に解いてしまう本庁の刑事の類家(演: 山田裕貴)も、え、なぜそんなことがわかるの、といった感じで気味の悪さを感じました(佐藤二朗も山田裕貴もいい俳優だと思っています。あくまでもここでの役柄上でのこと。誤解なきよう)。タゴサクのヒントで次は九段下だと突き止めた類家は「回文」(上から読んでも下から読んでも同じという例のあれ)がキーになっていると言うと、すかさず、所轄の刑事の等々力(演: 染谷将太)が「しんぶんし」とか叫んで警察の実働部隊は九段下の新聞販売店に直行とか、私にはコントとしか思えませんでした。私が最初に思い浮かべた回文は「たけやぶやけた」です。竹藪に行けよ、と思いました。九段下にある靖国神社に竹藪があるかどうかは知りませんが。「とまと」で八百屋に行ったらどう、との脳内ツッコミも入れておりました。このあたりで観てるこちらのほうが恥ずかしくなるという共感羞恥みたいなものが働いて鳥肌が立ってきました。自宅でのTV鑑賞だったら、ここらあたりで離脱してたでしょうね。幸か不幸か、映画館では途中退席できる環境にはなくそのまま鑑賞を続けましたが。
でも、そこそこ席も埋まってましたし、評判もいいみたいですね。まあ私には合いませんでした。ただ合わなかったというだけなのはシャクなのでいろいろと書いていたら、けっこう長くなってしまいました。私はテレ朝のドラマ『相棒』の二十年来のファンなのですが、今回のこれなら、出来がいいときの相棒スペシャルを観たほうがずっといいと思いました。続篇がありそうな感じですが、私はこれ以上、タゴサクには付き合いたくないので離脱します。お好きな方は引き続きどうぞお楽しみください。
共感?とコメント、ありがとうございます。
私は「八百屋」と思いました。
「爆弾」は、タゴサクそのものが爆弾かも。こんな人、世にたくさん埋もれているかも。それだと地雷ですが。
仰ること、私も同じように感じています。
思考の流れが似ているのかもです。
共感ありがとうございます。人を選ぶ作品ですね。
本作は推理ものを想定してスクリーンに望むと期待外れになると言いましょうか、どちらかといえば善悪の概念、命の価値、哲学とか人倫とかそういうものを描いた作品に思えました。
法の下に人間は平等であると謳ってはおりますが、それは法治国家を維持するための建前であり、本編中でスズキタゴサクが語っているように彼のようなホームレスと総理大臣では命の価値が異なります。安穏とお天道様の下を歩む人々と、世間から爪弾きにされた元刑事一家もまた同様です。見放された者たちの悪辣で幼稚で切実な自暴自棄を、その爆発と復讐を描くのを目的としたのかな、と感じております。
実にご指摘の通り。自分のレビューでも書いた通り原作は細野ゆかりというアウトサイダーと鈴木タゴサクという作中人物が作り上げた世界の中に真犯人たちの姿や心情がすっぽり収まる構造的面白さを狙ったものですが失敗しています。
原作頼りの日本の映画がそれを乗り越えて面白いはずはない。テレビドラマのような出来だったと思います。佐藤二郎も山田裕貴もテレビドラマ的な想定内演技にとどまっている。ある意味、日本映画の行き止まりを象徴した作品と言えます。
共感ありがとうございます。
あちこち引っかかる所もありましたが、今作の評価が高いのは佐藤二朗さんの今迄のおふざけとも取られがちな演技が、適材適所だったからと思います。
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