「ついに別次元を広げたか?」爆弾 屠殺100%さんの映画レビュー(感想・評価)
ついに別次元を広げたか?
日本の映画は悪い意味でフィクションを貫く。映画とはフィクションであり、ならばフィクションらしく日本が得意の漫画的世界観を広げた設定や演技が売り物になっている。現実にはあり得ない所作、話し言葉、行動、思考。選りすぐりの美男、美女による夢物語のような恋愛や大げさな大声による怒鳴りやせせら笑いがよく浮かぶ。テレビのバラエティ番組やドラマのフィーリングを持ち込んで、お家芸の漫画的な世界を徹底的に追求するので、その俗っぽさに嫌気がさし、社会や現実との乖離が激しいため違和感を覚える人は邦画はレベルの低いものと思うようになっているのではないだろうか?ただ、それが好きな人もたくさんいるので、所詮あくまでも私個人の主観でしかない。
しかし、ついにそれらの漫画的リアリズムの映画史が良い意味で実を結んだような気がする映画に出会った。それが、本作だ。連続無差別爆弾事件の容疑者 佐藤二朗だ。
容疑者の佐藤二朗は漫画だ。しかし、漫画とはいえ凄い演技だ。異常者の役なので、狂った表情、異様な表情の切り替わりの妙、狂いの喋りの妙、言ってる内容のわけのわからなさが最高に素晴らしい。この漫画演技は極めて高度な演技であり、引き込まれた。しかも笑える。ついに漫画演技が芸術の域に達したのを目撃した。これは日本にしかできないもののように思う。
対する特殊尋問のプロの山田裕貴もキャラ設定は漫画だ。極めて頭がよく、ありえない推理能力、縦社会の厳しい警察組織で社会人としてもありえないぼさぼさの髪型から軽妙かつ無礼な喋り、所作に至るまで浮世離れしている。しかし、佐藤二朗を前に彼も極めて生き生きとしていた。実写という映画の表現形態を使った漫画なのに、現実離れしてるのに面白い。
これは、日本の漫画映画が堂々とエンタメとして存在しているのを間近にみたといえる。エンタメではなく、芸術なのかもしれない。それほど佐藤二朗の演技は魅力に溢れていた。
そして、偉そうに現実がどうのとか言ってる自分がよくわからなくなってきた。現実とはなにか。海外の映画は、現実をうまくとらえ表現していると思いこんでいたかもしれない。ハリウッド映画や韓国映画は面白いが、あれは現地人からしたら大げさで漫画的なのかもしれないではないか。海外の現地人は自国の映画の登場人物を限りなく現実に存在しそうな人の喋り、所作、表情としてみているのか?それが日本人である私にはわからないのに、日本は海外と比べ漫画度合いが高いとどう判断するのか?映画を通して現実の見方が揺らぎはじめる感覚を味わされ疲れを覚える映画でもある。佐藤二朗の演技は映画というフィクション、そう、おかしなことにそのフィクションを通して、現実認識を変えるほどのスペシャルなもので、最高に面白い。それほどずば抜けて素晴らしいものだった。
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