「レクター博士、ジョーカー、そしてスズキ・タゴサク――日本発、悪のカリスマ誕生!」爆弾 nontaさんの映画レビュー(感想・評価)
レクター博士、ジョーカー、そしてスズキ・タゴサク――日本発、悪のカリスマ誕生!
平日の昼の回にもかかわらず客席はほぼ満席。「国宝」に次ぐ邦画の大ヒットになると予感させる熱気があった。予告編では、気楽に見られるサスペンス系のエンタメかなと思っていた。しかし、今の世界の生きにくさ、分かり合えなさをたくみに取り込んだ社会派サスペンスの側面もあって、引き込まれてしまった。これからどんどん評判が高まるのではないだろうか。
世界的に分断の時代と言われている。アメリカや欧州各国で見られるように、富裕層と貧困層、リベラルと保守、自国民と移民といった対立が激化している。
実際、人がつながるのは難しい時代だと思う。結束できるのは「共通の敵がいる時」だ。怒りや共通の被害意識によって共同体が形成されていく。本作はそうした時代の精神を映し出す映画でもあると感じた。
この物語のドライブ感を生むのは、佐藤次郎演じる圧倒的に魅力的な悪役・スズキ・タゴサクの存在である。逮捕されて警察官に囲まれているにもかかわらず、警察と社会全体を恐怖に陥れる。「なぜこんなことが可能なのか」と見ている私たちは、警察と一緒になってその謎を追い続けることになる。
「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターや「ジョーカー」のような超越的な力を持つ悪役に見える。しかし、現実的な犯行手順が説明されるから、謎解きのスッキリ感も高かった。
あと、もう一つ現代的だと感じたのは、登場人物たちはそれぞれ異なる行動原理をもっているということだ。つまりアイデンティティが多様で、だからこそ、お互いが精神的に繋がれない。共通の敵がいたり、警察という同じ組織にいるということでかろうじて繋がっているだけだ。
この辺りも、今の私たちと重なる。世界的な労働調査では、日本人が頭抜けて、所属組織への精神的な愛着・忠誠心が低い。逆に会社を内心憎んでさえいるという話を聞いたことがある。同調圧力と制度で縛られているから、表向きは従いつつ、内面の反発は大きくなっているというのだ。確かにそうかもしれない。
まず、警察側の主人公の交渉人・類家(山田裕貴)は能力主義者だ。自分の知性に自信とプライドがあり、それを証明するのが彼の動機に見える。仲間意識よりも論理の精度が優先される。これはかなり辛い生き方だ。常に優秀であることを証明し続けなくてはならない。成功している限り許されるが、そうでなくなったら異分子として排除される可能性が高い。〝できるけど出世できない〟タイプだろう。僕は彼のような人は好きである。
その上司(渡部篤郎)は、無口でできる人物に見えるが、内面は空虚で自信もない。組織のルール通りに忠実に機械的に行動している。判断がぶれないいい上司と言えなくもないのだけれど、正義のため、真実のためという動機が弱いのが透けて見えてしまった。組織の論理に従い、役割で動くサラリーマンなのである。
もう一人の警察の上司に、自分の感覚で判断し、部下に嫌味を言い、プレッシャーをかける男がいた。自分の経験頼りで論理性はないが、出世できたから俺は正しいとばかり自信を持ってる。こちらの方がタチが悪いかもしれない。
伊藤沙莉演じる若い警官は、上から目線の組織の上の人物たちにも、わがままな市民にも反感を持っていて、同じ反感を共有する同僚が大事な仲間である。警官は法律と秩序の守り手として、誰に対しても平等に、またどの警官でも同じように動くのが原則となるはずだから、個性的ではあり得ず、だからストレスが溜まっている。彼女の覚醒とは、これからは組織の論理で動きますという決意だった。
犯人グループの若者たちは、社会的弱者としての連帯で結ばれている。つまり社会という敵と戦うことで団結している。日本ではこの人たちの投票率が低いこともあり、政治にその声が反映されにくい。アメリカでもそうだった。しかし、トランプが彼らの代弁者として認められて、今の政権につながった。日本でも彼らの声をもっと取り上げていかなければ、本作のような暴力的反抗にならないとも限らない。この映画はその警鐘という役割があるのかもしれない。
様々な登場人物の中で、スズキ・タゴサクだけが、誰も仲間がいない。ホームレス生活を送りながら、ある女性との交流に希望を感じたようだが、利用されていたと確信し、犯行に至る。
彼は他人の計画だった爆破事件を乗っ取り、すべてを自分の意思として遂行する。タゴサクの行動原理が、さまざまな登場人物の行動理由の中で、一番魅力的に見えた。
社会の底辺生活者で、同じ立場のもの同士で分かり合えるかと思いきや、利用されてしまい、どこにも仲間はいない。ーー人生行き詰まった末での最後の一手がこの犯行だった。そして、大衆を犯行を通じてリモートコントロールするほどのカリスマ性を発揮する。
爆弾とは、誰にも存在を認められなかった人間の尊厳をかけた叫びでもあるのだ。そして、爆弾は全て爆発したわけではない、10年後に突然爆発するかもしれないという不気味な余韻を残して映画は終わった。
これは、社会の底に沸々とマグマのように潜む怒り・恨みがこの日本でもいつ爆発するかわからないよ…ということでもあると思う。アメリカではすでにトランプ支持者による議事堂襲撃が起こり、内戦前夜といった見方もあるようだ。日本でも、格差と孤立、承認されない人々の尊厳を取り戻す戦いがいつ起きるかわからないーー本作は、その予兆を描く映画でもあると思う。
タゴサクが日本のどこかに仕掛けた爆弾はまだ爆発していない——その爆弾とは何かを見通すことが、この話題の映画をさらに意義深く観ることにつながるのではないだろうか。
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