「会話劇だけでもお金を払う価値あり」爆弾 jfs2019さんの映画レビュー(感想・評価)
会話劇だけでもお金を払う価値あり
失礼ながら、佐藤二朗という役者さんをこれまで「亡くなられた佐藤蛾次郎さんによく似た名前の役者さんがいるんだなー」と思うぐらいであまり知らずにいた。その佐藤二朗が不気味さ、怖さ、狡猾さ、そして弱さとかわいさを兼ね備えた全くつかみどころのないスズキタゴサクという怪物を緩急取り混ぜながら変幻自在に演じていて見事というほかなかった。それにしても顔の大きな役者さんですね。向かいに座ったどの刑事と比べても顔の大きさが1.3倍ぐらいあって、ちょっと遠近感が狂うほどだった。原作は未読だけど、原作読んだらもうこの人の顔しか浮かんでこないだろう。
感覚的には半分以上が取調室でのシーンじゃなかったかと思うが、緊迫感溢れるスズキと類家とのやりとりだけで映画館で見たかいがあった。死んだ魚のような目をさせたら右に出るものはいない染谷将太の抑えた演技もよかった。
この映画の登場人物に共通しているのはみなうんざりしているということ。スズキタゴサクは社会や自分の人生にうんざりしているし、類家は周りの無能さにうんざりしている。不祥事を起こした敏腕ベテラン刑事も、彼について「気持ちはわからなくはない」とコメントした等々力も、出世のためなら他人の手柄を横取りしたり、責任から逃れるためなら人が死んでも構わないと考えたりするような警察組織の力学にうんざりしていたのかもしれない。そして希望や野心を持ってリスクを取るものは片足をなくす。
しかし、どう考えてもあの巡査二人は迂闊すぎる。いくら手柄を横取りされるのが嫌だからといっても、爆弾事件の犯人のアジトかもしれない家に踏み込むのにあまりにも無防備すぎだ。トラップが仕掛けられてないわけなかろう、こいつらアホじゃないか、と観客の誰もが思って見ていただろう。ただ、この場面以外は、全般的に現場のシーンと取調室のシーンとの切り替えは絶妙で「どうせ爆発するんでしょ」と斜に構えさせない演出が施されているように感じた。
映画は、最後の爆弾はまだ見つかっていない、というナレーションで締めくくられる。この国の社会の閉塞感にみんなうんざりしているし、それがいつ爆発してもおかしくないのよ、ということか。爆発で全部終わらせたい人も増えてるだろうし。壊すより壊れるのを防ぐ方がずっと面白いという類家のセリフには首肯するが、そんな風に考える人は実は少数派ではないかと最近感じるのである。
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